──沈黙。
静かなエンジン音が耳をくすぐる、誰も騒ごうとしないのは、騒げる心境ではなかったからだった。
「でも良かったんですか?、加持さんを置いて来てしまって」
雰囲気に堪えかねてしまったのか、カヲルは隣のミサトへと問いかけた。
「だぁいじょうぶよ、それに、定員オーバーになっちゃうしね」
ハンドルを切りながら軽く答える。
と、後部座席の真ん中でぶぅっとむくれていた小レイが不満を口にした。
「お腹空いた」
「はいはい、後であたしが奢って上げるから」
「嬉しい時も涙は出るのね」
「給料日前なんだけどねぇ〜」
とほほ〜っとうなだれる。
そんなレクリエーションを余所に、アスカは外の景色を眺めるふりをして、窓に映っているレイの横顔を観察していた。
(あたしだけじゃなかったんだ……)
自分とはまた別の、けれど普通じゃない生まれ方をした人間。
そっと耳打ちされてしまったカヲルの言葉が忘れられない。
『大変だよね、君たちは……、普通じゃない生まれのことを悩み、普通の人と同じ悩みまで抱えなくてはならないんだから』
その意味はわかる、明確に。
人とは違う容姿をしているのに、抱く気持ちは普通の人と同じだなんて。
──普通の人と同じように、恋をしなくてはいけないだなんて。
(なのにどうして平気なワケ?)
平然としていられるのだろう?
構えていられるのだろう?
焦らずに居られるのだろう?
(満たされているから?)
シンジが居るから。
守られているから?
(だからあたしとは違うっての?)
なら将来の自分は、一体どうなってしまうのだろうか?
彼女のように、レイのように。
満たされて、満足して。
落ち着いてしまうのだろうか?
(それが……、夢なんだけど)
けれど。
それなら恋人でなくても、こんなに焦らなくても。
自分を追い詰めていなくても良いのではないかと、甘い気持ちが首をもたげる。
妥協してしまいそうな自分が出て来る。
アスカはふとルームミラーから視線を感じて顔を上げた。
そこには赤い瞳が並んでいた、カヲルだった。
(わかってる……)
レイは言った。
この色は絆なのだと、だったら。
(あたしも……)
確かな絆を切望する。
「むむむむむ、ムサシ」
「って、え?、この人がムサシ君?」
シンジはよくよく観察しようとして、怒鳴られてしまった。
「なにやってんだよ!」
『ひゃ!』
「いつまでくっついてんだよ!」
『あ……』
二人、顔を見合わせて赤くなり、俯く。
──でも離れない。
「マナ!」
「ななな、なに!?」
「お前こんな時間までどこに行ってたんだよ!」
「どこって……」
「そいつ誰なんだよ!」
「誰って」
「ちゃんと答えろよ!」
「答えろって……」
「マナ!」
混乱しているため、マナはあうあうと呻くだけである。
一方、シンジもそれは同じだった。
「マナ!」
鋭い声が、梢を震わす。
「ん……」
『彼女』は騒々しさに目を覚ました。
「……なに?」
ここはどこだろうと考えて、ああと状況を思い出す。
夕べ急に呼び出されて、弁当を作れと理不尽な命令を受けたのだ。
目をこすりながら起き上がる、黒髪がさらりと前に流れた。
窓の外に目を向ける、まだ暗い?、違う、こんな時間まで寝てしまったんだと、寝ぼけた頭で理解する。
そうしてこれは今日も泊まらせてもらうしかないなと諦めた時、彼女はもう一度怒声を聞いた。
「からかうのもいい加減にしろよ!」
「からかうって……」
「なんで逃げようとするんだよ!」
「それは……」
(マナさん、に、ムサシさん?)
ごしごしと目をこすり、これだけでは駄目だと眼鏡を探す。
「ちゃんと話せよっ、そいつ!、誰なんだよ!?」
マユミはその切羽詰まった言葉の感じに、これはまさかと気がついた。
(本物の修羅場ですか!?)
目を向けるが、やはり見えない、ぼやけてしまう。
「まさかっ、お前!」
ああっ、まだ駄目ですっ、待って下さいと悲鳴を上げる。
(一番好い場面を見逃してしまいます!)
頭もピンボケしているらしい。
眼鏡眼鏡と相当慌てる。
「そうなんだな?、いつも居なかったのって、そいつと会ってたんだな?、マナ!」
(ああ!)
どうしてこんな時にばかり見つからないのかと不条理を嘆く。
だがマユミの悲劇はここからだった。
「ムサシには関係無いじゃない!」
(マナさんもう少し待って下さい!)
「あたしはシンジが好きなのっ、愛してます!」
「マナ!?」
(あああああ!)
「あたしは今、シンジ君と付き合ってるのっ、だから帰って!」
(眼鏡、眼鏡、眼鏡、眼鏡、眼鏡!)
「なんだよそれっ、じゃあ俺のことはどうなるんだよ!」
「どうにもなるわけないじゃない!」
「マナ!」
「怒鳴らないでよ!、別に付き合ってたわけでもないのにっ、迷惑なのよ!、放っておいてよ、帰ってよ!」
マナ!、そう愕然とした声を発したムサシに被って、マユミもまた絶望的な声を洩らした。
「マナさん……」
しくしくと泣く。
佳境が過ぎてしまったからだ。
「別にムサシのこと、嫌いじゃないけど、でもあたし、付き合ってるつもりなんてこれっぽっちもなかったし、なのにこんなところにまで追いかけて来られたら、どうして良いかわからないじゃない」
だから逃げ回っていたのだとマナは口にした。
「そりゃ……、期待させちゃったりしてたのかもしれないけど、でも」
一呼吸、間が空いた、それは何か決定的な言葉を放とうとしているのだと、想像させるには十分な間だった。
「今日……、あたし、シンジとキスした」
──絶句。
「マ、マナ……」
「それだけじゃないよ、ずっとシンジ君と居たいって思った、だから誘ったの、あたしの家に来ないかって」
「マナ!?」
──その台詞に込められた衝撃は、威力としては十分過ぎるものだった。
ぎちぎちと何かが壊れて行く音が聞こえた、それはムサシが噛み合わせる歯の音だったのかも知れなかったが、マユミには心がひび割れていく音として感じられた。
「う……」
奇妙な声が洩らされる。
「うわぁああああ!」
「ムサシ!?」
マユミは目を細くして窓に噛り付いた、錯乱したムサシが襲いかかって行くのがわかった、しかし……
(あ!)
