そして七つの年が数えられ…
 学校指定の鞄を手に、懐かしい制服に身を包んだ一人の少女が、元気に玄関から跳び出した。
「おいで、弐号!」
 家の裏、庭に向かって大声を出す。
 ゲション、ゲション、ゲション!
 慌てるように二頭身の変なロボットが現れた。
「むっ、ちょっとレイ!」
 ロボットの上には青い髪の女の子が腰掛けていた。
 少女と同じ制服を着ている。
「弐号はあたしのよ?、さっさと降りなさいよ!!」
「らくちん…」
「あたしのだっつってんでしょ!」
「けち…」
「二人とも…」
 エプロン姿のシンジが玄関から顔を出した。
「学校は自分の足で行かなくちゃ駄目だよ…」
「「ぶぅ」」
 レイは俯き加減で、アスカはそっぽを向いて頬を膨らませた。
 レイ十四歳、アスカも十三。
(もうすぐなんだね…)
 シンジは目を細めると、少しだけ寂しげに微笑んだ。
 夢の終わりはすぐそこに来ている。
 シンジは二人を見送りながら、「さてと」と仕事へ向かうためにエプロンを外した。

うらにわには二機エヴァがいる!
第弐拾六話「シト新生:REBIRTH」

「行ってきます!」
「行ってきます…」
 結局二人は走って学校へと向かった。
(まただわ…)
 この所アスカは、奇妙な幻覚を見るようになっていた。
 それは何処かで見た事のあるような、一人の少年の幻だった。
 今日も通学路の途中で彼に出会った。
 男の子がとぼとぼと一人で歩いているのだ。
(誰?)
 追い越す瞬間に、横目で顔を見ようとする。
 しかし彼の顔はいつものようにぼやけていた。
(でも…)
 知らないはずの華奢な体つきには覚えがあった、それに少年の前を歩いている少女の幻影。
 その子の長い髪型は、自分にとても良く似て、きらきらと赤く、金色にも輝いていた。


「そりゃ白昼夢っちゅうやっちゃで」
「あのねぇ」
 屋上で寄り集まるいつもの面子。
 アスカにレイ、アカリにトウタとシンスケだ。
「でなきゃデジャヴって奴だよ、なあ、レイちゃん?」
「そうね…」
 シンスケの言葉に適当な相槌を打つ。
 彼女はとある作業に没頭していてそれどころではなかったのだ。
「あーっ、あんたまたお肉残して!」
「…嫌いなんだもの」
「まったくもう、またパパに叱られるわよ?」
 そう言いつつもレイの弁当箱から蓋に捨てられた肉類を奪い取る。
「こんなに美味しいのに…」
「アスカはお父さんの作ったものなら何でもいいんでしょ?」
 ねー?っとトウタに振るアカリ。
「ま、おっちゃんの飯が美味いんはほんまやし」
「そうよ、それにあたし、レイとは違うんだから…」
「……」
 目を細めるレイ、何かを口にしようと開きかける、が…
「お、アスカちゃん」
「葛城先輩!」
 昇降口から友人連れで上がって来たのは、葛城兄妹の長男、リョウイチだった。
「なんだ、こんな所で飯食ってたのか」
「何か用ですか?」
 膝の上から弁当箱を下ろし、アスカはリョウイチの腕に噛り付いた。
 その様はかつてのアスカと加持そのものだ、違いはと言えば二人の歳がとても近い事だろう。
「ほんま、アスカってリョウイチさんに惚れとんのやなぁ」
 トウタの台詞にレイは言いかけた言葉を飲み込んだ。
 その目は何処か憐憫に似たものを含んでいた。


