「カヲル君……」
 シンジはぎゅっと唇を噛んだ。
 今はとにかく助けなければならないのだ。
 シンジと聞こえた、アスカだ、何か喚いている、自分も乗せろと言っているらしいが、無視をした。
(それどころじゃないんだよ)
 何故か胸が疼いてしまった。
 彼女の必死の形相に。
 カヲルの身を案じる顔に。
「行くよ、カヲル君」
 シンジは一気に間を詰めた、4号機の肩を掴んでコクピットハッチに手をかけようとする。
 ──ガン!
 それを弾き上げたのは4号機だった。
「動けるの!?」
 シンジは驚愕して後ずさった。


 ──きゃあ!
 そんな悲鳴が発令所に轟いた。
「どうしたの!」
「電脳班が……、二人、あ、三人倒れました、気絶してます!」
「クラッキングの速度が再び上がり始めました、電脳班のナンバーズの脳神経に負荷が掛かり過ぎてます、危険です!」
「ここまでね」
 ミサトはほぞを固めた。
「電脳班に撤収を命じて」
「しかし!」
「リツコ、MAGIのシステムダウンを」
「え?、ええ、マヤ!」
「はい!、……準備出来ました!」
「青葉君、日向君!」
「タイミングはこっちが、3、2、1……」
 二人が同時にキーを回す……、が、何も起きない。
「駄目です!」
「メルキオールが!、メルキオールからバルタザールへのクラッキングが開始されました、速い!、この調子だと後四十秒で落ちます!」
 はっとしたリツコが叫んだ。
「シンクロコードを変更してっ、マヤ!」
「はい!」
 阿吽の呼吸とでも言うのだろうか?
 たったそれだけで何を指示されたのか理解出来るのは、伊吹マヤ、彼女くらいのものだろう。
 マコトとシゲルは引きつった顔で硬直していたが、カーソルの点滅速度の落ち方に比例して遅くなったクラッキング速度に、ずりずりと椅子を滑り落ちて安堵した。
 ──しかしまだ戦闘は続いている。
「シンジ!、渚!」
 喚くアスカだったが、近寄れないでいた、二体の巨人の合い争う場に踏み込む勇気など彼女には無い。
 踏み潰されておしまいだからだ。
『馬鹿!』
 そんなアスカを掴み上げたのはレイだった。
『何やってるの!』
「レイ!、離して!」
 アスカは00の腕から逃れようとして炎を纏った、00の手を融かさんと力を発する。
『何考えてんのよ!』
 だがATフィールドによって防御されている00を傷つける事など出来るはずが無い。
『アスカがそこに居たらシンジクン何も出来ないじゃない!』
 アスカはぐっと詰まってしまった、確かにそうだ、生身の自分など邪魔でしかない。
『いくら渚君が大事だからって、シンジクンまで巻き添えにしないで!』
 何かをアスカは言い返そうとした。
 言い返そうとして振り返り、00の単眼と目を合わせてしまった。
 そして違和感に気がついた。
「巻き添えってなによ……」
 言葉が吐いて出た、それは意識した物では無かったが、レイの激情を誘うには十分だった。
(アスカはまだ理解してない!)
 勝手なと感じる。
『加持さんを好きになるのも渚君を好きになるのも勝手だけど、シンジクンにツケを回さないでって言ってるのよ!』
「だ、誰がそんなことしてるのよ!」
『してるじゃない!』
「どこが!」
『シンジクンをネタにして男漁りしないでって言ってるのよ!』
 アスカは目を丸くした。
「な……、なに、言って……」
 駄目だと思った、零号機の巨大な赤い目、その奥の黒い瞳孔、さらにその奥にある不信の念に射すくめられて。
 駄目だ、覗かれている、心を、本音を、そう思った。
 確かにそうだ、自分は弱気を本音のように見せて男を誘った、慰めてもらえる快楽に身を委ねた、気持ち良かったから、他人が自分のために尽くしてくれるのは。
 自尊心の満足?、そんなものではないのだ、もっと根源的に、自分は誰かに認められているのだと、ここに居る事を、在る事を。
 許されているのだと確認して、安堵していた。
 ──シンジのことを忘れて自分のことに終始していた。
「あ、ああ……」
 崩れていく、何かが、自分の中で。
 ──悲しい過ちがそこにはあった。
 アスカではない、レイは一つ過ちを犯していた、彼女はアスカの力を押さえ込むためにATフィールドを使っていた、それが間違いだった。
 アスカの心の殻さえも、ATフィールドは侵食したのだ。
 暴かれる、卑しい自分が、覗かれる、本音まで。
 覗いているのは自分、覗かれているのも自分、アスカには堪えられなかった、レイからの影響もあった、記憶は主観によって構成されている、それらが客観的なものへと再構成されていく、まるでレイの眼を通して見ているように。
 何と自分は厭らしい表情をしているのだろうか?、開放的で楽しそうなのだろうか?
 何と自分は愉悦に浸っているのだろうか?、自虐の海に浸って楽しんでいるのだろうか?
 加持と腕を組んで。
 カヲルの傍で。
 ──だが。
 幾ら自分を痛めつけても。
 幾ら自分を追い詰めたとしても。
(シンジ!)
 冷めた目をして観察している彼が居た、そうなのだ、彼には関係のない事なのだ、自分が苦しもうと悲しもうと、彼が苦しくなる訳でも悲しくなる訳でも、ましてや救われる訳でも無い。
 報いはいつか受けられるだろう、そう思っていた、それはこの街に来た時からだ。
 いつか許された時、本当に自分は幸せになれるだろう、そう思っていた、報われると思っていた。
 ──だが今はどうだろうか?
 報われるどころか、報いを受けている、好きだと言っておいて、また他の人間へと浮ついて、彼に寂しさを与えている。
 ──その表情は、アスカだからこそ分かるものだった。
 レイには分からないだろう、その違いは、興味ないと輪の外から冷めた目をして見ている、そんなシンジの表情は……
 ──いつか見たものと同じだから。
 だからこそアスカには分かった、シンジはやっぱりかと自嘲していたのだ、自虐していたのだ。
 少しの間だったけど、楽しかったと。
 昔の記憶を掘り起こして。
(違う、あたしは!)
 確かに代わりにしたかもしれない、確かに弱さから流されてしまったかもしれない。
 ──だけど本当の気持ちは?


