一通り泣き終えた後、レイの意識はようやく活動を再開した。
気が楽になっていた、くっと顔を上げて、どうしようかと焦る心を宥めようとした。
「アスカ……」
まだ帰って来ないのかと遠視をスタート、第三眼を起動、青白い光が加速と共に徐々に大きく、明るくなっていく。
──パン!
しかしそれは弾けて消えた、レイは大きく目を見開いていた、瞳孔も開いていたかもしれない。
「……」
顔を臥せる。
肩が大きく震えてしまう。
──見えたのは楽しげに笑ってる姿。
加持という男とはしゃいでる光景、なにを話していたか、どこで何をしているのか、そこまではわからなかった。
──けれど確かめようとも思わなかった。
恐くて、恐くて、恐くて……
裏切り?、違う、なんだろうと思う。
やはりアスカは本気でシンジを好きではなかったのだろうか?
それも違うはずだ、これまでも何度も繰り返して来た疑問と否定。
──口元に自嘲が浮かび上がった。
「なんだ、そっか」
アスカにはいるのだな、それが答えだった。
苦しい時、悲しい時……
どうしようもない時。
助けてくれる人が、相談に乗ってくれる人が。
──わたしには、誰が居るんだろう?
レイには思い浮かばなかった。
LOST in PARADISE
EPISODE32 ”誰?”
「ほなな」
「うん」
トウジと別れたシンジは、そのまま帰るのもつまらないと、ファーストフードショップに立ち寄った、夕食のためである。
そのズレが誰にとっても決定的なものを生んでしまった。
「まだ帰ってない……」
シンジの部屋の前でインターホンを数回鳴らしたのはアスカだった。
「どこに出掛けてるんだろう?、レイも居ないし」
二人でどこかに?、と想像して、ふうと息を吐く。
その溜め息の意味は自分でも計りかねるものだった。
ネルフ本部、エヴァンゲリオン格納庫。
01の前にやって来たのは碇ゲンドウだった、彼はそこに最近余り話していない相手を見付けて声をかけた。
「なにをしている?」
びくりと脅えて振り返ったのはレイだった。
顔色を窺うように萎縮してしまっている。
「碇さん……」
「明日は起動実験がある、遅くならない内に……」
最後まで言い切られる前に、レイは01へと目を戻した。
それは明らかな反抗だった、珍しくゲンドウの口元に苦笑が浮かぶ、理由に想像が付くからだろう。
彼はレイの隣に並ぶと、同じように01を見上げた。
「エヴァンゲリオン『初号機』」
「……」
「下らん話だ、当初政治家連中はこの機体を自国で開発したものとして公表しようとした、……しかし起動実験の事故が起こった、その責任を恐れた連中は科学者の興味本意の独走がもたらしたものとして公表し、この『遺跡文明』の存在を明るみに出した」
それから後のことは知っている。
自分はここで育ったからだ。
「レイと言う名は……」
ゲンドウはいきなりそう持ち出した。
「『わたし達』の子に付けようと思っていた名前だった、男だったらシンジ、女だったらレイ、偶然にも『零号機』よりお前をサルベージする事に成功した『ユイ』は、記憶はおろか人格でさえさだかではないお前にその名を与えた、わかるか?」
レイは誘われるようにゲンドウを見上げて言葉を無くした。
やけに穏やかな目で見つめていてくれたからだ。
「……お前とシンジは、本来、兄妹として『ここ』で育てられるはずだった、しかしユイの事故があり、わたしはシンジを遠ざけるしかなくなった」
「どうして……」
「……妻殺しの傍には置いておけん、わたしは恐かった、シンジに憎まれるのがな」
「そんなこと……」
「憎むようになる、周囲から罵声と嘲笑を浴びせられ続ければ、シンジはその境遇を俺のせいだと逃げたはずだ、……だが今となっては、遠ざけた事もまた良かったのかどうか分からんがな」
レイは分かるような気がして俯いた。
──髪で顔を隠す。
アスカが『そこ』に居た事が、シンジの心の構築に激しく影響してしまっているのは明らかだからだ。
二人が出逢ったのは不幸だったのだろうか?
