ネルフ本部医療棟。
 その内部にある病室の前。
 そこにはアスカとレイの姿があった。
「異常なし……か」
 ぽつりとこぼされたアスカの言葉に、過剰にレイが反応を示す。
「それってシンジクンのこと? それともアスカのこと?」
「カヲルやアネッサも含めて……よ」
 アスカは鬱になりそうになっていた。
 エヴァに乗ったことで、あの場にどれだけの者たちが潜んでいたのか?
 ぼんやりとでも、把握することができたからだ。
「どいつこもいつも……」
「なに?」
「なんでもなぁい!」
 その話はこれで終わりだとしめくくる。
「それよりシンジよ……あれ、本当にシンジなんでしょうね?」
「疑うの?」
「そりゃそうよ……。今のあたしには見た目を見ることしかできないんだもん。起きてくれたら……話せるけど」
 横目に見やる。
「あんたはどうなのよ? その……精神感応ってやつ? 働かないの?」
「……リツコさんに、呼びかけるなって言われてるから」
「なんでよ?」
「ATフィールドのパターン測定をしてみたらしいんだけど、まだ不安定なんだって」
「そう……」
「だから、ちょっとした呼びかけでも、過敏に反応してしまって、ショック死とか」
「うそ!?」
「そういうことも、あるかもしれないって」
「……脅かさないでよ」
 はぁ〜〜〜あとレイは、足を開き、その間に組み合わせた手を裏返して伸ばした。
「シンジクン、帰ってくるかな?」
「当たり前よ……」
「どうして言い切れるの?」
「あたしがここにいるからよ!」
 その自信がうらやましい──根拠すらもねつ造してしまえる図太さを、レイは心底ねたんでしまった。


 第三新東京市の中央区画にある市庁舎ビル。その最上階。
 本来は市長が居を構えるべき階であるが、ここ、第三新東京市では違っていた。
 碇ゲンドウが、手を後ろに組み合わせて、窓の外を眺めていた。
「碇、市議会は押さえたぞ」
 戸を開け、コウゾウが入室した。
「後は日本政府の発表待ちだ。ゼーレ、いや、委員会も唐突なことをしてくれる」
 だだっ広い部屋の中央に、無駄なほど豪勢なソファーとテーブルがセットされている。
 コウゾウはその席に着くと、目にとまった水差しから、コップへと水を注ぎ、喉を潤した。
「ぬるいな……」
 首もとをゆるめる。
「いくらこの決定が二年も前になされていたにしても、こうも唐突に動かせば、相当な軋轢が生まれるだろうに」
「それでも好機だと見たのだろう……」
「サードに、フィフスの少年か?」
 そうだとゲンドウは頷いた。
「委員会にとって、シンジ……サードは、あまりにも理想から逸脱しすぎた存在へとなり果ててしまっているからな。これ以上はという思いがあるのだろう」
「だからこそ、フィフスに焦点を合わせたか」
「ああ。老人たちはついに時計の針を進める気になったらしい」
「だが彼が承知するのか?」
「せざるを得んさ。そのために連中は待ったのだからな」
 窓辺を離れ、重厚な作りのテーブルへと歩く。ゲンドウはその上に埋め込まれているパネルを操作し、投写型のスクリーンを発生させた。
 コウゾウの座る応接セットのテーブルに、十七インチサイズの映像が浮かび上がっている。厚さはない。
 さらにゲンドウはいくつかのスイッチを操作して、音声を大きめに流し始めた。
『──現在、市庁舎前には続々と市議会議員が顔を見せており』
 面白げにコウゾウが笑う。
「大ニュースになるな」
「ああ。戦後これ以上とないものだからな」
「独立国家の制定か」
「エヴァンゲリオンたちのための世界だ」
 ゲンドウのいやらしい笑みに、ため息をこぼし、つい愚痴ってしまう。
「しかし、よくもまぁ日本政府も認めたものだ」
