Asuka's - janktion:050
 ──ざわざわとこのクラスだけではなくて、学校中が騒がしい。
 あの日、シンジとカヲルが理由不明の喧嘩をしてから一週間。
 ようやく停学が解けて登校して来る。
 腫れ物を扱うように、アスカは皆から敬遠されていた、独りぼっちで席について、ぼうっとした表情を曝している。
 ──シンジにもこの一週間会えなかった。
 もちろんカヲルにも会うことは許されなかった、喧嘩と言うにはあまりにも酷過ぎて、二人はそのまま救急車に乗せられて行った。
 入院、意識が戻ってまともに話せるようになるのに三日、その時に話したのは冬月校長ただ一人だけで、後はまた面会謝絶となってしまった。
 口の中、特に頬の裏がぼろぼろで、本当は喋らせてはいけないのだと言う。
 校長と碇夫婦の会話は聞けたが、それも理解不能なやり取りだった。
「こんなところで医者の真似ごとをしていた経歴が生きるとはな」
「やぶだったがな」
「誰がシンジ君を取り上げてやったと思ってるんだ」
 ──にやりとコウゾウ。
「そう言えば……」
 微妙に顔つきを変えるゲンドウである。
「その件についての話がまだ終わってはいなかったな」
「嫉妬は見苦しいぞ碇」
「先生こそ教え子の肌に触れるとはセクハラの極みですな」
 ぐぬぬぬぬっと唸り合う。
(校長先生って……)
 あのおじ様を唸らせるとはと感心している。
(じゃなくてぇ!)
 自分に突っ込む。
「病人に無理はさせられんから大まかな事情を訊くだけにしておいた」
「心配はあるまい」
「本人たちの間ではな」
 後はお前たちの仕事だと告げて去ってしまった。
(なにがあったんだろ……)
 もうわけがわからない。
 そんな間に転校して来た少年たちが居た、それも二人。
 これについては、苦悩しているのはマナだった。


「まさか転校して来るのがムサシとケイタの二人だったなんて……」
 校舎裏の非常階段、登るなと張られている綱を無視して、二階の踊り場にいるのはマナで、その傍にはいがぐり頭の少年が、苦笑いを顔に貼り付けて相手を務めていた。
「一応言っとくけど、僕は嫌々だからね?」
「ムサシは?」
 少年は困った顔をした。
「ほら……、僕、体が弱いからって道場に通わされてたでしょう?、それで渚さんの新しい彼女が僕の知ってるマナだって言うんでこの役が回って来たんだけど、ムサシ、どっからかその話を聞き付けたみたいなんだ」
「あたしに新しいカレシができたって?」
「そう!、それなのにその渚さんは、別に何のスポーツもやってない奴に負けたって言うじゃないか」
 負けかぁとマナは訝しげな表情で言葉を濁した。
(あれは……、勝ち負けじゃないよね?)
 トウジが吹っ飛ばされた瞬間のことが目に焼きついている。
 マナにもわかった、カヲルは本気ではなかったと。
 いや、本気は本気なのだが、どこか違っていた、殴る蹴ると言った単純な力任せのぶつかり合いに終始して、小技でお茶を濁そうとはしていなかった。
(受け止めてた?)
 ぶつけ合うために、それが最低限のルールであったかのように。
(なんのために?)
 ケイタと言う、マナの知り合いであったらしい転校生は、何を悩んでいるんだろうと懸ける言葉を見つけられずに弱ってしまった。


