「デート?」
 シンジは奇妙な単語を耳にしたなと、どこか間抜けた顔をしてアネッサを見上げた。
 本部内のカフェである。人、特に若い世代が増えたこともあって、このような店はあちこちに開かれていた。
 シンジの前にはマユミとレイが腰掛けていた。二人は今日これからどうするかを詰めている。アネッサはそんなシンジたちを見つけて話しかけたのだ。
「お兄様にご忠告をいただきまして」
「忠告ねぇ……」
「はい。そろそろ妹気分は卒業するようにと」
 レイはその言葉に反応し、スケジュール表から顔を上げて、探りを入れた。
「それって、シンジクンに彼氏役を頼むってこと?」
「ま」
 下品なとレイを見やるアネッサである。
「アスカお姉様と争う気などありませんわ」
「ほんとにぃ?」
 疑わしげな目で見られたアネッサは、どこかうろたえたように感じられたのであった。


「それじゃあ」
「アスカにちくってやる」
 ううっとこれ見よがしにハンカチを噛んで引っ張るレイに、リアクションが古いよとシンジは冷たく忠告した。
 ネルフの通路も喫茶店の入り口から見れば、どこかの百貨店の通路に思えた。そのように内装を変えられていることもあるのだろう。レイは遠ざかっていく二人を十分に見送ってから、それじゃあこっちも行きましょうかとマユミを誘った。
「とりあえず今日もリツコさんのところからでぇ……」
「でもいいんですか? 碇君……」
「うん?」
「デート……って言ってましたけど」
 それなりに人に遠慮するマユミでも、さすがに気になって仕方のない様子だった。
 レイがシンジをどう思っているかは、どれほど(うと)くともわかることであるし、シンジもまたその気持ちには気が付いているよと、隠してもいないのである。
 なのに、シンジは、別の人間とデートに出かけ、レイは気にしないのだ。
「変……に見える? やっぱり」
 そうかもねとくすくすと笑う。
 しばらく歩くと、右手がガラスの窓となった。ここは本部ピラミッドの中階に位置している。それも外壁沿いなので、このように景色を眺めることも可能だった。
 今は朝から昼にさしかかろうとする時間帯の、とても穏やかな光が射し込んで、森を優しく彩ってくれていた。
「まぁあたしもアスカも、シンジクンのこと好きだし? 好きな人もいないって状態よりは良いんじゃないかな?」
 マユミはごまかされたことにも気づかずに、何度も何度も首を傾げて、その意味を咀嚼しようとしたのであった。


 一方──シンジとアネッサは仲良く連れ立ち、本部の地下に潜ろうとしていた。
 地下に作られている街へと赴くためである。
「こっちの方はあんまり?」
「はい。危ないところだと……恐いところなのでしょう?」
「そんなことはないけどね……」
 それでもかつては地上で行われていたストリートファイトが、今ではこちらの格闘闘技場で行われていたりするのだから、そこにたむろしている人間の素行も知れていると言えば知れてはいるのだ。
「アネッサには危ないかもね」
「そうですか」
「気にしないの?」
「気をつけなければいけないということさえわかっていれば、大丈夫ですから」
 シンジはふうんと誤魔化しに乗ったが、内心では奇妙だなと思えてならなかった。
 考えてみればアネッサの能力については未だに伏せられているのである。そのあたりにこの余裕の原因があるのかもしれないが、シンジは藪をつついたりはしなかった。
 経験上、ろくなことがないとわかっていたからである。
 長大なエスカレーターに乗ると、アネッサはふわりとスカートの裾を広げて手すりに腰を預け、楽にした。
 下側となる左の手を手すりに置いて、右の手では髪を掻き上げる仕草をする。
 シンジはそんなアネッサに素直に見とれた。
「わかんないや……」
「はい?」
 きょとんと小首を傾げる彼女に少々慌てる。
「いや……さ、アネッサとカヲル君の言葉の意味だよ」
「お兄様とわたくしの、ですか?」
「うん」
 恥ずかしいなと言葉を選ぶ。
「だってさ……妹じゃなくって、女の子としてっていうのがね。アネッサだってみんなに可愛いって言われてるだろう?」
 アネッサは気恥ずかしげに告白した。
「でも、みなさまシンジ様と同じですわ……女の子として意識してくださってはおりませんもの」
「そりゃね……でも、それはカヲル君の妹だからだよ。好きな人もいるしね? 僕以外の人だったら」
 本当にそうなら、こんなにも悩みはしませんと、彼女はこれ見よがしにため息をこぼした。
「本当に魅力的であるのなら、殿方は目を奪われるものなのではありませんか? お姉様がそうでしょう?」
「アスカのこと?」
「はい。通りがかる男性は、女性連れであってもちらりとよそ見をなさいますもの」
 まあそうだねと同意する。
「アスカの髪は目を引くしね」
「きりっとしたお顔もですわ。それとスッと背筋を伸ばされた歩き方も、凛々しくて」
