(あったくもう!、あのバカがぁ!)
ぷりぷりぷりぷり怒って歩く。
(だいたいなんでもかんでも忘れてるシンジが悪いのよ!)
胃もムカムカとする。
ずんずんと進む、アスカの中では一歩ごとに、昔の記憶が掘り起こされていた。
──しくしくと泣いていた。
泣く以外のことはできなかった。
「ヤだ、いっちゃヤだ……」
「悪いなアスカ」
「ヤだよぉ……」
泣きじゃくる。
彼の足元で。
「そう泣かれてもなぁ……、そうだ」
ぽんと手を打つ。
「夏休みには帰って来るから……」
「ヤだ!」
「正月にも……」
「ヤだヤだヤだヤだヤだ!」
「アスカ……」
「嫌ぁ……」
就職というものが何を意味するのか理解できない。
ただ遠くに行くということだけが辛かった。
「アスカちゃん、誘わないの?」
──アスカ、七歳。
「あいつヤだ」
「だってコエーもん」
「うん、口尖らせて、じっと見てるの」
「暗いからヤー」
残酷な言葉を吐いて散っていく。
(アタシは、誰もいらない)
運動場の隅、木陰の下で、膝を抱えて。
(アタシは一人で生きるの……)
母の死と、大好きな人から突きつけられた離別の言葉。
みんな去っていく、自分の元から。
そんな具合に、世に拗ねていた時だった。
「何するんだよ!」
嫌な奴らが、喚きを上げる。
「なんでそんなこと言うんだよっ、可哀想じゃないか!」
知るもんか!、っと突き飛ばされて、その少年は突き返した。
「お前らみたいなのがいるから!」
その後は大騒動になってしまった。
大勢が一人を取り囲んでの喧嘩になった、実際には掴み合っている二人を周りがはやしたてていただけだったのだが。
「こらぁ!」
先生が割って入って引き離した。
──どうして、会いに行ったりしたのだろう?
保健室で怪我を診てもらい、出て来た少年を驚かせることになってしまった。
「どうして……」
「え?」
「どうして、よけいなことしたの?」
怒っているように言ってしまったのがいけなかったのか、返って来たのはしどろもどろになった言葉だった。
「あの、その」
「……」
「寂しそうだなって……、思ったから」
ぐっと込み上げて来たものに我慢し切れなくて、背を向けて駆け出した。
あ、と声が聞こえた、泣き出しそうになった顔を見られたかもしれないと感じた。
暫く走って、気がつけば図書室だった、普段人の居ない場所、子供たちのために解放されたままになっている部屋。
そして、文字だけの本になど興味が無いと、誰も寄り付きはしない場所。
「うっ、う、ぐす……」
なによ、と、叫びたかった。
迷った末に、追って来てしまったらしい少年が背後に居る。
なにか言いたいことがあるなら早くしなさいよ、と心中で罵ってしまった、それが聞こえたわけでもあるまいに……
「あの……」
──ごめん。
「なんで泣いてるのかよくわからないけど」
──とにかく、ごめん。
「ぼく、行くから」
ビクンと肩を震わせてしまった。
行くから、その寂しい言葉に対して脅えてしまった。
──それに気がついてくれたのか?
「なにかあったら、呼んでよ」
少年は、優しい言葉をかけてくれた。
「一緒に、居てあげるから」
寂しくないように、そして。
「笑ってる方が、可愛いと思うよ?」
だって。
「誰だって……、お嫁さんにするなら、可愛い子の方がいいからね?」
アスカは反射的に振り返っていた。
──誰だってお嫁さんにするなら可愛い子の方がいいからね?
いつか聞いた言葉、いつか聞かされた言葉、あの人の言葉。
──初恋の人がくれた、大事な言葉。
「あ……」
しかし、あの子はもう居なかった。
とっくに、どこかに引き上げてしまっていた。
アスカは、投げかけられた言葉を隠すかのように掴み取り、きゅうっと胸の前に手を組み合わせて、強く、強く握り締めた。
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