Asuka's - janktion:055
 その時、マユミは行くあてが無くてうずくまっていた。
「はぁ……」
 校舎裏、ぽかぽかとした日が温かい。
 わぁっと背後の校舎の向こうから歓声が上がる、学校中が盛り上がっていた。
 学芸会。
 きっと講堂は大盛り上がりだ。
(でもわたしが居なくたって……、誰も)
 時間は一年生の時のことである。
 マユミはすっかりいじけてしまっていた。
 学芸会、劇もあれば歌もある、マユミのクラスは合唱だったのだが、内気なマユミの声はあまりに小さくて、からかいのネタとなっていた。
『ちゃんと歌えよな』
 これで精一杯なんです、何度もそう訴えそうになってしまったのだが、本気で叱ってくれているのではないとわかるだけに、悔しくて泣くことしかできなかった。
 笑いながらの言葉に対して、どうして真面目に反論できるだろうか?
 その時のことを思い出してしまって、もっと酷くうなだれる、と、ガラッと頭の上の窓が開いて驚いた。
 ザッと誰かが跳び下りて来たのだ。
(尻尾!?)
「シッ!」
 その人物は素早く窓を閉めると静かにとマユミにお願いをした。
(猫?)
 頭に耳、お尻に尻尾、足と手には大きな猫手のグローブとブーツ。
 その上で、マントのような羽織ものを付けていた。
「……行ったかな?」
「あの……」
「ごめん」
 彼はとにかく謝ると、マユミの隣に腰を下ろして息を吐いた。
「撮影会をするからとか言い出すから、逃げて来たんだ」
「はぁ……」
「ほんとに、そんなに人からかって楽しいのかな?、可愛いとか言って、どこがって感じだよ」
(か、可愛いんですけど……)
 マユミはちょっと顔をほてらせてしまった。
 頬に何か塗っているのだろう、唇も光っている、明らかに化粧をしている、そんな『シンジ』は奇麗過ぎた。
「えっと……、山岸さん?」
 はっとしてマユミは目を丸くした。
「あ、あの」
「山岸さんだよね?、確か」
「は、はい!」
 どうしてわたしの名前をとは聞けなかった。
 舞い上がり過ぎて。
「こんなところでなにしてるの?」
「その……」
「ああ、もしかして僕と同じ?」
「え?」
「嫌だよね……、みんなでからかおうとするんだもん、逃げたくもなるよ」
 マユミは叱られているのだと感じてしゅんとした。
「ごめんなさい」
「え?、なんで?」
「は?、あ、い、いえ!」
 変な山岸さんっとシンジは微笑む。
「ほんと、こんな恰好させてさ、女の子みたいだとか言ってからかって、なにが楽しいんだよ」
「はぁ……」
「嫌になるよね、みんな自分が楽しかったらそれで良いんだから、人が嫌がってるってのに、平気な顔してさ」
「……」
「僕だって、カッコ好い役やりたかったよ、猫の役なんてちっともカッコ好くないよ」
 ──でも。
 マユミはなんとなく呟いた。
「わたし、一瞬、カンパネルラのこと思い出しました」
 えっと驚くシンジに対して、マユミはカーッと赤くなった。
「あ、あの!、ごめんなさい!、わたし、なに言ってるんでしょう、ほんとに」
 両手で顔を隠して、頭からは湯気を噴く、そんなマユミをおかしく思って首を傾げながら、シンジは答えた。
「銀河鉄道の夜だっけ?、確かカンパネルラを猫にしたのってますむらひろしさんだよね」
「え……」
「妹がね、好きなんだ、話って言うより猫ってところが」
 でもと続ける。
「どう見たってそんな良いものじゃないよ、僕は」
「で、でも……」
 ぼそぼそと呟く、もう真っ赤に茹で上がってしまった状態で。
「カンパネルラは、恰好好いと思います、だから、猫だからって恰好悪いなんて……」
(ああ、わたし、なに言ってるんだろ)
 もうその想いだけがぐるぐるぐるぐると渦を巻いて、マユミはわけがわからなくなっていた。
「そっか……」
「は、はい……」
「そうだね、猫だからってカッコ悪いってことはないか」
「はい……」
「ああ!、シンジ!、居たなぁ!」
 シンジはくすりと笑って、怒りながらやって来る級友に諦めを見せた。
「あ、山岸っ、居た!」
「なにやってるんだよ、おま……」
 碇とその少年は青ざめて口にした。
 その時のマユミには理由なんてわからなかった、他人のことに興味が無かったから、彼が誰かなんて知らなかった、どんな人間かなんて、だから。
「ごめんね」
「え……」
「僕のせいで、見つかっちゃったね」
 立ち上がる彼の顔を目で追い続けた。
「でも山岸さんは顔を上げてた方が好いと思うよ?、可愛いから」
 ぼんっとマユミは噴火した。
「あ、そうだ、今度一緒に演奏しようよ、山岸さん、ヴァイオリン弾けるんでしょ?」
「は……、え?」
「ぼくはチェロ弾けるんだ、あんまり上手くないんだけどね」
 じゃあと去って行く後ろ姿に見とれた、どうして急にみんなが謝ってくれたのかはわからなかったし、どうして気を遣ってくれるようになったのかも気付けなかった。
 そしてシンジが名前どころか、どうしてヴァイオリンのことまで知っていたのか?
 全て確かめることを忘れてしまって……
 その後、マナという友人経由で、シンジと放課後の演奏会を開くようになって……
『わたし、今で幸せですから』
 一度だけ、本気で訊ねて来るマナに負けて、そんな具合に答えてしまったことがある、夕焼けの帰り道で、シンジたちと別れた後に。
 みんなは知らない、全クラスの出し物が終わった後、リボンをかけられたり鈴を付けられたりして、おもちゃにされていたシンジのことしか知らないから。
 だから、可愛いと答えるしかない、でも。
 ──わたしは、本当にカッコ好いって、そう思ったんです。
 誰にでもなく秘密を抱える。
 シンジがどうして気にかけてくれるのか?
 今ではちゃんと知っている。
 ヴァイオリンの先生が、自分のことを相談してくれたのだと。
 シンジがマナに、自分のことをお願いしてくれたことのだと。
 それをきっかけにして、一人のけものにされてるなんてとマナが働きかけてくれたことも。
 今ではみんな知っている、けど。
 ──シンジが何も語らないから。
 全部、知らないふりをして。
 マユミはシンジたちの傍に居る。



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