「ふぅ……」
リツコは吸い殻を灰皿にこすりつけた。
「次のテストの答案?」
「そうよ」
「終わったんだ」
「あなたも作っておけば?」
冷ややかにミサトの顔をねめつける。
「いつもいつもいつも、切羽詰まって適当に作ることになってるんだから、たまには地道に準備をしておきなさい」
へぇいとうるさいなぁと感じたのか、ミサトはそれよりもさぁと話題を変えて逃げようとした。
「いいかげん、あれ、なんとかしない?」
「あれって?」
「もう!、わかってるくせにぃ」
もちろんそれは、遠くの席からちらちらとこちらを見ている、マヤのことである。
「もうウザくってさぁ」
ミサトの言い草に、だからと言ってとリツコは切り捨てた。
「どうしてわたしが?」
「だってさぁ……」
「わたし、決めたのよ、他人の尻拭いなんて、もうごめんだって」
「……なにかあったの?」
「ちょっとね」
リツコはぱこんと、なにかでミサトの頭を叩いた。
「なにこれ?」
「見合い写真よ」
「あっ……」
そうっと言いかけて。
マヤに絶叫を奪われてしまった。
「リツコせんせぇ」
廊下の先にリツコを見付けて、レイはやっほぉと手を振った。
「先生、結婚するって本当ですか?」
やや冷たい目をしてレイを見やる。
「それ、誰から?」
「あはははは」
冷や汗をかく。
「ホームルームで、ミサト先生がブツブツ言ってたんですよぉ、うそぉ、とか、まぢぇ?、とか、あたしはどうなるのよ、とか」
「最後のはなに?」
「え?、ええと……」
「ねぇ、なに?」
「え?、え?」
「なんなの?、ねぇ?」
窓際へと追い詰められる。
「ぜひとも聞きたいんだけど」
「あははははは……」
(ひーん!)
助けてェと神に祈った。
普通なら、とうとう自分だけが独り者として取り残されることになるのかと、恐れているのだと考えられるが……
(それって、歳のことにかかってくるしぃ!)
かと言って、妖しい意味にすり替えてみると?
(ミサト先生とリツコ先生の組み合わせなんて、キショイしぃ!)
当然、リツコも冗談ではないと怒るだろう。
どっちにしても、怒られる気がする。
(あたし、何気に絶体絶命?)
あうーっと困っていると、そこにカヲルが通りかかった。
「おや、どうしたんですか?」
「渚くぅん!」
あうあうと助けを求める。
「あら、渚君、あなたこそどうしたの?」
がっちりとレイの肩を掴んで逃がさない。
「『彼女』と、一緒でなくても良いの?」
「ああ」
やだなぁとカヲル。
「その件は、ご存じのはずでしょう?」
「……ええ」
「なら、どうして僕が、『あなた』の前でそのような真似ができますでしょうか」
「冗談はやめて!」
リツコは吐き捨てた。
思いっきり唾を撒く。
苦笑するカヲルと憤慨するリツコの二人を、レイははてなと見比べてしまった。
──そんなわけで。
「えええええーーー!?」
音楽室。
「か、カヲル君と、リツコ先生が……、婚約?」
シンジはそれこそ冗談だろうと眩暈を感じて椅子の背にしがみついた。
「なんでそんなことに」
「それは僕の台詞だよ」
面白おかしくカヲルは語った。
「どうも僕の話が、赤木先生のお母さんの耳に入ったらしくてねぇ」
「ナオコおばさんの?」
おやっとカヲルは首を傾げた。
「知っているのかい?」
「うん、昔なんだかおばさんのことで、父さんと母さんが修羅場ってたから」
おいおいとみんなが突っ込んだ。
「なるほど」
じゃないだろーとも突っ込みが入る。
「そのナオコさんが、僕たちの話を聞いてね、ちょうど良いと思ったらしいよ」
「え?」
「ま、ちょっとしたイヤガラセなのさ」
「……」
「どうやら赤木先生は、凄く沢山の見合い話を断り続けていたらしいんだ」
「ふうん?」
「それで困っていたナオコさんのところに、僕のことで、親戚の誰かが相談を持ち掛けたらしいんだけどね?、もちろんそこには、赤木先生が僕たちの教師であるという計算も含まれていたんだろうけど……」
身を乗り出したのはレイだった。
「で?」
「ま、ナオコさんは常識人だったということさ」
「どこが?」
「なにしろ赤木家は天才の家系だ、本来なら文句の付けようもない家柄なんだよ」
なるほどとマユミが理解した。
「惣流さんの代わりとして、申し分ないでしょうと、押し付けることになさったのですね?」
「だからと言って、本気でもない、僕たちがその気にならないことも計算済みだよ」
「でも、周囲としては」
「そう」
ピンと立てた指を向ける。
「みんなの目的は、僕の子、跡継ぎだ」
小レイがぼそりと呟く。
「適齢期……、過ぎてると思う」
「でもアスカよりは体が作られている、そうだよね?」
小レイの頭をぽんと撫でる。
「周りもアスカとどちらを取るかでもめ出しているよ、段々と『今』は先生でも良いだろう、『後』でアスカを据えるのはどうかって話に纏まりつつあるけどね」
「しっつれいな話ぃ」
「ま、おかげで僕たちは一時的にでも自由を取り戻せた訳だよ、今は僕たちどころじゃない、方針を固め直さないといけないってね?、時間はたっぷりとかかるだろうさ」
「大変なの?」
「それはね、直接の親戚だけじゃなくて、道場の経営も絡んで来るとなれば、意見の擦り合わせだけでも数十人からの一致をみないといけないんだ、一年や二年じゃ決まらないだろうね」
シンジが口を開く。
「イヤガラセってのは?」
「そう!、それだよ」
くすくすとカヲルは失笑をこぼした。
「いくら逃げ回っている赤木先生でも、僕みたいな子供をあてがわれたんじゃ、さすがにそこまで困ってるわけじゃないって怒って、適当な人を見繕うんじゃないかってね?」
「そういうことかぁ……」
「だからせいぜい、先生をからかってくれとお願いされたよ」
で、とさらに訊ねる。
「霧島さんのことはどうなるの?」
「さあ?、どうしようか?」
カヲルは黙って聞いていたマナに訊ねた。
「え?、え?」
マナは突然振られて焦りを浮かべた。
「だって、そういうことなら、お芝居はなしになるんじゃないの?」
いいやとカヲルはかぶりを振った。
「言ったろう?、芝居の幕は上げてしまった、下ろすにもそれなりの段取りが必要だってね?」
「でも……」
「今更あれは嘘でした、なんて言えるかい?、君はどうなる?、みんなにどういう目で見られるんだい?」
「けどね?」
「僕のことはいいのさ」
微笑みを向ける。
「ね?」
「うん……」
「それにね?、僕の問題はどうやらこれでうやむやになってくれそうだけど、君の問題はまるで片付いていないんじゃないのかい?」
「そうなんだけど……」
「となると……」
すぱこぉん!、っとカヲルの頭をはたいたのはアスカだった。
丸めたノートを持っている。
「おや、いつ来たんだい?」
「最初っから居たってのよ!」
「そうだったかい?」
「そうだったかい?、っじゃなぁい!」
あんたはもう!、っと憤慨してもう一発叩いておく。
「痛いね……、何を怒っているんだい?」
「これが怒らずにいられるかってのよ!」
アスカはノートを開いて突きつけた。
「これは?」
「今の人間関係、人物相関図よ!」
覗き込んだ全員が、揃えたように口にした。
……もちろん、アスカが暴れ狂ったのは言うまでもない。
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