 時は無情にも移ろい行く。
 いつかと同じような夜。
 いつかと同じような月。
 いつかと同じ、月を見上げる男が一人。
「…お父さん」
「レイ?」
 シンジは優しげな瞳を向けた。
「おいで、レイ…」
 もう子供ではないからだろう、レイは静かに歩み寄ると、パジャマの裾を折るようにしてシンジの隣へ腰を下ろした。
 そして肩へと頭を預ける。
 静かな時をしばし味わう。
 しかし堪え切れなくなったのか?、レイはどこか『綾波』くさい口調でシンジに尋ねた。
「…なにをそんなに悲しそうにしているの?」
 シンジもそれを感じてしまい、多少口調が堅くなる。
「約束の時が来る…、もうすぐこの夢も終わりだと思うとね?」
 シンジは俯き、目を閉じた。
 もう三十だ、気が付けば『あの時』のミサト達の歳になっているのだから…
「幸せだったよ…、レイ、アスカが明るく育ってくれて本当に良かった」
「『碇君』」
 レイはおとがいを上げた、潤んだ瞳でシンジを見つめる。
「『綾波』」
 わずかに開いた小さな唇。
 シンジは理性を振り絞るように目を背けた。
 そこに居るのは娘だから。
「でも夢の時間はもう終わるんだ、そこからは現実が始まる」
 サードインパクトによって失われてしまったもの。
 本当の自分。
 現実は夢の、夢は現実の続きであるから。
(わたしは…)
 覚醒の早かったレイですら、いまだ戸惑いは残されていた。
 シンジを父として見ているのが何よりの証拠だ、だがどこかで男としても認識してもいる。
 それでも以前が以前だけに、そのギャップを吸収することは容易であった。
 温もりが欲しいと言う一点だけが、レイにとっては大事であったから。
 けれども…
「もうすぐ、今年も終わるね?」
 シンジはレイに微笑みかけた。
「アスカの誕生日が来る、彼女は…、僕を憎むだろうか?」
 少なくとも好意的に捉えてもらえるとは思えなかった。
 レイの様に単純には収まらないだろう。
 レイはシンジの顎に手をやり、愛おしげに撫でた。
「あの人には…、リョウイチさんが、加持おじさん、葛城さんがいるから」
「そうだね?」
 苦悩を眉間に寄せる、その皺にレイは時の流れを感じた。
 レイの認識以上にシンジは老いていた、友人であり父であり、男でもあったこの男は、確実に自分を置いていくだろう。
 その恐怖。
「レイ?」
 シンジは急に抱きつくレイの行動に戸惑った。
「どうしたの?」
 レイは俯いてかぶりを振った。
 形はどうであれ、レイは常に庇護されて来た。
 昔は碇ゲンドウに。
 今は碇シンジにである。
 過去の放任とは違い、シンジのそれはあまりにも温もりが過ぎていた。
(これを失う事の恐怖…)
 瞬間、『あの頃』に済んでいた空虚なマンションの光景が蘇って来た。
 もうすぐ家族だと思っていた関係が壊れてしまう。
 赤の他人になってしまうのだ、その瞬間に。
「わたしは…」
「なに?」
 レイは顔を上げた。
「レイ?」
 レイは顔をくしゃくしゃにして堪えていた。
 それでも堪え切れないものが涙となって滲んでいる。
「レイ…」
 シンジは体に腕を回すと、力強く抱きしめてやった。
 それ以外の方法では、何も伝わらない事が分かっていたから。
 月明かりが陰っていく。
 やがて二人は、心のままに暗闇の中へと囚われていった。


 十二月三日。
「明日はアスカの誕生日ね?」
「え?、ええ…」
 いつものごとくそれはミサトによって大宴会へと変わるだろう。
 碇家はそれなりに広い一戸建に引っ越しているから、会場としては申し分ない。
 毎年この時期ははしゃぐというのに、今年に限ってアスカの顔色は晴れなかった。
(どうしたの?、アスカ…)
 その事がアカリに不安を呼び起こさせていた。
 せっかくの誕生日会だというのに、だ。
 いつもなら「あたしが主役なんだから!」っと、その日のための服を買いに行こうと誘いがかかって来るはずなのに…
「アスカ?」
 突然立ち止まったアスカにうろたえる。
「あたし…」
「え?」
「ちょっと用事思い出したわ、先に帰ってて!」
「あ、アスカ!」
 しかしアスカはアカリの声も聞かずに駆け去った。
 それはアスカ自身、自分が何を求めているのか?、全然分からなかったからである…


