「え?」
戸惑い、だった、アスカの反応は。
シンジと自分がそうなる、それを想像する事が出来なかったのだ。
──その様子を思い浮かべる事が出来なかったのだ。
シンジはその反応を確認すると、ふうと一つ息を吐き、いつもの落ち着いたものへと表情を変えた。
あっ、あっとアスカは慌てた声を発したが遅かった。
──仮面。
完璧に自分の感情を抑制し、制御し、内に込めてしまったシンジの他人行儀な態度には、先のにじり寄りのようなことなど完璧にできない堅い雰囲気が纏わり付いていた。
「それで、レイのことだっけ?」
仕切り直す言葉に従う事しかできない。
「う、うん……、あいつ、凄く落ち込んでてさ」
どうにも萎縮してしまう、拒絶されている、それが恐くて堪らなかった。
「実は……」
アスカは先日のことをシンジに白状した。
約束を破ったこと、レイを連れて行ってしまったこと。
話しながらアスカは、自分がとんでもないことをしてしまったのだと気がつき、動転した。
約束を破った、シンジの信用を自ら捨てた、その上でこうしてのうのうと相談している。
そしてシンジの反応は、アスカの思い描いた通りのものであった。
「そっか……」
落ち着いた声で。
「でもいつかは知られる事だったから」
やっぱりだ、と思った、シンジは怒らない、ただ落胆する。
次からはもう信じてくれない、頼ってくれない。
同じような状況になった時、今度は誘ってはくれない、自分で何とかしようと、一言もくれずに動こうとするのだろう。
そう思えた。
(だって、こいつは……)
この数年そうだったのだろうから、これだけの秘密を抱えて誰にも頼らず、相談せずに胸に秘めて、たった一人でずっと堪えてきたのだろうから。
(だからなの?)
自分やレイではない誰かとの気晴らし、息抜き、そして必要以上に接近しない用心。
段々とシンジの行動の真意が見えて来る。
「シンジ……」
アスカは訊ねる。
「あんたは何がしたいの?」
上目遣いに。
「死ぬ気?」
その瞬間……
アスカはどっと汗が吹き出すのを感じた。
驚いているシンジが居る、何を言うのかと。
だがその口元が笑っているように見えてしまった。
嘲るように、うすら笑いを浮かべて見えた。
──夕刻。
シンジのマンションを出たアスカは、完全に憔悴し切っていた。
そんな彼女が一つ目の角を曲がるのを待って、吸い潰した煙草を足元に捨てた男が居た。
加持である。
「行くか」
尻尾髪の上から首筋を撫で付け、歩き出す。
「アスカじゃないか」
加持の声に、アスカは立ち止まって振り向いた。
「加持さん?」
よぉ、っと加持は手を上げる。
「酷い顔だな」
「そうですか?」
やだ、っと女の子らしく両手で顔を挟んで揉みさする。
「加持さん、どうしてここに?」
「俺はほら、仕事だよ」
「仕事?」
「シンジ君の観察さ」
片目を瞑って見せる、アスカはそんな加持に、自分達は保護名目で監視されている事を思い出した。
「見張ってるんですか?」
「まさか!、大体本気になられたら俺達の監視なんてどうとでもされるさ」
それもそうか、と納得する。
「じゃあ、何を……」
「俺の仕事はシンジ君を取り巻く環境についてのレポート作成だよ」
「え?」
「これは他の子でも作られてる、例えば家族にどう見られてるとか、近所でどう噂されてるとか、そういったことの報告書を作るわけだな」
アスカはなるほどと感心した、確かにそれはこれから必要になる情報だからだ。
世間の風評や噂の類は、どうやったって望んでいない方向へと動く、それを沈めるためには信用を得るしかない。
自分達はわりと上手くやっている方だが、それはこの街の能力者の比率が多いからだ、これが一つの街に一人二人だと、事情はかなり変わってしまっていただろう。
「あのっ、加持さん」
アスカは思い切って訊ねた。
「シンジって……、いつも、どういうところに出掛けてるか、知ってますか?」
──かかった。
アスカは加持がほくそ笑んだ事に必死の余り気がつかなかった。
「将を射んと欲すればまず馬から、か」
落ち込んだ様子のアスカの背を押し、加持がマンションから離れて行く。
その様子をシンジはベランダから眺めていた、余りに落ち込んだアスカの様子に、どうしたのかなと心配したのだ。
死ぬ気?、と訊ねられてどきりとしたが、自分ではそんなつもりはなかった。
01の中に居る誰かとの約束はあるが、だからと言って死ぬ気は無い。
「未練もあるしね」
そう呟いて、柵にもたれ、腕を引っ掛ける。
だからアスカが何にショックを受けたのか分からなかった、それで心配したのだが、見送ろうと思えば……
「問題は加持さんの狙いが僕なのか綾波なのか、どちらかってことなんだよね」
どちらを狙うにしても、アスカは程よい場所に居る。
「そっとしておいてあげるって考えは、ないんだろうな……」
薄情だとは思わない。
所詮は他人なのだ、身内でも無い限り、相手の深刻さなど理解しようとするはずも無い。
