「みうしなっただぁ?」
組み付く寸前のポーズでじりじりとにじり寄るアスカの迫力に、ケンスケは怖いぞと身構えた。
「しょ、しょうがないだろう?、見つかっちゃって焦ったんだよ!」
「そもそも見つかった時点でバカなんじゃない!、役立たずっ、能無し!」
「そこまで言うことないだろう!?」
「覗き以外に芸が無いくせに覗きも失敗してどうすんのかって言ってんのよ!」
「アスカ」
「なによ!」
「君の言うことはもっともだよ、けれど君は重大な点を見逃しているね」
「だからなによ!」
「相田君の覗きはいつも失敗しているということさ」
「つまり能無しは元からだって言いたいわけね」
「頼って悪かったね、相田君」
「うわぁああああん!」
「ああっ、ケンスケぇ〜」
待てやぁっと後を追って消えてしまうトウジであった。
「……実は渚君って怒ってる?」
「憤慨しているのさ」
「あの人たちに頼ったことがそもそもの敗因」
「その通りだね」
ちっとアスカが吐き捨てた。
「足取りは完全に途絶えたってわけね」
「どうするぅ?」
「ってあんたテンション低過ぎ!」
「だあってそろそろ帰んないとぉ、晩ご飯に間に合わないしィ」
「だぁ!、そんなのそこに財布があるんだから気にすんじゃないわよ!」
「って担任を指差さないように」
じゃあ俺はと逃げようとする加持の肩をがっちりと掴む。
「惣流さんの担当はあんたでしょうが」
「いや、俺は、ん?、なんだいレイちゃん」
加持のシャツをきゅっとつまんで口にする。
「お友達……」
「……あんまり金、持ってないぞ」
「問題無いわ、カード……」
「それも残高が……」
「使えない人は用済み」
「傷つくなぁ……」
「晩ご飯の心配なんてどうだって好いのよ!」
「そりゃアスカは心配なんてしなくても好いだろうけどさぁ」
コクコクと小レイも賛同する。
「育ち盛りなの」
「栄養不足で育ちが悪くなったら困るしぃ」
「減るの」
「一日二日でどうにかなるかぁ!」
「こっちはそれくらい切実なのよぉ!」
うがぁっと言い返すレイであったが……
「シンジ君?」
こちらはレイとほぼ同サイズの彼女である。
マナの声は、湯船の中で小さくなり、夕日を一人眺めていたシンジの鼓動を、激しくドクンと大きく打たせた。
「あ、もう返事してよぉ、まだかと思った」
ぺたぺたと足を鳴らして近寄って、マナは堅くなっているシンジの様子に、悪戯心を沸き上がらせた。
「シンジ君、シンジ君」
「え?」
「じゃーん!」
「わぁ!」
巻いていたタオルを全開にして、マナはシンジに裸を見せた。
「どう?」
「どうってなにが!」
「なにがってなにが?」
くすくすと笑う。
「照れることないじゃない」
「恥ずかしいに決まってるだろ!?」
「見せてるのこっちなのに」
「そういう問題じゃないよ!」
「でも」
マナは自分の体を見下ろした。
「こんなのに照れるかなぁ?、レイちゃんの、見たことあるんでしょ?」
「……関係無いだろ」
「アスカのより小っちゃいよ?」
「比べるもんじゃないだろう?」
「ふうん?」
よいしょっと、そんなわざとらしい声を発して、マナはシンジの背中側に右足から入った。
ゆっくりと体を沈めていく、それに合わせてお湯が溢れた。
「ふぅ……、ちょっと熱いね」
「うん……」
「そこまで緊張しなくても」
堅くなり過ぎて震えているシンジの背中に、マナはぴっとりと自分の背中を張り合わせた。
「今頃みんな、どうしてると思う?、必死に探してるかなぁ」
「多分ね……」
「まさか一緒にお風呂に入ってるなんて思わないよねぇ……」
「そうだね」
諦めたのか、溜め息を吐いて、シンジもマナに体を傾けた。
「帰ったら大変だろうな……」
「言わなきゃ良いじゃない」
「言えないよ、こんなこと……」
そんな言葉に、マナは後頭部をこんっとぶつけてからかった。
「今日一日でね、わかった気がする」
「え?」
「シンジ君がお兄ちゃんだってこと」
「なにそれ?」
「だからぁ、なぁんかね、安心しちゃうの」
首を倒して、シンジの肩に置いてみる。
「甘えちゃうんだよね」
背筋をのばすようにして体をもたげて来るマナの動きに、シンジは背を丸くすることで合わせた。
「勘違いだよ」
「え?」
「お兄ちゃん……、って言ったよね?」
「うん」
「それが勘違いだって思うんだ」
シンジは静かに告白した。
「カヲル君や綾波も優しいって言ってくれるけど、僕は全然優しくなんかないんだよ」
「そう?」
「だって、僕は怖いだけだから」
「怖い?」
こくんと頷く。
「僕だって、最初からこんな風じゃなかったよ、昔はレイのことにだって気付きもしないで遊んでたんだ」
知っていると今度はマナが頷いた。
「聞いたから、それ」
「だからだよ……、もうだめなんだ、ざわざわするんだ、落ち着かないんだよ」
マナの重みに負けてしまう。
「今レイはどうしてるんだろうって考えると、もうだめになるんだ、レイのことなんて気にもしてなかった頃のことを思い出しちゃって、隠してたわけじゃないのに、ちゃんとサインを出してくれてたのに、どうして気付いて上げられなかったんだろうって、あの頃のことを思い出しちゃうんだ」
「シンジ君……」
「あの時のことが忘れられないんだよ、最初から気付いて……、ううん、普通にかまってあげてれば良かったんだ、そうすれば塞ぎ込んだりしなかったのに、なのに僕は邪魔だなって思って、自分一人で遊び回ってたんだよ、僕は良いお兄ちゃんなんかじゃないんだ……、だめなんだ」
マナは体を起こすと、振り返り、シンジの背中に胸を押し当てた。
「そんなことないって」
「ありがとう」
けどねと口にする。
「思うんだ、僕がレイにしていることって、あの頃のことを埋め合わせてるだけなんだって、だから中途半端にできないんだよ」
「でもそれじゃあ……」
マナは言いかけて、やめた。
(レイちゃんが喜んでくれればくれるほど、辛いんじゃない?)