 その公園はあの公園とは違っていた。
 同じなのは街を一望できることだけった。
「…あんた、誰?」
 アスカはベンチに座り、隣を見た。
 誰もいないはずの空間に、確かに男の子の顔が見えるのだ。
 少年は苦笑を浮かべていた。
 自分と同い年だろうか?、少しだけ頼り無さそうだった。
 夕日に世界が染まるに連れて、その面影ははっきりとしていく。
 頭の中でも彼に対する知覚が定まっていく。
 とても親しかったはずなのに。
(あたし、変になってるのかしら?)
 見た事もない男の子に、どうして心惹かれてしまうのか分からない。
 時には自宅のキッチンにすら、彼の幻は現われるのだ、エプロンを着けて、はにかんで。
 妄想癖に取り付かれているのかもしれない、トウタの言う通り白昼夢なのかもしれない。
 余りにも生々しい存在感、だが嫌ではないのだ。
(ううん、むしろ嬉しいもの…)
 アスカはきゅっと胸元を拳で押さえた  ……と、唇から何かが漏れる、紡がれる。
「シ、ン…」
 無意識の内にこぼれ出る想い。
「アスカちゃん?」
 はっとする。
「リョウイチさん!?」
 アスカは歩いて来る人物に、どうしてここにと目で問いかけたが、それは相手も同じだった。
「なんか遠回りをして帰りたくなってね?」
(あ…)
 アスカは不思議な憤りに見舞われた。
 ベンチには半分空けて座っているのだから、彼がそこに座ったとしてもおかしくは無いだろう。
 それにいつもくっついているのは自分なのだから、怒る必要も無いはずだった。
 だがリョウイチが無造作に『彼』の居た場所を奪った途端、自分でも分からない感情を覚えていた。
(なによこれ?)
 アスカにだけ見える少年が腰掛けていた。
 それを『現実』の少年が払いのけた事に、アスカは不思議な符号を感じた。
『夢』が『現実』に壊されて、アスカは心に沸き起こる憤慨を抑え切れなかった。
(あたし、どうしちゃったんだろう…)
 アスカはじっとリョウイチの顔を見つめた。
 いつもなら照れ臭さに赤くなるのに、今日はなんの感動も得られなかった。
 それどころか…
(なにこれ?)
 数々のシーンが蘇って来た。
 初対面で頬を張ったこと、彼の部屋を取り上げた時のこと、特訓と空回り、一緒に過ごした何気ない日常、キス。
 すれ違っていく数々の感情…
「アスカちゃん?」
 アスカははっとして顔を上げた。
「気分が悪いのかい?」
「う、ううん、なんでもないんです、なんでも…」
 アスカはなるべく元気に見えるよう首を振った。
「そっか、じゃ、帰ろうか?」
「え…」
「送ってくよ」
「はい!」
 差し出された手を握らせてもらう。
「アスカちゃん…」
「はい?」
 アスカはリョウイチらしくない、緊張した声音に首を傾げた。
「明日…、聞いてもらいたい事があるんだ」
「え…」
 アスカは彼の横顔を見て頬を染めた。
 強ばり汗ばんだ手のひらに、それが何であるのか気が付いたから。
(でもそれでいいの?)
 いつか聞いたような声が、アスカには確かに聞こえたはずだった…
 だが彼女の意識は、それを認識する事を良しとはしなかった。
 今は夢のような一時だから…
 アスカにとって、どちらが夢で現実なのか?
 その境目は、曖昧だった。


「あのね、リョウイチさんが」
 アスカはさっそくシンジにはしゃいで報告していた。
「そっか…、じゃあ明日は大変だね?」
「え?」
 アスカ特製の空揚げに箸をつける。
「だって、ミサトさん達が主役を逃がすはずないじゃないか」
 シンジは苦笑してアスカに注意を促した。
「上手く逃げないと、二人っきりにはなれないよ?」
「や、やだパパったら、何考えてるのよ!」
 仲のいい親子に見える…、表面上は。
 だがレイは冷めた目でそれを見ていた。
 明日になればこの日常は、もう存在しなくなる事を知っていたから…
 そっとレイは溜め息を吐く。
「…お父さんの面倒は、わたしが見るから」
「レイ?」
「だから、安心してお嫁に行けば?」
「あんたねー!」
 アスカは真っ赤になって怒った。
「大体なによその言い方は?、あんたパパと結婚するつもり?」
「それもいいわね…」
 アスカは呆れた。
「あんたファザコンも大概にしなさいよね?」
 ふてくされてポテトサラダに箸を付ける。
(姉妹喧嘩か…)
 シンジは目に優しさを湛えて二人を見つめた。
 まるでこの幸せを、永遠に封じ込めようとしているような、そんな寂しい視線であった。


