──なんでこんなことになってるんだろう?
マユミは教壇の上に立たされていた。
白墨に汚れた黒板を背にして流ちょうな言葉の羅列を耳にしている。心地よさすら感じさせる音は、隣に立つこの第三新東京市クリオストリス女学院(旧第一中学校)、二年椿組の担任教師が発しているものだった。
ややゆったりとした感じのある黒のスーツに身を包み、マユミは緊張の面持ちでこれから自分の生徒となる女生徒たちを見渡していた。
(はぁ……)
嘆息せざるを得ないのが現在の状況であった。
──三日前。
マユミの今後については大会議場を利用するまでの大問題へと発展していった。
女っ気に飢えている技術班が復帰を望み、地下書庫整理部はマユミのような本好きを手放すつもりはさらさら無かった。
そしてなぜだか参戦したリツコが、彼女の特異能力について懇々と語り、その開発には興味が深いと怪しい熱弁をふるったかと思えば、今度は良識派が学業問題を取り上げたのである。
定住して勉学を納めてきたわけではないマユミには、情緒面での不安があった。
いくら義父について、世界中を旅していたせいだとは言え、これは看過できない問題である……というのである。
通信教育で一応は高等教育学科を納めていたものの、そのような方法では道徳観、倫理面に不安が残る。この指摘はあながち間違ったものではなかった。事実マユミには無駄に引っ込み思案な部分があった。
喧喧諤諤の議論の末に、場をいい加減にとりまとめてしまったのはアスカであった。
「マユミ」
「はい」
「あんたあしたから学校ね」
「え? え?」
「地下の書庫倉庫のデータは学校のデータバンクにも流されてるんだからそこで整理作業なんてできるわけだし、マユミに対人関係を学ばせることだってできるし、問題ないでしょ」
「学校……ですか」
「ちなみに飢えた男どもがうっとうしいから女学校」
一斉にブーイングが発生した。
「きこえませーん」
両耳を手で塞いで口にする。
「まあ、マユミに必要なのは自信と情操教育だってことで揉まれてきなさい」
「情操教育ですか?」
「慣れりゃあ犬猫と同じよ、可愛いんだから」
「はい? あの……」
マユミは嫌な予感を覚えて訊ねなおした。
「犬猫?」
「そうよ。大丈夫よぉ、教科書そのまま解説してやってりゃいいだけなんだから」
「あああ、あの! ちょっと待ってください、それって!」
にやりと笑ってアスカは言った。
「あんた明日から学校教師ね」
──そんなむちゃくちゃなぁ!
というわけで、ここに女教師マユミが誕生してしまったわけである。
LOST in PARADISE
EPISODE48 ”学園生活”
「……無茶苦茶だよね」
なぜだかシンジは竹箒を持って掃除していた。
場所は校舎裏手にある焼却炉付近であった。
恰好も用務員さんのソレである。
「結局さ……押しつけただけなんじゃないの?」
「そうよねぇ」
相手をしているのはレイであった。
こちらは青いジャージ姿である。
「公務の押しつけよね、絶対」
うまくやられたとレイは舌打ちをした。
アスカ、レイ、シンジやカヲルのような経験熟練者ともなれば、このような学校での講習や講義は、半ば義務として強制されているものであった。
これまではこのようなことはアスカに一任されていた。これはシンジが敬遠し、レイとカヲルが仕事を理由に逃げ回っていたためである。
しかしこうなるとシンジとしては、マユミの保護者として顔を出さないわけにはいかないのであった。レイはシンジが行くのならと渋々である。アスカは今頃開放感たっぷりに休養していることであろう。
「嫌なんだよね……こういうのってさ」
はぁっとシンジは吐息をこぼした。
憂鬱そうに訴える。
「なんかのぞかっれたり、笑われたりするし」
「めずらしがってんじゃない? 実際珍しいもん」
「なんでさ?」
レイはぱんっと手を組み合わせると、悶えるようにして身をよじり踊り、舞った。
「ああ! あこがれのアスカお姉様の愛しいシトがあのお方なのね!」
げんなりとして頼み込む。
「やめてよもう……」
けらけらと笑い飛ばす。
「アネッサがいっぱい居るって思ったら?」
「…………」
「なに?」
いいやとシンジは背筋を伸ばしてかぶりを振った。
「やっぱりレイって、女の子じゃないなってさ」
「ブー、なにそれぇ?」
なにやら疲れた調子で語る。
「女の子ってさ、一人か二人だと大人しかったり臆病だったりするんだけどさ、五人くらいのグループになってくると急に大胆になってくるんだよ」
「……なにかあったの?」
「面白い話と鬱になる話、両方あったよ」
「鬱になる方はいい……想像付くから」
どうせ昔のアスカがらみであろうと考える。実際そうであったのだが。
「面白いって言うのは、明るい話?」
「まあね」
「なになに? なんなの?」
「っと、あんまりくっつかないでよ」
「え〜〜〜?」
どうしてぇと、シンジに組み付いたままで白々しく訊ねる。アスカほどでなくとも十七・八ともなれば胸はそれなりに育つもので、立派に武器として使用できる。それも今はジャージであり、ジャージの下は体操服なので効果は大だ……が。
顎をしゃくってみせるシンジに、校舎の角を見てああとレイは納得した。
そこにサッと隠れる女の子の姿を複数見つけたためであった。
●
きゃーきゃーとうれし楽しげな悲鳴を上げながら、彼女たちは教室へと逃げ込んだ。
何事かと見るクラスメートの目など無視して席に着く。
「ショックぅ……レイ様、ジャージなんておやめになってって感じよねぇ」
「カナコさん? それはわたしに対する挑戦ですか?」
実は先日、対象をアスカに変えてそっくり逆のやりとりがあったのだ。
どっちもどっちだとミヤは失笑をこぼした。
「でも結局、両方ともあの碇さんと……あ」
ずーんと場が暗くなる。
「ええと……まあ、ホントのところはわからないしな」
無駄に慰め、失敗する。
「……さきほどのお姿を見た後では、説得力がありませんわ」
「あの人、アスカ様ともあんなことを……」
「…………」
もはやなにを口にしてもショックを与えるだけだなと、ミヤは静観することにした。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
重い沈黙がひたすら続く……と、そこに授業の始まりを告げるベルが鳴った。
ガラリと戸を開いて現れたのはマユミである。まだ十代前半に位置している彼女らにとっては、マユミも十分な大人に見えてしまうのだろう。
叱られる前にとあわてて席に戻ろうとする。しかしその様子に最もとまどっているのはマユミであった。
人にものを教えることには不向きな性格をしているのだ。ビクついて見えるのも気のせいではなく事実おびえていた。
(そう言えば……)
ミヤはふと、この新任教師であり副担任である先生の保護者兼保証人が、あの碇シンジさんであったなと思い出し、嫌な予感に襲われて、トリオの残り二人の様子を盗み見た。
──そして多大に後悔した。
それぞれ、よからぬ事をたくらんでいるのが、傍目からもよくわかる顔をしていたからであった。
[BACK][TOP][NEXT]
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。