どこか落ち着いた場所でと、アスカは加持行きつけのクラブへと連れられて行った。
気後れしたアスカだったが、考えてみれば自分がどうこうされるはずは無い。
危ないと思ったなら核爆発でも起こせば良い。
簡単な事だ。
クラブの中はアスカが思っていたようないかがわしい雰囲気には彩られていなかった。
「この街はどこもネルフの管理下にあるからな」
加持はそう説明した、街の執政はネルフのスーパーコンピューター、ＭＡＧＩが取り仕切っている。
設定されている『度』を越えた営業は認められない、不健全な職種に健全さを求めるのだからおかしなものだが、その辺りにＭＡＧＩ特有の『ファジー』さが生きていた。
奥の個室へと進む。
「それでも高校生を連れ込むような場所じゃないんだが」
苦笑して言う。
「安心してくれ、ここはネルフの公認許可店だ」
ああ……、とアスカは納得した、学校がそうであるように、ネルフの認可を受けている店の監視カメラは、全てＭＡＧＩへと繋がっている。
つまり、この店で何らかの問題が発生した場合、警察よりも早くネルフの保安部が駆け付けて来る事になっているのだ。
「じゃ、話を聞かせてくれないか？」
真ん中にテーブルが一つ、『そういう店』だからかソファーは一つ。
アスカは加持との間に距離を開きながらも、彼の隣へと腰を下ろした。
ＬＯＳＴ ｉｎ ＰＡＲＡＤＩＳＥ
EPISODE31 ”道すがら”
遠くに行くということは誰も知らない地へ消え去るという事だ。
それを成した時、初めて全てのしがらみから開放される、僅かながらに残る現世への終着心とわずらわしさの天秤が傾き切った時、人はそこに『死』を望む。
──解脱を夢見て。
「馬鹿だよな」
シンジはどこまでも昇っていた。
「生きていても好い事なんて無いから死ぬ……、でも死んだって好い事なんて無いんだ、何も感じられなくなるだけなのに……」
でも、と思う。
「僕のやろうとしてることは……、本当に君にとって好い事なのかな？」
真っ暗な夜空、灰色の雲を突き抜ける、その先にはただ月があり、星空が広がっているだけだった。
近づく物も遠ざかる物も無くなって、シンジは基準となる物を失った、本当に昇っているのか、それとも同じ場所に止まってしまっているのか、シンジは錯覚を覚えて感覚を失い始めていた。
──それでも確かに昇っているのだ。
空気は薄くなり、風は強くなっている、澱んだ空気が無くなる事で、光の屈折率は低くなる。
──月がより、はっきりと見える。
「どんな気持ちだったんだろう……」
シンジは瞼を閉じ、感覚だけを頼りにした。
瞼の裏に見知らぬ世界の光景が視える。
それはかつて、白と黒の月と呼ばれた物体に挑んで行った人々の記憶であった。
荒涼とした大地に叩きつけられた二つの月、その土砂は大気の外にまで広がって、星の重力に振り回されて固まった。
──月の誕生である。
シンジは太古の記憶に想いを馳せた、知識としての映像は視えたとしても、それを刻んだ者の感情までは伝わって来ない。
エヴァの中に居た者が強く印象に残していたからこそ視える光景、だが記憶と言えるほどには残されてない人の心。
地に堕ちた二つの月の禍々しさに比べ、その金色の星はなんと言おうか？
剥き出しの地肌がどこまでも続く地平線、星が無数に輝く空、その中天に浮かぶまん丸い月。
シンジは瞼を開いた、それと同じ大きさの月がここからは見える。
──それだけ世界は汚れたのだ。
だがここまで汚れても人はしぶとく生存している、『かつて』の人類であったなら、とうてい生きられない環境でだ。
余りに美しい月、だが太古の彼らの手に届いたのは、己達を滅ぼそうとするただ禍々しいだけの月だった。
──なんのために挑むのか？
誰が何のために作り出したのか分からない二つの月、『ファーストインパクト』によって激変した世界に対応した人種を生み出した月、そしていつかの世に自分達の子孫を生み出すはずの月。
未来へと希望を繋ぐための月が絶望をもたらそうとしている、それは止めねばならない事だった。
──だが。
「……分かるような気がするよ」
傷つき、血だらけになった少女だけが辿り着いた、折れた左腕を右手で庇いながら、擱坐したエヴァらしき機体から歩み離れた。
──その先にあるのは巨大な赤黒い十字架だった。
寂しい、その時になって初めて感情が伝わって来た。
それは初めてエヴァ０１に触れた時と同じものだった。
寂しい、一番最初に誰がここまで辿り着いたのだろうか？、その『生体』は不完全だった。
寂しい、『それ』はその『感情』を『欠陥』として認識した。
──だから『補完』を発動した。
「……あの子は可哀想なんだよね」
シンジが持っているのは０１から得た記憶なのだ、ならばどうして己を犠牲にした少女とその乗機の姿が見えるのか？
彼女もそこに居たからだ。
レイ、そしてアスカの視たものは、リリスと言う名の巨人の中にある『メモリー』であった、それも綾波レイが封印していた『記憶』に基づく客観的な物だった。
だが本当は違うのだ。
『あの子』はその不完全さこそを望んでいた、不完全だからこそ互いを望むのだ、それを喜んでいた。
──だから彼女は犠牲になった。
自分が居てあげるからと犠牲になった、自分の全てを与える事で、『影響範囲』を小さく留めた。
