……そんな具合に、シンジがむぅ〜んと唸っている頃、事態は急な展開を見せ始めていた。
「う〜ん……」
「……ふぅ」
校庭を、向かい合うように同じ暗い表情をしてやって来たのは、カヲルとマナの二人であった。
『はぁ……』
二人は似たような溜め息を吐くと、揃って校舎際の花壇の前のベンチに腰かけた。
『ふぅ……』
同時に洩らして、ようやく気がつく。
「……おや、霧島さん、どうしたんだい?」
「……渚君こそ、どうしたの?」
暫しの沈黙。
だが先に折れたのはカヲルだった。
曖昧に微笑んで見せる。
「譲り合っていても始まらないね……」
「うん」
「実はとても話しづらいことなんだけどね」
カヲルはでもと思い切った。
「実は実家の方から連絡が入ったんだよ」
「連絡?」
「親戚が騒ぎ出しているとね」
怪訝そうな顔をするマナに、カヲルは事情を語って聞かせた。
「君は僕と惣流さんが、『かつて』婚約していたのを知っているかい?」
マナはうんと頷いた、ちょっとの間に、その話はかなり有名な話だとして広まっていた。
なにしろ当人が隠していないのだから当然だろう。
カヲルは露骨にうなだれた。
「……今、そのことで僕は微妙な立場に立たされていてね」
「え?」
「つまり僕は正当な跡取りだけど、体に問題がある、となればその子供も先天的な疾患を持つに至る可能性が高いんだ、これは医学的にも正しいことだよ」
「……」
「その上、父さんまでも若くして死んでしまった……、となれば、これは遺伝なのかもしれないと、皆が不安がってもしかたのないことだろう?、それでね……、親戚の人たちが、今になって騒ぎ出しているんだよ、僕も早死にするかもしれないってね?」
「で?」
「それでは困るという話になって来ているのさ、本家の血筋を絶やしてはいけない、直系の人間を残すためにも、早く子供を作らせるべきだ、なんてね?」
「そんな……」
「でも、それは僕に架せられた義務、責務だと思っているよ……、だからそこまでは良いんだよ」
「良いんだ?」
「うん、問題は、だ、僕がこれまでに取って来た態度が、非常に良くない誤解をさせてしまっているようだということなのさ」
猫背になる。
「僕は別に、その気が無いわけじゃないんだよ、ただまだ望みたくなるような人に出会っていないだけなんだよ……、そう言い訳していたんだけれど」
大仰に溜め息を吐く。
「となればと、ここに来て急に、唯一、婚約にまで進んでしまっていたアスカの存在が際立って来てしまったのさ、僕は本当に、アスカが好きなんじゃないかとね」
え……、とマナは固まった。
「なんでそうなるの?」
「誤解とはそういうものさ」
困り、答えを探す人間と、都合よく解釈できる客観的事実が揃った時、それは真実として受け止められてしまうのだとカヲルは語った。
「僕はアスカのことが忘れられないのかもしれない……、皆で話し合った結果、そういう結論に達したらしいよ、だからやはりアスカならばと思ったらしい、だから、今度は少しばかり強引にでもと、裁判までもを起こすつもりらしいんだ、契約不履行だとしてね」
マナは少々唖然としてしまった。
「契約って……」
「うん、僕もそう思うさ、けどねぇ……、旧態依然とした貴族社会の礼儀というものは、時に判決をも左右するのさ、婚約は立派な契約だからね?」
そしてと付け加える。
「事はその裁判の対象なのさ……、彼らはシンジ君とシンジ君のご両親を、訴えるつもりらしいんだ」
それにはマナも仰天した。
「どうして!?」
「だって……、彼らはシンジ君がアスカを唆したんだと思っているからね、そしてシンジ君のご両親のことを、シンジ君の共犯であると信じているんだ、だから彼らは絶対に勝てると思っているよ」
うわちゃ〜っとマナは顔を手で被って空を仰いだ。
「むっちゃくちゃ」
「そうだね……」
「でも……、シンジ君は」
「うん、反発するだろうね、いや、意地になる、かな?」
「そういうの、嫌いっぽいもんねぇ……」
そりゃ深刻だわと顔をしかめる。
怒った時のシンジには見境がない、手加減もない、そして理屈ではなく感情で動く。
それを一番良く知っているのは、身を持って体験したカヲルであろう、だからこそ深刻なのだ。
「僕は家も大事だけど、シンジ君のことも大事なのさ……、こんなつまらないことで、一生の友達になれるかもしれない人を失うつもりはないよ」
「うん」
ところでとカヲルは切り返した。
「君の方は、どうしたんだい?」
「うん……」
マナも迷いを見せたのだが……
「渚君が話してくれたのに、話さないわけにはいかないか」
そう言って、マナは少し無理をして笑った。
「渚君に比べれば、つまらないことなんだけど……」
マナはそう前置きをした。
「なんだい?」
「ん……」
実はねぇ、と苦心して切り出す。
「幼馴染の友達のことなんだけど」
やはりまとめづらいなと断った。
「あたしね、一年の二学期にこっちに来たの、渚君と同じで転校して来たのね?、それまでは旧東京に住んでたんだけど」
「ふん?」
「そこにね、幼馴染の友達を残して来たんだぁ……」
カヲルはマナの横顔に、ふん?、っと一つの真実を見抜いた。
「男の子なんだね?」
「……なんでわかるの?」
「なんとなくだよ」
表情が複雑だから、とは語らない。
「それで……、その彼とは、付き合っていたのかい?」
