「本当に、シンジ様はそれで良いとお思いですの?」
責める言葉に、シンジは本音を漏らすほか無かった。
「もちろん嫉妬するよ……きっとね? アスカやレイと、二人が選んだ相手にさ」
「でしたら」
「……昔、昔ね? アスカに冷たくされるようになったときがそうだったよ」
「お姉様に?」
「うん。ずっと小さな頃さ……アスカのお母さんが死んで、アスカから余裕が消えて、僕のことになんてかまっていられなくなったんだよ、アスカはね?」
過去の話さと繰り返し強調する。
「その時の僕は、アスカにかまってもらおうとして、すっごく情けなかったよ。なんで? どうしてってね? 必死に理由を聞こうとしたり、なんとか返事をしてもらおうとしたり、顔を見てもらおうとしたりさ。……でも無視されて、泣きそうになって、諦めるしかなったんだよ」
「昔の話ですのね?」
「そうだよ」
でもと続ける。
「一度そういうことをしてるからじゃないのかな? もしももう一度ってことになったら、恐いんだよ」
「どのようにですか?」
それはねと相反する答えをシンジは語った。
「自業自得だって自分を自分で笑ってさ、落ち込んでくか……それともしょうがいないよって心を殺して、なんでもないことのように振る舞ってそのまま生きてくか、どっちかだよ」
処置無しとアネッサはかぶりを振った。
「わたしには、どちらも同じに思えますけど」
「そうかな?」
「そうですわ」
力強く頷いて見せる。
「シンジ様はもっと、なにもかもをお望みになられても良いはずなのに」
「そんな勝手な……」
「ですかシンジ様がその気になられたのなら、その程度のことは許されるのではないのでしょうか? 誰も反対する者はおりませんし」
「え?」
シンジはよくわからないことを言われたなと聞き返した。
「どういうことさ?」
「……この一年で、友人や学友のいないわたくしでもわかったことがありますの。シンジ様とレイ様、アスカお姉様がお付き合いなされているのは当然のことで、ですからその間に割り込もうと考える方はどこにもおられません。このまま自然と結ばれて行かれるものと皆様確信なさっておいでですわ」
もちろんと続ける。
「……どちらか一方を取られて、どちらかを泣かせるようなこと、今更なさるはずはないでしょう? なによりもそのようなところ、どても想像などできませんわ」
シンジは呆れて口にした。
「でもそういうのって、普通は不誠実だっていうんじゃないの?」
「慣れない言葉をお使いになられて」
「ごめん……」
「でも、シンジ様は、今でも十分に不誠実だと思われますが……」
「……そうだね」
「はい。幸いにも、アースの法に重婚に関するものはありませんわ。日本国の法をもとに作成されましたが、なぜだか欠落しておりますの」
「そうなの? なんでだろうね……」
もちろんシンジには心当たりがあった。
国連、あるいはもっと上にある、父が従っているらしい者たちのことである。
あるいはカヲルを従えている存在か? 何か裏があることは明白だった。
「ですから!」
彼女の声に引き戻される。
「法的にも許されるのですからっ、後はシンジ様のお気持ち次第ですわ。もちろん僻みややっかみはお覚悟なさいませんといけませんでしょうけど」
「だからって、さぁ……」
「浮気も甲斐性と申しますでしょう? わたくしは信じておりますわ。シンジ様には二人や三人の女性を扱うくらいの甲斐性は備わっていると」
そんな妙なことを確信されても……。
それがシンジの回答だった。
「浮気も甲斐性って言われてもね」
シンジはなにか的はずれだなと思って言い返した。
「それは後が恐い場合でしょう? でもあの人はきっとこういうよ、やらせてくれそうなやつなんていくらでもいたでしょ? 二人だけなの? ってさ」
そんな思わぬ逆襲のセリフに、アネッサは驚いたように身を引いた。
「そういう方なのですか……」
うんと頷く。
「言ったろう? 好きとか嫌いとかじゃなくて、気に入ったからって理由で僕に付き合おうって言い出したような人だったんだよ。あの人が期待してくれてたのはアネッサが思ってるような男女関係じゃなかったんだよ。それに気が付くことができたのは、あの人が居なくなって、その後、余裕ができて、思い返すことができるようになってからだったけどね」