『申し訳ありませんでした』
 病院から仲良く車で登校して来たシンジとカヲルは、ここでも仲良く声を揃えて謝った。
 職員室もまた興味のある者が多いらしく、好奇心からみな聞き耳を立てていた、しかし謝られた当人であるミサトになるとそうはいかない。
「あんたたちねぇ……」
 はぁっと深く溜め息を洩らす。
「せっかく喧嘩の理由を問いただしてやろうと思ってたのに」
 それじゃあほじくり返すわけにはいかないじゃないとミサトは呆れた。
「問題は解決したのね?」
 シンジとカヲルは顔を見合わせ、またも揃えて返事をした。
『いいえ、ぜんぜんです』
「あ、そう……」
 胃が痛いわと腹を押さえて体を折る。
「つまりまた喧嘩するかもしれないってわけね?」
「当面の予定はありませんが」
「カヲル君……」
「しないと言うのは無責任じゃないのかい?」
「そうだけどさ」
「まあ言うなればお互いの生き方に対する意見のぶつけ合いの延長であったわけで、これは一生続けて行くものと思います」
「一応不祥事なんだけどねぇ……」
「家のことならご心配なく、何も言わせはしませんよ」
「でも言って来てるのよ」
「リツコ……」
 横から割り込み、リツコはカヲルの頬に手を当てた。
「まだ熱があるわね」
「腫れてますか?」
「色が白いから、目立つのよ」
 目を向ければシンジの右手中指も痛々しく包帯で固定されている。
 リツコはミサトが座る椅子の隣に立つと、白衣のポケットに手を入れて教えてやった。
「連絡があったわ、何も習っていない男の子に負けただなんて、やっぱりどこかにガタが来てるんじゃないかってね?、母さんのところに急っつきに来たそうよ」
「子作りをですか?」
「そっちのがよっぽど不祥事なんだけど」
 ミサトのからかいに眉間に皺を寄せて指を当てる。
「その通りよ、わたしは職を追われる危険を犯してまで子供を産むつもりなんて無いわ」
「ついでと言ってはなんですが」
 言い難いことだとカヲルは告げた。
「家の人間の狙いはあくまでもアスカですので、将来赤木先生は妾の立場に追いやられることになるか、最悪犯罪者の汚名を被らされたままで放逐されてしまうものと」
「冗談じゃないわ」
「まさにしかりです」
 僕の将来にも傷が付きますよと答えておく。
「そのことが今回の喧嘩に深く関っているわけで」
「リツコの取り合い?」
「まさか」
「どういう意味かと聞いても良い?」
「赤木先生には赤木先生に相応しい方が現れますよ」
 そう言って追求を躱しておく。
「いい加減にその場凌ぎなことは止めろと注意されたんですよ、シンジ君にね」
「そうなの?」
「そんなところです」
「僕もついつい言い返しまいましてね、自分はどうなのかと」
「口論が喧嘩になったって言うの?」
「いいえ?、最初から殴り合いながら言い合いましたから、発展したわけではありませんよ」
 ますますミサトは呆れ返った。
「青春するならもうちょっと大人し目にやってよぉ……、どうやって説明すんのよ」
 これにはシンジが口を出した。
「説明って?」
「あのねぇ」
 疲れ切った口調で答える。
「親御さんとか、PTAとか」
「うちの父さんと母さんは大丈夫ですけど」
「入院中、さんざん聞かされたからねぇ……、『二人』の武勇伝を」
「うん……、ちょっと、あれは」
 あそこまではと青ざめる。
「とにかくそんなわけですから、僕の側も文句があるなら僕から一本とってからにしろと言っておきました、それもできないのに僕の意識を刈り取ったシンジ君に勝てるというのなら好きにしろとね」
「カヲル君」
 驚くシンジに、悪戯っぽく笑い掛ける。
「大丈夫、格式に縛られている人間は、骨の髄まで力関係に縛られているものなのさ、だから想像の中のシンジ君に怯えて、何もできずにいるはずだよ」
「だけどアスカたちは?」
「それは喧嘩の続きになるからね、それに、これ以上アスカをのけ者にして話し合うわけにはいかないだろう?」
 当事者の一人なんだからねと告げるカヲルにうんと頷き、シンジはミサトとリツコに謝ろうとした。
「そんなわけみたいです」
 ミサトは仕方ないかと笑って許してやろうとした、だが、それを横からの声が遮った。
「先生!」
 ミサトはぎょっとしてしまった。
 それはその声の主が、このところ一人で悶々としていた、マヤ教諭であったからだった。



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