Asuka's - janktion:010
「ははははは、そりゃ災難だったなぁ」
 シンジは加持に笑われてぶすっくれた。
「笑いごとじゃないですよ」
 場所は用務員室である。
「まあそう言うなよ、葛城らしいっちゃあ、らしいだろう?」
「だからって、なんで僕ばっかり」
 加持は無視して、無心にせんべいをしゃぶっているレイの前にお茶を置いた。
「まるでハムスターみたいだな」
 両手で持つ様がそのものである。
「可愛い食べ方をするな、レイちゃんは」
 微笑ましいと笑う加持に、シンジは困り顔をして見せた。
「醤油の味が好きなんですよ、先に舐め取ってから、食べるんです」
「……気持ちはわからなくもないが」
「昔、父さんがせんべいにはまったことがあったんですよ、でもレイはまだ小さくて噛めなくて」
「それで?」
 肩をすくめる。
「しゃぶってる内に、柔らかくなって食べられるようになるって学んだみたいで」
「それは……、また」
「治させたいんですけど、みんなはこれはこれで可愛いから良いだろうって……、関係ないのに」
「関係?」
「だってそうじゃないですか、笑われるのは僕なんですから」
 レイは動きを止めておろおろとした。
 怖々と脅えた目をしてシンジの機嫌を窺おうとする、泣き出しそうに見えるのは、決して気のせいなどではないだろう。
「シンジ君」
「はい?」
 応えてしまってから、シンジは凄味を増している加持の雰囲気に気がつき、声を失ってしまった。
「あ……」
「そういうことは、言うんじゃない」
「え……」
「その子は、自分なりに、自分はこうだって性格を持ってる、それを否定するのか?、恥ずかしいからやめろと、変えろと、決められた形や枠の中に収まれと」
「そんなこと……」
「言ってるじゃないか、恥ずかしいんだろう?、自分まで笑われてしまうから、今のレイちゃんの傍には居たくないと感じてしまっているんだろう?、だから笑われないようになって欲しいと願ってる、けどな、それで良いのか?、レイちゃんは君のことが好きなんだぞ?、そんなレイちゃんなんだ、シンジ君に嫌われると知ったらどうする?、やめるしかないじゃないか、嫌われないように努めるしかないじゃないか、シンジ君の気に入るような『お人形さん』になるしかないじゃないか」
 言われてはじめて、シンジはレイが咥えたままのせんべいの処理に困っていることに気がついた。
「あ……」
 兄に嫌われると思ってやめようとしている、けれど食べかけのものを出すこともできないで困っている。
「レイ……」
 ぐじゅっと、せんべいをんだままで鼻をすすり上げる妹に、シンジは酷く胸を傷めた。
「ごめん、ごめんよ?、レイ」
 頭を抱かれて、レイはうえっと顔を崩した。
 そのまま、ぽたぽたと涙をこぼし始める、頬をつたい落ちた涙は、膝の上、スカートに、大きな染みを作り上げた。
「気をつけるんだ」
 忠告する。
「笑われたくない?、だけどもっと酷いことだってある、例えばもう一人のレイちゃんだ」
「はい……」
「目の色、髪の色、肌の色、あの子だって奇妙な目で見られているはずだ、さっきのシンジ君の物言いは、裏を返せばそう受け取られてしまいかねないものなんだぞ?」
「……」
「しかも、あの子の場合は変えようがない……、ないんだよ」
「加持さん?」
 加持は苦笑めいたものを浮かべた。
「なに……、アスカのことを思い出しただけさ」
「アスカの?」
「ああ、シンジ君は覚えてないか?、アスカは物珍しいからってからかわれてた、それは虐めと言ってもさしつかえなかった、子供の間のことだからな、周りには虐めてるって感覚はなかっただろうけど、客観的にはそうなっていた」
「はい……」
「だから自分と同じ目や髪の色をした人が居る世界に行きたがっていた、でも実際にはどうだったと思う?、アメリカに行けば顔の形が日本人的だと珍しがられ、ドイツに渡れば体つきが違うと馬鹿にされた、あの子もまた行き場が無いのさ、どこに行っても、自分は違うと悩んでる」
「アスカが……」
 加持は校内だというのに煙草を咥え、火を点けた。
「もちろん君ばかりが背に負うことじゃないさ、他人に任せても良い……、それこそそこに居るレイちゃんと違って、あっちのレイちゃんも、アスカも、元は他人なんだ、そうだろう?」
 くっと歯噛みしてシンジは言い返したい気持ちを堪えた。
 先に軽口のつもりだったとは言え、口にしてはいけない台詞を吐いたのは自分だったから。
 だから、我慢した。
「はい……」
「アスカにとっては……、周りは敵だらけさ、レイちゃんにしたってそうだろうな、レイちゃんは明るく振る舞うことで不安を隠してる、アスカは人に当たることで発散してる、俺にはそう思える、でもまあ」
 煙草を消す、ようやく吸ってしまっていたことに気付いたようだ。
「それもまた俺の思い込みに過ぎないのかもしれない……、考え過ぎかもな、シンジ君がシンジ君自身で感じ、聞き出さないことには、どうとも言えない話だよ」
 だから。
「せめて、不用意な言葉だけは、謹むようにな」
 口惜しく堪えていたシンジには、わかりましたと答えるだけで、精一杯だった。



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