──誰もが固唾を飲んで見守った。
ゆっくりと、膝に手を置き、立ち上がる。
長く眠りに付いていた巨人が、再び眠りの底から目覚めた。
何をするのか、何をするつもりなのか?
巨人は立ち上がると、顎を引くようにして、息を吸い込んだ。
──グルゥオオオオオオオオオン!
咆哮を上げ、背に黒い翼を広げる、いや、それは亀裂だった、空間の。
「断層!?、次元の壁を砕いて、飛ぼうというの!?」
リツコの悲鳴、次の瞬間、引きずり込まれるようにしてエヴァンゲリオンの姿は闇色の向こうへと潜り込み、消えた。
──次の瞬間。
「反応関知!」
叫び、一瞬の間も置く必要は無かった。
「零号機……、いえ、使徒の真正面です!」
「これ程の距離を、一瞬で!?」
「凄まじい、いえ」
リツコはいつか聞き出した、シンジと01との、ファーストコンタクトのことを思い出した。
闇の中に気配を感じて、引き寄せられて、気がつけばそこに居た、と。
(これが、『エヴァ』の、いいえ)
ぎりと唇を噛み締める。
(『あの人』の、力なの?)
「う……、ん」
苦しさに、小さな唇から、呻きが漏れる。
身じろぎをすると、亜麻色の髪がだらりと垂れた。
──彼女は、夢を見ていた、それは懐かしい夢だった。
「もう嫌だ!、無理だよそんなのっ、できっこないよぉ!」
シンジが喚いて泣いていた。
「何よ馬鹿ぁ!、あたしだって、あたしだってねぇ!、こんなところに居たくない、居たくないよぉ……、もう嫌ぁ……」
どうして自分ばかりが苦労しなければならないのだろう?
それが分からなくて泣いてしまって……
「泣いてるの?、泣かないでよぉ……」
「泣いてないぃ」
「やだよぉ、アスカが泣いちゃ、ぼく、ぼくぅ」
「うああ……」
「うう、う、うぁあああああわ……」
何が原因で、そうなったのかは思い出せない。
ただあの時、向かい合って泣きじゃくった、お互いがお互いに堪え切れないものを噴き出して、泣けるだけ泣いた。
──あの時から、何かが変わったのだ。
シンジは脅えるだけではなくなったし、自分も強がるだけではなくなった、お互いに縋るような頼り方はしなくなった、それは相手に失望したからだろうか?、期待しなくなったからだろうか?
(多分、違う、違うのよねぇ……)
気遣うようになったからだと、今では思う。
無理をさせてはいけないと、泣かれては堪らないと、辛いのはもう嫌だと。
──あの日の誓いは、有効だろうか?
朽ち果てた協会、バージンロードにはコンクリートの塊が転がり、光は漂う埃を浮き上がらせていた。
立ち入り禁止の、危ない協会。
二人だけの、秘密基地。
それでも、ステンドグラスだけは無事だった。
『ほらこっち!』
弱虫シンジの手を引いて、光の中にしっかり立たせた、色とりどりの明かりに照らされながら、『その時限り』で誓い合った。
少年が手を取り、少女の指に指輪をはめる。
おもちゃの指輪、それでも二人で買える一番高い指輪だった。
婚姻の真似事、この二人きりの世界で、決して一人にはしないと言う制約。
幼稚園児の、ほんとうに幼稚な……、想い出としても忘れるような。
(シンジは、覚えてたのかな、あの約束……)
なら最初に破ったのは、誰なのだろう?
(あたし……、なのかな?)
母親を亡くしたシンジを、一人にしないように、面倒を見て……
シンジがそのことを覚えていたなら?
感謝してくれていたのなら?
母が死んだ時、傍に居てくれようとした理由が分かる、でも、自分は……
──アンタなんか嫌い、大ッ嫌い!
痛い、辛い、苦しい、胸がえぐられる。
忘れていた記憶、想い出、そして捨てた品。
どれだけのものを、手放して……
──ホォオオオーン。
そして、悲しい、咆哮が聞こえた。
「シンジ?」
「え?」
ちらりと……、雪のように何かが舞った。
「羽?」
一枚、二枚、やがて景色を覆い尽くすほどに……
──純白の翼が羽ばたいて。
「エヴァンゲリオン初号機……、シンジクン!?」
翼がもげる、地に降り立つ、そしてエヴァは咆哮を上げた。
──フルォオオオオオオオーン!
