Asuka's - janktion:038
「ん?」
 シンジは僅かに、家の方角に向かって振り返った。
「今、何か聞こえたような……」
「なんにも聞こえないけどなぁ?」
 それよりもおっと、ケンスケは呆れた調子で話題を振った。
「シンジぃ、お前まぁた渚に喧嘩ふっかけたんだって?」
「え?」
「そやそや、噂んなっとるで」
「噂?」
 教室中を見渡すと、色々と目を逸らされた。
「そっか……」
「落ち着いてる場合じゃないぞぉ?」
「え?」
 ケンスケはいやらしい笑みを口元に張り付けて、眼鏡に光を反射させた。
「お前、好きな子のために一肌脱ごうとしてる、健気な奴にされてるぞ?」
「へ?、……って、それって、どういうことだよ!?」
「だからぁ」
 気持ちの悪い演技を始める。
「わしはなぁ、ホンマはアスカのことが好きなんやぁ!、そやけど」
「良いんだ!、アスカが本当に好きなのはカヲル君なんだ、わかってるんだ!」
「っちゅう感じやな?」
「そうそう」
 うそでしょお?、っとシンジは頭を抱え込んだ。
「なんでそんな話になるんだよ?」
「だって、なぁ?」
「そやそや」
 二人は小声で教えてやった。
「昨日、渚と惣流が言い争うとるん、ここから見えとったんや」
「見えてたって……」
 窓から外を見て気付く、校舎は左へと折れる形になっている、昇降口はその上だ。
 屋上に出てすぐの所でもめていたなら、確かにここから良く見えただろう。
「そんでやなぁ、渚は戻って来て、惣流は戻って来ん、こりゃ何かあったなって、誰でも思うで」
「霧島が居たような気がするって言う奴も居たしな」
「誰でも修羅場や思うで」
「これだけネタが揃ってるんだ、後はお前をどう組み込むかだけだろう?」
 だからって、とシンジ。
「僕は別に、カヲル君にアスカと付き合って欲しいとか思ってないよ」
 意外そうな顔をする。
「そうなのか?」
「そうだよ」
「じゃあ、渚と霧島が付き合っても別に良いのか?」
「うん、良いよ」
 ケンスケとトウジは顔を見合わせ、同時に首を傾げた。
「なぁ……、シンジ」
「ん?」
「別に言いたくなかったら言わなくても良いけどさ」
「だからなんだよ?」
「お前……、なんで渚に喧嘩ふっかけたんだよ?、惣流のためなんだろう?」
 シンジは諦めるように溜め息を吐いてから体を起こした。
「そうだよ?、アスカが可哀想だって思ったからだよ」
「だったら、なんで可哀想だって思ったんだよ?、渚にふられたからじゃないのか?」
 違うよとシンジはかぶりを振った。
「別にアスカはふられてないよ」
「そうなんか?」
「そうだよ……、それにアスカがふられたからって、なんでそんなことで僕が怒らなくちゃならないのさ?」
「……だったら、なんで」
「僕は」
 ひやりとした空気が流れた。
「僕はただ、カヲル君に考えて欲しかっただけだよ」
「な、なにを……」
 ごくりと生唾を呑まされる。
「なにを、考えるって?」
「……もっと難しい方法をだよ」


「えっ、と……、渚君」
 カヲルは苦笑して言葉を返した。
「マナ?、間違えているよ」
「あ、うん……」
 校舎裏、いつもはケンスケがいかがわしい店を開いている場所に、カヲルは腰かけ、壁に背を預けていた。
 場所が場所だけに砂埃が這う、マナは迷ったが、結局はカヲルの傍に腰を下ろした。
 ──隣とは言えない距離を空けて。
「噂、聞いた?、みんな言ってるよ、シンジ君と喧嘩してるって」
 さらなる苦笑をマナに返す。
「わかっているよ……、この『喧嘩』は、最初から僕の負けが確定しているということはね」
「そうなの?」
「それはそうさ……、僕には何一つ言い返せる言葉が無い、間違っているのは僕なんだからね?」
「でも仲直りしないの?」
「してどうなるんだい?」
「どう……、って」
 空を見上げる。
「確かに……、僕のやり方は間違っているよ、でもだからと言ってどうすれば良い?、今の状況を乗り切るために、僕たちには他に選択肢があるのかい?」
「……」
「僕たちはもう、舞台の幕を開けてしまったんだよ、今更引き下がることはできないんだ、ならできないなりに結末へ向かって進むしかない」
「……結末って?」
「それこそがシンジ君に謝りを入れられない理由なのさ」
 ふぅっと今度は俯いてしまう。
「シンジ君は気付いているのさ、僕たちが嘘を吐いているということにね?」
「え!?」
「僕は嘘を吐くのが下手だからねぇ……、だから吐く時には、完璧を装うのさ、でもそれがアスカを傷つけた」
「うん……」
「いつもの僕なら、きっとアスカにも注意をくれていたはずさ……、その余裕を無くしてやり過ぎた、シンジ君が怒っているのはだからなんだよ」
「……」
「シンジ君は……、嘘を吐かない、嘘を吐き続けるのは難しいと知っているからさ、だから誠実に心をぶつけて来るんだろうね」
「カヲルは?」
「僕は難しいと知っているから、嘘を吐く自分に酔うのさ、誰にも本音を明かさずに堪えている僕は、なんて格好が良いんだろうってね」
「そう……」
「そうしてのめり込んで行く……、でも今回はやり過ぎた、のめり込み過ぎた、酔い過ぎた……、アスカを気遣う余裕すら無くすほどにね?、だからシンジ君は嘘だと気がついたのさ」
「え?」
「僕はシンジ君に信頼されているからねぇ……、普段の僕なら絶対にしないミスだとは思わないかい?」
 マナは指先で地にのの字を書いた。
「なんだか……、妬けるな」
「僕に?、それともシンジ君にかい?」
「ううん、男の子同士に負けてるってことに」
 苦笑する。
「あのシンジ君が……、ただの友達に、自分の妹を任せたりすると思うかい?」
「そうだけど……」
「僕はそれくらいには信用されているのさ」
「うん……」
 だからこそと自惚れる、
「シンジ君は叱ってくれるのさ、こんなつまらない安易な方法を取るために、アスカを傷つけ泣かせたのかってね、僕ならもっと上手くできるはずだろうってね?」
「アスカのために怒ってるんじゃなくて?」
「『僕たち』のためにだよ」
 だから。
「僕たちのことを、本当のことを、誰にも明かさないで待ってくれているんだよ」
「……だから隠れてるの?」
 そうだよと微笑する。
「今はあわせる顔が無いということさ」
「そうだね……」
 マナも膝頭に顔を埋めた。
 お互い今を乗り切るための方便だと、軽く考えていた部分があった。
 マナは、自分にも責任があるなぁと、とても深く溜め息を吐いた。



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