──精子バンク。
シンジはそこから得られた響きに対して、非常に間抜けた反応を示してしまった。
「精子バンクって、あの?」
もしカヲルに『あの』とは『どの』ことを指しているのかと問い返されていたなら、シンジは言葉に詰まってしまっていたことだろう。
「君は変に思ったことはなかったのかい?、アスカのお母さんが死に、アスカは義理の父親の元に残された……、なぜ本当の父親の元に預けられることにならなかったのか?」
考えなかったと言えば嘘になるから、シンジには口を噤むことしかできなかった。
「アスカはね、精子バンクから買われて来た精子から生まれた子供なのさ」
「え?」
カヲルは呆然とするシンジに対して、さらなる暴露を行った。
「どうしてアスカのお母さんがそんな選択をしたのか?、そこまではわからない、もう確かめる術なんてないからね?、けれどさすがに選別を受けた子種から生まれただけのことはあったよ、アスカは幼いながらに自分が人とは違う生まれ方をしたのだと理解していた」
「そんな言い方……」
「事実さ」
「でも」
「シンジ君」
カヲルは強い口調で言い含めた。
「生まれを卑しく貶めて、可哀想な奴に仕立て上げるのは、いつの世だって他人だよ、そうだろう?」
「……」
「シンジ君がそうやってアスカの生まれを恥ずかしいものだと位置付ける限り、アスカは自分を恥じなくてはならなくなる、いいかい?、続きを話しても」
沈黙を暗黙の了承であると受け取り、カヲルは話の先を続けた。
「アスカはね……、そのことをずっと悩んでいたんだそうだよ、もし何かの拍子に気付かれたとしたら?、自分はみんなとは違う『特別』な生まれ方をしたのだと差別されたら?、知られたとしたら?、子供は意味などわからなくても、楽しいからと傷つける」
その時シンジの脳裏に思い浮かんだ光景は、必死に加持に縋り付いていたアスカの泣きそうな姿だった。
他の誰にも懐かなかったアスカの必死な……
(加持さんは……、知ってるんだ)
それは一つの直感だった。
「おかしなものだね……」
カヲルの言葉に心の海から舞い戻る。
「え?」
「なのにアスカが受け入れてもらいたいと願っているのはシンジ君なんだ、真実を知っている僕ではなくてね?」
それは確かにそうだと思い、シンジは改めておかしいことだと気がついた。
「どうして?」
「わからないかい?、わからないだろうね……」
シンジの目を覗き込むようにじっと見つめる。
「アスカはね、誇り高く、気高いのさ、心の輝きというものを真に知っているんだよ」
「心?」
「綾波さんが転校して来た日のことを覚えているかい?、帰り道、彼女は二人きりになったとたん、僕に媚を売ろうとしたよ」
「綾波が……」
「だけど僕は突っぱねた」
「え!?」
「だってそうだろう?、彼女が僕に抱いたのは仲間意識、きっと解り合えるという共感意識で、恋心じゃない、どうしてそんな悲しいものを受け入れられるんだい?、特に僕はアスカという女の子を知っていたのに」
カヲルの横顔には、とても誇らしげなものが窺えた。
「アスカはね、あらゆる逆境に向かって立ち向かう強さを秘めている子なんだよ、僕のように嘘でごまかしはしないで、戦う意思を胸に刻み込んでいるんだ、負け犬には決してなりはしないと誓っている、眩しかったよ、でもその眩しさはどこから来るものだったのかな?」
シンジにも当然、その答えは見えてしまった。
「僕……」
「そう、君は覚えていないかもしれない、それでもアスカは君のことを想い、君の言葉を信じ、君の言葉を守っていたのさ、そして今でも君だけを愛している」
シンジはようやく、アスカのことを語るカヲルの横顔が誰に似ているのかに気がついた。
(アスカと同じ顔をしてるんだ)
いつかアスカがカヲルのことを語った時のように。
カヲルもまたアスカのことを告げて行く。
「アスカはね、僕に同情したりはしなかったよ、虐め?、立場?、それはアスカ自身も経験して来たものだ、でも自分は負けてない、負けるつもりもない、僕との馴れ合いは負けを選ぶことそのものだ、だから僕は選ばれなかった」
同じ苦悩を分かち合う仲間にはなれても、抱きしめて欲しいと思える温もりを持っている人ではないから。
お互いに、とても冷えた、寒々しい心を持っているだけの人間だから。
「だからアスカは僕ではなく、君に惹かれる」
「だからって!」
シンジは喚いた。
「だからって!、どうしてそのことを君から聞かされなくちゃならないのさ!」
平然と告げる。
「それもわからないのかい?」
「わからないよ!」
「アスカが話さないのは、君を信じ切れていないからさ」
「だけど……」
「順番が前後してしまうけど、アスカにも恨まれるだろうね?、けど君はアスカにとって頼れる人間にならなくてはならない、大事なのはアスカの秘密じゃない、君の態度だ」
立ち上がる。
「アスカを悲しませることだけは許さない」
尻に付いた埃を払う。
「どうせ悩むのなら、最果ての地まで堕ちれば良いよ、そうすれば君の本性が見える」
「本性?」
「そうさ、どうせ他人事だろう?、自分のことを考えるなら、アスカなんて見限ってしまえば良いんだよ、君はいつだって楽になることができるのさ」
「カヲル君!」
「それともアスカと苦悩を分かち合い、共に歩む道を選ぶのかい?、その選択は今のように余裕のある内にしたところで意味など無いよ」
──そう。
「人間の本性は、極限に置いてこそ露呈するものさ、君はそのことを良く知っているはずだ」
「カヲル君……」
カヲルは昇降口から飛び下りると、シンジを誘った。
「さあ、やろうか、久しぶりに」
「……」
「霧島さんのことでは随分と責められてしまったからね、今度は僕が責める番だよ、君には甘んじてその責め苦を受ける義務がある、でないと不公平じゃないのかな?」
──友達としては。
そんなカヲルの脅しに乗って、シンジはそうだねと立ち上がった。
顔に嫌悪を滲ませて。
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