Asuka's - janktion:043
 ──西暦2005年、二人の出会いは最悪だった。
「……」
「……」
 とあるサークルの部室だった。
 シャツを羽織ろうとしているミサトと、不用意に扉を開いてしまい、半裸の女性を見付けてしまった加持リョウジ。
 二人は互いに硬直し、数秒を目を丸くしたままで過ごしてしまった。
「あ!」
 ミサトは加持の視線が自分のお腹に向かっているのを感じて、慌てて服で隠そうとした。
 加持もまた慌てて悪いと叫び、戸を閉じるので精一杯だった。
(おいおい)
 閉じた戸に背を預けて、息を吐く。
 別にこの程度のアクシデントで動揺するほど子供ではない、けれど。
『葛城さんだろぉ?、前に湘南誘ったんだけどなぁ』
(そういうことかぁ?)
 てっきり、ガードが堅いのかと思っていたがと頭を掻く、と、背中で扉が開いた。
 ──ガチャ。
「おっと、悪い……」
 やや冷めた視線にたじろいでしまった、が、それも一瞬のこと。
「お、おい、ちょっと待ってくれよ」
 のこのこと後を追う。
 ミサトはそんな加持に嫌なものを感じてか足を速めた。
 それを追う加持の足も速くなる。
「待てって」
「……」
「あんまり速く歩かれると」
「……」
「目立つんだけどな」
 ミサトは周囲の視線に気がつき、渋々足を遅めた。
 ほっとした加持が横に並ぶ。
「とりあえず謝っとくよ、悪かった」
「……」
「で、そっちの傷のことなんだけどな」
 キッと見上げられても、動じない。
「見なかったふりをするのも、白々しいだろう?」
 顔を歪める。
「人がせっかく隠してたのに」
「そう言われてもなぁ」
 後頭部を掻く。
「いつかは誰かにはバレるさ」
「だからって、訊かないでよ」
「じゃあこのままさよならするかい?、同じ学科なんだ、肩身狭いぞ?」
「……」
「誰かに話されるんじゃないかとかな、俺と目が合う度に避けるか?」
 ミサトははぁっと溜め息を洩らした。
「……嫌な奴」
「けどなぁ、こっちだって、葛城さんと目が合う度に監視されてるような気分にさせられるのもな、無視し合うってのも不自然だし、『あの』葛城教授の娘さんの」
 ──パン!
 頬を張る音が構内に響く。
 ミサトはきつく睨み付けて、言い放った。
「だからほっとけって言ってるでしょ!」
 さすがに加持は立ち尽くし、後を追うことはできなかった。


「それが二人の出会いだよ」
 アスカは黙って聞き入っていた。
「あの……、葛城教授って、あの葛城博士のことですか?」
「ああ、S機関の提唱者で第一人者のな、この発見によって人体の謎がまた一つ解明されたのは周知の事実だ、しかし彼もまた学者にありがちの生活不能者でね」
「はぁ……」
「その後しばらく葛城君に付きまとっていた加持君が知った傷の理由も、そんな部分に起因していたよ」


「やっぱ葛城って食いつき悪いんだよなぁ」
 学食では、そんな会話が交わされていた。
「葛城教授に紹介してもらえればさぁ、卒業の後のことなんて心配しなくて済むんだけどなぁ」
 そんな先輩の馬鹿話から逃げ出して、加持はミサトを見付けて話しかけた。
 この頃には最初よりも大分態度が軟化していたが、それでもミサトが身に纏っている雰囲気には踏み込めないものがあった。
「ま、そうでしょうね」
 ミサトはそんな具合に切り捨てた。
「だって、しかたないじゃない、下手に酔ったりして、つい……、なんてことになったらどうするのよ、この傷見られて、気まずい雰囲気になれっての?」
「それはそうだろうけどな……」
「良いのよ、どうせ卑屈にならなきゃなんないんだから、付き合い悪いって思われてる方が無難だわ」
「暗いねぇ」
 苦笑する加持に、ミサトはじゃあっと口にした。
「加持君って、遊んでる人?」