その間に、別の影が割り込んだ、影は襲いかかろうとした人影を、背負うようにして投げ飛ばした。
──ドシンと酷い震動が……
シンジはその人物の登場に目を丸くして驚いた。
「カヲル君!?」
「やあ」
ムサシを投げ飛ばした姿勢のままで、カヲルは優しく微笑んだ。
「偶然だね」
「……どこがだよ」
「そうだね」
微笑する。
「余計なお世話だったかもしれないけどねぇ、僕のシンジ君に怪我を負わせようだなんて、百万年は早いのさ」
自分が投げ飛ばした少年に冷ややかな目をくれようとして失敗する。
『えいえいえいえいえい!』
レイたちがこれでもかとストンピングを決行していたからである、踏む踏む踏む踏みまくる。
「でぇ!」
二人は跳ね退けられてしまった。
「なんなんだよっ、お前ら!」
「でばがめレンジャー」
違うでしょっとレイ。
「でばがめ戦隊、デバガ……」
「ほっほぉ……」
腕組みをしたアスカが酷く冷めた声をかける。
「デバガ……、なによ?、言ってみさないよ」
「うう……」
「ほらほらほら、デバガ……、なによ?、なんなのよ?、ほら言ってみなさいよ、あんたのセンス確かめてあげるっつってんのよ、ほらほらほらほらほら!」
ようやくレイへの対し方が分かって来たらしいアスカである。
カヲルは仕方ないねと口を開いた。
「アスカ」
「なによ?」
「今はそんなことをしている場合じゃないだろう?」
「そうだった!」
ばっとシンジに振り返る。
「あんたこんなとこでなにやってんのよ!」
「な、なにって」
「なに抱き合ってんのよ!、離れなさいよ!」
「あ、いや、これは、その」
妹たちのきつい視線にもあたふたとする。
「むぅ!」
そんな態度に不満を抱いたのはマナだった。
ぎゅうっと巻き付いていた腕に力を込める。
「良いじゃない!」
「ちょ、ちょっとこら!」
「なにするの?」
「は、離れてよっ、マナ!」
『マぁナぁ〜?』
思わず洩らしたシンジの言葉に、総ツッコミが入れられた。
「あああ、いや、その!」
「むぅ!」
離れてよと訴えるシンジに反抗して、マナは余計にくっついた、と……
「そういう……、ことかよ」
忘れられていた少年の再起に、アスカは面倒臭そうな目を向けた。
「なんだ、あんたまだ居たの?」
しかし挑発は通じなかった。
「お前らみんな、ぐるだったんだな」
「はぁ?」
「お前が渚だろ!」
指を差されて、カヲルはそうだよと肯定した。
「シンジって、お前が碇なんだろ!」
「そうだけど……」
「マナ!」
「なに……」
「渚の次はそいつかよ、お前なに考えてんだよ!」
「なにって……」
「騙されてんのがわかんないのかよ!」
「騙されてる?」
「わかってんだよ!、お前らがマナを利用してるってことは!」
「へ?」
「ムサシ!」
「マナをはめやがって!、散れよ!、俺はマナに用があるんだ!」
「君は……」
カヲルはどうしようもないねと前髪を掻き上げた、呆れて物が言えなかったからだ。
どこでどう勘違いしたのかは知らない、第一教室であれほどあからさまに暴露していたと言うのに、どうして耳に入っていないのだろうかと疑ってしまう。
(一体彼はどこでどんな情報を集めていたんだろう?)
「ムサシ!」
マナの罵声が気を引き戻す。
「シンジを馬鹿にしないで!」
「なに騙されてんだよっ、マナ!」
「シンジはムサシが思ってるような人じゃない!」
「マナ!」
言ったでしょ!、マナは声が割れてしまうほど大きな声で叫んだ。
「あたしはシンジを愛しちゃったの!」
マナはムサシを愕然とさせただけでは飽き足りず、一同に対しても宣言した。
「シンジはどうだかわかんないっ、けどね、あたしの気持ちはもう決まっちゃったの!」
ごめんねとマナはシンジに謝った。
「なんだかぐちゃぐちゃになっちゃって」
「あ、うん……」
「今日、もうごちゃごちゃだから、あたし帰るね」
「うん……」
「じゃあ、また明日」
「うん……」
どうしたものだかと身動きできずにいる皆を置き去りにして、マナは家の中に駆け込んだ。
バタンとドアを閉じて背を預け一息吐く、と……
「ま〜、な〜、さ〜、ん〜」
「ひぃっ!?、って、ま、マユミ!?」
「うぅ〜〜〜」
下唇で上唇を食み、あげく顎元に梅干しを作って悔しそうにしている。
「なに?、どったの!?」
「うううううーーー!」
ぽかぽかと殴る。
「ちょっとちょっとマユミってばぁ!」
「うううううーーー!」
もちろん、マナにマユミの悔しさなどわかるはずもなかった、しかしマユミの悔しさは、真っ白に曇っている眼鏡の様子から、伺い知れることだった。
続く
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