罪悪感が込み上げて、こんなに縋り付いて来るほど苦しませていたんだって、けれど、そんなことはもうわかっているはずだからと、マナは慰めの言葉をかけた。
「でも……、それがシンジ君の優しさになってるんだから、無駄じゃないと思うよ?」
「そっかな……」
マナに抱きつかれたまま、空を見上げる。
夕日が傾いて、紫色に変わり始めていた。
「少しはマシな人間になれてるってことなのかな」
マナはそうだよと慰めた。
「マユミね……」
「え?」
「知ってる?、マユミもね、好きなんだよ?、シンジ君のこと」
「山岸さんが?」
「驚いた?」
「ちょっと……」
鈍いんだからと苦笑する。
「マユミの話し方って変じゃない?、本に出て来る人みたいに、丁寧で」
「……」
「マユミね、ずっとシンジ君を見てたんだって、それでわかったから、頑張ろうって、シンジ君みたいになろうって思ったんだって、聞き出した時にはなんのことだかわかんなかったけど」
「わかったの?」
「今のシンジ君の話を聞いて繋がったって感じ、マユミってアガリ症で、引っ込み思案で、臆病で……、要するに人見知り激しいんだけど、『演じてる自分』ならどんな風に見られたって、何を言われたって気にならないでしょう?、だって本当の自分じゃないんだから」
「そんなの……」
「わかってる、けどね?、あたし思うんだ、それこそマユミの言い訳だって」
「言い訳?」
「あれは間違いなく本当のマユミ、緊張しながら必死に喋ってたのが癖になって、あんなキャラクターになっちゃったってだけで、シンジ君もきっとそうだよね、どうすれば良いのかわかんなくて、必死になり過ぎて喧嘩とかしちゃって、それが今のお兄ちゃんって感じに落ち着いちゃった、違う?」
「わかんないよ……」
「ねぇ……、こっち向いてよ」
マナは迂回するように回り込むと、強引にシンジの前に腰かけた。
押されて、背後に出来たスペースに下がり、シンジは目を白黒させた。
「マナ?」
「キスしよ?」
「え!?」
シンジはごくんと生唾を飲んだ、目が自然と身を乗り出しているマナの胸に行ってしまう。
くっついていたからわかっていた、見た目ほど落ち着いていないこと、鼓動が激しく鳴っていたこと。
今は表情からもわかる、恥ずかしいのを堪えている必死な顔、怯えた目と、緊張している唇、頬の引きつり。
「あたしはシンジ君としたいな……」
「マナ……」
「多分、慰めて上げたいって言うのと、抱きしめて上げたいって言うのと……、独占欲」
恐る恐るのしかかり、マナは首を伸ばし、唇を突き出した。
それに合わせて半分だけ瞼を閉じて……
──触れる。
震えるまつげが、印象的で。
「ん……」
離れて一番最初に見せた表情は、苦笑いだった。
「しちゃったね……、キス」
「うん」
「あたしとじゃ嫌だった?」
「そんなことないよ、ただ……」
「たぁだ?」
「緊張して……、わけわかんない」
口元が……、歪んでいく、おかしくなって、吹き出してしまう。
「なんだよぉ……、そんなに笑うことないじゃないか」
「だって、ごめんなさい」
今度は体ごと、マナはシンジに抱きついた。
「堅いね、シンジ君の体、男の子の体だね」
「緊張してるだけだよ……」
「でもだいぶ慣れたでしょ?、朝なんてもっと恥ずかしがってたのに」
「そうだね……」
「ね……、シンジ君」
「うん?」
「あたしのうち、来ない?」
「え?」
「ここからそんなに遠くないから、ね?、もうちょっとだけ話したいし、だめ?」
まるで拒否されることを想定していないマナの甘えたおねだりに、シンジは汚染されて壊れてしまった。
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