「そう……、でも注意してね、あのコダマって子、かなり危ない感じだから」
必要以上にミサトが絡んでみせたのは、咄嗟に隠した電話の子機の存在を知られないようにするためだった。
その相手はリツコである、彼女はまだネルフに居た。
今回はエヴァを四機も投入したのだ、そのチェックだけでも一週間は帰れないことが決定している。
「ええ……、わかってるでしょう?、シンジ君たちみたいな子にとって、あの子みたいな考え方は毒と同じよ、拒絶反応を起こすかもしれないから、頼むわね」
電話を切って、リツコはふうと息を吐いた、目元を揉みほぐして背もたれに体重を預ける。
瞼の裏には地下のリリスのことが思い浮かんでいた。
(司令にははぐらかされているけれど……)
それでも見過ごせない問題ではあるのだ、MAGIの管理責任者であるリツコには、地下のこととてある程度は調べられた。
──リリスは成長している。
それも外見的な物ではなく、内面的にだ、外界に意識を向け始めている、はっきりとその兆候は確認できる。
だが何故?、これほど人間がうろついていても知覚しなかったリリスが、一体なにに刺激を受けたというのだろうか?
「まさかとは……、思いたいけど」
リツコはキーを一つ叩いた、余りにも良く呼び出してしまうので、ショートカットキーに登録してしまっていたファイルを開いた。
それは遺伝子パターンの解析図だった。
「シンジ君のヒトゲノム、また進行してるわね……」
下部にパーセントが表示されていた。
それは体組織を構成している材質についての変貌率だった、元が蛋白質であった物が、粒子と波、両方の性質を持った光のようなものに変質を起こしている。
──使徒そのものになろうとしている、リツコはそう感じて寒気を覚えさせられていた。
最初は単純に遺伝子が変質しているだけだと思っていた、まさか構成物質そのものが変換されるとは思っていなかったのだ。
だがこれでまた一つの謎が解けていた。
「使徒と……、人間、エヴァと、パイロット、使徒やエヴァを人間の上位構成体だとすれば、シンジ君の変容は説明できる」
神は光であるという、使徒はその形状をATフィールドによって固定している、つまり進化の究極は意思を持ったエネルギー体だということになる。
それが使徒などに見えるのは、三次元界に『降臨』するために、エネルギーを凝縮して固体として代用しているのだ、肉の器の代わりとして。
「だめなのでしょうね……、もう」
肘を突き、前髪に手を差し入れた、その顔には憔悴の色が濃い。
──碇シンジは人類の枠からはみ出している。
はみ出そうとしているのではない、はみ出してしまっているのだ。
もう誰と結ばれようとも、子を生すことはできないだろう、それほどまでに『進んで』いる。
「これも進化だというの?」
自分に近い『存在』の気配、それがリリスを呼び起こそうとしているのかもしれない。
それを考えると、やはり放ってはおけないと思えるリツコであった。
生物は自分が自分であるという認識を持つ以上には、自分を決しては疑いはしない。
例えば自分は本当に両親の実子なのだろうか?
例えば自分は本当に普通の人間なのだろうか?
病気を持ってはいないだろうか?
頭がおかしくないだろうか?
人間は自己を疑わない存在である、故に疑い始めれば崩壊を始める。
破綻を来す。
シンジもまたそうなのかもしれない、だから自分は自分であると思い込んでいるのだろう。
リツコが気がかりに思っているのはその点だった、自覚症状のない病人ほどやっかいなものはなく、だがこれが病であると言えるのかどうか曖昧なのだ。
かつてレイに現れる症状は全て世界初であると口にしたが、この点においてはシンジが先を行っている。
碇シンジという存在は、もうすぐただの光になる、だが今はまだシンジの姿をしている、それは自分で自分を『碇シンジ』であると思っているからだ、ATフィールド、強固な思い込みが形状を固定してくれているのだろう。
「ふわぁ〜あ」
シンジは大あくびをしながら教室に入った、サボリは許しませんとミサトに送り出されてしまったからだ、本当は寝ていたかったのだが……
「あ、おはよ、シンちゃん」
「おはよう」
なに気に返事をしてしまってから気がつく、あれ?、と。
ぱたぱたと寄って来たのはレイだった、何故だかにこにことしている、気持ちが悪い。
「どうしたの?」
「え?、なにが?」
「……なんだか機嫌よさそうだから」
「そりゃもう!、シンちゃんと会えたからに決まってるじゃなぁい」
うりうりと肘でつつく、やっぱりどこか変だった。
その一方でアスカと目が合った、ふいと逸らされてしまう。