 翌日、夕方からの準備が慌ただしく終わった頃に、ようやくパーティーは開始された。
「「「お誕生日おめでとー!」」」
 合唱とクラッカーの音に、アスカはきゃっと小さく驚いて耳を塞いだ。
「ありがと」
 続いて照れ笑いをする、誕生日だというだけでこれだけの人間が祝ってくれるのだ。
 加持リョウジ、葛城ミサト、葛城家の兄妹達、日向夫妻、青葉シゲル、鈴原夫婦と鈴原兄妹、相田親子に冬月おじさん、それに碇ゲンドウ、碇リツコの姿もあった。
 嬉しくないはずが無い、しかし…
(パパ、どうしちゃったんだろ?)
 そこに居るべきはずの人物が…
 大き過ぎる存在が、たった一つだけ欠けていた。


「ああそうだ、クリスマスも近いからな?、それまでには片付けるように」
 ネルフ本部、総司令執務室。
 そこにはシンジと、もう一人の姿があった。
「いいのかい?」
 ぱちりと本を片手に駒を差す少年。
 渚カヲルだ。
「今頃は君を探しているかもしれないよ?」
 世界は波のようなものだった。
 波打てば当然引きもする、カヲルがこの世界へやって来たのではない。
 悪意の元に生まれたカヲルのいる場所に、世界が立ち戻ってしまったのだ。
 その原因はシンジにあるのかもしれない、シンジもそれは分かっているのかもしれない。
 終始無言で、かつてのゲンドウのように口元を手で隠してしまっている。
 微動だにしないのは、心の内を少しでも漏らさぬようにするためだろう。
 だがやがては堪え切れなくなったのか?
 シンジはポツリポツリとこぼし始めた。
「…恐かったんだ」
 声は大人のものであるというのに、内に込められているのは十四歳の頃を感じさせた。
「恐いんだ…、いつアスカに罵られるかと思うと、逃げ出したくて堪らなかった」
 本当の気持ちを吐露して行く。
「でも今のアスカには友達が大勢居る、リョウイチ君もアスカを好いてくれてる、アスカも好きみたいだし…」
「だから君はもう、必要ない?」
 それは叱るような口調だった。
「…ごめん、でも」
「まあいいさ」
 ふたたび将棋の盤に目を落とす。
「君一人の考えで、物事の推移が全て決まるわけではないんだからね…」
 ぱちり…
 静かな室内に、カヲルの差す駒の音だけが響いていた。


 すっと立ち上がったアスカに、目ざとく目を付けたのはミサトだった。
「あらアスカ、何処行くの?」
「電話、パパ遅いんだもん」
 それをニヤニヤと見送ってから、ミサトはビール缶に口を付けつつ一つこぼした。
「なんだかんだ言っても、あの子も結構ファザコンなのよね?」
「それも少し違うけどな…」
 ミサトの言葉を受けたのは加持だ。
「どういう事?、父さん」
「ああ…」
 加持はリョウイチの言葉を軽く受け流してレイに目をやった。
 すっと立ち上がるレイ。
「行くのかい?」
 加持の問いかけにレイは頷いた。
「与えられたものが全て…、嘘では無かったと、知っているから」
 レイの台詞に、一同はなにか重いものを感じて、誰も深く追及することは出来なかった。
 ただ加持とミサト、それにゲンドウとリツコの四人が、やり切れぬようにビールをぐっとあおっただけだった。


