「ちょっと待てて!」
 トウジはレイの腕を掴まえて引き止めた。
「綾波!」
 何か声を掛けようとして絶句する。
「なんやお前……、泣いとんのか」
「……」
 レイはぎゅっと唇を噛み締めた、ただ悔しかったのだ。
 あの瞬間、シンジが味方してくれることを期待した、論破できなかった、言い返す言葉を見付けられなかった。
 自分はシンジが好きだと叫べばそれで済んだ事を、脳裏に浮かんだ複雑な事すべてを説明しようとして言葉に詰まってしまった。
 それを見透かされた気がして、その場にあれ以上いられなかった。
「なんやねん、ほんま……」
 トウジは手首を掴んだままで口にした。
「お前も惣流も、なんや変やで」
 カッとしてレイは腕を振り払った。
「ほっといてよ!」
「な、なんやねん……」
 分かるはずも無いだろう。
 つい先程、言い訳しようと言葉を詰まらせていたアスカの顔を見たばかりなのだ、自分までが同じだなんて……
「惣流……」
「え?」
 トウジの見ている先を見る、そこには手を繋いで歩く、カヲルとアスカの姿があった。
「なんや、あっちもか?」
 レイは目を丸くしてアスカが連れ去られていくのを見送ってしまった。
 街灯の届かない暗がりへと消える、その時になってレイは昂ぶっていた感情の一角から、何かがすぽーんと抜け落ちているのを感じてしまった。
 自分の中のもやもやの原因が見えた気がしたからだ、いつか視たアスカの将来。
 誰かと幸せな家庭を築いていた、シンジのことなど過去のことにしてしまっていた。
 あの時にはまだそれほど深刻では無かったから気にしなかった、実際、今まで忘れていた。
 だがこの数日間、思い悩んで来たことは、かつて一度、考えてしまっていた事であったし……、だから、何かがくすぶっていた訳で。
 辛く当たってくれれば、自分は逆らってはいけないのだと卑しめていれば、償っているという気持ちになれる、気が楽になれる、だから彼女になりたかった?
 そのためにシンジに会いに来た?
 底の浅さが見えた気がした。
 でも本当は寂しがり屋で、独りきりは辛いから、いつも誰かに慰めてもらいたがってる、かまってもらえるのを期待して……
 そう、小さな頃がそうだった、自分を温めてくれる全てのものを独占した。
 シンジを蹴飛ばし、突き放して。
 結局、本質は今でも同じまま、シンジに贖罪を行うつもりでも、本心ではそんな自分を救ってくれる誰かを待って、期待している。
 可哀想な自分は守ってもらえて当然だから、愛されて当然だから。
 だから心が弱くなると、脆くなると、都合よく現れてくれる人に縋り付く。
 甘えてしまう。
(そんな子なんだ……)
 何かもうどうでも良くなった気がした、馬鹿馬鹿しくなっていた。
 アスカがどうしようと自分には関係ないのだ、ただ自分はシンジと関係を結びたいし、それを掻き回さないでくれるならどうでも良い。
 勝手にすれば良い。
 しらけてしまった。
「あ、綾波?」
 気配がおかしい、トウジは恐る恐る呼び掛けた。
「……鈴原君」
 レイはくるりと振り返ると、笑顔満開でトウジを誘った。
「お腹減っちゃった、どっかでラーメンでも食べてこ?」
「お?、おお……」
(なんなんや、一体……)
 行こ?、っと歩き出したレイの明るさに呆気に取られる。
 そこには微塵も先程までの思い詰めたものが感じ取れなかった。
 ──そんな修羅場があったとも知らずに。
 シンジはコダマに、またも部屋へと引っ張られていた。
(苦手なんだよね、コダマさんって……)
 余計な事を教えるんじゃなかったと反省していたりもする。
 人の心の微妙な機微さえ読み取り始めた、そんなコダマは厄介だ。
 こちらの言おうとする事を察して出鼻をくじく、何を告げようとしても先手を取られる、何事も看過されてしまって言い勝てない。
