「アスカ……、今行くから」
 レイは両目を閉じていた、第三眼もだ。
 何を見ていたんだろうと思う、この三つの目で。
 なんでも見ている気がしていた、なにもかもを覗き見ていた気がしていた。
 だが実際には、何も見えていなかった。
 シンジの考えも、アスカの想いの強さも。
 どれだけの覚悟をもって、アスカは思い詰めていたのか?
 アスカは証明して見せたのだ、正に命がけで。
(付き合わなきゃ……、親友でも、ライバルでもないよね)
 そんな風に思考するのは、足が震えてしまいそうになるからだった。
 ──そしてシンジは、未だ加持の車の中に居た。


 低くエンジンが唸る、忙しなくギアを入れかえる加持に違和感を抱く。
 そうかと気付いた、オートマではないのだ。
「君は戦わないのかい?」
 唐突な問いかけにビクリと震える。
 父の言葉が重なって……
「だって、僕には何もできないから」
「何も?」
 加持は嫌悪感を滲ませた。
「俺は……、陳腐な言葉だけどな、男ってのは戦って生きるもんだと思うぞ?、違うかい?」
 声は決して、陳腐な言葉だとは語ってはいなかった。
「おっと、『あなたには分かりませんよ』、なんて言わないでくれよ?、それこそどうして俺には分からないなんて分かるんだって、訊き返すからな?」
 釘をさして言葉を封じる。
「人には二種類の人間が居る、何かを望む人間と、全てを諦める人間だ、人はどちらかの生き方しか選べない、不器用な生き物なんだな」
 シンジは口を尖らせて突っかかった。
「それがなんだって言うんですか……」
「別に?、ただな、欲しいものがあって、確実に得られるものなのに、諦めるのは馬鹿のすることじゃないかって言いたいのさ」
「……どうせ僕は」
「後悔するのが分かっているのに、それでも戦わないのかい?」
「なにをしろって言うんですかっ、僕に!」
 ふんと加持は鼻を鳴らした。
「全てを諦めてるんなら、良いだろう?、俺のために努力してくれないか?」
 シンジは唖然として、間抜け面を晒した。
「なにを……、なにを言ってるんですか?」
 にやりと笑う。
「言ったろう?、人には二種類の人間が居る、何かを望む人間と、全てを諦める人間だ、そして欲しいものがあって、確実に得られるものなのに、何故諦めなくちゃいけない?」
 シンジには、とても邪悪な笑みに見えた。
「俺には欲しいものがあってね、そのためにはいくつかの条件があるのさ……」
「欲しいもの?」
「ああ、そしてその条件の中には、アスカの幸せが含まれてるのさ、だから君に投げ出されちゃ困るんだよな」
 呆れてしまう。
「そんな勝手な……」
「そうかな?」
「そうですよ」
「だが君は自分の幸せのために、アスカ達に理想の彼女達であるよう、強制していなかったか?」
 シンジは反発した。
「そんなことしてません!」
「彼女達に望んでることは何もない?」
「それは!」
 言えない。
 確かに、幸せになって欲しいと願っていたから。
「どうなんだ?」
 シンジは目を背けて、言い訳がましいことを言った。
「僕にはもう、関係ありませんから」
「関係はなくても、事実だって認めるんだろう?、なら、君には俺を責める権利なんて無いはずだ、違うか?」
「そうですけど……」
「なら、ちょっとぐらい良いじゃないか、君だって利用して来たんだ」
「なんでそんなことになるんですか……」
 にやりと笑って……
「贖罪だと思えばいいさ、大丈夫、手伝ってくれたら、少しは良い目を見させてやるぞ?」
 なんて人だろうかと思う。
「適当に従ってくれれば、適当に美味しい思いをさせてやるよ、別に不満なんてないだろう?」
 シンジは呆れた。
「不満だらけですよ」
「どうしてそう思うんだ?」
「どうって……、それは」
「モノを考える必要もなくなる、いや、それだけじゃないな」
 さらっと言い放つ。
「君って人間が、生きてる意味、それそのものがいらないんだ、こんなに楽なことはないぞ?」
 呼吸を止めてしまった。
 体が強ばって動けなくなる。
「意……、味?」
「そうだぞ?、君はどうして生きてるんだ?」
「どうって……」
「マンガを読んだり、ゲームをするために生まれて来たわけじゃないだろう?、ただだらだらと生きて死ぬだけなら、別にいま死んだって良いじゃないか、誰も困らない」