 ぽうっとするアネッサに、それこそ危ない趣味があるんじゃないかと懸念する。
(上流階級って、そういうモラルが壊れてるっていうしな)
 かなり失礼なことを想像している。
「アネッサはアスカみたいになりたいんだ?」
「いけませんか?」
「いけなくはないけど……なにもアスカでなくてもとは思うよ」
 アネッサは力一杯反論した。
「そうでしょうか? お姉様は素敵な方です」
「でもアスカはそんな風に、人に好かれたいって思ってないからなぁ……」
(それは……)
 シンジ様にだけ好かれたいとお思いなのでしょうからと口にしかけて、彼女はやめた。
 どこかしゃくに障ったからである。
「シンジ様は……、お姉様の内面というものをご存じですから」
「みんなは顔だけ見てるってこと?」
「殿方はもっと下品なのでしょう? 胸や腰など……見た目に惑わされるものなのではありませんか?」
「だったらアネッサにはどうしようもないじゃないか」
 それはと彼女は非常に剣呑な目つきになった。
「わたしには、足りていないと?」
「違うって! そうじゃなくて」
 大いに慌てる。
「そういうのは大きくなるように育てるしかないんだから、こんなデートとかでどうにかなるもんじゃないだろう?」
 しかしアネッサはその考えを否定した。
「お兄様がおっしゃられるには、わたしに問題があるのだと」
「問題?」
「はい。わたしはどこか甘え上手なのだと……ですから殿方には、妹として見られ、扱われ、おつき合いの相手としては見て頂けないのだとおっしゃられました」
 シンジはなるほどと納得する手前で、ん? っと軽く首をひねった。
「でもアネッサは家のこととかあるんでしょう? 誰かに付き合う相手として言い寄ってもらうことなんてできないんじゃ……」
「でも許されるか許されないかは別問題ですわ。言い寄ってもいただけないお子様と、常に人の目に留まる貴婦人とでは、雲泥の差があるとは思われませんか?」
「貴婦人ねぇ……」
「どうせなら、妻とするのなら即座に社交界の艶華として噂となるような女が良い……そうは思われませんの?」
「……社交界なんて、僕には縁がないからわからないよ」
「そうですわね……」
 少し拗ねて、アネッサは唇を尖らせた。
「デートなのですから、こういうときは、そうだねとおっしゃって頂きたかったのですが」
「僕にぃ!?」
「はい」
「無理だよ……そんな歯の浮くようなこと言えるわけないじゃないか」
「そうでしょうか? アスカお姉様には綺麗とは?」
「言ってないって」
 まあっとアネッサは目を丸くして驚き、続いて盛大に非難した。
「そんなっ、いけませんわ! 古い付き合いであるからこそ、たまにでも口にしてもらいたいと、お気持ちを確認したいのだと思うのが女というものなのですから」
「アネッサでもそう思うんだ?」
「思います! ですから……」
 とうとうと、女の心理について語り上げる。
 シンジは少々辟易しながら相づちを打ち続けた。
(妹っていうより、小姑じゃないか)
 挙げ句、なぜだか彼女が応援しているのは赤の他人のはずのアスカである。
(なんだかなぁ、もう)
「わかったよ! わかったら」
 よろしい。アネッサは腰に手を当てて胸を反らした。
「ですから、今日の晩はお姉様を抱きしめてキスの一つも」
「勘弁してよぉ……」
「あら? 何故ですの?」
「僕には待ってる人が居るって言ってるだろう?」
「……お話は聞きましたが」
 アネッサは怒りを静めると、シンジの腕を支えとするように手を添えて立った。
「その方も本当のところはわたくしと同じような方だったのでしょう? シンジ様のすべてを欲するような方ではなく……」
「大人だったんだと思うよ……僕より少しだけね?」
 苦笑する。
「大人だったわけじゃないけど、僕よりずっと達観してる人だったんだ……。好きとか嫌いとかじゃなくて、あの人は僕のことを気に入ってくれたんだよ。それだけだった」
「それがおわかりですのに、アスカお姉様やレイ様との恋については迷いなさるの?」
「最初はなんだったのか思い出せないよ、でも今は意地なんだ。あの人は僕を気に入って、自分の力の使い道を思いついたんだ。そして好きにやって、勝手なこと言って消えちゃったんだよ、だから」
 きりっとした表情を見せる。
「文句言いたいんだ」
 アネッサはそんなシンジの横顔にぽうっと見とれた。
「……どうしたの?」
「なんでもありませんわ」
 前を向き、だがシンジの腕をきゅっと掴んだ。
「ですが、その犠牲となっているお二方は可愛そうです」
「……だよね」
「どうなされるのですか?」
「さあ? でもふられてもしかたないんだろうなとは思うよ」
「本当に?」
 アネッサは問いただすように、それは本心なのかと繰り返し訊ねた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。