──GO!
 誰かが叫んだ、誰が叫んだのかは分からない。
 00がゲートを持ち上げた、下に出来た隙間からSTFが突入する。
 目の前に広がる奇怪な光景にくじけ掛けるも、彼らは必死に人を探した。
『上!、コントロールルーム!』
 レイの叫びが彼らを打つ。
 使徒化している床を走るのは勇気が必要だったが、幸いにも汚染されるということは無かった、何か理由があるのかもしれない。
 シンジは00にゲートを固定させたまま前に出て盾になろうとした、視線の先には4号機が居る。
「カヲル君……」
 シンジは苦痛を感じていた。
 どうすれば良いのかが分からない。
 父は言った、人の救助が最優先だと。
 だがあれは使徒だ、そして使徒は倒さなければならない、そうでなければ……
 4号機は静かに佇むだけで、まるで動きを見せようとしない。
 わぁっと人の声が上がった、飛び出して来た作業員達が保護されて逃げ出していく、その中にはミサトやリツコの姿もあった。
「シンジ君!」
 ミサトが叫んだ。
「あの中には渚君が!」
 分かってますよとシンジは視線を投じた。
 そこにアスカを見付けて目を伏せる。
(どうしてだろうね……)
 案じる気配に包まれて、シンジは自嘲気味の顔を上げた。
(ごめん)
 そうとしか言えない。
(ごめん……)
 優しいのだ。
 この『中』に居る人は。
 自分を誰よりも必要としていながら、このような感情も認めてくれる。
(アスカか……、僕は)
 シンジは複雑になる感情を押し潰し、平坦にした。
(レイの事もあるんだよ、カヲル君)
 再び4号機に目を向ける。
(どうするつもりなのさ?)
 シンジはカヲルこそレイに相応しい人だと考えていた、それは余計なお世話かもしれないが。
 だがそのカヲルにアスカまで惹かれているらしいとなると、自分は……
 シンジは無理矢理そう考えた、どちらの組み合わせを応援するべきかと。
 冷静に、冷徹に、自分の感情を交えないで。
 だがそうしていると、一つの疑問が浮かんで来る。
 ──渚カヲルにそのつもりが無かったらどうするのか?
 シンジはその考えを振り払った、そうでなければ困るからだ。
 そうでなければ、諦められないから、困るのだ。


「遅れました」
 発令所へと戻って来たミサトは、司令に対してそう謝罪した。
 やむを得ない状況だろうに、彼女はそれを認めない、必要な時に居るべき場所に居られなかった、それは怠慢でしかないからだ。
 自分はこの時のために雇われていると、颯爽といつもの場所に立った。
 遅れてリツコとマヤも到着する。
「ごめん、ありがと」
「は、はい!」
 マヤは慌てて交代してくれた少女ににこりと微笑んだ、それからリツコへと顔を向ける。
「センパイ、ナンバーズ電脳班の準備は終わってます」
「じゃあそのままエントリーさせて」
「はい」
「構いませんね?」
 最後の確認はミサトだった、慌てる余り手順を飛ばした技術部主任の代わりを行ったのだ。
「構わん」
 ゲンドウは事後承諾の形で許した、既にマヤはテキパキと指示を下している。
 青葉が状況を中継した。
「ナンバーズエントリー開始、メルキオールの防衛に入ります」
「ウイルスの進行停止、汚染範囲が縮小を開始しました」
「バルタザールによるデータ復旧開始します」
「いけそうね」
 半ば無意識の内に、リツコはミサトに答え返した。
「そうね」


「行くよ」
 明滅がおかしくなった。
 暗くなったり明るくなったりしている、明らかに不安定だ、異常が起こっているらしい。
 それを皮切りに、シンジはとうとう意を決した、01を04へと歩ませる。
 ──ズン。
 第一歩、踏んだ部分が激しく光る、使徒が反応しているのだ、初号機に。
 ──ズン。
 二歩目、またも光った、そして4号機に反応が生まれた。
 ピクンと頭を動かしたのだ。
 機械であるのに、生き物のように。
 そしてそのコクピットでは、同じようにカヲルが目を覚まそうとしていた。


(ここは……)
 カヲルは薄く瞼を開いた。
(ここは)
 そこに見えるもの、計器や装置に記憶が混乱を来す。
 掘り起こされたのは、古過ぎる厭な思い出の一つだった。
 ──どうだ?、調子は。
 ──ようやく組織が定着したよ、次は色素だな。
 ──色素はそう濃くする必要ないだろう、あまりやり過ぎると遺伝子に異常が出かねないからな。
 ──安定した状態が崩れない程度に付けておくか?
 ──後はATフィールドに保護させればいい。
 ──しかしATフィールドは未だ理論上のものだろう、期待し過ぎるのは。
 ──最悪無菌室で保護するさ、それに、検証済みのデータもある。
 ──ファーストチルドレンか?
 ──容姿が似ている方が親近感が沸くだろう。
 下らない話が聞こえて来る、そう、自分は生み出された、何者かによって。
 理由はただ一つ、研究のためだった、目的はそれだけ、その自分に偶然存在した力は非常に特殊な物だった。
 後に『裁定者』と呼ばれる理由となるこの能力、それが確認されたのは……
 記憶が闇の中を遡る。
『学校』には多くの子供達が居た。
 ドイツは酷い土地だった。
 封建的制度が生き残り、子供達は道具扱いされていた、それはマインドコントロールと呼ばれる洗脳だった。
 チルドレンの多くは下級階層から集められていた、実験動物だったからだ、そして何の疑いも無く、チルドレンは大人のために働いていた、だが中には力に目覚める者も居る、奴隷の中で頭角を現す。
 そう言った者は秩序を壊しかねない存在だった、そして秩序は壊された。
 多くの子供が死んだ、彼の巻き添えとなって。
 多くの子供達が処分された、彼のようになられては困ると。
 街の店を襲い、食料を、金品を奪った、そんな彼らを処分するためにガスが使用されたのだ。
 彼らに不審を与えぬよう、ナンバーズに満たないチルドレン、その候補生も集められている場所でのことだった。