レイは起き上がろうとして苦痛に呻いた、00からのフィードバックだけではない、現実に体も痛めていた。
雪に思えたものは、砕け散った空間の残照だった、つもることなく消えてしまう、レイはその破片のひとつひとつに、何かを見た。
──それは禍々しく変貌した、エヴァンゲリオン01の姿だった。
雄叫びを上げて突進していく、向かい合う使徒、両腕のブレードを振るって01の左腕を斬り飛ばす。
血がばらまかれた、だがエヴァは気にもとめない、懐に飛び込み、両目と口に指を突っ込んで、顔である仮面をわしづかみにした。
振り回し、叩きつける。
なんて力なの、そう口にしたのはミサトだったが、逆に当然のことだと憤慨している人物も居た、冬月だ。
「人一人が、生涯をかけて使い尽くす命を糧にしているんだ、これくらいの出力はまだまだ低いものだろう」
唸るように口にする、生体制御のための機構と、エネルギー源としての生体。
その双方を兼ね備えたものとして、Reiシリーズは完成された、それはつまり、心とエヴァと名付けた力のことである。
しかし人造であることに加え、巨大な生命体、エヴァンゲリオンへの生命の貸与により、シリーズは実に短命であった。
「長きにわたって、世代を重ねることで、生体として安定したのだ、彼女『たち』は、わたし達の祖先にあたるものと、同系の存在なのだ」
だからこそ、ユイの死に際の叫びによって、子供達は刺激され、目覚めたのだ。
──母の声に、呼び覚まされて。
そして。
「シンジ君や、フォースが生き残ったことは、必然だった、エヴァと名付けられた能力源を用いた緊急回避によって、延命処置がなされたんだ、だからこそ、二度目はない」
「ああ」
ゲンドウの返答は、冷たい。
生体として安定するために、太古の時、人は肉体を崩壊させかねない強大な生命力を封印した、エヴァのことである。
現代の人体であれば、十分に堪えられるものだった、だからこそ先祖返りによる発現は引き起こされたのかもしれない。
そして死に瀕した時、シンジもトウジも、命を削り取られまいとして、そちらを差し出したのだ。
コウゾウはしつこく訊ねた。
「良いのか?、碇、本当に良いのか?」
「もはや、止められん」
それはそうかもしれないが。
「零号機と、弐号機があれば」
「『ユイ』には勝てんよ」
こいつはと、コウゾウは拳を固めた。
彼の中において、碇ユイは未だに生徒のままだった。
──1999年。
「あの男と?」
「はい、お付合いさせていただいてます」
秋の紅葉、ハイキングがてらの山登り、年甲斐もなく二人きりということに胸を弾ませていた。
それだけに、ショッキングな報告だった。
「ご迷惑でした?、あの人に、紹介したこと」
「いや……、かまわんがね、好きにもなれんよ」
「そうですか……」
儚げに微笑んだ彼女の訳に気がついたのは、この組織へと『巻き込まれて』からのことだった。
碇ユイ、Reiシリーズの一人、心を手にするために、カミソリのような痛みを伴う嘆きでさえも、手でわしづかみにする女。
彼女は幸せを手にするために懸命だった、だからこそ、わたしに恋人のことを認めてもらえなかったのが、とても辛かったのだなと、後で感じた。
認めてもらえたなら、幸せの礎のひとつにできたはずだったから。
認めてやれば良かったと思う、おかげで彼女の、不満の一つとして、記憶されてしまったのだから。
(この男は、それが理解っているのか!?)
現実へと回帰して、コウゾウはゲンドウへの怒りを顕にした。
(彼女は、常に悩み続けていたんだぞ!、幸せになるために、痛みを避ける方法は無いのか、楽しいことだけを積み重ねて、生きていく方法はないのか、セカンドインパクト、あの悲劇によって彼女が失ったものが、どれほどのものであったのか、理解っているのか!)
積み重ねて来た幸せが。
これからという時に、根底から突き崩されてしまったのだ。
──身勝手な……、本当に身勝手な者達によって。
──2000年。
『白き月』の発見に有頂天になっていた彼らは、それがなんであるかも考えずに手を出した。
そしてセカンドインパクトを引き起こしたのだ、それさえなければ、碇ユイはひっそりと今でも暮らしていられただろうに。
(幸せになるためには、痛みを伴う覚悟がいる、だが、痛みを生み出してはならない、傷つけてはならないと、彼女はどこまでも善人であろうとした、その息子を、こうも扱うのか、お前は!)
それを知った時、どれほど彼女が嘆き悲しむのか?
老人には、実に堪え難いことだった。
──ほくそ笑む男には、どうなのだろうか?
使徒の閃光が、装甲を剥ぐ、肉が焦げる、筋が切れる、それでもお構いなしに頭突きを食らわす。
抜き手を脇腹へめり込ませ、ゴム状の軟体を爪に引っ掛けて掴み、引く、ぶちぶちと千切れる音、『彼女』は笑う、高く笑う。
どう?、と、わたしの『道』を邪魔する者は、許さないと。
わたしは幸せになるのだと、だから邪魔をしないでと。
邪魔をする者は、どんな者でも……
──息子でも?
エヴァの瞳から、血涙がこぼれた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。