『この電話番号は現在使われておりません』
 庭に回ると家の中からの騒ぎがとても遠くて、寂しい気持ちになってしまう。
「どういう、こと?」
 アスカは携帯電話を手に立ちすくんでしまっていた。
 電話番号を間違えるはずはない、短縮ボタンを押したのだから。
 なのに父の電話には繋がらない、父はネルフの高官なのだ、電話が解約されるなど考えられない。
 忙しく電話に出て対応している父に、切っておけばいいのにと団欒を邪魔されて口を尖らせた事もあったのだから。
「どうなってるのよ…」
 何も分からずに不安だけが増していく。
 何かあったのなら留守番電話になるかどうかするだろう。
 この街の中で父の電話が繋がらない場所などあろうはずが無い。
 なら電話は意図的に解約されたと言うことだ。
「どうして…」
 アスカは膝が震えるのを感じた。
 その震えは全身に広がり、やがては寒気を感じさせた。
 ゲション…
「あ…」
 いつの間にか、弐号が庭の隅に立っていた。
 じっとアスカを見つめている。
「なによ?」
 まるで意志があるように。
(違う!)
 アスカは知っていたはずだった事を思い出した。
 なぜ忘れてしまっていたのかは分からなかったが、あの中には別の自分が居る事を思い出した。
 弐号の装甲が開かれていく。
 中から真っ白なアスカが現れる。
 全く同じ顔、同じ体つきでありながら、その顔に刻まれた怒りだけで、二人はあまりにも違って見えた。
「…なによ」
 アスカは呻いた。
「なんだってのよ!」
(あんたは、あの時…)
 全てを理解したはずなのに。
 ポンと肩を叩かれて、アスカは驚き振り返った。
「あ、ごめん…」
 その慌てぶりに、追いかけて来たリョウイチは逆に焦りを見せてしまった。
「あ、ううん、大丈夫よ…」
 ついぞんざいな口調になってしまう。
 ゆっくりと目を戻すと、弐号はもう居なくなっていた。
「アスカ?」
「あ、えっと…、なに?」
 アスカは安堵に近い吐息を突きながら振り返った。
(あ…)
 そして見たリョウイチの表情に戸惑った。
「あの、さ…、話があるって、言ったろ?」
 ぽりぽりと頬を掻く、その照れ臭そうな表情に父の言葉が覆い被さる。
『上手く逃げないと、二人っきりになれないよ?』
 リョウイチの想いは分かる、自分がそれを煽っていたのだから、でも…
(パパ…、シンジ)
 アスカとしての思慕とアスカとしての憤りとアスカとしての恋心とアスカとしての悲しみ。
 どのアスカも同じアスカでありながら、違っていた。
 どれもアスカの想いでありながら、同居人と娘、立場の違いが別の解釈を打ち立てさせて、絡み合う様に激情を沸き起こらせていた。
「アスカ…」
 そっと両腕に手を添えられて、アスカはビクリと硬直した。
 ゆっくりと引き寄せられていく、望んでいたもの、そこにある唇。
 目を閉じようとするアスカと、反発するアスカが居た。
 キスもしてくれなかったシンジに憤っていた過去の自分。
 でも父親としてそれをあがなってくれたのではなかっただろうか?
 なら自分は幸せになる権利があるはず、その相手は…、相手は?
「ダメ!」
 アスカはリョウイチの体を押し返した、押し返してしまっていた。
 リョウイチが嫌いなわけではない、シンジが特別好きなわけでも無かった。
 だが今ここでリョウイチを受け入れることは出来ないのだ。
(だって!)
「アスカ、泣いてるの?」
 リョウイチは心配げに声をかけた。
 アスカの目からはポロポロと大粒の涙がこぼれていた。
「家族…、なの」
 自分にだけ分かる言葉を漏らす。
「パパ、なのに…」
 赤の他人だから。
 それに気付いたアスカの側にどうして居ることができるだろうか?
 全てが欺瞞であるのだから。
 だがそれは再び絆を断つということだ。
 せっかく繋がった見えない糸が、今しも切れてしまいそうになっている。
 まだ繋がっているのだ、それを断ち切るかどうかは自分にしか選べない。
 シンジは自分に託したのだから。
 シンジは何処かで、それでも父として見てくれるのかと、きっと苦しんでいるはずだから。
 だからこんな事をしてはいられないのだ。
「パパが、待ってる」
 漏らされたその言葉に、リョウイチはゆっくりとかぶりを振った。
「パパじゃ…、ないだろ?」
 はっとする。
「先輩?」
 リョウイチは静かに頷いた。
 アスカは俯くと、溢れた涙を拭いもせずに、脇をすり抜けるように駆け出した。
 その背をじっとリョウイチは見つめた。
「…リョウイチ」
「父さん」
 少しだけ晴れやかな顔を見せる。
「良い男になったな?」
「当たり前だよ」
 ぐっと何かを堪えて笑みを作る。
「父さんの子だからね?」
「こいつ…」
 加持はリョウイチの頭を抱きかかえながら耳をすませた。
 ガションガションと、遠くなる弐号の足音が暗い夜道に木霊する。
 直後にピカッと閃光が走り、何かが空に飛ぶのが見えた。
(頑張れよ?)
 言葉はその何かに向けて放っていたが…
 加持は三人に対して、エールを送ったつもりであった。


