その時、マユミは行くあてが無くてうずくまっていた。
「はぁ……」
校舎裏、ぽかぽかとした日が温かい。
わぁっと背後の校舎の向こうから歓声が上がる、学校中が盛り上がっていた。
学芸会。
きっと講堂は大盛り上がりだ。
(でもわたしが居なくたって……、誰も)
時間は一年生の時のことである。
マユミはすっかりいじけてしまっていた。
学芸会、劇もあれば歌もある、マユミのクラスは合唱だったのだが、内気なマユミの声はあまりに小さくて、からかいのネタとなっていた。
『ちゃんと歌えよな』
これで精一杯なんです、何度もそう訴えそうになってしまったのだが、本気で叱ってくれているのではないとわかるだけに、悔しくて泣くことしかできなかった。
笑いながらの言葉に対して、どうして真面目に反論できるだろうか?
その時のことを思い出してしまって、もっと酷くうなだれる、と、ガラッと頭の上の窓が開いて驚いた。
ザッと誰かが跳び下りて来たのだ。
(尻尾!?)
「シッ!」
その人物は素早く窓を閉めると静かにとマユミにお願いをした。
(猫?)
頭に耳、お尻に尻尾、足と手には大きな猫手のグローブとブーツ。
その上で、マントのような羽織ものを付けていた。
「……行ったかな?」
「あの……」
「ごめん」
彼はとにかく謝ると、マユミの隣に腰を下ろして息を吐いた。
「撮影会をするからとか言い出すから、逃げて来たんだ」
「はぁ……」
「ほんとに、そんなに人からかって楽しいのかな?、可愛いとか言って、どこがって感じだよ」
(か、可愛いんですけど……)
マユミはちょっと顔をほてらせてしまった。
頬に何か塗っているのだろう、唇も光っている、明らかに化粧をしている、そんな『シンジ』は奇麗過ぎた。
「えっと……、山岸さん?」
はっとしてマユミは目を丸くした。
「あ、あの」
「山岸さんだよね?、確か」
「は、はい!」
どうしてわたしの名前をとは聞けなかった。
舞い上がり過ぎて。
「こんなところでなにしてるの?」
「その……」
「ああ、もしかして僕と同じ?」
「え?」
「嫌だよね……、みんなでからかおうとするんだもん、逃げたくもなるよ」
マユミは叱られているのだと感じてしゅんとした。
「ごめんなさい」
「え?、なんで?」
「は?、あ、い、いえ!」
変な山岸さんっとシンジは微笑む。
「ほんと、こんな恰好させてさ、女の子みたいだとか言ってからかって、なにが楽しいんだよ」
「はぁ……」
「嫌になるよね、みんな自分が楽しかったらそれで良いんだから、人が嫌がってるってのに、平気な顔してさ」
「……」
「僕だって、カッコ好い役やりたかったよ、猫の役なんてちっともカッコ好くないよ」
──でも。
マユミはなんとなく呟いた。
「わたし、一瞬、カンパネルラのこと思い出しました」
えっと驚くシンジに対して、マユミはカーッと赤くなった。
「あ、あの!、ごめんなさい!、わたし、なに言ってるんでしょう、ほんとに」
両手で顔を隠して、頭からは湯気を噴く、そんなマユミをおかしく思って首を傾げながら、シンジは答えた。
「銀河鉄道の夜だっけ?、確かカンパネルラを猫にしたのってますむらひろしさんだよね」
「え……」
「妹がね、好きなんだ、話って言うより猫ってところが」
でもと続ける。
「どう見たってそんな良いものじゃないよ、僕は」
「で、でも……」
ぼそぼそと呟く、もう真っ赤に茹で上がってしまった状態で。
「カンパネルラは、恰好好いと思います、だから、猫だからって恰好悪いなんて……」
(ああ、わたし、なに言ってるんだろ)
もうその想いだけがぐるぐるぐるぐると渦を巻いて、マユミはわけがわからなくなっていた。
「そっか……」
「は、はい……」
「そうだね、猫だからってカッコ悪いってことはないか」
「はい……」
「ああ!、シンジ!、居たなぁ!」
シンジはくすりと笑って、怒りながらやって来る級友に諦めを見せた。
「あ、山岸っ、居た!」
「なにやってるんだよ、おま……」
碇とその少年は青ざめて口にした。
その時のマユミには理由なんてわからなかった、他人のことに興味が無かったから、彼が誰かなんて知らなかった、どんな人間かなんて、だから。
「ごめんね」
「え……」
「僕のせいで、見つかっちゃったね」
立ち上がる彼の顔を目で追い続けた。
「でも山岸さんは顔を上げてた方が好いと思うよ?、可愛いから」
ぼんっとマユミは噴火した。
「あ、そうだ、今度一緒に演奏しようよ、山岸さん、ヴァイオリン弾けるんでしょ?」
「は……、え?」
「ぼくはチェロ弾けるんだ、あんまり上手くないんだけどね」
じゃあと去って行く後ろ姿に見とれた、どうして急にみんなが謝ってくれたのかはわからなかったし、どうして気を遣ってくれるようになったのかも気付けなかった。
そしてシンジが名前どころか、どうしてヴァイオリンのことまで知っていたのか?
全て確かめることを忘れてしまって……
その後、マナという友人経由で、シンジと放課後の演奏会を開くようになって……
『わたし、今で幸せですから』
一度だけ、本気で訊ねて来るマナに負けて、そんな具合に答えてしまったことがある、夕焼けの帰り道で、シンジたちと別れた後に。
みんなは知らない、全クラスの出し物が終わった後、リボンをかけられたり鈴を付けられたりして、おもちゃにされていたシンジのことしか知らないから。
だから、可愛いと答えるしかない、でも。
──わたしは、本当にカッコ好いって、そう思ったんです。
誰にでもなく秘密を抱える。
シンジがどうして気にかけてくれるのか?
今ではちゃんと知っている。
ヴァイオリンの先生が、自分のことを相談してくれたのだと。
シンジがマナに、自分のことをお願いしてくれたことのだと。
それをきっかけにして、一人のけものにされてるなんてとマナが働きかけてくれたことも。
今ではみんな知っている、けど。
──シンジが何も語らないから。
全部、知らないふりをして。
マユミはシンジたちの傍に居る。
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