アネッサは思った。
(わたくしが考えていたほど、世に拗ねてらっしゃるわけでもないのですね)
おそらく道が見えなくて煮詰まっているのだろう……自分にできることをすべてやるのだとしても、今はその時ではないのだとわかっているのかもしれない。
逸る心を押さえつけて耐えているのだ。解き放てる時を待っている。
アスカやレイとなにがあったとしても、それを浮気だと言ってなじるような相手ではないから、甲斐性という問題には帰結しない。
ただ、待っている間にも、気持ちを高めようとしている……そのためには、一息吐くことはいけないことであるのだとアネッサは感じ取った。
それがアネッサが改めることにした、シンジに対する印象であった。
●
「それでは、実験を開始します」
マユミは酷く緊張していた。
この間からカヲルが着ているものと同じ試作スーツを着用している。色は黒に近い紫である。
新型スーツはカヲルのような『上級者』、あるいは『熟練者』よりも、マユミのような初心者にこそ意味のあるものとして設計されていた。だからこその利用であった。
固い顔をしているマユミに、レイは窓越しに手を振った。実験室はやはりカヲルが居たあの小部屋である。
マユミは心許ないと内股気味に身をよじっていた。恥ずかしい、あまりにも恥ずかしかった。これからもこうなら、ダイエットしなくちゃと思うくらいに恥ずかしかった。
(お腹出ちゃってるの……わかるよね)
やだなぁと顔を上向けると、窓の向こうでリツコ女史が頬を引きつらせていた。
「え?」
「実験を、始めたいんだけど?」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
慌てて、どうぞと身構える。もっともどのような体勢で準備すればいいのかわからなかったので、胸元に手を組み合わせた姿勢となったが……。
──嘆息する。
リツコはマヤに対して計測を開始してちょうだいとお願いした。はいとマヤは元気に答えた。最近は部署違いとなってしまい、リツコとの関係はほぼ対等のものとなってしまっているのである。
マヤにとっては、敬愛している先輩であるが、自分が就いている役職を考えると、あまり彼女に甘えられない。慕っているのだと公言することもできないし、ましてやリツコに使ってもらおうなどということは論外であった。
リツコはあくまでE計画と呼ばれた部門の研究責任者、それだけなのである。ネルフの正規職員として官位をいただいているマヤとは、上下関係が発生しない位置にあったのだ。
それでもマヤがリツコの部下となっていたのは、上からの命令があったからである。彼女の補佐をするようにと。しかし、その命令も今では解かれてしまっている。そんな位置関係にある以上、軽々しくリツコに命じられるまま使われるわけにはいかなくなってしまっていた。
だが……今回は特別である。マユミの心理状態を考慮すると、ただでさえ緊張を誘っているというのに、男の職員などを入れて暴走させるわけにはいかなかった。
ならば女性に頼るしかないのだが、能力的に必要な人間が捕まらなかった。
となれば上を通じてマヤを頼るより他になかったのである。
(先輩も、お詫びに食事だなんて良いのに……でも服どうしようかな? あの服は先月マコト君とのおでかけに着ちゃったし)
まさか愛する先輩とのデートに、男と出かけるのに使ったフケツな服など着てはいけない。
……妙な方向に思考を走らせるマヤなのだが、手元はちゃんと仕事をこなしていた。
彼女もまたMAGIと直接接続している後輩たちに負けない人間の一人である。
「記録開始。フェイズの移行をどうぞ」
「山岸さん、調子はどう?」
マユミはたぶん良いですと、非常に心許ない返事をした。
敢えて無視するリツコである。
「結構。ではもう一度おさらいしておくわね? あなたの前にあるテーブル。シャーレの上に乗っているのが使徒の細胞よ。一センチ四方の肉片だけど、生きてるわ」
「…………」
「でもそのままだと死んでしまうの。生きて五分。最大でも一時間というところよ。でも使徒は無限に増殖し己を再構成する能力があるから気を付けて」
そんなものと対峙することになっているんだなぁと、マユミは知らず後ろ足を引いていた。