 確かにその通りで。
 それが痛い。
「死ぬことで、誰かが傷ついてくれる、誰かが記憶にとどめてくれるなんてのは、思い上がりだよ、誰も彼も忘れちまうよ、実際、今の連中ってのは、そうして生きて来たんだからな」
 それはセカンドインパクトのことを言っているのだろう。
「死にたくないなんてのは、結局君の我が侭にすぎないんだよ、そうだろう?、気付いていないみたいだから、教えてやろうか?、君が死んだって、アスカは困らない」
 動悸が激しくなって、辛くなる。
「想像できるだろう?」
 意地悪く言う。
「そりゃ暫くは落ち込むだろうさ、その代わり、あれだけ可愛いんだ、慰めてやろうって奴はいくらでも出て来るよ、するとどうなると思う?」
 聞きたくない。
「簡単だよ、幸せになるんだ」
 走らせながら、煙草を咥えて、火を点けた。
「だってそうだろう?、この先どうなるかなんて分からないもんさ、人生なんてもっと分からないもんだ、幸せな人生を送れたかどうかなんて、他人が決めるもんじゃない、当人が死ぬ時にどう思っていたかだ、君が死ぬことで、アスカは未来って選択肢を得られるんだ、そして君って存在が『スパイス』になって、いずれ出逢う誰かとの関係が、凄く燃え上がることになるかもしれない」
 落ち込むシンジに、追い打ちをかける。
「アスカにとって、自分はヒーローだなんて思ってたのか?」
 甘いなと告げる。
「アスカの物語は、まだ始まってないのさ、君なんて、いつか彼女が綴る物語に出て来る、過去の話の存在なんだよ、名前だけのしがらみに過ぎない……、かもしれない、ま、実際それを確定させるのもまた、アスカだけどな」
 だけどと、さらにとどめを差した。
「君にこだわっていられるのは、目の前に君がいるからさ、けれど君が居なくなったら?、人はいつか疲れるよ、疲れると人は逃げ出すんだ、実際アスカは、中学生の時、自分を偽ることに疲れたから、こっちに来た、そうだろう?、そして今の君は呪縛でしかない、彼女が幸せを求めて、別の行動を起こせるようにしてやるためには、君は非常に邪魔なんだな」
 どうだと加持は問いかけた。
「君の存在なんて、アスカにとってはちっぽけなものでしかないんだよ、これからどうなって行くかは、これからの君次第さ」
「それが……」
 堪えて口にする。
「それがなんだって言うんですか」
「中途半端なんだよ、君は」
「中途半端?」
「そうさ、寂し過ぎるのは嫌だ、でもわずらわしいのも嫌だ……、アスカやレイちゃんに曖昧な態度を取って、あの子達を迷わせてる……、悪いとは思わないのか?、君のせいで、あの子達は自分の幸せってものを捜せなくなってるんだぞ?」
「……」
「僕には関係ありません、そう言わないだけマシかもしれないが、同じことさ、我が侭なんだよ、君は今を楽しく過ごすために彼女達を犠牲にしてる、利用してる、今まで考えたことがなかったか?、君は君が主役でいるために、彼女達を使い捨ててる」
 そんなことはしていませんと、シンジは叫んだ。
「無理なんて、させてません!」
「してるんだよ、君はやってるじゃないか、言ったろう?、何かを望む気がないのなら、全てを諦めることだな、そうでないとアスカ達は希望を感じて、君に縛られ続けようとする」
「僕のせいだって言うんですか」
「そうだ」
 よそ見をする、つまり、シンジの目を睨み付けた。
「なあ、シンジ君……、幸せってのは、なんだと思う?」
「幸せ?」
 そうさと頷く。
「妬むものか、羨むものか?、それともそこにあるものか?、違うな、そんなものは、他人が作った幸せだ、他人が作ってくれた幸せだ、君がこれまでやってきたのは、幸せそうな人を見付けて、おこぼれに預かろうとしてきた、それだけだ」
 だから。
「アスカ達が幸せであるように仕立て上げようとしていた、違うか?」
 答え切れない。
「じゃあ……」
 唸る。
「じゃあ幸せってなんなんですか!」
 加持は非常にあっさりと答えた。
「自分で作り出すものさ」
「作り出す?、自分で?」
 ああと頷く。
「そうさ、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、自分が感じたことの全てのことを重ね合わせて、作り上げて行くものだよ、それこそが自分だけの幸せってもんだ、そうだろう?」