 ──やめてくれよぉ……
 泣きながら誰かが言った、手を伸ばした自分を恐れて、その手を死に神の手だと信じて。
 そこは学校の講堂だった。
 少年はガスに危険を感じて床を割って逃げた、床の下から。
 彼、カヲルにはそれが許せなかった、何もかもを好きにしておいて、なんら責任を取らずに他人に背負わせて逃げようとしている。
 何故許せなかったのだろうか?
 親しくなった友人達が、もがき苦しみながら死んでいくから?
 それとも無関係の幼い子供が、その少年の逃走路から漏れたガスを吸ってしまって死んでしまったから?
 違うとカヲルの意識は言った。
 笑っていたからだと。
 馬鹿な連中だと。
 もっと上手く生きれば良いのにと。
 自分は賢いのだと。
 制止する声を聞かずに幽鬼のごとく去ろうとするカヲルを追いかけて、管理者達は愕然とした。
 追い込み、追い詰めたカヲルが、彼の能力を封じたからだ。
「ああ、ああ、あ……」
 少年は怯えて小さくなり、がたがたと震えた、その目は恐怖に血走っていた。
 誰かが取り押さえようとした、ぎゃあっと悲鳴を上げて、心臓発作を起こして死んでしまった、心底恐ろしかったのだろう。
 ──何もかもを取り上げられて。
 エヴァの因子はその人間の根幹にあるものに関っているのかもしれない、それを封じられた少年は、本能的に恐れたのだ、猛獣の群れの中に裸で置き去りにされたような感覚に襲われて。
 徒手空拳よりも酷い、手足さえももがれて。
 それからカヲルは恐れられるようになった。
 悪い事をすると渚カヲルがやってくる、彼は妖魔や鬼と同類になった、同じものとして認識された。
 カヲルはいつしか嘲笑を張り付けるようになった、どうしてそうなったのかは自分でも理解していなかった。
 ──でも、分かり掛けて来た気がする。
 そんな彼の元に、『委員会』からの命令書が届けられた、それは日本へ移動せよとの命令だった。
 日本に強大な力を持つ者が現れた、彼はファーストチルドレンを誘導している、そんな内容だった。
 裁定し、場合によっては裁断せよ、そのような命令だったが、遂行されることは無かった。
 出来なかったからだ。
『彼』は圧倒的だった、その上自分が知る能力者の誰とも感じが違っていた、同じだと思っていたのは間違いだった、だから先入観を抜くために、ひたすら観察するに徹した。
(死のうとしているだなんて)
 それも全人類のために……、そこまでかどうかは分からないが、彼は自分を傷つけた、酷く嫌な人間のためにすら死のうとしている、何故か?
 ──好きになってもらったら、好きにならなくてはならないのか?
 ──では嫌われたら、嫌わなくてはならないのか?
 その命題の答えはノーだ。
 彼は嫌われても好きなままだった、だからこそ辛くて逃げようとして傷つけ合う道を選んでしまっていた。
 その彼は今は心を決めてしまっている。
 だからどのようなことも受け流してしまって、心からの言葉すらも受け取るつもりをなくしている。
 それを悲しんでいる少女が居るというのに。
 受け取って欲しいと嘆いているのに。
 カヲルは忘れていた顔を思い出した、それは微笑だった、心からの。
 かつて自分の喜びのためだけに、多くの者を不幸にした少年が居た。
 なのにここには、不幸の元になるものを全て背負おうとしている少年が居る。
 全てをあざ笑って自分だけ助かろうとした卑怯者と、全てを背負って悲壮に暮れ続ける情けない少年。
 それはまるで反対だった。
(けどシンジ君?)
 彼は正面のモニターに映った初号機に笑った。
(君は間違っているんだよ……)
 好意に値しないのだ、その考えは、不幸の元を背負うと言うなら、種もまた蒔いてはいけないのだ。
 シンジが消える事で、確実に多くの人間が泣く事になる、その中でも二人ほど、これ以上と無く嘆く者が居る、それがどうして分からないのか?
 ──分かるはずが無いのだ、カヲルには。
 シンジはお互いを噛み合わせようとしていた、例えばアスカにはレイ、レイにはカヲル、そしてそのカヲルが今はアスカを気にしている、この輪が成り立てば、互いに慰め合えるだろう。
 その内側に囲われているのは、自分と言う存在への悔恨の念だが、いずれ解消されれば、お互いはお互いの道を歩み出すはずだ。
 そうなれば囲いは消えて……、かつて存在した少年の証しは、霧散して消えていく事になるだろう。
 忘れ去られる。
 それが少年の望み、描いている展開だと仮定して。
 どうしてそんな考えを、普通の人間が理解出来るだろうか?
 想像出来るだろうか?
 分かるはずがないのだ。
 飛躍した少年の論理など。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。