Asuka's - janktion:059
 しかしシンジたちの間にどれだけまったりとした空気が流れ始めたとしても、その蚊帳の外に居る人物にとってはなにも関係の無い話であった。
「……」
 とある家の玄関前に一人の少年が立っていた、その目はちらりと窓に向けられる。
 芦の湖の湖岸にある家、別荘、あるいはコテージと言っても良い雰囲気がある。
 周囲に民家などはない、この家にも湖岸道路のバス停から、浜に抜ける林の小道を通らなければならなかった。
 少年はよしと思い切ると、前に踏み出しブザーを鳴らした。
 ブーーー……と、尻すぼみに音は消える。
 しかし無反応に終わってしまって……
「……」
 暫くして、また押してみる、一度、二度……、やはり無駄かと思いながらもまた押して。
 少年は未練たらしく粘るだけ粘って三十分も無駄にした。
「駄目か……」
 気落ちした表情で溜め息を吐き、諦めてやって来た道を戻り始めた。
 林の暗がりに姿を消す。
「……」
 ややあって、ひょっこりと窓に顔が現れた。
 マナだった、だ・れ・も・いないかなぁっと怖々辺りを確認している。
「行ったか」
 ふうっと胸を撫で下ろし、それでも念のためにと隠れるために、床に這いつくばって、奥の部屋に移動した。
 そっと音が立たないように扉を閉める、シャツの下に隠していた受話器を取り出す、耳に当てるとまだ繋がっていた。
「ごめんごめん、今誰か来てさぁ」
『こんな時間にですか?』
「たぶんムサシ、最近毎晩なのよね」
『ストーカーですか……』
「知り合いな分だけもっとタチ悪いよぉ……、警察に頼んだって自分たちで話し合ってくれ、なんてさ、それがまずいんだって仲介をされかねないし」
『他に頼れるところは……』
「うん、実はさぁ……、渚君に泊まり込んでもらおうかとか思ってたんだけどね、それもダメになっちゃったし」
『泊まり込むって』
 マナは赤くなっているマユミの顔が想像できてにやんと笑った。
「やぁだマユミってばなぁに想像してんのぉ?、ヤッらしいんだからぁ♪」
『な、なに言ってるんですか!』
「欲求不満なんじゃないのぉ?、だからすぐそっちに発想直結しちゃって、マユミぃ?、ちゃんと本棚の下の隙間に隠してる本活用しないとダメだよぉ?」
 がっちゃんと鳴ったのは、きっと受話器を取り落とした音だろう。
『ど、どうしてマナさんがあれのこと知ってるんですか!』
「勘」
『……』
「どうせマユミのことだからベッドの下はまともなものだけで、その辺りかなぁってね?、だけどマユミの趣味もアレだよねぇ」
 プチッと切れた。
「ありゃ……」
 舌を出す。
「からかい過ぎ?、まあいいや」
 切ろうとして、切った瞬間、ムサシからかかって来そうで、マナは親機の元へ向かい、ジャックを抜いた。
 親しい人間なら、携帯電話にかけてくるだろうからと安心する。
「はぁ……」
 それからマナは、床の上にへたり込んだ。
 足を投げ出し、背を壁に預け、それでも支えきれなくてずるずると崩れる。
(だけどいつまでも逃げられるもんでもないしねぇ……)
 どうしたもんだかと、マナは半ばノイローゼ気味に呟いた。


 ──ちくしょう。
 それが加害者Aの呟きで。
 ──うう……
 それが加害者Bの呻きであった。
 そして被害者団体である二年B組のクラスメンバーは、誰しもがムサシの剣呑さに鬱陶しさを覚え、それをやらせているマナに対して、いい加減なんとかしろと、無言の訴えを起こしていた。
 視線のみで。
 そんな視線に晒されること自体、マナにとっては逃げ出したくなる胃痛の元になっていたのだが、やはりムサシと直接対決することはできないでいた。