「ちょっとは奇麗にしてくださいよ」
「良いじゃん、別に」
「これが男の子を連れ込む部屋ですか」
「じゃあシンジ君の部屋で『する』?」
「……」
「あ〜あ、赤くなっちゃってぇ」
 うふふと笑って、つんと頬をつついてからかう。
「わっかいんだから、我慢は毒だゾハート
 憮然としてシンジは応えた。
「コダマさん……、オヤジくさい」
「うるさい」
 ゴツンと殴る、ゴツンとだ、コツンではなく。
「痛いですって!」
「大体、シンジ君がそんなだから、あの二人って苦しんでんじゃないの?」
「苦しんでって……」
 コダマはどっかりと座ると、飲む?、とビール缶を差し出した。
 それを受け取り、正面に座る。
「苦しむって、なんですか……」
「他にもいるの?」
「……居ませんよ」
「じゃああの二人って事で話すけどさ」
 ぐびびと喉を潤した。
「シンジ君がはっきりしてくんないから、勝手な想像して、どうこうした方が良いんじゃないかって、勝手にやってるんじゃないの?」
「そうでしょうか……」
「で、それがシンジ君には重荷で鬱陶しいわけだ」
「そんな……」
「でも嬉しくないんでしょ?」
 シンジは悩んだ。
 確かに、自分がもっとしっかりとしていれば……、昔からのことに浸るような真似をしなければ。
 あれほど想い悩ませはしなくて済んだかもしれないのだ。
 思い返せば二人には泣き言ばかりを口にしていた気がする。
 分かってくれるのは、始めから信じてくれていた人だけだとか。
 どうせ同じことになるだとか。
 世を拗ねている様な態度まで取って。
 ……それがどう見えるのか、考えもしなかった自分が嫌になる。
「こぉら」
 コダマはそんなシンジの鼻をつまみ上げた。
「ひてて」
「そうやってぇ、ボク悩んでますってのが問題になるんだってばさ」
「癖なんですよ……」
「だったら」
 ぐっと二本目を突き出し、プシュッと栓を抜いた。
「飲も?、気ぃ抜かないとやってらんないよ?」
 シンジは缶に口をつけながら思った。
(この人は、何を考えているんだろう?)
 それは大きな謎だった。


 元々コダマは奔放な性格をしている、それは付き合いの浅いシンジですらわかることだった。
 そんなコダマが自分に対してはやけに世話を焼いてくれる、お姉さんのようにだ、それがおかしなくらい気に掛かった。
 こんな面倒くさい人間に関るのを好む人柄ではないからだ。
 おかしな感じでシンジはコダマと夜を明かした、そしてもう一人、同じく夜を明かした二人が居た、カヲルとアスカだ。
(結局……、それだけなの?、アタシって)
 いつか思い悩んだ事が思い出される。
 やっぱりか、そうシンジに思われたくなくて意固地になった、意地になって自分がシンジの心を開いてやると勢い込んだ。
 それが全てだったのかもしれない。
 シンジに謝罪する事で、間接的に自分を救う、けれど本当の願いは自分が救われる事で、シンジなどは道具に過ぎない。
 こう言いたいのだ。
 自分は、人に謝れる優しい人間なのだと。
「最低ね、アタシって……」
 自虐の罠に落ちていく。
 本当にシンジが好きなら、こうもほいほいと他の男には着いていかないだろう、泊まったりしないだろう、シンジの目が恐いはずだから。
 だけど今、何にも感じていない自分が居る。
 最低だ。
 アスカは立ち上がった、そろそろ空が明るみ出している、椅子に腰掛けたまま眠ってしまっているカヲルに目を落とす。
 すっとその隣を歩き過ぎる、薄めを開いたカヲルであったが、すぐに閉じた。
 フワサと掛けられたのはシーツだ、どうやら彼の寝室から持って来たらしい。
「おやすみ……」
 アスカはそう口にすると、カヲルの頭を一撫でして出て行った、がちゃんと戸が閉まる音にカヲルは苦笑し、身じろぎをする。