目的があるのなら、適当に棚に上げるだろう、どんな言い訳を心でしているかは知らないが。
「だからって、アスカの期待とか信頼を裏切られても困るんだけど」
シンジは呟いてから、苦笑した。
自分の馬鹿さ加減に気がついたからだ。
「いい加減にしろよ」
自分に言う。
「アスカに忠告して、加持さんはそんな人じゃないって反発されたら悲しい?、悔しい?、今更アスカに好かれ続けようなんて虫が良過ぎるんだよ」
さてとと体を起こす。
「レイに会うか……、少し早いけど、話次第じゃ父さんに話さないわけにもいかないし」
……いつも頭の中で物を考えるくせに、今日は非常に独り言が多い。
それだけ不安に陥っているのかもしれない。
──アスカの部屋。
シンジはレイの部屋を訊ねずこちらのインターホンを押した。
気配を感じられたからだ。
中。
幾度も鳴る音も、レイは無反応を貫き通した。
明かりはついている、しかし相変わらず表情は戻って来ない。
ガチャリ、戸が開かれる、いつもならここでアスカの元気な声が発せられる、陰気を嫌ってのものだろう。
レイは自分の前に立った人物の足を見て、それがアスカのものでない事に気がついた。
ジーンズはジーンズでも、アスカが好む物ではない、もっと安い色をしていた。
まさかと思い顔をゆっくりと上げ、目を見開く。
「あ……」
表情が戻る。
「シンジクン……」
自分で口にして、泣きそうになり、そっぽを向いた。
膝を抱えて、顔を隠す。
そんなレイに、シンジは溜め息を吐いて口にした。
「なに落ち込んでるんだよ」
「……」
「別にレイが悩むようなことじゃないだろう?、レイが悪いわけでもないんだいし」
レイは涙をぼろぼろとこぼしながら訴えた。
「でもっ、あたしがっ」
「アスカから話は聞いたよ」
でもね?、とシンジは膝を突くと、レイの頬に手を添えて顔を上げさせた。
「アスカもレイも、勘違いしてる事が一つだけあるんだ」
「え……」
「エヴァは……、01ではね?、昔搭乗できるかどうかの実験があって、その時に事故が起こっているんだよ」
「あ……」
レイは思い出した、思い出してしまった。
詳しくは知らない、だが調べれば分かる事だし、第一、01があのように保管される原因ともなった事故のことだ、耳には入っていた。
調査中の事故、取り込まれた人間が居たと言う話、そして、それが誰なのか?
──碇ユイ、所長、総司令の妻、そして碇シンジの母。
「シンジクン……」
「レイのことが無くたって、僕はエヴァに乗っていたよ……、僕はエヴァに乗らなくちゃいけないんだ、そうしなきゃいけない理由があるから」
「でも」
「色々な理由があるよ……、今じゃね?、その中にレイの事もあるけど、それだけでもないんだ」
だから。
「うぬぼれないで」
「シンジクンっ」
「別にレイのためだけにエヴァに乗ってる訳じゃないんだ、レイのためにやってることでもない、僕は僕がした約束を果たすためにやってるだけだ」
すっと立ち上がり、じゃあと冷たく残して去ってしまう。
レイはしばし呆然とし、そしてそれからまた泣き始めた。
「うっ、う……」
今度は膝を抱えるような事はしなかった、それ辛さから来る物では無く、同情、哀れみの涙だったから。
(だったらどうして?、どうして嫌われるように話すの?)
そんな風に、と。
元を辿れば自分なのだ、太古の話ではない、初めて使徒と戦った時、窮地を救ってくれたのはシンジだった。
もしあの時、あのように追い詰められたりしなければ、いや、さらに遡れば自分がシンジにエヴァを見せたりしなければ、シンジがエヴァに興味を抱く事など無かったはずだ。
「うう、う……」
そうだ、そういう人なんだ、とレイは心で理解した。
約束だと言う、確かにゲンドウから頼まれて自分を守っていてくれたのだろう。
──けれど。
「あの時は!」
まだ力も何も無くて、エヴァに乗れるかどうかも分からなかったはずだ。
ゲンドウも何も言っていなかったはずだ、ゲンドウは言った、自分に、シンジを頼むと。
「なのに!」
今回、激昂して叩きつけた言葉をシンジは言い訳しなかった、レイが言った言葉を肯定しただけだった。
──シンジが転校して来た、中学二年の頃のことが思い出される。
「分かってたのに!」
シンジは言い訳しない、泣き付きもしない、縋りもしない。
いきなり答えを出して実行に移す、だから誰も気付けない。
──シンジが、どれだけ自分を貶めているか。
「馬鹿……」
力なく吐き捨てる。
「ほんとに馬鹿……」
独りきりになった今では、ただ虚しい。
すすり泣くレイの言葉は、誰の耳にも届かなかった。
シンジが何を確かめに来たのか?
それを心の隅に思いながらも、まだレイは動けなかった。
続く
[BACK][TOP][NOTICE]
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。