それから全く無言になってしまったのは、お互いに思考の海に沈んでしまったからだろうか?、いや、ゲンドウにはレイの言葉を待っている雰囲気があった。
「碇さん……」
レイは思い切って訊ねた。
「知っていたんですか?、シンジクンのこと……」
「……」
「シンジクンが、エヴァに取り込まれるようになっていること、知っていて……」
「ああ、知っていた」
反射的に振り仰ぐ。
「どうして!」
その『どうして』は、何に懸かるどうしてなのか?、ゲンドウはどうして乗せるのかと言う意味にして受け取った。
「シンジが望んだ事だ」
「けど!」
「レイ」
重々しい声で黙らせ、ゲンドウは問いかけた。
「お前は、シンジの何を知っている?」
「何って……」
「答えろ」
レイは反射的に言葉にしようとして、オーバーフローを引き起こした。
エヴァ、リリス、アスカ、違う、そんなことではない。
のしかかるようなゲンドウの長身に錯覚を覚える、恐ろしくなる。
──何を知っていると言うのだろう?、シンジの、何を。
「……シンジは選んだのだ」
「……」
それは長い話であった。
──2004年、箱根。
「人類補完計画だと?」
一堂に会した老人達。
その別名はゼーレと言う、人種は様々であったが、彼らは一つの系譜によって繋がれている者達であった。
「はい」
とても大きな会議室には、窓からまぶし過ぎる日差しが差し込んでいた、それは黒いテーブルを白く見せてしまうほどに。
重々しく頷いたのはゲンドウだった。
「白き月での『事故』により、黒き月は目覚めの時を近づけて下ります」
「わかっている」
「我々には時間が無いのだ」
「しかし発掘には危険が伴う」
「白き月で回収された『弐号機』」
「未だ起動の目処は立たぬ」
「その上、先の初号機の事故だ」
ゲンドウに目が向けられたのは、何を思ってのことだったのだろうか?
「……我ら『使徒』には時間が無いのだ」
一同は瞑目した、あるいはそれは黙祷だったのかもしれない。
──同胞、ユイに対しての。
以前にアスカが感じた疑問は正解だった。
崩壊した世界、だが確かに人類の祖となる者達は生き延びていた。
あるいはエヴァに乗って居たもの、あるいは『作られし者』、MAGI、そのコンピューターのオリジナルは、彼らによって作られたものだった、器となる肉の塊を生成し、人のように行動するプログラムを注入する。
そんなシステムが組み込まれていたのは、月の中枢への接触に失敗してしまった時のことを見越してのことだったのだろう。
万が一にも生き残った人々が居た場合、それを手助けする者が必要であろうと考えたからか。
「我らの祖は、使徒を妻とし、魂を分かち与えた」
「あるいは夫とし、命を分けた」
「我らの血も薄れてしまった」
「果たしてアクセスが可能なものか……」
果てしなくくり返された交配によって、人類の祖からは遠く離れてしまった劣悪な種、それこそが人類であった。
「人類補完計画」
「確かに光明となろうな」
より完璧な人類を創造し、それを与える事でシステムを終息させる。
そのためには三つからなるアプローチが提示されていた。
一つ、人類に進化を促し、それに足る種の誕生を望む。
二つ、オリジナルに残されたデータを元に、限りなく『マスター』に近い設定の生体を創造する。
そして三つ目が……
──聞いていた綾波レイは、蒼白な顔で口にした。
「エヴァとの……、同化」
ゲンドウは重々しく頷いた。
「そうだ」
「そんな!、じゃあシンジクンは……」
「わたしとて全てを知る訳ではない、わたしが知るのはユイがお前とシンジに託した願いだけだ」
「願い?」
「そうだ、ユイは半ば気がついていた、自身が死ぬと言う事を」
レイは思わず息を呑んだ。
「そんな……、そんな」
「それでも誰かがやらねばならなかった、何故なら二つの方法で生き残れるのは、同様の因子を持つ者だけである可能性が高かったからだ……、インパクトの発動、その波動を乗り切れぬ者は消失してしまう可能性があった、それでは意味が無い」
「だから……、だから?」
「そうだ、残された可能性、『人工的』に最強の『使徒』を創造する、それも現存の人類と同じ『組成』を持った者を媒介、ベースとしてだ、そのためにユイは自身と『シンジ』を犠牲にした」
ぺたりとレイは腰を落とした。
信じられなかったからだ。
自己犠牲に走ったユイと言う人の精神、そのために我が子を生贄にした心。
何一つ理解できなかった……、目の前の男がそれを許容している事も。
──だがその理由は次の説明に氷解する。
「レイ……、お前はわたしの希望でもある」
「……希望?」
「そうだ」
01を見上げる。
「00からのサルベージには成功したのだ、その精神に多大な障害を残していたとしても、そして今では太古の記憶すら取り戻している」
レイは気付かなかった、そのことを知られてしまっていたと言う事実に、完全に感情が飽和してしまっていて。
「今はまだ01はユイを介さねばならない、だがいずれシンジはそれすら必要としなくなるだろう、そうなればわたしはユイを取り戻すことができる、でなければこのような組織の司令になど、なんの興味があるものか」
ユイを取り戻す日のために、今は留まらねばならないのだ。
人類を救うために死んだ女と、その生存に一縷の望みを掛けている男。
では、シンジは?
「シンジクンは……」
「これの中には母と、お前の『姉妹』がいるのだ、あいつが見捨てるはずがあるまい」
ゲンドウの声は……、遠くに聞こえた。
[BACK][TOP][NEXT]
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。