「なんだかなぁ……」
 シンジは布団の上にあぐらをかいて困っていた。
 家、というので洞木家かと思えば、ごく普通のアパートの一室だった、キッチンと六畳間が一つずつ、キッチン脇には玄関の戸と逆側にトイレと風呂場の戸があった。
 その片方、風呂場からはすりガラス越しにシャワーの音が聞こえて来る、先に汗流すからそこ座ってて、それはまるでこれからを期待させるような言葉ではあったが、シンジは逆に引いていた。
 ──なにしろ、部屋が汚いのだ。
 敷かれた布団は敷きっぱなしなのだろう、かなり湿気を吸っている、その左右には雑誌やコンビニのビニール袋が散乱していた、袋の中には当然のごとくおかしの袋やラーメンの空きカップ、そして弁当の箱が押し込まれていた。
 ──掃除とはかなり縁遠い部屋だった。
 隅には牛乳パックやペットボトルが、ソースの空きボトルなども立てられていた、かろうじて腐敗臭はしていないのだが、お邪魔する時にはだいぶ勇気が必要だった。
「ミサトさんでもここまで『キテ』ないよな……」
 靴下が気になる、いや、ここで汚れた靴下で靴を履かねばならないのかと思うと鬱になる。
 布団の上に座っているのも深い意味があるわけではないのだ、他に座れるスペースが無かっただけのことである。
 シャワーの音が止まった、がちゃりと戸が開く、顔を向ける。
「わぁああああ!」
 シンジは驚いて背中を向けた、何故だか正座になっている。
「ちょ、ちょっとぉ、あんまり大きい声ださないでよね、下の人うるさいんだから」
 ぶちぶちと言って何やら漁っている、ひょいと摘まみ上げたのは下着だったが……、何が気に入らないのかぽいっと捨てた。
 そして別の山から取り出したものを穿く、微妙に先程のものよりは奇麗だった。
 ──彼女は隠しもせずに出て来たのだ。
「そ、そういうのは持ってからお風呂に入って下さいよ!」
「持って入ったら濡れるじゃない」
「だけどっ」
「ガキが興奮してるんじゃないっての」
 笑ってシンジの頭に何かを乗せる、慌てて払いのけると……、ブラだった。
「か、からかわないでよ!」
「からかってるんじゃないんだけどなぁ」
 コダマはぽりぽりと頬を掻いた、そっと見るとまだブラを着けていない。
 堅くずれしていないが、脂肪というよりも筋肉を連想させる張り方をしている胸だった。
 シンジは毒気を抜かれた顔で嘆息した。
「僕、男ですよ?」
「襲いたかったら襲ってもいいけど?」
「あのですねぇ……」
「この部屋でそんなことする勇気があるならねぇ」
 そう笑って冷蔵庫の戸を開いた、スポーツドリンクのペットボトルを二本取り出し、シンジにも渡す。
「ゴミが気になってんなことできないでしょ?、まあ……、『暴走』すれば気になんないか」
 どういう人なんだろうかと思う。
「だったら掃除すればいいのに……」
「どうもね、そういうのって苦手で」
 シンジの隣に腰を落とし、脇にあった枕をとって膝の上に置いた。
「ヒカリがそういうのキチンとしててさ……、なんとなくね」
「なんとなくって……」
「ヒカリがちゃんとしてるの見てるとね、なんか冷めて来て……、まあいいやって気にしないようになっちゃったって言うかさ」
「はぁ……」
「力が使えるようになってからもっと進んじゃって、みんなにも猿扱いでしょ?」
「サル?」
「見世物って事」
 ああとシンジは納得した。
 あれはそういう取り巻きだったのかと。
「だからですか……」
「うん」
 ペットに口を付け、湿らせる、離す時にはきゅぽんと音を立てた。
「一応期待したりとかあったんだけどさ、『そういうこと』になった時に、なんだか普通の感じ方しかしないんだなぁって言われちゃってさ、ブチ切れて」
 ──何をしたのだろう?
「それから興味無くしちゃったし、第一さ」
「なんです?」
「『ああいうこと』やってると服が破けるなんてしょっちゅうだし」
 あれだけ派手な対戦をしていれば確かに見せ慣れてしまうのかもしれない。
「触ってみる?」
 彼女はシンジが遠慮するよりも早く、その手を掴んで自分の胸に当てさせた。
 ──むりゅっと指が肉にめり込む、独特の質感と質量があった、突起物が違和感を訴える。
 硬直するシンジの耳に、んっと艶のある悶えた声が聞こえた。
 それでもシンジは動けなかった。
 かーっと血が頭に登る、それは今までにない感覚だった。
 ──アスカやレイには感じた事のない興奮だった。
「シンジ君」
 耳に息を吹きかけられて、ようやく硬直から脱する。
「は、はい!」
「シンジ君はさ、どう思う?」
「え……」
 コダマは素に戻っていた。
「どうして神様は、こんな力くれたんだろうね……」
 胸に押し付けていた手に指を絡めて、コダマは軽く力を使った。
 心地の好い風が手を冷やす。
「……」
「どうにもさ……、見えないんだよね」
「見えない?」
 うんと頷き、指を絡めたままで布団の上に手を突くコダマ、下敷きにされて手を抜けなくて、シンジはバランスを取るためにもたれかかるしか無かった。
「わりかしさ……、どうでも良いんだ、力がなんなのかなんて」
「……」
「あたしが『まだ』だったら、オトコノコに胸なんて見られたら大変だっただろうけどね」
「洞木さんは違うんですか?」
「あたしがシタのは中学生の時、なんとなくね、その時付き合ってたヤツがさかってちゃって、押し切られちゃってさ」
 酷く簡単な事のように言う。
「別に良いんだ、それは、幻滅はしたけどね、セックスってこういうもんなんだって」
「……本当に?」
「え?」
