「さて」
 翌日。
 カヲルは着慣れぬ制服を身にまとっていた。
 黒い、ゲンドウと同じデザインのネルフの制服である。
「こんなものかな?」
「似合いませんね」
「傷つくことをさらっと言うね?」
 冗談ですわとアネッサは笑う。
 テレビのうるさい音が耳に入る。
 今日の朝、松代にある国連施設の会議場で、第三新東京市の独立宣言が行われたのである。
 日本国ならびに国連の決定、ということにはなっているが、国民どころか、当の住人たちにでさえこの事態は寝耳に水のことであった。
「僕の演説次第では、暴動、内乱、なんでもありか」
「しかしこれくらいのことは乗り越えて頂かなくては」
「僕に期待するのかい?」
「当然ですわ……。お兄様の唯一の方、となるのは諦めましたが、まだ愛妾の座が残っておりますもの」
「後ろ向きだねぇ……」
「はい。でもアスカお姉様のように、ただれたことは考えてはおりませんから……三人でだなんて」
 ぷっと吹き出すカヲルに、アネッサはなんだろうと首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもないよ」
「そうですか」
 あの二人が、シンジと口づけ以外、なにもかわしてないと知ればどう思うだろうか?
 カヲルはそれを想像してしまったのだ。
「さ、これで立派な紳士のできあがりですわ」
「ありがとう、礼を言うよ」
 チュッと、フレンチなキスを交わす。
 あくまで愛情表現の範疇のものだ。
「じゃあ行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ」
 しかしそうやって(こうべ)を垂れて送り出される様は、正しく夫と妻のものであった。


 ──ネルフ本部。
「ほんとになぁ……」
「俺たちこれから、どうなっちゃうんだろう?」
 不安にかられているのはオペーレート担当の二人である。
「回ってきた契約書、読んだか?」
「酷いよな……脅迫に近いよ」
 ため息をこぼす。
「あくまで国連と日本政府の公表は、この第三新東京市って街の土地に関するものであって、住人に関してはその定かではない。税なんかに関しての形式はそのまま、ただし国に納めていた分が、日本国へのものと名前が変わる。だから、実質住民に関してはなにかが変化するわけではない、が」
「嫌なら出ていけ、だもんなぁ……」
 はぁっと同時にため息を吐く。
「今更再就職なんてなぁ……」
「それに、これから一気に発展してくのがわかりきってるんだもんな。残りたいんだけど……」
「そうなると、日本から移住ってことになるんだもんな……」
「田舎まで車で二時間だってのに、パスポートかぁ」
『あ〜〜〜あ』
 かなり憂鬱な様子である。


「僕のキャラクターではない……と、言ってみたところで始まらないんだろうね」
 カヲルが現れたことで、発令所全体に漂っていたゆるみ具合が調節された。
 一番の高所、それも、今まで総司令が腰掛けていた場所に座れと口にされては、さしものカヲルも緊張しないわけにはいかない。
 思わず背後に立つ総司令、副司令の機嫌を窺ってしまっていた。
「本当に、ここに座れと?」
 ああとそっけなくゲンドウが言う。
「これからそこは、君のものだ」
「いいんですか? それで」
「もちろん監督権はこちらにある」
「なるほど……」
「政治的駆け引きができるわけでもあるまい。象徴とはわかりやすくあればいい。それだけのことだ」
「まさしく傀儡政治ですか」
「それが嫌なら、手腕というものを身につけろ」
「厳しい人だ」
 笑ってみせる。
「さてと」
 彼が立ち上がるのに合わせて、演説のための演出システムが起動した。
 ネルフ本部発令所の最も高所の先頭に立つ渚カヲルをカメラが写し、その立体映像を正面の空間に巨大投影する。
 と同時に、その姿は、街の中にも映し出されていた。
「茶番の始まりだ」
 カヲルはこっそりとつぶやいた。