「誰でも良かったのかもしれないと、葛城君は言ったよ」
 酷い展開だとアスカは思った。
「そして加持君でなければ良かったともな」
 アスカは頭がごちゃごちゃになるのを感じた。
「それって、じゃあ……、自棄を起こしてってことですよ……、ね?」
「最初はそうなるな」
 加持さんもどうしてと頭痛がしてしまう。
 そこにもうひとつばかりガンと来た。
「葛城君の傷は、父親に付けられたものなんだ」
「え!?」
「正確には違う、その頃、葛城君の両親は、離婚寸前の別居状態に入っていた」
「別居……」
「葛城君は、父親に捨てられたんだと思い込んでいたようだったな、それで彼女なりにかまってもらおうと必死になり、一時期、父親の家に泊まっていた」
 アスカは何が起こったんだろうと緊張した。
「だが父親は住居には寄り付かなかった」
 アスカの中で、嫌な記憶が蘇りそうになってしまう。
 誰も居ない家、部屋、冷えた空気、シンと耳に痛い静寂。
「仕事仕事仕事、研究とはそうやって研究室に篭ってやるものだが、当時の葛城君は、父親が科学者だということすらも知らなかったらしい」
「訊ねなかったんですか?」
「訊いたところで……、いや、話してくれるとは思えなかったんだろうな、だから訊ねなかった」
 アスカは辛そうにした、何か心当たりがあるらしい。
「……わかります、なんとなくだけど」
「もうすぐ、母方の家に戻らなければならない、一体自分はなにをしに父親の家に泊まりに来たのか?、そんな風に悩んでいる時だった」
 ごくりと、喉を鳴らしてしまう。
「事故と言えば、事故だった」
「……」
「ちょっとした地震があってね、彼女は倒れて来た家具に押し潰されてしまった、発見されたのは翌日だったよ、葛城が地震のことも知らずに、家に帰った時になった」
「無事……、なわけないですよね?」
「そうだな、倒れて来たのがガラス戸の箪笥だったことも災いした、割れたガラスは葛城君の胸に消えないほどの傷をつけた、幸いだったのは、命に関るほどの深さではなかったことだっただろうが……」
「まだ何かあるんですか?」
「後のことになる、怒った母親は父親から親権を奪い、彼女との接触も法によって規制した、葛城君は葛城君で、傷のことで深く悩んだ、普段は隠せば良い、だが中学生だった、隠せない場面もある、陰口がどういうものになったか、それはわたしには想像もつかんよ」
 彼女が虐めなどに過敏なのは、そういう背景があるからだと付け加えた。
(そっか……)
 アスカは妙に納得してしまった。
 自分の髪の色のことについて、どうしてミサトがあそこまで怒ってくれたのか、その理由を察することができたから。
(でも)
「それがどうして、加持さんでなければって話しになるんですか?」
「父親と酷く似ていたからだよ」
「え……」


「就職先を?」
「はい……」
 卒業間際だというミサトの突然の来訪を、ゲンドウは困惑しながらも受け入れた。
「昔、少しばかりお会いしたことがあるだけで、こんな話をお願いするなんて、失礼なことだとはわかっています、でも」
「確かにコネはあるが」
 即答を控えて、一応訊ねる。
「理由は、教えてもらいたいものだな」
 就職の斡旋なら、学内でも受けられるはずだと指摘する。
 それに対して、ミサトは答えた。
「だめなんです……、それじゃあ」
「何故かね?」
 ミサトは暫く黙り込んでいたが、ゲンドウの重圧に負けて口を開いた。
「実は……、付き合っていた人が、居たんです」