「なんなんだよ?」
わけが分からない。
そんなシンジに声を掛けたのはカヲルであった。
──屋上。
「悪いね、授業をサボらせちゃって」
「いいけど……、なに?」
カヲルの言葉はストレートだった。
「惣流さんが、苦しんでいるよ?」
「……」
「彼女は君が救われることを望んでる……、わかっているんだろう?」
シンジはここでもかと苦笑した。
コダマに注意され、自分なりにも考えていたのだ。
柵に肘を引っ掛けて、遠い景色を眺めやる。
「僕って……、そんなに不幸に見えるのかな?」
カヲルは怪訝そうにした。
「何を言っているんだい?」
「僕は別に僕を可哀想だって思ってない、だって友達も居るし、楽しいし、なのにアスカもレイも、僕はおかしいんだってかまおうとするんだ、どうしてなんだろう?」
「それは……」
カヲルは訊ねて良いものかどうか躊躇した。
「彼女達が、鬱陶しいから、そういうのかい?」
「え?」
「自分はおかしくなんてない、なのにわかってくれないから距離を置いてる、そういうのかい?」
シンジは首を傾げながら答えた。
「……そうかもしれない」
「シンジ君……」
「だってそうじゃないか!」
両手を広げる。
「幾ら僕が何を言っても、違う、そうじゃない、本当はこうじゃないのかって……、どうして勝手な想像するかなぁ?、僕は僕の思うように生きているのに」
カヲルは冷めた声音で注意した。
「彼女にとっては、その悲しい感性こそ自分が育てさせてしまった物だということになるんだよ、それが分からない君じゃないだろう?」
「だからって、責任とって貰えって言うの?、それって酷いじゃないか」
「酷い?」
「カヲル君は、アスカに償いをさせるために、僕に苛めろって言うのかい?」
「それは!」
立場が逆転してしまっていた。
「それは……」
「そうだろう?」
とても儚い笑みだった。
「僕はアスカが好きだったよ……」
「シンジ君」
「でも今は……、僕がどんなに好きになっても、アスカにとっては償いにしかならないんだ、償いだから……、アスカはきっと受け入れるさ、僕がどんなことをお願いしても受け入れてくれる、と思う、でもそれってどこに幸せがあるの?、寂しいよ、そんなの……」
カヲルは言葉に詰まってしまった。
確かにシンジを自分の手で幸せにすることが出来れば本望だろうが、シンジにとってはどれだけつくされたとしても寂しい気持ちになるだけだろう。
そこにあるのは愛情でも、慕情でも無く。
懺悔する気持ちだけなのだから。
一方でシンジは自己嫌悪に浸ってしまっていた、ああまたやってる、そう考えた。
(コダマさんの言う通りじゃないか……、何かを言われると相手が言葉を無くすようなことばかり言って、傷つけて……、それも同情を引くような言葉を選んで使って、僕は)
情けない、と考える。
だからシンジは思い切って秘密を明かした。
「でも大丈夫だよ、カヲル君……」
「シンジ君?」
「アスカも、レイも……、二人とも強いから、すぐに僕のことなんて忘れられるよ」
「……何を言っているんだい?」
シンジの無機質な笑いに寒気を覚える。
「君は……」
「見つけたんだ、僕の花嫁を、僕が生涯を共にして生きる事になる人を、カヲル君になら分かるはずだよ?、いや、知っているはずだよ……」
──ゾッとした。
先日盗み聞きした内容が思い出された、レイと、ゲンドウの会話のことが。
「君は……、君は!」
言い募る。
「君はそれで良いというのかい!?、それで!」
「僕はそのための準備をすませているよ?、カヲル君」
「準備?」
「そうだよ?」
目を伏せる。
「一生懸命、勉強した……、それから働いた、気の抜けた時も過ごした、わかる?」
カヲルは自分の感性を疑ってしまった。
分かってしまう感覚を呪った。
そこにあるのは人生の縮図であった、卒業し、就職し、そして老後を迎え、死への心構えを整えていく。
全てを圧縮し、もう経験済みにしてしまっているとシンジは言うのだ。
「なんてことを……、君は」
「禊っていうんだってさ、こういうのも」
「……」
「あとは、いくだけなんだ……、『あの子』のところに」
カヲルは一歩後ずさった。
(なんだい?)
シンジの半身に、ぼやけた像が重なって見えた、幽体とでもいうのだろうか?、青い髪と、赤い目をした、白い女……
(綾波、レイ?)
あるいはそれに良く似た女の亡霊。
「あの子の所に……、いかなくちゃ」
どこか女の口調めいた告げ方で、シンジは至福を言い表した。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。