「憐れね」
 コダマの目に憐憫がちらついて見えた。
「こんなことになるなんて思ってなかった……、エヴァなんてものに目覚めて戦うことになるなんて思ってなかった、ただまたシンジと仲良くじゃれ合いたかった、『昔』に戻れたら良いのにって、それだけで……」
 ズンと地面が大きく揺れた。
 アスカが両膝を突いたのだ。
 ママと泣いて、両腕を広げる。
「でもそれも嘘でしょ?、本当は……」
 ──シンジじゃなくて。
「シンジを取り戻すことで、『もっと昔』を取り戻したかった」
 使徒がアスカを包み込む、優しく優しく、抱擁する。
 アスカが望んでいた『世界』を、『幻想』を。
 アスカの夢見るままに嘘を吐いて……
 使徒は、アスカを取り込んだ。


 ──あああああ!
『シンジクン!?』
 レイは唐突に泣き出したシンジの意識にビクンと震えた。
『シンジクンっ、どうしたの、シンジクン!』
『なんでだよっ、なんで!』
 あまりにも嘆きの声が強過ぎて、はっきりとした形では思念が読み切ることができなかった。
『アスカ?』
 それでもレイは、シンジの慟哭の理由を察して胸を痛くした。
『あああああ!』
 ──エヴァが動きだす。
 白煙から立ち上がったのは、二回りほど歪に膨らんだ零号機だった。
(もっと……、もっと)
『熱いっ!?』
(もっと……、もっと!)
 零号機の中の様子が写される。
『ひっ!?』
 レイは恐怖に怯えてしまった。
 零号機の操縦席の内壁が、マサラの体に癒着していた。
 神経や毛細血管が繋がってしまっている、脈動していた。
 血走っている目、マサラは正気を失っているのか、そんな自分に気付いていないようだった。
(あう!)
 そんなマサラの顔に苦痛が刻まれる。
 シンジが両手でマサラとなった零号機の腕を掴んだのだ。
 力を込めて握り潰す。
 ──ぐしゃりと嫌な音が鳴った。
 獣のような声を発してマサラはのけぞる、地に落ち、屈伸するように衝撃を殺して立ち上がったシンジ、初号機は、口から『カハァ』と熱の篭った息を吐いた。
 ──目が赤い光を発していた。
『コダマさん!』
 しかし意識はマサラを無視する。
『どうしてなんですかっ、コダマさん!』
 泣き喚く。
『それだけはやっちゃいけなかったのに!』
 シンジの意識が爆発する。
(あ……)
 レイは見てしまった、シンジが居て、アスカが居て……
『お母さんたち』が居て……
『あああああ!』
 見てはいけない夢。
 望んでも届かない夢。
 絶対にかなわない、本当の夢。
 それを見ないことで堪えて来たのは?
(アスカもシンジクンも、同じだったんだ……)
『あ、あ、あ、あ、あ、!』
 ──グォオオオオオ!
 シンジとシンクロして吼える。
 エヴァの雄叫びはマサラを怯ませ、揚げ句背後の建物にヒビを入れた。


「アスカ……」
 ミサトは呆然と呟き……
「シンジ君……」
 どうにもできないのかと己を呪った。
 ──何かが起こっている。
 なのに何が起こっているのか想像もできない。
 そして手出しも許されない。
 ただ見ていることしかできない。
 くっと唇を噛み締める。
(人類補完計画ってなに!?)
 そこに鍵があるのだろうが、理性が邪魔をして叫べなかった。
 リツコのようにゲンドウに問うことができない。
 それがまた悔しさを増す。


『もっと、もっと、もっと……』
 そんな思念を聞きつつ、ゴリアテは両機の戦闘空域から逃げ出していた。
 ビルの上を跳ねるように飛び、駅の前に降り立つ、そして顔を上げて、彼は眉を顰めた。
「リック……」
「やあ」
 渋い顔をして、それでも気さくに挨拶をする。
「驚いたよ……、『それ』が君の本当の姿か」
 どこから見ても綾波レイだとしか思えない。
 だがすっと背筋を伸ばす立ち居振る舞いが硬質さを纏っていて、やはり違うのだなという印象を窺わせた。
 リックの顔に険しさが滲む。
「君は何を考えてるんだ?」
「……」
「何を企んでるんだ……」
 相対する。
「それを口にする必要はないな」
「どうしてだ!」
「俺たちは良い友人だった、だが、それ以上じゃない」
 リックは悔しげに歯噛みした。
「所詮は敵、そういうことか?」
 頷きが返された。
「俺がそうであるように、お前も誰かの思惑を背負っているはずだ、だから」
 槍を向ける。
「お前の国で起こった事故によって、お前が帰る場所を失ったように」
「ゴリアテ?」
「俺にも帰る場所などないんだよ」
「ゴリアテ!」
 手を伸ばす、しかし、遅い。
 ゴリアテの槍は、主人の腹を貫いた。


『シンジクン……』
 レイは恐ろしさに身震いをしてしまった。
 一転して沈静化したシンジの心が恐ろしい。
 無音、平坦で、何も感じられない。
 氷のように冷たく、夜の海のように静かで、それでいて噴火寸前の火山のような張り詰めたものを感じさせる。
『どいてよ……』
 歩き出す。
『どいてったら』
 二倍にも三倍にも膨れ上がろうとしていた零号機が、シンジが歩み寄るにしたがって、元の大きさ、形へと戻り始めた。
(待って、どうして、なんで!)
 マサラの必死の声が聞こえて来る。
 マサラにはわからなかった。
 ATフィールドの意味、エヴァの意味。
 なにひとつわかってはいなかった。
『可哀想……』
 レイはつい声に洩らしてしまった。
 絶対領域、それは位相がずれているために手出しができない空間のことである。
 ATフィールド、その中は確かに位相がずれていた。
 ──核である人物の願いの方向に。
 この波長によって彩られている世界では、波長の持ち主の意志が確実に反映される、自身の理解力や想像力が、力の質や形状、大きさを決めるのはこのためだった。
 そして、マサラの必死の訴えなどは、シンジの嘆きの前には細波が立てる音にも等しかった。
 呑み込まれて消える。
 津波の前に。
 そんな矮小な存在に過ぎなかった。


「零号機、沈黙……」
 シゲルの報告は意味を成さなかった、それは見ればわかることだったからだ。
 零号機の中のマサラは、目元が落ち窪み、頬がごっそりと痩けていた。
 髪も白くなってしまっていた。
 人に戻っているのが、せめてもの救いだった。


「シンジ……」
 コダマは天井を見上げて微笑した。
 アスカを抱いていた使徒が、左の翼を開いて大きく扇いだ、火災が消える、溶解していた大地も冷える。
 黒々とした世界が広がる。
 彼女の顔に過ったものは悲しみだった。
「シンジが好きだった森……、こんなにしちゃって」
 好きだったのにな、この森……、とは彼女は言わなかった。
 それは以前のコダマの姿が垣間見える、どうにもひねくれた物言いだった。


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。