「あ、ごめんなさい……、なんだか割り切りが凄いから」
 そりゃねとコダマは苦笑した。
「最初からそうじゃなかったけど、経験しなきゃわかんないことってあるじゃない?、後悔はあるけどやんなきゃ良かったなんて思ってない、どうせならもっと『ウマい』人としたかったなって思っただけ」
「……誰でも良いってことですか?」
「そうなるのかな?」
 そんなと言うシンジに首を傾げる。
「なに?」
「だって……、誰でもなんて、そんな……」
「……ヒカリもそういう考え方、嫌いみたいだけどね」
 シンジは愕然としてしまった。
「嫌いとか、そういうんじゃないでしょう?」
「そうかな?、後で何がどう生きてくるかなんて分かんないもん、無くしちゃう物もあるだろうけど、心配ばっかしてさ、何もしてない状態でただ流されてるよりは、取り敢えずやってみたいもん、それでどうなるかは分かんないけど、自分の責任なんだから良いじゃない」
「いい加減なんですね……」
「付き合ったらエッチくらいするでしょう?、じゃあきちんと考えてエッチはしない?、でもそれじゃあ自分はそういう目で見られてないんだって落ち込むかもしんないよ?、自分がエッチ雑誌とかビデオの子より格下だなんて、彼女として立場無いと思わない?」
 何か一理あるような気がしてしまって言い返せない。
「でしょ?、こっちだってそう」
 シュッと空いている手で突きを放った。
「何のために貰った力なのか分かんない、けど使ってみないことには掴めない、ならあんなことでもさ、やってみないとね」
「危ないのに?」
「そうやって引っ込み思案になってると、取り返しが付かない歳になっちゃうじゃない」
「え?」
「これでもやり直しが利く限界点くらいはわかってる、だからそこまでは無茶する、それがあたしのやり方、かな?」
 どっと押し倒された、シンジは何が起きたのか分からなかった。
 ──コダマに押し倒されたのだ。
 その上、唇を塞がれてしまっていて、もがいても力を入れられなかった。
 ──諦めて力を抜く。
 唇を離し、それから数秒経って、ようやくコダマは息を吸い、吐いた。
「……はぁ」
 生臭い息が顔に吹きかかる、シンジは冷静に務めて訊ねた。
「なにするんですか……」
「ちょっとした実験」
「え?」
「……シンジ君が本気なら、『力』で跳ね返せたんじゃない?」
 シンジは言葉に詰まってしまった。
「……そんなこと」
「できない?」
「……」
「でもね、人に誘われてのこのこ着いて来たんだから、これくらいのことは覚悟してても良いんじゃない?」
「だからって……」
「そうやって真面目に生きてると、辛くない?」
 シンジは体中を強ばらせた。
「なにを……」
「失敗しないように気をつけて、気を張って、顔色窺って、身構えてるとさ?」
「どうして……、そんなことが分かるんですか」
「わかるよ、だって」
 顔を近づけ、シンジの目を覗き込む。
「……認識って言ったのは、君じゃない」
「え……」
「あたしの認識は風だった、けどね?、風って何?、揺らぎでしょ?、案外あたしって、頭良いのかもしんないね」
 シンジは彼女の笑みにはっとした。
「心を!」
「そう」
 軽く唇を触れ合わせたまま、コダマは喋った。
「なんていうのかな……、君は硬いね」
 シンジは敗北を認めて瞼を閉じた。
 ──風は物が動く事によって発生する、心も同じことだ、揺らぎが感情となって表現される、ならば『風を読む』ことで感情もまた読めてしまう。
 コダマにはシンジの心が手に取るように読めた、『ATフィールド』、コダマはそんな言葉は知らなかったが、シンジが内に篭るために張っていたこの『結界』表面の揺らぎの『質』を読むことで、間接的にシンジの『想い』を読み取ったのだ。
「ちょっとわざとらしかったかな……」
 裸で迫ったりと。
「でもま、荒療治ってのはああいうもんでしょ」
 窓枠に腕を引っ掛け、夜風に肌を晒しながら、ペットボトルを傾けて、コダマはごくりと喉を鳴らした。


 ──翌日。
「う〜〜〜、頭イタイぃ」
 机にへたばっているアスカが居る。
「二日酔いって……」
「気がついたら結構飲んじゃっててさぁ」
 呆れるヒカリである。
「どれくらい飲んだの?」
「わかんない……」
「わかんないって」
「ごめん、ちょっと勘弁して……、ミサトにも散々怒られちゃって、も、駄目……」
 そんな状態のアスカが居る学校から遠く離れて、シンジの部屋にはレイが押し掛けていた。
「昨日は鈴原君と」
「まあね」
 シンジはそっけなく、頬杖を突いて窓の外を見ていた。
 だがそれはお互いにそうだった、何を話せばいいのか迷っているのだ。
「あのね、シンジクン」
「ん?」
「あれから……、シンジクンに言われてから、碇さんに話を聞いたの」
 シンジはようやく顔を向けた。
「父さんに?」
「うん……」
 緊張感がさらに増す。
「正直……、あたしには分からない」
 どこへ、と。
「シンジクンは……」
 どうなるのか?
 与えられた力は他人のために、望んでもいなかった役割はやるしかなく。
 ──見捨てて行けるほどには冷たくなれず。
 それで不満も訴えずに、最後はどうなるつもりなのか?
 シンジは口を開こうとする、しかし。
「ふうん?」
 部屋の入り口に人が立った。
「その子がシンジ君の悩みの種ってわけ?」
(誰?)
 そう顔に現した綾波レイに、彼女は挑発的な笑みを浮かべた。
「洞木コダマよ」


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。