 ──授業が終わった。
 ダッシュで逃げ出そうとしたマナの行く手を、素早く黒い影が遮った。
 ガッと扉が開かないよう手が邪魔をする。
「……どこに行くんだよ」
 顎を引き、鋭い目で睨み付ける。
 怒りを滲ませてマナに唸ったのは、もちろん苛立ちを抑え切れなくなってしまっているムサシであった。
「マナ!」
 ビクンと竦む。
「なんだよ!、なんで避けるんだよ、俺が何かしたかよ!?」
 答えろよと後ろ手に背後の扉を強く叩く、ガタンと小窓が割れるのではないかというほど震えた。
「すみませんが……」
 進退窮まっているマナを救ったのはマユミだった。
「通してもらえますか?」
 怒鳴り返そうとして、ムサシは言葉を詰まらせた。
 冷めた目をしたマユミの態度に、少し前に嫌われてしまっていたことを思い出したからだ。
 マユミでなければ向こうから出ろともう一つの扉のことを口にすることもできただろうが、ムサシは苦手意識から言葉を詰まらせてしまった。
 ──その隙を突く。
「マナさん」
 マユミは一瞥して、さあ行きましょうと声をかけた。
「みなさんをお待たせしてはいけませんから」
「そ、そうだよね」
 マユミが開いた扉の向こうにそそくさと逃げ出す、それを呼び止めようとしたムサシであったのだが、間に割り込んだマユミによって叶わなかった。
「では」
 マユミはついと目を逸らすと、後は知らぬとばかりに外に出た、少し先の階段に手招きしているマナを見付けて、歩み寄る。
「ごめん!」
 パンッとマナは手を合わせた。
「もうほんっとにどうしようかと思っちゃった」
 マユミは露骨に溜め息を吐いた。
「いっそのこと、嫌って差し上げてはどうですか?、それも親切かもしれませんよ?」
 眉根に皺を寄せるマナである。
「でも嫌いじゃないから……」
「好きでもない、それはわかりますが、その曖昧な態度が彼に期待感を持たせているんですから」
「わかってるけど……」
「期待してるのに肩透かしを食らわされる、その分だけ苛立ちが募って……、その内どんな行動を起こされるか」
「脅さないでよ……」
「マナさんは一人住まいですから」
 マナは夕べの会話を蒸し返さなくてもと思い、恐る恐る訊ねた。
「夕べからかったこと、怒ってる?」
 またもマユミは溜め息を洩らした。
「それとこれとは別に心配して差し上げています」
「よかった……」
「でも本当に、一人のところを押し込まれたら、もう逃げられませんよ?」
「うん……」
 ちらりとマユミの様子を盗み見て、口にしてみた。
「シンジ君に頼んでみようかな……」
「碇君にですか?」
「うん、暫く泊まりに来てくれないかって、もちろんレイちゃんたちも一緒に」
 マユミは小さくかぶりを振った。
「ご自分で口にされたことをお忘れですか?、碇君はもうに十分たくさんのものを背負われています、これ以上をお願いするのは……」
 それにそれもやはり一時凌ぎなことだとマユミは忠告した。
「けれど、あの方ももう収まりがつかなくなっているようですしね、冷静にマナさんのお話を聞いて、納得なんてしてくださらないでしょうし」
「そだね……」
 嫌いではないが、好きでもない、今はそういうことを考える気持ちそれそのものがない、興味が無い。
 それならと待ってくれるようなムサシではないと、誰にでもわかるから困るのだ。
 きっとそれはそれで、変な虫が付かないよう、自分が他の誰かを好きにならないように、纏わり着いて来るだろう。
 それでは付き合いますと諦めるのと変わらない。
「やっぱり……、嫌いだって、もう来ないでって言うしかないのかなぁ?」
 抵抗感があるのも当然だった、友達では居たいのだ、けれど友達以上は面倒で、それを相手はわかってくれない。
 わかってもらうためには友達もやめなくてはならない。
(そんなの)
 どうしても気持ちが割り切れない、けれど。
「ソリが合わなくなっていると言えるのでしょうね、マナさんとムサシさんは」
「え?」
「友達というものは、言葉が足りずとも、『あれ』で通じてしまうように、お互いの趣味や理解や意識に共通しているものがあって、正確に趣旨を読み取ってくれる方のことを言うのではありませんか?、簡単にマナさんの態度を取り違えてしまわれるムサシさんは、もう友達とは呼べない存在なのかもしれませんね」
 マナはちょっとだけ考えてから、うんと正直に頷いた。
 確かにそうかもと、納得してしまったからである。
「もちろんマナさんの中に、少しでも碇君への気持ちがあれば、話が少しは違いを見せて来るのでしょうが」
 マナはマユミの意味深な台詞に対して、どういうことかと目を丸くした。



続く



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