「ん?」
シンジは僅かに、家の方角に向かって振り返った。
「今、何か聞こえたような……」
「なんにも聞こえないけどなぁ?」
それよりもおっと、ケンスケは呆れた調子で話題を振った。
「シンジぃ、お前まぁた渚に喧嘩ふっかけたんだって?」
「え?」
「そやそや、噂んなっとるで」
「噂?」
教室中を見渡すと、色々と目を逸らされた。
「そっか……」
「落ち着いてる場合じゃないぞぉ?」
「え?」
ケンスケはいやらしい笑みを口元に張り付けて、眼鏡に光を反射させた。
「お前、好きな子のために一肌脱ごうとしてる、健気な奴にされてるぞ?」
「へ?、……って、それって、どういうことだよ!?」
「だからぁ」
気持ちの悪い演技を始める。
「わしはなぁ、ホンマはアスカのことが好きなんやぁ!、そやけど」
「良いんだ!、アスカが本当に好きなのはカヲル君なんだ、わかってるんだ!」
「っちゅう感じやな?」
「そうそう」
うそでしょお?、っとシンジは頭を抱え込んだ。
「なんでそんな話になるんだよ?」
「だって、なぁ?」
「そやそや」
二人は小声で教えてやった。
「昨日、渚と惣流が言い争うとるん、ここから見えとったんや」
「見えてたって……」
窓から外を見て気付く、校舎は左へと折れる形になっている、昇降口はその上だ。
屋上に出てすぐの所でもめていたなら、確かにここから良く見えただろう。
「そんでやなぁ、渚は戻って来て、惣流は戻って来ん、こりゃ何かあったなって、誰でも思うで」
「霧島が居たような気がするって言う奴も居たしな」
「誰でも修羅場や思うで」
「これだけネタが揃ってるんだ、後はお前をどう組み込むかだけだろう?」
だからって、とシンジ。
「僕は別に、カヲル君にアスカと付き合って欲しいとか思ってないよ」
意外そうな顔をする。
「そうなのか?」
「そうだよ」
「じゃあ、渚と霧島が付き合っても別に良いのか?」
「うん、良いよ」
ケンスケとトウジは顔を見合わせ、同時に首を傾げた。
「なぁ……、シンジ」
「ん?」
「別に言いたくなかったら言わなくても良いけどさ」
「だからなんだよ?」
「お前……、なんで渚に喧嘩ふっかけたんだよ?、惣流のためなんだろう?」
シンジは諦めるように溜め息を吐いてから体を起こした。
「そうだよ?、アスカが可哀想だって思ったからだよ」
「だったら、なんで可哀想だって思ったんだよ?、渚にふられたからじゃないのか?」
違うよとシンジはかぶりを振った。
「別にアスカはふられてないよ」
「そうなんか?」
「そうだよ……、それにアスカがふられたからって、なんでそんなことで僕が怒らなくちゃならないのさ?」
「……だったら、なんで」
「僕は」
ひやりとした空気が流れた。
「僕はただ、カヲル君に考えて欲しかっただけだよ」
「な、なにを……」
ごくりと生唾を呑まされる。
「なにを、考えるって?」
「……もっと難しい方法をだよ」
「えっ、と……、渚君」
カヲルは苦笑して言葉を返した。
「マナ?、間違えているよ」
「あ、うん……」
校舎裏、いつもはケンスケがいかがわしい店を開いている場所に、カヲルは腰かけ、壁に背を預けていた。
場所が場所だけに砂埃が這う、マナは迷ったが、結局はカヲルの傍に腰を下ろした。
──隣とは言えない距離を空けて。
「噂、聞いた?、みんな言ってるよ、シンジ君と喧嘩してるって」
さらなる苦笑をマナに返す。
「わかっているよ……、この『喧嘩』は、最初から僕の負けが確定しているということはね」
「そうなの?」
「それはそうさ……、僕には何一つ言い返せる言葉が無い、間違っているのは僕なんだからね?」
「でも仲直りしないの?」
「してどうなるんだい?」
「どう……、って」
空を見上げる。
「確かに……、僕のやり方は間違っているよ、でもだからと言ってどうすれば良い?、今の状況を乗り切るために、僕たちには他に選択肢があるのかい?」
「……」
「僕たちはもう、舞台の幕を開けてしまったんだよ、今更引き下がることはできないんだ、ならできないなりに結末へ向かって進むしかない」
「……結末って?」
「それこそがシンジ君に謝りを入れられない理由なのさ」
ふぅっと今度は俯いてしまう。
「シンジ君は気付いているのさ、僕たちが嘘を吐いているということにね?」
「え!?」
「僕は嘘を吐くのが下手だからねぇ……、だから吐く時には、完璧を装うのさ、でもそれがアスカを傷つけた」
「うん……」
「いつもの僕なら、きっとアスカにも注意をくれていたはずさ……、その余裕を無くしてやり過ぎた、シンジ君が怒っているのはだからなんだよ」
「……」
「シンジ君は……、嘘を吐かない、嘘を吐き続けるのは難しいと知っているからさ、だから誠実に心をぶつけて来るんだろうね」
「カヲルは?」
「僕は難しいと知っているから、嘘を吐く自分に酔うのさ、誰にも本音を明かさずに堪えている僕は、なんて格好が良いんだろうってね」
「そう……」
「そうしてのめり込んで行く……、でも今回はやり過ぎた、のめり込み過ぎた、酔い過ぎた……、アスカを気遣う余裕すら無くすほどにね?、だからシンジ君は嘘だと気がついたのさ」
「え?」
「僕はシンジ君に信頼されているからねぇ……、普段の僕なら絶対にしないミスだとは思わないかい?」
マナは指先で地にのの字を書いた。
「なんだか……、妬けるな」
「僕に?、それともシンジ君にかい?」
「ううん、男の子同士に負けてるってことに」
苦笑する。
「あのシンジ君が……、ただの友達に、自分の妹を任せたりすると思うかい?」
「そうだけど……」
「僕はそれくらいには信用されているのさ」
「うん……」
だからこそと自惚れる、
「シンジ君は叱ってくれるのさ、こんなつまらない安易な方法を取るために、アスカを傷つけ泣かせたのかってね、僕ならもっと上手くできるはずだろうってね?」
「アスカのために怒ってるんじゃなくて?」
「『僕たち』のためにだよ」
だから。
「僕たちのことを、本当のことを、誰にも明かさないで待ってくれているんだよ」
「……だから隠れてるの?」
そうだよと微笑する。
「今はあわせる顔が無いということさ」
「そうだね……」
マナも膝頭に顔を埋めた。
お互い今を乗り切るための方便だと、軽く考えていた部分があった。
マナは、自分にも責任があるなぁと、とても深く溜め息を吐いた。
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