(好きになるとは凄いものだね)
 カヲルは何かを感じていた。
(本当の気持ちは辛いから……、だから痛みを和らげてくれる薬を求める、でも本当に乾きを癒すためには、いつか向かい合うしか無いんだね、君達を見ていてそれがようく分かったよ)
 誰もが正面から向き合っていないと、そう感じていた。
 カヲルは。
 彼が今感じているはアスカの心の波動だった。
 ATフィールド。
 生身で発せられるそれが、感情の高ぶりに沿って膨れ上がっていく。
(ATフィールドは心の壁か)
 他人への拒絶、それは同時に、『他人への恐怖心』でもあるのだ。
(それを乗り越えなければ……、本当に受け入れられることは無いんだよ)
 うっすらと笑う。
 彼の意識は完全に覚醒した。
 目を見張る、初号機が抜き手を作っている。
「さあ」
 カヲルはいつもの表情に戻った。
「そろそろ帰らせて貰うよ?、ここは僕の『座』ではないからね」
 全身から力を発する、中和能力が使徒を壊す、電子信号によって形成された使徒にとって、そのジャミングは致命的だった。
 データが壊された、エラーが発生する、修正するために間を取られる、そしてシンジにはその小さな間で十分だった。
「カヲル君!」
 シンジの声に応えて、カヲルはオートイジェクションを作動させた、4号機の装甲が前後面双方とも爆発と共にはがれた、コクピットが露出する。
 シンジはそのコクピットへと腕を伸ばした、鷲づかみにして引きずり出す。
「わあああああ!」
 右手にカヲルを庇い、左手で頭部を握り潰す、そして。
 ──ゴッ!
 シンジは『初号機のデータ』を解放した、それは連綿と受け継がれて来た、初号機の中に蓄えられて来た『記憶』だった。
 記録が使徒を押し流す、その中にはこの使徒と同じタイプの『生命体』も保存されていた、それが初号機の……、シンジの意思に従って、4号機の中を侵食する。
 さらには使徒を食らいつつ広がっていく。
「なんてこと……」
 そう口にしたのはリツコだった。
「リツコ?」
「シンジ君……、いえ、これも司令の計算通りだというの?」
 上を見上げる、しかしゲンドウの表情は見えない。
 データ生命体がこの施設中に、そして黒き月へと広がっていくのだ。
(いずれこの地下世界は……、初号機の巣に作りかわる)
 ゾッとする。
 全ては01の意思の元に管理される事になる。
 その様を思い描いて、リツコは戦慄するのであった。


 ──後日。
 その空港のロビーには、黒服の男達に囲まれて、渚カヲルが立っていた。
 その正面にはアスカが居る。
 カヲルはにやけた笑みを張り付けて、冗談交じりに口にした。
「できれば……、僕と共に来て欲しい」
 アスカは目を伏せてかぶりを振った。
「アタシは……」
「わかっているよ」
 そう、カヲルには分かっていた、だからこそ不憫でならないのだ。
(願わくば、君が報われる事を)
 アスカの頬に手を添える、顔を上げさせて、キスをした。
 ──離れる。
「ありがとう……、君達に出逢えて」
 ゴウッと、離陸する飛行機の起こした風に遮られた。
「……行っちゃったね」
 その屋上。
 見送っているのはシンジとレイだった。
「良いの?、行かせちゃって」
「しょうがないよ……」
 シンジは顔を伏せた。
 カヲルの言葉が脳裏を過る。
『仕方ないのさ、君は知っているんだろう?、僕の役割を』
 そう、知っていた、知っていたからこそ邪魔出来なかった。
 やがて来る子供達の世界、その王たるカヲル、その彼の身に迫った危険。
 よりにもよって、使徒に取り込まれ掛けたのだ、これが許されるはずが無かった。
 検査の名目もあったが、上は危機感を募らせて、彼の保護に乗り出したのだ。
「今度来る時も……」
 レイは続きを口に出来なかった。
 ──今度来る時も、友達になれると良いね。
 それは出来ない相談だろう。
 シンジは彼らにとって邪魔なだけの存在だから。
 だからシンジは悲しげにする。
 また一人……、遠ざけなくてはならない人が増えたのだから。
「さよなら」


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。