「今日も碇君の周りは賑やかだねぇ」
音楽室、そんな具合に笑ったのは霧島マナだった。
「退屈しないのは確かですけどね」
山岸マユミは、こちらは上品にころころと笑った。
いましがたまで弾いていたヴァイオリンを、膝の上に休ませる。
「加持さんもこんな時に、ちょうど用務員のオバサンに頼まれて代役をやってるし」
「喫茶店の方は大丈夫なのでしょうか?」
「優秀なバイトの人が入ってるらしいから」
閑散としている教室に、ふたりの会話だけが反響する、普段は鍵がかけられている教室なのだが、今は練習のためにと先生に頼み込んで開けてもらっていた。
それにしてもと、マユミが言う。
「レイちゃんと綾波さんは、気が気ではありませんでしょうね」
「そういうマユミちゃんはどうなのかなぁ?」
予想外の言葉にきょとんとする。
「わたし……、ですか?」
「うん、マユミちゃんも好きなんでしょ?、シンジ君」
「いいえ?」
「そう?」
「普段の碇君に、興味なんてありませんよ」
首を傾げる。
「でも前に好きだとか言ってなかったっけ?」
「違いますよ、わたしが好きだと言ったのは、あの時の碇君です」
困惑する。
「あの時って、学芸会の時の?」
「はい」
「ねぇ、それってどう違うの?」
「マナさんはご存じないから」
ほうっと、上気し始めた頬に手を当て、吐息を洩らす。
「猫の耳に、尻尾を付けた、可愛らしいお姿を」
マナはそんなマユミにげんなりとした。
「そんなもんに萌えるヘンタイはあんただけだぁよ」
「時に西暦二千十五年、学芸会で猫の役を引き受けられた碇君は」
「逝ってる?」
こりゃだめだと肩をすくめる。
「そんなにはまってたのかなぁ……、余所行ってないで覗きに行けば良かった」
ぶつくさと口にし、それからバイオリンケースに放り込んでいた雑誌を取り出した、マユミが還って来るまでの暇つぶしのつもりで、しかし。
「ありゃ?」
戸口からひょっこりと顔を覗かせている存在に気がついた。
「レイちゃん?」
きょろきょろとしている。
誰かを探しているのだということはすぐにわかった。
「おーい」
購買横の自動販売機で、パックのフルーツジュースを買い、そのまま近くの柱にもたれ飲んでいたシンジは、呼ぶ声に気がついて顔を向けた。
「霧島さん、レイ」
とことこと駆け寄って来るのを待ち受けると、そのまま体に抱きつかれてしまった。
「なんなの?」
ここまでお守りをしていたらしいマナが答える。
「お兄ちゃんが見えなくて寂しかったのよねぇ?」
さらに苦笑して注意した。
「だめじゃない、気をつけなくちゃ、レイちゃんが可哀想だし」
「ごめん……」
「あたしに謝られてもね」
「そうだね」
ごめんごめんと、ジュースを持っていない方の手で頭を撫でてやる。
「おお、咽喉が鳴ってる?」
「鳴らないよ、猫じゃないんだから」
それにしてもぉ、とマナは思った。
「シンジ君、背が足りないねぇ」
「そう?」
「もうちょっと高かったら、レイちゃんお兄ちゃんの胸にすっぽり入れたのにねぇ?」
「すっぽり……」
「な、なによけいなこと教えてんだよ!」
「よけいかなぁ?」
「よけいじゃないわ」
「ねぇ?」
くっと歯噛みするシンジである、これはまた夜中に潜り込んで来て、擬似的に『すっぽり』を試すだろうなと。
「でもちょっと前までは、あたしの方が高かったんだけどねぇ」
ほらっとマナは正面に立って、かざした右手で自分の頭とシンジの頭の高さを比べた。
「シンジの方が高くなってる」
「いつまでも小さくはないよ」
「そうだねぇ」
それちょうだいっと、シンジの手からジュースを奪う。
「ああっ、僕のフルーツジュース……」
「ケチらないケチらない」
ジュッ、ズコ〜ッと一気にストローで吸い上げる。
べこりと一瞬でパックは圧縮されてしまった。
「なんだ、全然残ってないじゃない」
「結構残ってたよ」
そんなふたりを、レイがじっと見上げている。
「ん?、どしたのレイちゃん」
「……」
レイはあひる口になって拗ねた。
「なかよし……」
「そだねぇ」
マナはレイの頭に手を置いてぐりぐりと撫でた。
「でもお兄ちゃんがひとりぼっちじゃ嫌でしょう?」
うろたえたのか、レイは瞳をさ迷わせた。
「ごめんなさい……」
「よし!、許す!」
レイに抱きつく……、というよりも、シンジに抱きついて、マナはサンドイッチにして潰そうとした。
「苦しい……」
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