『かつて足で立つということを覚えた人類は、空いた手に道具を持つ知恵を得、この科学の世界を作り上げるまでに至りました。我々、エヴァという名の未知なる力に目覚めた人類もまた、新たな進歩の時を迎えつつあります』
 やけに芝居がかった口調で、彼は朗々と語っていった。
『我々は決して、魔法の力を得るに至った、新人類などではありません。遙かな祖先の一部が、物を掴むということに気が付いたのと同様に、ただ、第二の手の存在に気が付いた、たったそれだけの人種なのです』
 地上の都市では、歩行者の多くが立ち止まって、ビルの隙間に姿を現した、身の丈四十メートル近い少年の幻を見上げていた。
『ですが、その力を持たぬ圧倒的大多数の方に取ってみれば、それは気休めともならぬ論理でありましょう。これらのものがもたらす不安、不審、恐怖は、確かにあり得ることであるのですから』
 また地下に置いては、各部署の端末機のウィンドウ、設置されているモニターで、それぞれが彼を見、彼の言葉を聞いていた。
『なればこそ、我々チルドレンは、この力を私利私欲のために用いるのではなく、広く方々のためになるよう、より厳格に解放していかねばならないのです。第三新東京市。この街を日本国よりご提供いただいた背景には、我々が我々を律し、罰するための模範、規範的システムを構築するための実験場的な意味合いが濃いのは、隠しようもない事実ではあります』
 さらに、街の外、日本全土には、テレビによる放送が行われていた。外国については、同時通訳を行って、衛星回線で流されている。
『ですが、人は、人というものは、どのような場所であろうとも、かならず幸せを見つけ、生きていく力を顕現してみせる生き物でありましょうから、我々はこのような境遇をいつか、笑って、世界の方々と、喜びと、悲しみと、時を分かち合えるような形へと、変えていく努力を行っていかねばならないのです』
 彼は力強く拳を握り、次には大きく振って腕を広げて見せた。
『そのための、ネルフ。そのための、独立国家、『アース』なのです!』
 本来であれば、ここで終わりであるはずの演説を、彼は独断で、もうひと話し付け加えることにした。
『多くのチルドレンの方々よ。わたしのような者が、この代表として立つことには、異論は多数ありましょう。ですがファースト、セカンド、サードの方々はこの役割を負うわけにはいかず、フォースチルドレンについては、すでに抹消となっている背景があります。あくまでナンバリングの順列に従い、わたしがその代表者として名乗りを上げることになりましたことを、申し上げておきます』
 通信が切られ、同時にオペレーターたちがカヲルに向かって拍手を送った。
 それは演説の内容に対するものではなくて、よく間違えずに話せたものだという賞賛であった。
 皆もわかっていたのだ、これが茶番の一説であると。
「しかし、不要ではなかったのかね? 最後のものは」
 コウゾウが話しかける。
 カヲルは襟元をはだけながら言い返した。
「僕一人を悪者にする気ですか? 誰が代表となっても不満は出るでしょうが、このように決定されたとしておけば、ね」
「ふむ……。しかし、後はどうするね?」
「適当に……」
「それでいいのかね?」
「むしろ、アイドルであれば良い。僕たちナンバーズはことを面白がる性質がありますからね。アイドル的な資質を持つ者が、僕の代わりに台頭してくれれば、ありがたい」
「それは、真実を知ることのできる余裕かね?」
「そういうことですよ……。裏事情がわからないからこそ人は人を妬み、かんぐる。でもナンバーズにとっては、今を楽しむことが命題なんです、だから、権力争いを望みはしない」
「やめておけ冬月」
「しかし碇」
「老人の小言など、邪険に扱われるだけだぞ」
「お前がそうだからだなぁ」
「いずれナンバーズも気づくだろう。力を持たぬ者に疎ましがられ、うらやまれるよりも、共に喜びを見つけ、生きていくことにこそ、安楽の道があるのだということに」
「……ねたまれ続けていては、つき合っても居られなくなる、か」
「そうだ。そしてそうならぬように努めることは面倒ではあろうが、その方がまだ気楽でいられるのだと知るだろう」
「それを待てと言うのか?」
「多少の修正は必要だろうが、今必要なものではあるまい?」
「わかった」
 両手を挙げる。
「ま、俺もそろそろ楽をさせてもらいたい歳だからな。よりうまく進んでくれることを願っているよ」


 シンジの病室である。
 シンジを挟んでレイとアスカはテレビを見ていた。
 窓際の、シンジの左側にはアスカが椅子に腰掛けていた。
 右側のレイがつぶやく。
「変なしゃべり方……」
 二人はシンジの足の先にある壁掛けテレビを鑑賞していた。
 もちろん映っていたのはカヲルである。
「これでネルフは渚君のものか」
「ゾッとしないわね」
「そう?」
「そうよ! これであたしらあいつの部下よ?」
「命令されちゃうのかな?」
「できるもんならやってみなさいよって感じだけどね」
 あまりつき合いが長いわけではない。
 それでもその内容が濃密であるからか、二人は多少は、カヲルという人物のことを信用していた。
 都合良く人を利用するような人間ではない。
 そのことだけは確信している。
「あとはシンジがどう見るか、ね」
「……アスカの基準って、シンジクンなの?」
 どういう意味よ? アスカはそんな風にレイを見た。


 ──そして、闇。
 そこに複数のモノリスが浮かび上がる。
 表面には番号が赤く表示されていた。ナンバー10を抜いた計十一体だ。
 輪を描いて並んでいる。
「役者はそろった」
 01の言葉に、他の者たちが歓喜の声をそれぞれに上げる。
「もはやシナリオに変更はない。だが、まだ、完全であるとは言い難い」
 同意の声が上げられる。
「碇の息子」
「サードチルドレン」
「セカンドチルドレンのこともある」
「いや、むしろ遺物──ファースト」
「これらのものを封じねば、我らの望む明日は来ない」
 うむと彼らは確認し合った。
「だが事ここにいたっては、無理な介入は破綻を招くことになるだけだ」
「ゆるやかに……不適当な分子を排除し、選別を行おう」
「我々の望む、明日のために」
「未来のために」
「生きるために」
「生き残るために」
 声を合わせる。
『世界を変えよう……誰も手を加えられぬ世界に』
 そうして闇の会合は終了し……。
 それから一年の時が流れた。


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。