「第三新東京市は内陸にあるからな。通行税を取れるということがある。そしてチルドレンに、ナンバーズ……、使徒関連のテクノロジー。ここが世界の中心となるのはわかりきっている」
「なれば人の流入は激しくなる……か。それに伴い金も動く。なるほどな、損にはならんだろう……が、それでも強欲な日本政府が、よく手放す気になったと思うよ」
「馬鹿ばかりではないということだ」
「ん?」
「政府としても、ここで色気を出せば国内外の不審を買うことはわかっているからな。よけいな緊張を招いた上に、この扱いにくい『世代』の統治を考えるのは、よけいな苦労が多すぎる、ということだ」
「……面倒ごとは押しつけて、そこからあふれ出す蜜だけはすする。そういうことか」
「ネルフが発注する資材、食料品、輸入産業は大きく潤う。その上、人の動きも激しくなるとなれば、道路整備事業などについても、良い口実となるはずだ」
「ネルフによる特需か……バブルの再来だな」
「だが政府もいずれは気づくだろう……。景気を維持するためには、彼ら……ナンバーズの機嫌を損ねないよう、言いなりとなる他なくなってしまう、ということに」
「ああ……で、どうだ?」
「なんだ」
「世界で最も軍事、科学の発展した国の宰相になる気持ちというのは」
 ゲンドウはくだらんと鼻を鳴らした。
「今までとなにも変わらん……なにもな」


 渚カヲル、アイン、ウィッチ、アレン、ヤン。
 そしてアネッサ・J・フェーサー。
 彼らはアネッサの部屋に会していた。
「お父さまからのお言葉を伝えます」
 アネッサは正面のソファーに並んで腰掛けている四人の表情を確認した。
 カヲルはアネッサの背後に立って、彼女の様子を窺っている。
「お父さまは、このままこの街に残るようにとのことです」
 困惑する四人。
 アインが代表者となって口を開いた。
「理由をお聞きしても?」
「もちろん、その権利はあるでしょうね」
 彼女は手にしている手紙の内容を、嫌悪感をにじませて皆に聞かせた。
「わたしのこと、ラングレーのこと……。すべてが繋がっていた、ということです」
「繋がっていた?」
「もちろん、お兄様には、アスカお姉様を……というのが、予定の一番ではありましたが、これがならずとも、良い、かまわない、ということのようです」
「それは……つまり」
「必要だったのは口実さ……君たちをここに送り込むための」
 カヲルは苦笑していた。負けた、と感じているからだ。
「ラングレーのことは聞いているね? あちらはあちらで、今、大変なことになっているようだけど、義父上はもう少しばかり視野が広かったようだよ」
「どういうことです?」
「つまり、君たちの本当の役割は、監視……」
「監視?」
「僕のね」
「それは……」
 少しばかり言いよどんでしまう。だが今更隠しても仕方のないことだった。
「今までと、どこが違うというのでしょうか?」
 正直すぎるねとカヲルは笑う。
「僕にとって、アネッサは間違いなく弱点の一つなんだよ。あの人たちは僕の性格をよく掴んでいるよ。僕は自分を慕ってくれる者を見捨てられるほど勝手ではない」
「アネッサ様は、足かせであると?」
「そうさ。碇司令の手紙は見せたとおりだよ。あの人は代表を僕にやらせるつもりだ」
「それもわかりかねますが……なぜサードではないのでしょうか?」
「向き不向きがあるからさ……」
「ああ」
「まあそれ以上に、広告塔として、の問題もあるけどね」
 これはカヲルなりの冗談であったのだが、五人には理解してはもらえなかった。
 凡庸な容姿を持つ碇シンジと、人離れした容貌を持つ渚カヲル。
 どちらがより威圧を生むのか?
