トクン、トクンと、鼓動が聞こえる。

 それは命が刻む、穏やかなリズム……


LOST in PARADISE
EPISODE39 ”心のかたち、人のかたち”


 黄金の河を遡っていくと、そこには青い海が広がって……
 そして見上げれば、そこには光が差していた。
 ──覗き込む顔が見える。
(母さん?)

 ──1999年。
 彼女は、その時、恋をしていた。

「明日、南極へ発つ」
 胸の辺りが、激しく疼いた。
 そこは大邸宅の庭園だった、京都にある、貴族の『城』だ。
 日本庭園の片隅、誰も近寄ることのできない、隔離された空間で、二人きりの時が穏やかに流れていた。
「わたしには、少々、荷の重い話だがな」
 彼女、ユイは、着物の裾を折り込むようにして、池を渡る橋の上でしゃがみ込んでいた。
 青い水面に映る、自分の顔を見て、笑う、背後に映る、もう一人の顔に。
「きっと、大丈夫ですよ、あなたなら……」
「根拠など、無いのだろう?」
「信じていますから」
 そうか、それしか彼には、答える言葉などなかった。
 南極での実験によって、何が引き起こされるのか?
 それは誰にも分からない、ただ、この強面こわもてが役に立つのなら、その程度のつもりだと窺える、だが。

 ──母さんは、知っていたの?

 そして、激動の年が訪れる、『セカンドインパクト』、だからわたしは警告したのに。
 そんな『意識』が流れ込む。
 ──2004年。
 その日付に、シンジは脅える。
「君と出逢って、こんなわたしでも、世界に希望を抱くことができた、感謝しているよ、ユイ」
 クスッと笑った彼女に、憮然とする。
「ふん、どうせわたしに希望なんて言葉は似合わんさ」
「そうですね、あなたは現実に生きている人ですから、だから……」
 腕に手を添える。
「今更、手放さないでくださいね?」
「ああ……」
 背後から、抱きしめる。
「放しはしないよ、ユイ」
 二人は馴れ合いながら、無骨な機械を軽く見上げる。
 どこか見覚えのある『システム』だ、中央に人の入るスペースがある。

 ──エントリーシステム?

「わたしは反対だよ、この実験は」
 冬月コウゾウの顔は、引きつっていた。
「なにも急ぐことはあるまい、惣流君の研究が完成すれば、エヴァは……」
「はい、確かに、擬似的なシンクロが……、操縦が可能になります、でもそれじゃあ間に合わないかもしれません」
 かぶりを振る。
「わたしには分からんよ、何故そうも急ぐのか?、慌てるのか」
 しぼり出すような声を吐いた。
「時間がないんです」
「時間が?」
「はい」
「だが危険過ぎる、取り込まれる可能性も……」
「でも、失敗したとしても」
 いいえと彼女は言葉を直した。
「成功しますよ、きっと」
 でもそんな言葉に根拠はなくて。

「それが君の真実だというのか?」
 彼の驚きに、決して小さくはない胸の痛みを感じて、彼女はうつむくように顔を背けた。
 碇という架空の家系、そこに囲われている一人の女。
 その正体。
 興信所が潰されたのはもっともなことだった、知られてはならない秘密が、多過ぎたから……
 シンクロドライブユニット。
「人をくべ、命の燃焼を用いて起動させる悪魔のシステム、わたしはそのために作られました、太古の昔に」
「信じろと言うのか、そんな話を」
「……戦いをまっとうすることなく、眠りにつかされたわたしは、今になって巨人の中より引き上げられました、わたしは……、つくられしもの、人形です」
 ──Rei Series、その一体。
「そんなわたしに、魂があるのか、心があるのか……、わたしを連れ戻して下さった方は、わたしに時間をくださいました」
 微笑を浮かべる。
「生きてさえいれば、幸せになれる、だって生きているんですもの、その通りですね」
「わたしには分からんよ」
「いいえ、あなたになら分かるはずです」
 拗ねるようにして口にする。
「幸せは、誰かに与えもらうものでも、奪い取るものでもなくて、この手に受け止めて、胸にしまい込むものだって」
 彼女は彼の手を取り、愛おしげに撫でた。
「想いが、たくさんの希望が、溢れて、無くさないように、わたしはこの身の内に収めようと」
 彼の手を、胸元へいざなう。
「そして今、わたしの中には、心があります」
「心か……」
「あなたは、感じてくださいますか?」
 ──わたしの心を。

