「それじゃあ、出席を……」
ひさしぶりに学校へと出て来た伊吹マヤであったのだが、彼女はやりづらさを感じて顔を下向けた。
時折くすくすと聞こえて来る声に嫌になる。
(やだなぁ……)
勇み足だった。
やつあたりだった。
本当の犯人が誰だったのか、今ではみんなが知っている。
そしてシンジがどうして誰なのか言わなかったのか、その理由までも広まっている。
──自分が脅したからだ。
退学などと。
……加持の場合は、退職だろうが、それは些細な差に過ぎない。
「せんぱぁい……」
そんなわけで、マヤはまた泣きついていた。
理科準備室である。
「あたし、どうしたら良いんでしょうかぁ……」
リツコはビーカーで淹れたコーヒーを嗜みつつ、口にした。
「さあ?」
「さあって……」
リツコは非常に冷たかった。
「どうしたら良い?、まだそんなことを言ってるのね」
「はぁ……」
「あなた、本当にわからないの?」
段々と顔に険しさが増して行く。
「あのねぇ……、あなた、今の立場が嫌だから、どうしたらいいのか、そう言ってるのよ?」
「はぁ」
「じゃあ、本当の問題ってなに?、加持君が煙草を吸ったこと?、それともシンジ君が素直に話さなかったこと?、違うわ、本当の問題はね、あれだけの騒ぎを起こしておいて、謝りもしないあなたなのよ」
マヤは唇を尖らせた。
「そんな……」
なんとなく、格好悪くて嫌なのだ、だが、そんな神経こそがいけないのだと、リツコは鋭く指摘した。
「だからあなたはバカにされるのよ」
「……」
「ミサトを見なさい、どれだけ信用されてるか」
「……あの人は子供なだけです」
はぁっと、リツコは溜め息を吐いた。
「あなたは、一生わたしにも、ミサトにも追い付けないわね」
「え?、そんな……」
「だってそうじゃない」
鋭い目をして睨み付ける。
「どうしてミサトが好かれてると思うの?、子供の立場に立った見方をしてくれるからよ、そして大人のやり方を教えてくれるから、子供たちはそれを見て覚えて学習してるの、ところがあなたはどう?、自分の我が侭で、自分の立場でしか物事を動かそうとしていない、それでは誰も好きになってはくれないわ」
マヤは泣きそうな顔をした。
「センパイもですか?」
いいえとリツコは否定した。
「わたしは、それ以前の問題よ?」
「え……」
「別に好きになるつもりなんてないもの、好きになりたくも無いし、嫌う理由も無いしね」
「そんなぁ……」
本当に泣き出してしまうマヤにいらつく。
「泣いたからって、慰めてなんてあげないわよ?」
「……」
「あなたにできる忠告は、するだけしてあげてたでしょう?、それを真面目に取り合わなかったあなたが全部悪いのよ」
「はい……」
しょぼくれてしまった後輩に、はぁっと大袈裟に溜め息を吐く。
「もう一つだけ、教えておいてあげるわ」
「……はい」
「見た目で人を悪く言うのはやめなさい」
「でも……」
「でもじゃない」
ぴしゃりと言う。
「それが偏見なのよ、第一、髪を染めてる、脱色してる、ピアスをしてるからってどうだって言うの?、勉強をしてくれるなら良いじゃない、ここは学び舎なのよ?、託児所じゃないの、もちろん社会的な規範となることは教える義務があるけども、それと型にはめる行為とは、全くの別物なのよ?、わかってるの?」
わからない、とマヤは言う。
「型ってなんですか?」
「学生らしいとか、子供らしいとか、そういうことよ」
「でも」
「校則なんていうものはね、何十人と居る生徒を効率良く管理するために編み出された悪法なのよ、良い?、あなたは年間四十人程度の子供を受け持つことになっているのよ?、その一人一人の家庭環境はどれも違うの、当然、学んで来たルールも違う、あなたはその全てに精通してるの?、例えばアスカ、あの子の家庭は非常に問題があるのよ?」
「アスカって……」
マヤはその顔を思い出して顔をしかめた。
「だからあんな子になるんですね!」
「違うわよ」
頭を痛める。
「あのねぇ……、じゃああなたはまともな子供になれって言うの?、まともってなに?、あなたの理想でしょう?、あるいはあなたの管理能力を越えない範疇に収まる姿のことでしょう?、その枠内にはまり込めって話じゃない」
「違いますよぉ」
「そう?、わたしにはそうとしか思えないわね、でもね、あなたはそれで責任が取れるの?」
「え?」
「担任になったとしましょうか?、それであなたは無責任にも、問題のない子供だって枠にはめ込んだ、たった一年、少なくとも担任をしている間には、問題児として指摘されるような行動を取らない人間に作り変えることに成功した、でも将来はどうなの?、次の年には自分のクラスの子じゃなくなるのよ?、何年かすれば学校からも出て行く、その後のことはどうするの?、もう自分には関係無い、そうでしょう?」
「はぁ……」
「あなたは親身になって教育したんだって言うんでしょうけどね、鬱積していた感情を爆発させて、余計におかしくなっているかもしれないのよ?、その責任はどうなるの?」
「でもでも、それって変じゃないですか?、結局当人がしっかりしてれば問題になるような馬鹿なことしないはずですもん」
「そのきっかけをあなたが作ってるって言うのよ!、大人への不信感とか、疑念とか!」
「せ、せんぱい!」
「本当に更生させたいって言うのなら!、一生涯面倒を見るくらいのつもりでやりなさい!、卒業するまでの間は上手くいってた、おかしくなったのは卒業してからだ、だからあたしには関係無い!、そんなの知らないなんて非常識よ!」
もう出て行きなさい!、っとリツコは突き放した。
「見えてる部分のことしか考えるつもりがないのなら、初めっからなにもしないでちょうだい!、こっちはね、あなたのそんな勝手な考えに振り回されて迷惑してるのよ!」
そんな隣声が聞こえる準備室の外では、ミサトがドアにもたれかかって苦笑していた。
目に見える部分のことだけに手を焼く人間は、見えない部分のことなど気にしないものだ、そして誰かが尻拭いしてくれているというのに気付こうともしない。
そして、口にされても、生返事を返すだけで、決して改めたりはしないものだ。
(無駄なのにねぇ)
だから、苦笑してしまう。
何を言っても、マヤは理解しないだろう、そして誰かがフォローしてくれるものだとして、いつまでも甘えた気持ちで居続けるのだ。
『それ』を前提に、行動し続けるだろう、誰にももう面倒を見切れないと見放されてしまう、その時まで。
(結局、なんだかんだ言ったって、甘いんだから)
だから、忠告するのだし、だから、なぜ理解しないのかといらつくのだ。
そんな風だと、いつか見限られてしまうぞと、心配になってしまうから。
(リツコもあれで、人が好いのよねぇ)
クスッと笑って、その場を去る。
(ま、フォローしておいてやるかぁ)
ミサトは、そうすることにした、もちろん、マヤなんかのためではなくて……
親友の更年期障害を、多分に心配してのことであった。
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