Asuka's - janktion:047
「みんな酷いや」
 ぶちぶちと不平不満を口にする。
「一体僕のことをどんな奴だって思ってたんだよ、僕、そんなにいい加減な奴に見えるのかなぁ?」
「……見えないから、問題なんじゃない?」
 レイはぽんぽんとシンジの背を叩いてやった。
「まあそう悪いことばっかりでもないんだし、気を楽に持って」
「じゃあ好いことってなんだよ?」
「例えば、もうお嫁さんには困らないとか☆」
 きゃんっと恥じらうのが、誰のことを指しているのかわかりやすい。
「……それ、アスカと変わんないよ?、言ってること」
「う……」
「はぁ……、もうちょっと慰めになるって言うか、気が楽なること言ってよね」
 ふーんだとレイ。
「じゃあシンちゃんは何があれば喜ぶわけ?」
「……」
 シンジは即座に答えようとして、声を詰まらせ、沈黙してしまった。
「お〜い」
 レイにつつかれて少々焦る。
「ちょ、ちょっと待ってよ、あれ?」
 首を右に左に忙しなく捻る。
「な、ない?、なんで!?」
 あははははとレイはつつき倒しながら苦しくなるまで笑ってやった。
「シンちゃん苦労性だからねぇ〜、いっつも振り回されてるから、流されるのに慣れちゃって、自分がとか自分でって考えるのやめちゃってたんじゃないのぉ?」
 シンジは真面目に考えて青ざめた。
(そ、そう言えば……)
 音楽に関しては妹たちのあれが良い、これが聞きたいと言う言葉に乗っていた、自分としても趣味の範疇なので、じゃあそうしようかと言ってしまうし……
 漫画も小説も映画もなんでも似たような感じで。
「あう……」
「主体性がありそうで実は他人中心だモンね、そろそろ自分勝手にもならないと、こんなことずっと続くんじゃない?」
 しかしシンジは、そのレイの言葉には反発した。
「でもそれじゃあ、レイや綾波はどうなるんだよ?」
「あたし?」
「うん」
 どういうことだろうかとレイは迷った。
「え?、だってあたし、もう大丈夫だよ?」
 ほら元気元気と両腕に力こぶを作って見せる。
「こっちに来たばかりの頃と違って、警戒してなくても大丈夫なんだなぁってわかったし」
「そうだね……」
「?」
 レイは今度こそ、ほんとうにどうしたのだろうかと思ってしまった。