 ──愛し合う、いや、無くさないこと、恐かったんだ、父さん……、母さんも。

 だから貪り合うように互いを求めた、その結果。

 ──僕が生まれた。

 ──2001年、6月。
「こんな世の中で、生きていくのか」
「あら?、生きてさえいれば、どんな場所だって天国になりますわ、だって生きているんですもの」
「そうだな」
 君がそうであるようにと……
 だが、二人で躱した約束も……

「行くな、ユイ」
「あなた……」
「明日の実験、分かっているはずだ、ドライブユニットからのサルベージの可能性はゼロに近い、君がここにいることは奇蹟に近いのだぞ?」
「大丈夫ですよ、ほら、あの子だって、還ってこれたんですから」
 二人の目の先にあるベッドには、瞼を開いたまま、身じろぎもせずに横たわっているだけの女の子が一人……
「あの子達の、未来のためにも」
「君の未来はどうなる」
「あなたの未来と、おっしゃりたいのでしょう?」
 泣きそうになる。
「そう言ってくださっても良いのに」
「ユイ……」
「あなたの望む未来には、わたしがいますか?」
「ああ!」
「ですから、きっと大丈夫です、もし万が一のことがあったとしても、あなたはきっと、またわたしを、現実の世界へ連れ戻してくれると、信じています」
「ああ!、現実以上に価値のある夢など、ないからな」
 夢と未来はイコールで繋がり、その価値は現実のこの温もりには遠く及ばず……

 ──ユイ!
 赤く染まる、警告音が鳴り響く、実験の中断を誰もが喚く、そして女の悲鳴がスピーカーを音割れさせる。
「ユイ、ユイ!」
 彼の叫びが聞こえる、しかし意識は遠くなる。
(だめなのね、もう)
 諦めから、気が遠くなる。
(あなた……)
 そしてもう一人。
(シンジ)

 ──うん。

 シンジは静かに肯定した。
 今なら分かると、ずっと気付かないままで、悪かったと。
 ここに居るのは、レイの姉妹のような人だと思っていた、だが違ったのだ。
 そう、確かに姉妹であった、だが少し違っていた。
 ──母だったのだ。
 心地好さが身を溶かす、ほぐれていくと感じる、皮が、肉が、細胞が。
 神経だけとなり、繋がっていく、そんな感覚に身をやつす。
(母さんは、ずっと戦って来たんだね)
 そうよと返答が戻された。
(ずっと戦っていたんだね……)
 そうよと、『映像』が戻された、そこには見覚えのある面影を持った青年がいた。
 街中、怪我をしている少年を拾い、手当てをした。
 その時の記憶だった。
「幸せなんだ」
 ふてくされた少年は、そう言ったのだ。
 旦那と、子供がいる空間、その気配に、羨ましげなものを窺わせて。
「あなたは、幸せじゃないの?」
「俺は……」
 少年は歳に似合わない自嘲を浮かべた。
「幸せだったけど、もう、だめかな」
「そんなことはないでしょう?」
「あるよ」
「ないわ」
「あるんだよ!、なんだよ!、何も知らないくせに、知った風なこと言って!」
「でも、あなたは生きているわ」
「死にたいのに……」
「その気持ちを、心を……、想いを」
 手のひらですくい上げて。
「いつか形にしてみせる、そのために、人は生きるの」
「……分かんないよ」
「分かる時が、きっとくるわ、必ずね」
 だって男の子でしょと、彼女は頬にキスをしてやった。
「男の子は、戦って生きる生き物だから」

 ──でも僕は、戦い切れなかった。

 げふっとシンジはあわを吐いた、空気の塊を。
『羊水』の中でシンジは溺れた、それは拒絶されたから。

「魂は、どうやって生まれるか、知ってる?」
「親から分けてもらうのだろう?」
「ううん、それは外れ」
 愛おしげに、大きくなった腹を撫でつける。
「人はね……、こうして、夢とか、希望とか……、始まりになるものを、託して子を育むの、それが誕生」
「そうなのか?」
「そうよ?、そして生まれ落ちた子は、想いと気持ちを共有して大きくなるの、それが心、そしてそんな心を収めておく器のようなものを、魂と呼ぶの」
 草原に、穏やかな風が流れ、頬を撫でる。
「親は子の、殻の魂に、心の詰め込み方を教えてやるということか」
「そう……」

 ──だから。

 返してと、彼女は嫌悪を剥き出しにしてつかみかかった。
 わたしがあなたに別けたものをと、狂った顔で。
 わたしが望んだのは、あなたのような子供じゃない。
 わたしの夢を、希望を、願いを返してと彼女は迫る。
 あなたに託したわたしの命を。
 あなたのために浪費した命を。
 無駄にされるくらいなら。

 ──わたしが、わたしのために使うから。

 彼女は哭いて、息子を呑んだ。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。