 シンジには答えられなかった。
「どんなに辛くても、悲しくても、それを乗り越えた時の爽快感を手にするために、諦めないで、恐れないで向かい合っていくものだ、一度手にしたものは、どれだけ傷だらけになって血を流すことになっても握り締めるしかない、そうして人は形作っていくんだな、幸せを」
 俺はなと告白する。
「君のお母さんに、会ったことがあるんだ」
 仰天する。
「母さんに!?」
「そうさ、一度だけ、キスしてもらったよ」
 ここになと頬を指差した。
「さっきのは、あの人から聞かされた言葉さ、君のお母さんからな……」
「母さんが……」
「ああ、幸せって言うのは、待つものでも、奪うものでもなくて」
 手のひらを見る。
「この手ですくいとって、積み重ねていく、砂山のようなもの、そうでしょう?、ってな」
 シンジは何かが見えた気がした、それは幼い頃の記憶だった。
 一人で砂場で砂山を作っていた、あの山を自分はどうしたのだろうか?、捨てて行ったのだろうか?、違う……
 ──蹴り潰したんだ。
 誰も迎えに来てくれなかったから。
 嫌な想いの象徴に変わったから。
「しかしアスカやレイちゃんの手の中に残されたものってのは、どうなんだろうな」
 はっとする。
「あの二人が、君といることで掴み取れたものって、何だと思う?」
「それは……」
「砂のようなものなんだよ、指の間から流れ落ちていく、手のひらに残るのは僅かなものさ、だからこそ執着するんだ、違うか?」
 ──どれほど辛くて、痛いものでも。
「俺は、俺が幸せになるために、たくさんのものを手に入れるつもりだ、そして幸せになるために、やれることはやっておきたいのさ、後悔なんて、幸せの価値を目減りさせるだけだからな」
「……」
「君は、どうなんだ?」
「……」
「本当に、幸せに『逝ける』のか?、あの二人に詫びはいらないのか?、それで君だけの幸せは手にできるのか?」
 シンジはキレた。
「だからって……、だからって、僕にどうしろっていうんですか!、戦えなんて言われたって、僕には分かりませんよ」
「なら分かるように話してやろうか?」
 加持は脅した。
「その代わり、もう逃げるわけにはいかなくなるぞ?、ごまかすわけにも」
 自分で自分を追い込んでしまったことに気がついたが、もう遅い。
「君は気付いているはずだ、さっき警報が鳴った、墓地にまで聞こえるほど、広範囲に避難勧告が出されたんだ、それがどういう意味なのか」
 シンジはぎりっと歯を食いしばった。
「あの子達じゃ、どうにもならないほど危ないってことだ、このまま君だけが生き残って、どうする?、それでもまだ楽しいことだけを連ねて生きて行くつもりか?、生きて行けるのか?、彼女達との想い出が、辛いこと、悲しいことになるんだぞ?、君はどう処理するつもりだ?、楽しいこととして捉えられない記憶を、捨てて護魔化してしまうつもりか?」
 そんなことはできるはずがない、二人にとって自分がどういう存在であろうとも。
 ──大事な、とても大切な人達だから。
「……一つだけ、君にできる、いや、君にしかできないことがある」
「……」
「リッちゃん……、赤木博士が秘匿してる情報に、こういうのがあるんだよ……、君はまだ、エヴァに乗れる」
 シンジは目を丸くした。
「エヴァに!?」
 にやりと笑う、楽しげに。
「そうさ!、君達の力の根源は、生体が持っている魂そのものだ、君は生きている限り、搾り出すことができる、ただし……」
 前を見て口にする。
「ただし、正真正銘、最後の一雫を搾り出そうって言うんだ、死ぬぞ」
「死ぬ……」
「ああ、死ぬな、間違いなく」
 シンジは一息入れて口にした。
「そうですか」
「ああ、だがたった一度だけなら、彼女達を救うことができる、英雄になれる、どうする?」
 敢えて答えの決まっている問いかけをする。
「このまま、だらだらとした関係を続けて行っても、仕方ないだろう?、それより、ここらですっぱり、全てを清算してしまった方が良いんじゃないのか?、ま、君が、君の考えで決めるんだ、後悔のないようにな」
 加持は非常にいやらしく笑った。
 それも、シンジに見られないように……


 ──シンジは知らない。