 説得力があり過ぎたのだ。
「まあ、他にも色々とはあるだろうけど……義父上たちは知っていたんだろうね、この展開、計画をさ」
「そのために、わたしは派遣されたようです……」
「アネッサ様?」
 彼女は物憂げに口にした。
「わたしは……もう、お兄様に仕えることしかできません。お兄様に受け入れてもらえることはないとわかりましたから……なのに、今更になって」
「義父上たちは、アネッサの気持ちを知っていたのさ。その上で、僕が婚約するかもしれないとなれば、多少の暴走もあり得るだろうと踏んでいた」
 それはとアインは喉を鳴らした。
「アネッサ様と、カヲル様が、ご関係をもたれることを、望んでおられたと?」
 その通りさと肩をすくめる。
「彼らにとって、それは当然の成り行きなんだよ。ところが、僕に甲斐性がなさ過ぎた」
 それは誤算であったろうと推察する。
「わたくしがお兄様にとっての精神的、肉体的足かせとなれば……、そう望まれていたということですわ」
「義父上たちは、よほど僕が恐いと見えるね。信じていないのさ。そんな僕がネルフの……この第三新東京市にできる新たな王国の代表者となれば、手が付けられなくなる。そう考えてしまうのは、仕方のないことなのだろうね」
「笑いごとではありませんわ」
「僕にとっては笑いごとだよ」
 くつくつと笑う。
「だってそうだろう? 人形であったはずのものが、いつしか糸を無視して踊り出していた。彼らは僕をその人形へと戻すために、君を抱かせようと計画していた……。そう、大事な妹である、君をね」
「お兄様……」
「僕のことがわかっていないよ。もしアニーを抱いていたなら……。僕はアニーと共に平凡な学生生活を営んでいただろうね。でなければ常に二人で居ることはできないから」
 知りませんでしたわとアネッサは目を丸くした。
「お兄様は、そんなにも独占欲がお強かったのですね」
「執着心が、だよ? アニー、それは間違えないで欲しいね」
「わかりましたわ」
「義父上たちの考えはこうだよ。僕が委員会によって代表に選定されるのはほぼ確定事項となっていた。ならばラングレーなどの名家の出の者をあてがって、箔というものを加味しておくのも悪くはなかった。その上で、アニーも加えておけばほぼ間違いなく僕を傀儡に仕立てられる。とにかく、彼らにとっては、いかにして僕に首輪を付けておくか? それこそが悩むべき課題であった。ということだよ」
 はぁっと、アインは気のない返事をした。
「それで、それは成功したのでしょうか?」
「元々僕は、アニーが好きだったよ? だからよけいなことをせずとも、アニーが悲しむようなことはしなかったさ……、ああ、好きというのは、妹としてだからね?」
「今更食い下がったりはしませんわ」
「そうかい? それは残念だね」
「わたしの初恋は終わりました。それよりもこれからのことです」
 アネッサは四人を見据えて訊ねた。
「命令では、ありましょう。お父さまたちの意図も伝えました。その上で、自由になさい」
 それは無理ですとウィッチがかぶりを振る。
「カヲル様のお目付役など、できません。第一、知られているのを承知の上で目を光らせるなど、そのような腹芸ができるような僕たちではない」
 アレンも続く。
「かと言って、自由に、というのもできぬ相談です。僕たちはそこまで剛胆ではないから……」
「実家が恐い、ということかい?」
「その通りです」
「確かにね……」
「はい。できればこのまま結託していただくのが幸いかと」
「結託?」
 そうですとアイン。
「カヲル様に、アネッサ様を悲しませるおつもりがないのであれば、わたしたちがお館様に報告せねばならぬようなことは起きぬはずです。違いますか?」
「ふむ……。つまり、正直なところを語って欲しい、見せて欲しい。その上で、報告するべきところだけ報告し、後はうやむやのこととしたい……というんだね」
「その通りです」
「……いい加減だねぇ」
「混乱している、と言ってください」
 なにしろと彼は告白した。
「軍の、そしてネルフの介入もありました。ですがそれ以上に、やけに中途半端なこととなって、気持ちの切り替えができていないのです」
 お兄様……アネッサがそう嘆願した。
 彼女にとっても、確かに唐突に起こった今回の事件は、あまりにも未消化の部分を残し過ぎていることであったからだった。




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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。