 シーツを掻き上げ、体にしっかりと巻き付ける。
 髪に残された感触が、しつこいくらいにくすぐったかった。


 ──がちゃん。
 ミサトさんは寝てるかな、と恐る恐る帰宅した、そんなシンジにミサトは剣呑な目をして声をかけた。
「シンジくぅん?」
「うわ!」
 びくんと怯える。
「み、ミサトさん……、電気も点けずになにやってるんですか」
 どきどきする胸を手で押さえる。
 まだ夜が明け切るには早い、少し薄暗いのだから電灯ぐらい点ければ良かろうに、ミサトはビール缶を手にカーペットの上で片膝を立てていた。
「あのねぇ……、こっちは後処理に時間が掛かって、ようやく帰って来たとこなのよ、風呂上がってくつろいでたって……」
 そこまで喋ってから、ミサトはシンジの顔が赤いのに気がついた。
「ちょっとシンちゃん」
 おいでと手を振る。
「なんです?、わっ!?」
 ぐいと腕を引っ張り倒される。
「み、ミサトさん!?」
 腕で胸に抱き込まれたあげく、逃げられないように足で固められてしまった。
 ──柔らかな感触が少年的にヤバかった。
「やっぱり……」
 ぎゅうっと抱き、いや、締めに入った。
「お酒臭い、こら!」
「うっ、く、くるし……」
「あんたねぇ!、戦闘の後ってのはストレス掛かってるし、体のどっかに異常があったっておかしかないのよ!?、こんなになるまで飲んでどうすんの!」
「す、すみません」
 だから離してとチアノーゼを起こし訴える。
「ったく!」
 解放する、シンジは慌ててゼェゼェと息を吸った。
「む、無茶しないでくださいよ!」
「だったら今日ぐらいちゃんと寝てなさいっての、まったく、寝てると思って気をつかってやってりゃ……」
 ああ、それで真っ暗なままで気配殺してくれてたのかと納得する。
「ごめんなさい……」
「だったらそんなになるまでお酒飲まない!」
「……」
「あによぉ」
「……いえ、こういう時って、普通お酒自体飲んじゃ駄目だって言うんじゃないかって」
「ふ、甘いわね」
 ニヤリとミサト。
「国際公務員に日本国憲法なんて通じないのよ!」
「嘘言わないで下さいよ」
「ま、いいじゃない、そんなことは」
 にやんと笑う。
「で、こんな時間までどこ行ってたのよ?」
「それは……、その」
「これのとこ?」
「ミサトさん!」
 人差し指と中指の間に入れられた親指の意味に真っ赤になる。
「なぁにもハズカシがんなくったってさ」
 その上、親指をひくひくと動かす、シンジはコダマに謝った、ごめんなさいコダマさん、この人に比べたらコダマさんはオヤジじゃないです。
「なぁにぶつぶつ言ってんの」
「あ、なんでもないです……」
 それよりとシンジは目のやり場に困った。
 タンクトップ、ノーブラのためにこぼれた胸がはっきり見えてしまっている、ショートパンツもだ、切れ込みが凄い事になってパンツが覗けていた。
「もうちょっとなんとかなりません?、その格好……」
「おーおー、色気づいちゃって」
「……僕もう十六ですよ?」
「んーんー、良い感じねぇ、じゃあそろそろかな?」
「そろそろって、何がですか?」
「ん〜?、わかってんじゃないのぉ?」
 艶めかしい目にぞくりとする。
「ぼ、僕もシャワー浴びて来ます!」
「じゃあベッドでシンちゃん待ってるわぁん」
「からかわないでくださいよっ、もう!」
 行ってしまうシンジにケタケタと笑う。
 ジャッとバスルームのカーテンを動かす音が聞こえた。
『……あんまりからかうもんじゃないわよ』
「わかってるわよ」
 どこからかした声に応じたミサトの声は、先程までと違って硬質だった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。