本来なら星一つ丸ごと生命を摘み取るシステムであったが、最初に接触した人間によって狂っていたシステムは、補填された分だけ『足りない』量の心だけを集めた。
──そうして最初の起動は止まった。
月に近かった土地は丸ごと命が消え去った、残ったのはエヴァや使徒のような、酷くいびつな『カプセル』のみだった。
生まれ落ちたリリスは完璧な存在であった、自分一個で完結している『感情』だった、だから彼女は内に篭った、外に心を向けなかった。
永遠のまどろみの中、夢の世界にたゆたうことを選んだのだ。
事実、彼女にはそれで良かったのだから。
……生命はかつて『二つの月』を作った者達が考えているほど弱くは無かった、生き残った人々、動物、植物は、すくすくと育ってこの星全土に広がった。
そして強く変化した。
だが人々は根源的に変わっていない。
『寂しい』と心に感じている。
そしてシステムは未だ狂ったまま存在している。
誰か『完璧』な存在が、『そこ』に至らなければ止まらないのだ、生まれたと報告に行かなければならないのだ。
……破壊も方法としてはあり得ないではないのだが、一つの月の破壊で世界は簡単に滅び掛けている。
次では致命的になるだろう。
幸いにも０１はシンジと言う己と同じ心を持ち、慰め合える相手を得た。
『二人』が一つとなれば、心の隙間は無くなるのだ。
そして『力』もまた申し分ない。
まさに『完璧』な『存在』だった。
「後は行くだけさ」
行く、が『逝く』に聞こえてしまう口調だった。
──エヴァンゲリオン。
『福音』から名付けられたのが偶然であるのかどうか？
その名付け親もまた、シンジの乗る０１の中に溶け込んでいた。
アスカは語った。
「その……、シンジが分かんなくなっちゃって」
カランと音を立てたのは、注文したカルピスジュースであった。
その中にアルコールが混ぜられ、別の飲み物になっているのだが、アスカはそれに気がつかない。
ストローで飲みやすさに負け口を潤し、そして饒舌になってしまっていた。
「シンジって昔はもっと……、アタシに当たってたの」
「あのシンジ君が？」
アスカはこくんと頷いたが、加持にはやはり信じられないようだった。
現在のシンジを見れば、どうすれば怒らせることができるのか、不思議でしょうがないからだ。
「それが変わったって事で……、その」
アスカが懸命に思い出しているのは、こちらに来てコンビニでシンジとぶつかったときのことだった、あの時、シンジは酷く感情的だったのだ。
感情を見せてくれていた。
「『前』のシンジって、どこか面倒だって部分があって、だから人と関らないようにしてたって言うか……、付き合わないようにしてたって言うか」
「……ヤマアラシのジレンマか」
「え？」
「いや……、昔リッちゃんに……、赤木博士に教えてもらったんだよ」
こちらは堂々とアルコールを摂取している。
「ヤマアラシは互いを暖め合おうとするんだけど、体の針のためにどうしても傷つけ合ってしまう……、それを恐れるなら一人で堪えるしかないって話さ、どうやったって触れ合う事には痛みを伴う」
そうかもしれない、とアスカは口にした。
「シンジもそういうところがあったかも」
「だろ？」
「……そういう感じで避けてた、うん、そうだけど」
考えを纏めながら口にする。
「今のシンジって、変な所だけ満たされてて、どこか超然としてるって言うか……、自分のことでも他人のことみたいに見てる気がするの」
アルコールのためか口調が雑になってきている。
「『前』のシンジならアタシと喧嘩になることもあった、それって自分にとって『大変』なことだからでしょ？、だから感情的になってたのに……、今のシンジって喧嘩にならないの、それって『大したことじゃない』ってシンジが思ってるからじゃないかって……」
「自分のことなのに？」
「うん……、端から見てると十分大変な事なのに、大したことじゃないって考えてるみたいで、だから心配してるのに、『そんな大したことでも無いのになぁ』って、まるで自覚してない、そんな気がして……」
纏まりのない話し方ではあったが、加持は十分その意味を掴んでいた。
（気付いてるのか？、『昔の』って表現を使わないで、『前の』と言ってしまってる事に）
アスカ自身、心底では気付いてしまっているのだろうと直感した。
アスカにとって今のシンジとアスカの知るシンジとでは別人に近いのだろう、だがどこがどう違うかと言えばどこも違わない、その性格、笑顔、何を比べても自分の知っているシンジのままだ。
その違和感が彼女に言い表せる事の出来ない気持ちの悪さを抱えさせている。
（でも俺は変わる前のシンジ君を知らないからなぁ……）
そのことが大きい、大き過ぎた。
幼馴染すら気付かない変化を、自分が分析出来るはずも無い。
「自分を軽く見てる？」
アスカははっとして顔を上げた。
「あ……」
「そう言いたいんだろう？」
「はい……」
また俯く。
まさにその通りだったからだ。
「自分が思っている以上に、大事に思ってる人が居る、そう言ってやりたいんじゃないのか？、シンジ君に」
「……はい」
とても小さな声だったが、アスカはちゃんと返事をしていた。
[BACK][TOP][NEXT]
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。