「う〜〜〜ん」
マユミの実験は続いていた。
「うう〜〜〜ん」
目の前のテーブルに置かれたシャーレ相手に唸っている。
「ううう〜〜〜ん」
額に汗が玉となって浮いている。
──しかし一向に変化は見られない。
はぁっとリツコがマイクを手にした。
「休憩しましょう」
マユミはがっくりと力を抜いた。
LOST in PARADISE
EPISODE47 ”鬼子”
「わぁ……」
子供のように瞳を輝かせるアネッサに、シンジは連れてきて良かったなと思っていた。
エスカレーターの上部は強化ガラス製で、見上げれば上層階の地下となっている部分、つららのように垂れ下がっているブロックを一望することができるのだ。
これはジオフロント森林から見上げる天蓋都市の地階部分とは違って、はっきりと目にできるほど低い位置にあるのだが、夜の時間帯には昼間と違ってとても喜ばれるものになる。
街全体を照らしている照明が落とされると、代わりにこのブロックの灯りが星となって瞬くのだ。そこには人工的なアートが描かれることになる。文字はもちろん、絵などもあって、花火よりもよほど刺激的に楽しめるのだ。
二人はチューブ状になっているエスカレーターから、そのまま遊歩道へと歩き移った。この辺りは整備が最終段階に入っている場所で、地上のセンター街に負けぬほどの歓楽街となっている。
「凄い!」
凄い凄いと、アネッサはシンジの腕を取ってはしゃいで跳ねた。
「とても地下だとは思えませんわ! もっと暗いところを想像しておりましたのに!」
くすりと笑う。
「陰気なアンダーグラウンド?」
「はい!」
ははっとシンジは頬を掻いた。
「最初はそういう雰囲気もあったんだよ? でもさ、あんまりイメージ悪いんで、直すことにしたんだって」
聞いているのかどうなのか? アネッサは遊歩道の左右にある店の看板に目を奪われていた。
「各階層でいうと、天井までの高さってけっこうあるんだし、それなら昔のマンガに出てくるような未来の街を作ったって良いんじゃないかってね?」
「マンガですか?」
「読んだことない?」
「わたしは、絵だけの本というものは……」
「僕は逆に、字だけの本ってあんまり読まないな……」
まあっとアネッサは非難する。
「それは人生の半分以上について、損をなさっておられますわ」
軽く引きつる。
「それは言い過ぎなんじゃ……」
「いいえ! 世の中にはためになる本を……とおっしゃられる方もおられますけれど、決してためになることのない本の中にも、とても面白く読めてしまうものもあるのですから」
シンジは降参と手を挙げた。
「……今度探してみるよ」
アネッサはそれではと一層組み付き顔を見上げた。
「お貸ししましょうか? たくさんあるんですのよ? やはり本はデジタルではなく紙のものに限りますわ」
紙ねぇとシンジは辟易した。ゲームや音楽の方面に趣味を持っているごく普通の人間にとっては、どうでも良いとさえ言い切れるようなこだわりだからだ。
「あの独特の指触りと用紙の匂い……時代や場所によっても違いますの。また日にあせたものには味わいというものがあって……」
「……ほんとにたくさんあるみたいだね」
「はい! ぜひともおいでください。存分に……」
「って、アネッサ」
「はい?」
なんでしょうかときょとんとする彼女に、シンジは派手にため息をこぼした。
「言ったよね? 妹って見られたくないって」
「はい。それが……」
なにかと不安げにする彼女に、自分でも注意しないとと教え諭す。
「自分の部屋に、簡単に呼ぶっていうのはどうかと思うよ?」
まあっとアネッサはころころと笑った。
「それは考えすぎというものですわ、シンジ様」
「そうかなぁ?」
はいと頷く。
「だって、生家にはとても大きな書庫がありますのよ? お父様やお母様のお友達だという方も良くいらっしゃって……」
「それは……」
ちょっと待ってよとシンジは止めた。
「家って……あれだよね? おっきな屋敷」
「はい」
「それは家は家でも、屋敷のどっかでしょ? 自分の部屋じゃなくて」
「そうですが」
ここまで言ってもまだわからないらしい。
小首を傾げる姿は愛らしいが、危険ですらあり、シンジはやむなく忠告した。
