ミサトの目前で人でなかった物が人になり、息を吹き返す。
「大丈夫か?」
 ただ立ちつくすだけの彼──彼女に声をかける。
 そしてゴリアテは、ガラス玉のような赤い瞳をリックへと向けた。
「問題ない……」
「なんなの……なんなのよ!」
「ゴリアテは」
 リックはシャツを脱ぐとゴリアテに渡した。
「いえ、ゴリアテの正体は、槍なんですよ」
「……人間じゃないって言うの?」
「元が人間であったのかどうかをゴリアテに問うことはできません。ゴリアテはそう作られた存在だと言うことらしいです」
「はっきりしないのね……」
「ゴリアテもまた綾波レイさんと同じ、発掘されたものらしいですからね。当人が忘れていることを口にするのは不可能ですよ」
「なら……あのレイの死体は」
「彼が彼のクローンとしてコピーされた槍をダミーに使ったんですよ。ただし、人形に魂はありませんから」
「そのまま死んだ」
「そういうことです」
 そして本物はここにいる、なら?
(レイが預けられたっていう槍は)
 あれは一体どういう預かりになるのだろうかと、ミサトは空恐ろしいものを感じさせられた。


「なにを……なにを言っているのか分からないよっ、カヲル君!」
 シンジの魂からのものに聞こえる叫びは、風に負けずに広がった。
 しかしカヲルはその悲鳴をシンジの声だとして受け取らなかった。
「不自然なんだよ、君は」
「不自然って……」
「この話を始める前がそうだった。何事にもあきらめをつけ、割り切ることがうまい君は、取り乱したり感情をあらわにすることが極端に少ない。そういう状態だった。だから『アスカ』のことについても慌ててはいなかった」
「それはアスカは大丈夫だってわかっているから!」
「問題はその後さ」
「あと?」
「どうして君は急に感情的になったんだい? まるでそうふるまわなければいけないように、唐突に態度を切り替えた」
「……」
「それが不自然だというんだよ。まるで君らしくない態度だった。どうしてだい?」
「そんなの……」
「分からない?」
「分からないよ……」
「思い詰めていたのなら分かるさ。でも君は培われてきた性格からか、気を抜く方法を知っている。事実アスカは大丈夫だと断定することで、最悪の事態を想定せずに済むようにして逃げていた。なのに本当は思い詰めていたんだと吼えた。訳が分からないよ。情緒不安定だとでも言うのかい?」
 それはシンジには答えられないことだったが、言われてみれば自覚できることだった。
「僕は……」
「君は、なにかがおかしいんだよ。それは認められるね?」
 こくんとシンジは頷いた。
「君になにが起こっているんだろう? それを確かめられる人間は居ない。なぜなら君の力は強すぎるから。君の壁は堅すぎるから」
「堅い?」
「ATフィールドは心の壁だよ。そして今や君の壁は、心は、何人にも犯されざるほどのものになっている。あり得ないのさ。人間はそんな境地に至ることなんてできやしない」
「なぜ?」
「『どうして』……君の口調ならこちらだろう?」
「……」
「人はもろい存在だよ。そして完璧ではない。完全なんてものはあり得ないからさ。だからどこかが強くなればどこかが弱くなる。そしてそれを自覚しているから、人は寄り添うことを選ぶんだ。自分の弱さを補ってもらうためにね?」
 向かい合う。
「君はどうしてそこまで泰然としていられるんだい? 独りではないからかい? それとも君の意識を誰かが奪うか、そらすから、君は気づかないでいるのかな?」
 何かが噴き出す。それに煽られて、カヲルはわずかに身構えた。
 シンジの口元には、カヲルが余計な無駄話を始めるきっかけになった笑みが浮かんでいた。
「……だから?」
『その者』は訊ねた。
「だから、どうだと言うの?」
 そこに居るのはシンジではなかった。
 既に別の何かだった。
「だとしたら、どうだというの?」
「老人たちは……」
 カヲルは口中の乾きを意識した。
「……恐れているのさ。人に必要なのは未来であって、過去の二の舞ではないのだとね。人の革新たる存在が現れ、次なる段階を目指すことを望んでいるのさ。人は火と石を使い始めて以来、進歩はしても進化はしていない。ただ物を扱えるように手先が器用になっただけさ。それでも猿人には知能があったから、『人類』と意志の疎通を図ることは可能だった。思いを伝えることはできる。まるで今の僕たちと人類のようにね?」
 そしてと続ける。
「これがさらに進展して、意志の疎通が困難になるほど、認識と事象のとらえ方に関する感性にズレが生じたとしても、やはり言葉と意志……そう、嫌悪と親愛、喜怒哀楽は通じるだろう。でも存在そのものがまったく別の物になってしまってはどうだろうか? 人はその存在を受け入れることができるだろうか? 人をその存在は認知してくれるだろうか? 人はゆっくりと歩む生き物なのさ、歩いた分だけ物を積み重ねる生き物なんだ。だかこそ飛躍した存在を恐れるんだよ」
「理解できないから」
「そうだよ」
「でもそれは勝手……身勝手だわ。わたしはここに居る。そしてそれは誰かに認めてもらう必要のない話。あなたは神なの? 存在することに許可を与えられるのは、唯一それを作ったものだけ」
 ジリッと音がするようだった。二人の間に緊張が張りつめる。
 カヲルはようやく自覚した。自分がなにを引き出したのかを。
「それが……君の神なのかい?」
 そしてと彼女は肯定した。
「それはあなたたちの神でもあるわ」
「君は誰なんだい?」
「リリス。そう呼ばれるもの。あるいはレイ。そう呼ばれたものたちの根元」
「マスターだというのか……」
「あなたたちの神でもあるわ」
「それは君がうち立てた理屈だ」
「同時にわたしを拒絶する理屈は、あなたたちの身勝手でしかない」
「……」
「恐れるのは勝手。避けるのも勝手。でも生きるか死ぬかを許可する権限は誰にもないわ。誕生したものにはすべからく生きる権利があるもの。どのように生きて、死ぬか。それを定めるのは自分自身。それが唯一この世界に定められたルールでもある」
 カヲルの喉がごくりと鳴った。
 それはシンジの体から黒い障気が噴き出したためであった。
「あなたたちは、それを犯した」
「……だから?」
「だから作り直すの。すべてを優しく。いとおしく」
 嫌らしい笑み。それはまさに自分のコピーだった。
 あるいは自分のその笑みかたが、彼女の模倣なのかとカヲルは呻いた。


続く



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。