 加持がいやらしく笑ったことを。
 彼が下心なしに動くような人間ではないことを。
「駄目よレイ、戻って!」
「零号機、爆薬を持ち出しています、総量は……」
「自爆する気!?」
 天井を閃光によって穿ち、使徒は直進コースで邁進して来た、融解した天井がとろけて、雫となって奈落の底へと落ちていく。
 レイは目の前の床が弾けるのを待った、あついと熱を避け、そして姿を現した化け物に爆薬を……
「!?」
 伸びた帯の刃が、ブレードが零号機の顔面を縦に裂いた。
「レイ!」
 倒れ伏す、しかしマヤが嬌声を上げた。
「シンクロカット、間に合いましたっ、無事です、生きてます!」
 そう、よかったとほっとすることもできない。
 回収するまで無事で居てくれるかどうかは別問題だ。
 どうにもできないのかとほぞを噛む、そして……、いつだっただろうか?、いつかもこんな光景があったなとミサトは思い返してしまった。
 あの時は、彼が……
「どうして……」
 ミサトは何気に、01が映し出されている小さなウィンドウを見て絶句した。
 そこには、そこに居るはずのない少年の姿が……
「どうして、ここにシンジ君が!?」
 ミサトの声に皆も気が付く。


 シンジは石化したエヴァンゲリオンの肌を撫でていた。
「ごめんね、避けてて……、でも怖かったんだ、またあんな怖い目に逢うのって、嫌だって、そう思ったから」
 でもと俯く。
「分かったんだ……、逃げた先にも、いいことなんて無かったよ、だから帰って来たんだ」
 無音。
「どうせ握り締めて固めるなら……、後悔なんて、掴みたくない、だから」
 通信が割り込む。
『シンジ』
 顔を上げる。
「父さん?」
『何故そこにいる』
 シンジは透き通った笑みを浮かべた。
「僕は初号機の……、パイロットだから」
『そうか』
 バクンと音がした、目を向ければ初号機の腹の装甲板が、勝手に左右に開いていくではないか。
 露出されたのは、赤いたまだった、使徒のコアに、酷似した……
 シンジは許してくれてと手を当てた。
「ありがとう」
 ズブリとめり込む、そこから葉脈が広がって……
 ──マヤはパニックを起こして酷く喚いた。
「そんなっ、素体、装甲も、全てが修復……、いえ、復元されていきます、凄い……、システムまで!?」
「なんですって!?、そんな」
 リツコも取り付く。
「一ヶ月近くも放置していたのよ?、機械まで……、まるで生き物みたいに修復されるなんてこと」
 はっとする。
 4号機を汚染した使徒のことをだ、そして、その使徒を倒した能力のことを。
(無機物を生体のように!?)
「え?」
 ぼけた声、マヤだ。
「なに、これ?」
 赤い球……、コアへと、潜り込んでいく、そしてシンジの姿が消えた時、パネルに新たなゲージが表示された。
「シンクロドライブユニット?」
 リツコにも分からない。
「なんですかこれ?、こんなの始めて、でも、システムはMAGIに登録されていた?、先輩っ、これって!」
「わたしにも……」
 振り仰ぐ、やはり何かあるらしい、男二人が密談している。
「良いのか?、碇」
「……」
「シンクロドライブユニットは、生命体を活動源とするシステムだ、シンジ君を殺す気か?」
「……死ぬとは限らん」
「いや!、死ぬっ、死ぬに決まっているだろう!、なんのためにレイが……、『Rei Series』が開発されたと思っているんだ!、使い捨ての生体動力源として開発された人形だったのだぞ?、レイは!」
 小声で怒鳴る。
「本来の用途を考えれば、シンジ君が無事にすむわけがあるまい!」
「だが他に方法は無い」
 邪悪に口元を歪めて見せる。
「来ました!、シンクロ率、400%!?」
「凄い……」
 素体に瑞々しさが取り戻される、浮いた血管が脈動する。
 目に輝きが、顎が開いて、熱い業火の息を吐く。
 ──カハァアアアア……
「シンジ君は……」
 ミサトは訊ねた。
「どうなっちゃったのよ、ねぇ?」
 答えるリツコ。
「そんなの、わたしに分かるわけがないでしょう?」
 誰もが魅入られ、目を逸らすことができなかった。
 それほどに禍々しく……
 エヴァ01は、復活した。


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。