「あのね? アネッサが今住んでるとこって、屋敷じゃなくて家だろう? もっと言っちゃうと、家というより部屋じゃないか」
「部屋……ですか?」
そうなんだよと解説する。
「普通はね? 寝室だけが特別なんだ……なんて考えないんだよ。ワンルームマンションって知ってるかな? 家って単位じゃなくて、部屋って単位で生活してるから、自分の家に上げるって言うのは、寝室に招き入れるのと同じ感覚でするようなことなんだよ。もちろん招かれた方も、そういう意味にとって、緊張して、期待もする」
困りますわとアネッサは言う。
「そのように勝手な思い違いをされましても……」
「でも招かれれば浮かれちゃうのが男の子なんだよ。それでそういうつもりじゃなかったって言われれば、落ち込むか怒るかするよ」
「シンジ様でもですか?」
「そりゃどきっとするよ。だから慌ててるんじゃないか」
「はぁ……」
「女の子は軽々しく誘っちゃいけないんだよ。誘うってことは相手の子に誘いをかけてるって受け取られても仕方ないんだよ、それでも違うって言うのなら……」
「なんですか?」
嘆息する。
「まだそういうことにうといお子様だから、誘ってるんだなって、そう見られることになっちゃうのさ」
●
開発局の中にもレストランはあり、空き時間を利用して多くの人間が詰めかけていた。
一つの実験が終了すれば、次の実験のための準備が行われることになる。だが、その間、暇となってしまう人間も少なからず出現するのだ。
「さすがアスカね」
マナである。
この二人もまた、そんな中に入る人間であった。
「なによ?」
アスカはスパゲティをフォークに巻き付けていた。茸が乗っている。ただ量が問題で、皿は大皿、上には三人分はあろう大盛りとなって山を作っていた。
「さっきまでLCLに浸かってて、よく食べられるわね?」
マナがなにに呆れているのかようやくわかって、アスカは慣れよ慣れ、と適当に答えた。
「まあ少しは味覚が馬鹿になってるけどさ」
やっぱりねとマナ。
「大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないけど……」
う〜んと唸る。
「血の味がするのは仕方ないみたいだし……あれって電化してるからなんでしょ?」
そう言ってたけどと、マナの返事は心許ないものであった。
「電化して、プラグスーツとコンピューターとの接続を行うとかなんとかって……あと、投影ウィンドウのためのスクリーンに使用されてるとか、他には……」
「あんた……」
アスカはスパゲティの山の影からギロリと睨んだ。
「仕様書、適当に読み飛ばしたでしょ?」
「へへ……ばれた?」
「当たり前よ!」
体を起こし、ジュースを手にする。オレンジだった。
「あんた一応は責任者なんだから」
「ごめん……でも責任者は責任を取るために設定されるだけだってね? だから」
「そういうこと言ってると」
指を差す。フォークを握った手でである。
「知らない間に、知らないことまで責任押し付けられてたりするのよ!」
うっとひるんだ。
「……気を付けます」
よろしいとアスカ。
「ミサトじゃないんだから、あいつみたいなことやってると、その内ひどい目に遭うわよ?」
あいつってねぇとマナは呆れた。
「一応上司で保護者なんでしょう?」
まあねとアスカは肩をすくめた。
「でも一緒に暮らしてると、そういうの抜けちゃうのよね」
「なれ合っちゃってまぁ……」
「気を張ったままで同居なんてできないわよ。それに、シンジだって似たようなもんだし」
ふと気が付いてマナは訊ねた。
「あの子は?」
「マユミ?」
「うん」
「まあ……」
そこそこなんじゃないかなぁと後頭部を掻く。
「最初の内はねぇ……テレビを見るのも自分はどこに座ってればいいのかって感じだったし? 見たい番組があっても口にしないし……そもそもテレビを見るときは付き合わなくちゃいけないのかなぁって怯えてたしね?」
「居候ってのはそういうもんでしょ?」
「あたし、気にしなかったけど?」
「…………」
「それになんだか、家主ってミサトじゃなくてシンジみたいな感じだしねぇ」
それはもちろん、問題はミサトにあったのである。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。