「ううん、違う……、ような、違わないような」
それが複雑なのだとマナは告げた。
「あたしはね……、友達のつもりだったんだけど、男の子と女の子が、二人だけで遊びに出たり、お互いの部屋に行くのって、付き合ってるってことになるんだって」
「……なるほど」
カヲルはその親しさぶりを推察した。
「誰もが誤解してしまう関係だったということかい?、その彼でさえも」
「うん……、今考えたら、キスしようとしてたんだなぁとか思うような雰囲気とか、気配ってあったような気もするし」
「でも君にその気は無かった……、いや、気付かないほど、君は意識していなかった」
うんとマナははっきりと答えた。
「で、問題ってなんだい?」
う〜んとマナは言葉を選んだ。
「そいつがねぇ……、こっちに来るの」
「こっちに?」
「そう、下手すると、転校して来かねない勢いなのよね」
カヲルは唸った。
「それは……、凄いねぇ」
「凄いって言うか」
頭を抱える。
「そりゃあね?、『ムサシ』はあたしのこと好きなのかもしれないけど」
ムサシかと心の中にメモをする。
「君は好きじゃないのかい?」
「シンジ君よりは下かなぁ?」
それはとカヲルは言葉を失った。
「そのムサシ君とやらの……、『好き』とは、随分と温度差があるんだね?」
「うん、ムサシの方はね?、離れてから今までずっと、勝手に盛り上がっちゃってたみたいでねぇ……」
ずばりと確信を突くカヲルである。
「でも君は冷めているままだ、いや、元から温まってもいなかった」
「その差がねぇ……」
どれくらいのものなんだかと口にする。
「不安なんだぁ……、シンジ君に噛みついたりしないかとか」
「シンジ君に?」
「うん、だって男の子の中で一番仲が良いのって、間違いなくシンジ君だし……、次点は渚君かな?」
カヲルは驚いて目を丸くした。
「僕なのかい?」
「うん……、だってシンジ君がらみ、レイちゃんかな?、の演奏仲間ってことで」
「そうか……、そうだね」
「うん、だからぁ、今更割り込んで来られてもねぇ……」
マナは、今で十分楽しいのだと口にした。
わかるよね?、と目で問いかける。
「あたしね……、いま楽しくてしかたないの、みんなとわいわいやって、集まって楽器弾いて、休みの日にはごろごろして……、でもムサシが望んでるのって、ずっとあたしと一緒に居るってことのはずだから」
「拘束されるのが嫌なのかい?、楽しい時間から引き離されてしまうのが」
「……ちょっと違う、不安なの、あたしを独り占めしようとして、周りに迷惑をかけないかってことがね、シンジ君とかレイちゃんに対して、お前たちは邪魔だって、そんなことを言わないかって」
「そうか……」
カヲルは深く感じ入った。
「人は感情的になった時、言ってはならない言葉を平然と口にしてしまうものだからね」
「それでシンジ君とかレイちゃんに嫌な気分を感じさせたりするの、ヤだもん」
特に、シンジだ。
二人のレイには、傷つけるような言葉に対して、簡単に泣きそうになる部分がある、それを守ろうとしているシンジがどのような反応を示すか?
それは考えるまでもないことなのだ、そして、そうなった時、『自分』は皆の傍に居られるだろうか?
──それまでのように、笑い合えるだろうか?
マナは無理をしてはにかんだ笑顔を見せた。
「きっと、そこんとこは渚君と同じだよね?、すっごく楽しいし、今って上手くいってるじゃない?、でもムサシにとってはどうなんだろう?」
カヲルは答えた。
「気の毒に、とムサシ君に思うのは、君に悪いかな?」
「ん〜ん?、そんなことないよ?、あたしだってわかってる、ムサシがどれくらいあたしのことを好きで居てくれてるのかって、今でもずっと、大切に想ってくれてるのかってことはね?、でもあたしはムサシよりもっと楽しくて居心地の好い居場所を手に入れちゃっただけ、それだけ」
カヲルは微笑ましいと笑みを浮かべた。
「結局、前を向いて歩いている君という人に魅せられてしまった、ムサシ君という人の喜劇に過ぎないんだろうね……、スキップをするように跳ねている君を捕まえて、愛でたいと勝手に夢想している……、君の背中に抱きつきたいとね?、その背に憧れ、追い求めて、気持ちに拍車をかけているんだよ、今じゃ捕まえるその時のことを、夢にまで見ているんじゃないのかな?」
「逆に、前に邪魔するものがないあたしは、いろんなものが目に入って来る?」
「そう、そして君は、草原の真ん中でお祭りをしているシンジ君たちを見付けてしまった」
うんうんと頷く。
「そうだよねぇ、だから今更肩を掴んで、振り向かせるような真似をしないで欲しいのよね、こっちに来いって、強引にお別れをさせられちゃうなんて、たまんないもん」
カヲルはしばらくマナの横顔を見つめた後で、そうかと一人で納得した。
「なるほどね、でも……」
「な、なに?」
ちょっと、照れる。
「人の顔、ジロジロ見て、なに?」
「ん……、少しね、『つまらないこと』を思い付いてしまったのさ」
「え?」
カヲルは策士の顔を覗かせた。
「『マナ』?」
「え?」
「僕たちはの利害は……、一致しているとは思わないかい?」
すぐには、マナには、カヲルの言っていることの意味がわからなかった。
続く
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