 一人将棋を差していたカヲルの手が、まさに金を打とうとした所で静止した。
「…賭けは僕の勝ちのようだね?」
 駒を持つ手が透け始めている。
「人は再び、それぞれの想いの中で歩み始めるか…」
 ガタンと、椅子を鳴らせてシンジは立ち上がった。
「行くのかい?」
「違うよ」
 シンジは微笑を浮かべた。
「帰るんだ」
 声がとても嬉しそうに弾んでいる。
「…おめでとう、シンジ君」
 カヲルはその背に称賛を送った。
「再び君と会うことがないように、僕は心から祈っているよ」
 閉じられる扉、自動的に落とされる照明。
 暗闇の中に浮かび上がるカヲルの姿は、やがてぼやけて、消えて行く。
(その他人の恐怖は、きっと幸せに繋がっているさ…)
 それは誰にも聞かれる事のない予言であった。


 ネルフゲート前。
「レイ!」
 レイは擦り切れたカードをスリットに通そうとして…、その手を止めた。
「アスカ?」
 首だけを向ける。
 そこにはアスカが居た、だが何処か違うアスカだった。
 そう、例えば…
「あんた知ってたわね?」
 まるで恋敵を憎むような目つきをしている。
 妬むような瞳が懐かしかった。
「あんた知ってたんでしょ!、シンジがあたし達を置いて行くって、知ってたんでしょ!?」
 アスカの怒声に、レイはちゃんと振り返った。
「なら、どうすると言うの?」
 バチッと間で火花が散った。
 いや、それは幻覚ではない、事実火花が散っているのだ。
 それはアスカとレイが内包している力の干渉でもある。
 二人の姉妹喧嘩はネルフのゲート前など瓦礫の山に変えてしまうかもしれない、だが、そうはならなかった。
 ガシュー…
 開いたゲートにハッとする二人。
 そこにぽかんと間抜けた顔を見つけて毒気を抜かれる。
「あれ?、アスカにレイ、どうしたの?」
 そこにはスーツ姿のシンジが立っていた。
 いつもの『お父さん』が立っていた。
「碇君っ」
「シンジっ」
 つい二人の口から昔の呼び名がこぼれてしまう。
 しかしシンジは気付きながらもあえて無視した。
「ごめんごめん、仕事が長引いちゃって、これ…」
 シンジは胸ポケットから細長い包みを取り出した。
「アスカに」
「あたしに?」
「誕生日おめでとう…、よかったよ、今日中に渡せてさ?」
 身を少しだけ折り曲げて、シンジはアスカに手渡した、微笑みと共に。
(なによ、大人ぶっちゃって…)
 ぽっと赤くなるアスカに頬を膨らませるレイ。
 二人は込み上げて来る照れと嫉妬心に気付かなかったが、シンジの口調はどこか若い頃のものが混ざっていた。
「さ、帰ろうか?」
 シンジは二人の背を軽く押した。
 両手でプレゼントを持つアスカは軽くシンジを見上げた。
 十四歳の自分では到底つりあわない、頭はシンジの胸元にしか届かないのだから。
(上手くいかないものねぇ…)
 アスカはそっと溜め息を吐いてしまった。
 その身長差は、かつての自分が憧れの人に抱いていたのと、まったく同じ身長差だったからだ。
 だがレイはそんな事は気にしなかった。
 シンジの手に軽く触れて、握り返されるのを少し待つ。
 親子三人、仲良く家路につくその姿は、関係の進展どころか現状維持に過ぎなかったが…
 それでも赤の他人では無い繋がりを、確かに間に漂わせていた。
 時に西暦2030年。
 碇シンジ、29歳。
 サードインパクトから実に15年。
(もう一度、やり直したいんだ、みんなと…)
 生まれてから一度死ぬまでと同じだけの年月をかけた彼の願いは、ようやく実りを見せ始めていた。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。