「就職先を知られたくない、絶対に後を追われたくないとね、それでわたしは今の中学校を薦めた」
「でも……、どうしてなんですか?、どうして別れたんですか?、父親に似ていたからなんですか?」
「そうだ、本質や外見の話ではない、展開が似ていたのだな」
「え……」
「葛城君の事故以来、彼女の父親は変わったよ、自分を戒めるようになった、周りに気を配るようになった、だがそれは娘という犠牲があったればこそだ」
「そんな……」
「加持君にも似たようなところがある、何かを追い求める性質がある、のめり込む癖がある、彼女にはそれが怖かったのだろうな、いつか置いていかれる、捨て去られてしまう、それが怖くなって逃げ出したくなったのだな、彼女は父親を見て育ったのだからな、父親と、母親を見て」
「……」
「加持君が父親のように、自分やあるいは自分の『娘』を置き去りにしない確証があるかね?、そして自分は彼をひき止める方法を知ってしまっている、父親の時のように、傷ついて見せればいい」
「そんな!」
「そうだ、そんなずるい自分、嫌な考えを持つ自分を捨て切れない時、どうすれば良い?、答えは簡単だ、考えずにすむよう、逃げ出せば良い」
 でも……、と、それでもとアスカは食い下がった。
「でも加持さんは……」
「そうだ、それでも追いかけた」
「どうして……」
「それこそ最初の時に、葛城君を無視しなかった理由と同じだよ、『後味が悪くなる』、忘れてしまうのは簡単だが、それでも不意に思い出す時が必ず来るからな、向かい合わずに逃げ出すよりも、向かい合って解消してしまった方が楽だとは思わないかね?」
「……はい」
「そして今に至るというわけだ、加持君は相変わらず葛城君を気にかけているし、葛城君は逃げ回っている」
「じゃあ加持さんは、先生に振り回されてるって言うんですか?」
「そうだな……、そうかもしれん、シンジと同じだな」
 アスカは激しく動揺した。
「どういう意味ですか!」
「違うかね?、加持君にはそうやって人に振り回されながらも、それでも良いとする性癖がある、面白がって、楽観視する癖がな」
「シンジも……、楽しんでるって言うんですか?」
「彼ほど確信犯ではないし、自覚しているわけでもないだろうが」
 深刻に告げる。
「シンジが起こした暴力事件で、学校に呼び出されたことも一度や二度ではないんだよ、だがそれでわかったことがある、シンジも同じように嫌がっているのだとな」
「嫌がる?」
「加持君の言い訳と同じだよ、見なかったふりをして、聞かなかったふりをして一生生きていくことはできないのだと知ってしまっているのだな、だから正面からぶつかり砕けようとする性癖がある、問題は加持君ほどスレていないということだよ、だから不器用過ぎて正直になる」
 ふと……
 また妙な発想が頭の中で浮かび、結合した。
(カヲルとシンジ?)
 後味が悪くなるよりも、不器用な方法を選んでしまう。
 ただその違いは、カヲルはいつも当事者の側であり、シンジはいつも他人の側であるということかもしれない。
 必死にならざるを得ないが故に、飄々と平静を保っているふりを続けているカヲルと、他人事故に必死に当事者に関り合いになろうとするシンジ。
(あ〜……、キモチワルイ)
 何かがはっきりしそうなのだが。
 まだなにかピースが足りない。
 くっきりしない。
「だが二人は肝心な点で違いがあるな」
「え?」
 妙に引っ掛かる。
「それってなんですか?」
「わからんかね?」
「はい」
 にやりと笑う。
「それはな……、加持君は葛城君『だから』気にかけているのだということだよ、葛城君が恐れているのは父親のくり返しになるということだ、自分だけを見てもらうためには、また傷つかなければならないのではないかとな、そしてその不安を拭いさってやる方法は一つしかない」
「結婚……」
「そこまで具体的ではないにしろ、『ああ、やっぱりか』、この感情を抱かせてはいけない、そのためには一生涯をかけて支えてやる他あるまい?」
 そして加持はそれでも良いと考えている、なら?
「じゃあシンジとの違いって……」
 アスカも気付いた。
「ああ、シンジには、そこまでの考えがないということだよ」
 ゲンドウはそう言い切った。
「まだ子供だからな、そこまで期待するのは酷だろうが」
 いやいやとわざとらしく揺さぶりをかけた。
「君たちは自分を守ってくれているように感じてしまっているのかもしれんがな、シンジにとっては昔の加持君と同じで、自分の感情をおさめているだけのことに過ぎんのだよ、嫌な気分に陥らぬよう解消しているだけのことだ、極端に言えば誰だって守るし庇う、それは優しさではない、そんなシンジに『わたしだから』と特別な意味合いで守らせるように仕込むのは、それは容易なことではないだろうな」
 アスカは頭がぐらぐらと傾ぐのを感じた。
(あ……、あたってる、かも)
 さすがにシンジの父親だと思う、いや、それ以前に。
(そこまで話が後退するのーーー!?)
 ではじゃれついた時のシンジの恥ずかしがりようはなんなのか?
 ──幼稚なおこちゃま☆
 その答えに行き着いた時、アスカはぐわんっとショックを受けた。



続く



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