「僕は良いですよ、迎えに来てくれる人はいくらでもいますから」
そう言って、カヲルはシンジに席を譲り、人気の無い湖岸の道路に残ることを選んだ。
無言の車中。
そこはかなり重い空気によって汚染されてしまっていた。
「……」
ぼうっと窓の外を眺めているシンジの様子を、三人の少女が窺っていた。
そしてアスカがぽつりとこぼした。
「アイツ……、愛してる、だって」
シンジの様子をちらりと窺い、付け加える。
「笑っちゃうわね」
誰の耳にも、想いとは裏腹な言葉に聞こえてしまった。
「愛してるだって……」
悔しい、そう口にしているように聞こえてしまう。
自分には言えないから。
あそこまで必死の想いですがることなどできやしないから。
「愛してる、だって……」
(痛々しいわね)
ミサトは酒でも飲みたい気分になった。
「ストラスバーグ、……欠席か」
「ムサシ……」
ケイタは心配していた。
カヲルに電話を貰って、タクシーで迎えに出た。
魂が抜けてしまったようなムサシの様子に、何があったのかと訝しく思った。
『報告したければ、すれば良いよ』
全ての真相を明かされた。
『君の大切な二人の友人が、ズタズタに壊されたとしてもかまわないのならね』
ギュッと瞼を閉じて、俯き、震える。
言えるはずがなかった。
自分は知っているから、カヲルに付きまとう不穏な噂に、父や母や渚の者が、どんな反応を示し、なにを口さがなく言い合っているのか知っているから。
その俎上に乗せることなど、臆病な彼にはできはしなかった。
(我が身に降りかからなければ他人事か、だから君は嫌いなのさ)
まさかそんなことを理由に上げて、カヲルに蔑まれたなど気付きもしないで。
「アスカ」
ようやくの思いでアスカを見付け、恐る恐る話しかけたのはレイだった。
加持が育てる花の前、アスカは体を小さくしてしゃがんでいた。
「レイか……」
肩越しにぽつりとこぼされた言葉に対して、レイは珍しいねと驚いた顔をして喜んだ。
「アスカが名前で呼んでくれるなんて」
「そだっけ?、知らない、ごめん、意識してなかったんだけど」
ごめんと、これまたらしくなく謝った。
スカートを膝の裏に折り込んで、レイはアスカの隣にしゃがみ込んだ。
「へこんでるね、やっぱり」
「あんたもじゃないの?」
「正直……」
「はぁ……」
花が揺れるほど大きな溜め息を洩らしてしまう。
「あいつ……、本気かな」
「マナちゃん?」
「うん……」
「どうだろ?、ムサシ君に腹が立って、つい口走っちゃったって感じだけど」
「でも口走ったってことは、本音じゃない?」
『はぁ……』
二人で溜め息を吐いてしまう。
「でも……、あたしには言えないな、愛してるなんて、絶対」
「アスカ?」
不思議そうにするレイに、今は心の防壁が弱まっているのか、アスカは本気の弱音を吐露し始めた。
「だってさ……、あたしはシンジが居なくても、きっと生きていけるもん、きっと頑張れる、ホント言ってさ、別にシンジでなくても加持さんやカヲルでも良いんじゃないかって思うのよね、あたしを守ってくれるなら、誰だって良い……」
「アスカ……」
痛いほど気持ちがわかって、胸が苦しい。
本当に欲しいのは愛情じゃなくて……
支えにできるなにかなのだと。
『それ』を得た自分にはわかるから。
「でもあいつ、ムサシってのを蹴った、シンジが好きって、愛してるって言い切った」
「うん……」
「シンジでなきゃダメだって……、あたし、あそこまで言えない、きっと……」
怖いから。
見捨てられた時が。
だからみんなに好かれて居たい。
二番目、三番目の、逃げ込む先を、常に持っていたいから。
「でも」
レイはアスカの溜め息に揺れた花をつんとつついた。
「うらやましいよね」
「うん……」
「はぁ……」
シンジは珍しく一人で屋上に転がっていた。
(頭の中がぐるぐるしてるな……)
──あたしはシンジを!
「はぁ……」
「お兄ちゃん……」
急に空が見えなくなった、代わりに白い三角地帯と、そこから伸びる足が二本……
「レイ」
何故だか判別できてしまうシンジである。
「捜しに来てくれたの?」
「うん」
「そっか」
「……なに?」
シンジは不思議そうにするレイに、くすりと苦笑をこぼしてしまった。
「……ごめんね、浮気しちゃって」
レイは僅かに首を傾げた。
「あの人は?」
「え?」
「あの人のところには、行かないの?」
「あの人って……」
シンジはああと、誰のことを指しているのかに気が付いて、体を起こした。
「マナのこと?」
「うん」
「ムサシ君が居るのに?」
レイはぷるぷるとかぶりを振った。
「あの人、来てない、休みだから」
「そうなんだ……」
やっぱりショックだったんだろうなぁと腕を組む。
「どうしたの?」
レイはそんな兄の態度に目を細くした。
「え?、なにが?」
戸惑うシンジに、もう一度問いかける。
「お兄ちゃんは、あの人のことが好きなんでしょう?」
シンジの前に正座する。
「なのに、行かないの?」
シンジは強い疑念を持った。
「どうしたのさ、レイ」
「なに?」
「いつものレイなら……、怒るじゃないか、そんなことすると」
唇をすぼめて口にする。
「あの人は……、独り占めするような人じゃないから」
「独り占めって……」
「でも、お姉ちゃんやアスカは違うもの、わたしにも優しくしてくれる、けど、『お兄ちゃん』はくれない」
「レイ……」
「だから、だめ、お兄ちゃんは渡さない」
胸に体を倒して来る。
「わっ」
シンジは受け止め切れずに、一緒になって転がってしまった。
「っと、レイ、大丈夫?」
お腹の上で喉を鳴らしてもぞもぞとしている。
「お兄ちゃん……」
仕方ないなぁと苦笑して、頭を撫でてやる……、つもりで手を伸ばし、シンジはバシッと頭の中で弾ける音を聴いてしまった。
──レイのことにだって気付きもしないで遊んで……
「お兄ちゃん?」
レイの感情の薄い顔と目、そしてお兄ちゃんの呼び方に、昔の姿が覆い被さる。
『お兄ちゃん』
玄関で靴を履いていると、とたとたと廊下を走って来る音がした。
『シンジ!、レイも一緒に遊んであげなさい』
自分はあの時、どうしただろうか?
『ヤだよ!、僕これからサッカーしに行くんだから!』
あの時、レイはどんな顔をしていたのだろうか?
母の隣で、どんな表情をしていたのだろうか?
光の中に飛び出した自分。
背中で閉まった扉の音。
その向こうの暗闇で、レイはどうしていたのだろうか?
自分になにを想っただろうか?
(なんでこんなこと思い出すんだよ)
「お兄ちゃん?」
シンジの胸の上に両拳を並べて置いて、その上に顎を落とし、レイは小首を傾げた。
とくんと鼓動が、激しく鳴ったような気がしたからだ。
「レイ……」
「お兄ちゃん……」
「レイ」
レイは何を思ったのか、頬に朱を走らせた。
徐々に柔らかく微笑んで、潤んだ瞳をまつげの震える瞼の裏に隠し、唇を……
「って、そうじゃなくて!」
シンジは慌ててもがいたが、遅かった。
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