「怯えないで」
その弱さを注意される。
「あなたが怯えれば怯えるほど、あなたの力は過剰に発現してしまうのよ。平常心を保っている方が安全なの……わたしたちがね」
「え?」
「あなたの力は、外向きに働くものなのよ。あなたの恐怖心を感じ取って、使徒は……使徒に類するものたちは、あなたの自己防衛機構の代わりとなろうとするの。つまりあなたの能力は、あなた自身にはなんら危険のないものなのよ。まわりにとってははなはだ迷惑でしかないのだけれど」
「……そうですか、そうなんだ」
「そうよ。だからあなたが怯える必要はないの。まあある程度の投薬はスーツから行うけど、これは言ったわね?」
「はい」
「ある程度以上の興奮状態はこちらで管理して押さえます。それではスケジュールの項目通りに」
──実験が始まる。
──惣流アスカは緊張していた。
『どう? 調子は』
「おかしな感じ……」
アスカは右手を握り込んだ。
赤いプラグスーツの素材が、ギギュッと奇妙な音を発した。
「感覚がはっきりしないのよね……ぼやけてて」
アスカが腰掛けているのは、円筒形の新型コクピットの中だった。
内装はゆったりとしたシートがぽつんとあるだけである。あとは股の間に操作パネル、そして左右に手で握るグリップだ。
円筒管はエヴァの首元に、半ば挿し込まれた形で固定されていた。
「それにこのデジタルフィードバックシステム? 気持ち悪くて」
『誤差があるのかな? ちょっと待ってね』
コクピットの外で指揮を執っているのはマナだった。
エントリープラグ──これはエヴァへの危険性をまた一つ減らすためのものであった。
従来のシステムでは搭乗者をカバーするフレームはあっても、エヴァの分泌物の中に身を沈めることになっているのだから、危険度の比較では多少下げていただけに過ぎなかった。
このことがパイロットの選考条件を厳しくしていたのだが、このたびこれを解決するための画期的なアイテムが開発されたわけである。
新型プラグスーツの内部は、アスカの体にエヴァが肌で感じているものを静電気として送りつけている。それによって引き越される生理的な反応は、アスカの思考をデジタル化してエヴァの人格移植OSへと伝えられるようになっていた。
接続のためのシステムに、一つ壁を増やしたことになっているのだが、思考のデジタル化と、それをエヴァの生体コンピューターへと送り届けるためプログラム開発に成功したことで、問題の大半は解決されることとなっていた。ただ、多少の問題は残されている。
「頭の中で変な音がパシパシ鳴ってさ、神経切れてるみたいな音で恐いのよね」
『錯覚だから気にしなくて良いんじゃない?』
「そんなわけないでしょうが! 人のことだと思って……」
『ひとごとだもーん』
「…………」
『大丈夫よぉ。貴い犠牲は明日のためにってよく言うじゃない?』
「いわないわよ」
『シンジのことは心配しないで、心おきなく』
「するっての。第五次接続テスト、開始します」
ブゥンと起動する音がして、プラグ内部は光が落ちた。しかしそれはすぐに外部の光景が映し出され解決された。
装甲各所に設置された、外部カメラの映像である。エヴァが見ている光景については、ここにはフィードバックされていない。
将来的には搭乗者の脳に直接送られることになるだろうが……。
「頭痛が酷くなった……これで戦闘なんてやったら、吐き気がして動けなくなるわね」
『パイロットとの調整がキモね。実験の結果次第で見直しとマニュアル化を行っていくんだから……』
「はいはい。テストパイロットなんて言っても体のいい実験材料だもんね」
『…………』
「やだ、冗談よ」
『え? なにか言った?』
「聞いてなかったんならいい」
言い過ぎを反省し、聞かれなくてよかったと、ちょっとだけほっとしたのだが……。
『ううん。あたしアスカのこと、大事に思ってるからね?』
「聞こえてるんならからかうなー!」
『こんなにアスカのこと、愛してるのにぃ!』
くすくすと他の子たちの声が耳に障って、アスカはまったくもうっとそっぽを向いた。
──その時だけは、頭痛を忘れ去っていた。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。