 ──本当に。
 屋上、昇降口の上で黄昏ているシンジの元に、カヲルが姿を現した。
 縁に腰かけ、片膝を立てて、後ろに手を突いている。
 そんなシンジの背後に立って、カヲルは同じ景色を眺めた。
 夕日が近く、くすんだ青さの空がある。
「綾波さんが、相談していたよ?、シンジ君は何を不安がっているんだろうかってね?」
「……」
「レイちゃんだけはわかったようだったよ、それはそうだね、一体どれだけの間、レイちゃんに対する虐めと和解はくり返されて来たのか」
「そんなに簡単なもんじゃないんだ」
「来年になればクラス替えがあるね、そしてまた新しい旧友たちを相手にして、今年と、去年と、おととしと同じ、物珍しい目で見られるところからやり直すはめになる」
 シンジは首を倒してカヲルを見上げた。
「ごめんね……」
「ん?」
「僕、カヲル君のことは心配してないんだ、だってカヲル君はもう自分で自分の身を護ったり、戦ったりする方法を作っちゃってる人だから」
 そうだねぇと苦笑する。
「でも彼女たちにはそれがない……」
「錯覚してるんだよ、僕たちに囲まれてるから無事で居られるのを、もう大丈夫なんだってね?、それほど気にしなくてもやっていけるさって、でも甘いんだよ」
「君は……」
 カヲルはおかしなものを感じて訊ねた。
「意外と悲観的な主義を持ち合わせていたんだねぇ……」
「僕も今になって驚いてるよ」
 また前を向いて、稜線を眺める、シンジの顔が冷たいものになったのは、風のせいばかりではなかった。
「カヲル君だから話すけどね……、僕は世の中が敵と味方に別れてくれた方がすっきりして良いと思ってる人間みたいなんだ」
「そうなのかい?」
「そうさ、だったら僕は安心して、レイたちに背中を向けていられるじゃないか、前から歩いて来る人だけを見てれば良いんだ、でも世の中そんなに単純じゃないよね……」
 そうだねとカヲルもまた同意した。
「僕には沢山の味方が居るよ、でもそのほとんどは利害を理由に敵にも回る人たちだ、さらに今回の事件に関して言えば、敵ではない、味方なんだよ」
 シンジのうんという呟きに先を続ける。
「あくまで彼らは僕と言う道場主を立て、そして僕が守らなければならない父さんの道場のことを考え、手伝ってくれるつもりでやっているのさ、でもそれが結果的に僕を困らせ、僕としては敵として判断するしかなくなって行く」
「難しいよね……」
「今日の味方が明日の敵になることはよくあることさ、そして今日の敵が明日の友に変わることもね?」
「でもそれは事の本人が決めることで、赤の他人の僕が決めることじゃないんだよね」
「シンジ君?」
 シンジはマユミに指摘されたことをカヲルに告げた。
「所詮子供の取り決め……、そうだよね、僕が守るんだなんて口にしたって、アスカのように父さんや母さんがいなければどうにもならないことだってあるんだ」
「僕たちはまだ子供だということさ」
「でも大人じゃ踏み込めない領域ってあるんだよ、小学校の時、僕はそんなところばかり見て来たからね」
 そうかとカヲルは頷いた。
「それが結婚しように繋がるんだね?」
 シンジは照れて口元を歪めた。
「お子様な考えだよね……、結婚したって問題は解決しないのに」
「結婚すること事態はやぶさかでもないのかい?」
「それで一生守ることができるのならね?、たぶん、最初はそう勘違いしてたんだと思うよ?、結婚って、男の人と女の人がずっと一緒に居ることだから、ずっと泣いたりしないように守れる方法の一つなんだってね?、なのにみんなは泣かすんだ、女の子を、虐めるんだよ」
 だけどそれはと口にしようとするカヲルの先手を、シンジは取った。
「わかってるよ、それもね?、本当は好きなんだ、でも照れて虐めちゃうんだよね……、それがどんなに酷い傷を残すことになるかなんて考えないで、自分勝手に」
「……」
「その上、忘れちゃうんだよ、そんなこともあったかなって、レイはずっと話してくれなかった、僕もレイが酷い目にあってたなんてこと気付かなかった、気付けなかった、ううん、見てもいなかったんだ、だから泣いているレイを見付けた時、初めて気付いた」
 カヲルは深呼吸をして短く訊ねた。
「悔いているのかい?」
「わからない……、小学校の時はただみんなが許せなくて突っかかってただけだと思う、でも今はわかるよ、そう単純じゃないんだって、嫌いだから、鬱陶しいからって理由だけで虐めは起こらないんだよね?、虐める相手なんて誰でも良かったんだって場合もあれば、相手のことを考えた結果がそうなってることもある……、僕ね?、僕の存在がレイの虐めに繋がってるんじゃないかって思ってたことがあったんだ」
 カヲルには返す言葉が無かった、ほんの少しの想像力があればわかることだからだ。
 レイに向けられる感情がどのようであったのかはともかくとして、その感情を一方的に悪だと決め付けるシンジの言動が、周囲にどのような反応を引き起こしてしまったのか?
 それがレイに向けられていた感情をも歪めてしまったのではないか?
 無い、と無責任なことは言い切れなかった。
「綱引きじゃないんだよね……、好きと嫌いが引っ張り合ってて、どっちかの二択だなんてことじゃないんだ、混ざり合うみたいに両方の感情があって、まだら模様になって表面に浮かぶんだ」
「だから整合性が無くて、あげくに辻褄の合わない行動を取る?」
「知ってる?、この間ね……、彼なら良いかなって、レイのことが好きなんだって言って来た人に、だったらってレイの好きな映画のことを教えてあげたんだ、玉砕したみたいだけどね……」
「それもまた君の愛情でありながら、レイちゃんにとっては許しがたい裏切り行為になるということかい?」
「そうじゃないのかな?、きっとこのことを聞けば、レイだって怒るよ、僕を嫌う」
「……そうかな?」
「そうだよ、そしてそれは最悪の流れだって決め付けて、僕はそんな話を隠したままで笑ってる、平然とね?」
「シンジ君……」
「言ってること、無茶苦茶かな?、でもね、僕が居る限りレイはなにがあっても平気だろうからって、勝手なことを思ってる、思ってた、でも僕だけではいけないからとも思って突き放そうとして、突き放せないでいる、ぐちゃぐちゃだね、言ってることが」
 それでもわかるよとカヲルはシンジの隣に腰かけた。
「今はどうしているのか……、それがわからないのは怖いことだから傍に居て欲しい、見える場所で笑っていてもらいたい、そういうことだろう?、でもそれがいかにためにならないことかもわかっているから、困ってる」
「兄離れなんて嘘だよね、本当に離れなくちゃならないのは僕の方さ、さっき綾波に指摘されて気がついたんだ、依存してるのは僕の方かもしれないって」
「共存と言い換えるのが妥当なんじゃないのかい?」
「上手く言うね」
 笑い合う。
 だがシンジは急に真面目ぶって口にした。
「そんな僕が、アスカの気持ちなんて理解できちゃいけないんだよ」
「そうだね」
 カヲルは優しく傷つけた。
「人の好意を、信頼を、素直に受け入れられない君が受け入れて好い感情じゃない」
「うん」
「アスカの気持ちはもう理屈では語れないのさ、レイちゃんたちと同様にね?、血の繋がり、生まれ、それがなんだと言うんだい?」
 シンジは『生まれ』の言葉にギョッとした。
(綾波のこと、知ってるの?)
 彼女が本当に自分の妹だということを、だがそれは早とちりだった。
「君は……、精子バンクというものを知っているかい?」
 それはシンジには、知識以上には馴染みの無い言葉であった。



続く



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