Asuka's - janktion:072
 全てを明かし、シンジは同意して欲しいと強制するようにはにかんで見せた。
「僕だって、みんなと同じようなことしてたんだよ、だから」
 ──あの時、振り返ってたら、僕は……
「今みたいに、みんなに優しいなんて思われるような自分にはなれてなかったんだろうなって、思うんだ」
 それに対して、二人は返すべき言葉に迷いを持つ。
「お兄ちゃん……」
「シンジ君」
「あ、そんなに深刻にならないでよ」
 シンジは慌てて言いつくろった。
「レイはもう覚えてないでしょ?」
「うん」
「幻滅したでしょ?、僕、そんな酷いことをレイにしたことがあったんだよ?、みんなと同じようにさ……」
 大きなレイは何も言えずに見守ることしかできなかった。
 シンジの『優しさと思える態度』の根源を見た気がしたからだ。
「いつもさ……、思ってた、なんで僕なんかが優しいなんて言われるんだろうって」
「シンジ君……」
「僕は今でも時々レイを傷つけて、泣かせちゃってるのにって、思うんだ」
 シンジはつい先日の、加持に注意された時のことを思い返した。
「まだまだだなって、思うんだ」
 ギュッと握り込まれるシンジの右手をじっと見つめる。
「お兄ちゃん……」
「けど……、さ」
「え?」
「なんでかな?」
 シンジは自分でも良くわかっていないのだと、困惑気味の表情を向けた。
「マナにね?、このことを話しちゃったんだ」
『……』
「なんでかなぁ……」
 シンジは二人の目に気付かなかった。
 嫉妬に満ち満ちた危険な瞳に。


「アスカさん……」
 校舎裏の狭い空間。
 マナは不安から口にしてしまった。
 ここまで何も話してくれなかったアスカの背中から感じる威圧感に、負けてしまった部分もあって、酷く怯えた声になってしまっていた。
 ──パン!
 それに対するアスカの返答は強烈だった。
 振り向きざまの平手が決まり、きゃあっと派手に倒れ伏す。
 そしてアスカの罵声がこだました。
「あんたねっ、ふざけないで!」
 びくんとマナは竦み上がった。
「なんで『さん』なんて付けんのよ!、昨日までアスカって呼んでたくせに!」
 それは、だって、そんな言葉がぐるぐると、マナの頭の中を駆け巡った。
「シンジを……、好きになったから?」
「……」
「好きになって、悪いと思ってるから?、だからそんな呼び方するってわけ!?」
「だって……」
「ふざけないで!」
 殴られる、そう思ってマナは首をすくめた。
「申し訳ないって、シンジに手ぇつけちゃってごめんなさいって、でももう手放したくないからって、アスカさんなんて媚び売らないで!」
 ひゅっとマナは鋭く息を吸い込んだ。
「ちがいます!」
「だったら!」
 マナはようやく、アスカの顔が泣きそうなものになっていることに気がついた。
「だったら、アスカさんなんて呼ばないでよ……」


(あの時、振り返ってれば、ううん、レイちゃんのこと、ちょっとは可愛がってたらって、レイちゃんはあんな風にならずに済んでたんじゃないかって、自分が許せないんだ、レイちゃんが虐められても何も言い返さなかったのは、自分が寂しがらせたせいなんじゃないかって思ってる?、自分が傷つけたから、レイちゃんは諦めちゃったんじゃないかって……、そんな風に、自分がやっちゃったことを一つ一つ思い出して、自分で責めて、償おうとか、埋め合わせしようとか、そんな後ろめたい気持ちばっかりふくれさせて、もうこれ以上責められたくないって思って、考えて)
 必死になって。
(そんな風に、今の自分になって)
 レイはシンジの顔をじっと見つめた。
(その内、本当にレイちゃんのことを可愛いって思うようになって、でもそれって)
 救いがないような気がしてしまう。
(だからなのかな?、シンジ君がレイちゃんに彼氏ができないかなとか言ってたのって、償いのゴールが見えないから、疲れちゃってたの?、誰を見たってレイちゃんに見えちゃって、気が狂いそうになってたの?)
 わたしもその内の一人なのと問いかける、目で。
(そっか……)
 レイは気がついてしまった。
(マナだけだったんだ……、重荷になりそうになかった相手なんて)
 みんな自分を頼るから。
(しっかりしなくちゃいけなくて)
 甘えたいのに。
 弱音だって吐きたいのに。
(そっか……)
 それでシンジは迷ったのかと理解した。
「シンジ君は……、マナのこと、好きなわけじゃないんだよね」
 それは希望的観測が多分に混ざった言葉であり、またあまりにも唐突で論理の飛躍を感じさせるものだったのだが、シンジはそれはそうだよと実に素直に頷いた。


「アスカ……」
 マナは泣き出してしまったアスカの様子におろおろとした。
「ちょ、ちょっと泣かないで、ね?」
「嫌!」
「嫌って……」
「悔しい!、なんであんたなんかに負けたなんて思ったんだろ?、あんたなんかに」
「負けたって……、え?」
 とにかくわけがわからなくておろおろとしていると……
「アスカは愛してるとなんのためらいもなく言い放った君に嫉妬していたのさ」
「渚君!」
 マナは彼の突然の登場にギョッとした。
 いつの間にやら傍で校舎の壁にもたれ掛かっていたからだ。
「いつからそこに」
「ごめんよ、あんまり険悪なムードだったんでね」
「まさかずっと着いて来てたの?」
「そうだよ」
「ふうん?」
 アスカの背を撫でてなだめながら、マナは目を細くして愚痴を吐いた。
「だったら叩かれる前に止めて欲しかったな……」
 しかしカヲルは、それは無理だよと肩をすくめた。
「僕はシンジ君じゃないんだからね」
「は?」
「目の前で争いが起こっているからと言って、一々止めるような趣味を持ち合わせてはいないということさ、君たち二人を比べたならば、僕は君よりもアスカに同情するよ」
「アスカが可愛いから?」
「そうだよ?」
 カヲルはにこっと微笑んだ。
「僕にとってより大事なのはアスカだよ、だからアスカのしたいようにさせて上げる、それは当然の選択だろう?、僕はシンジ君のように、二人を同じには扱わない」
「同じじゃない」
 意外にもカヲルの言葉を否定したのはアスカであった。
「同じじゃない……、だってシンジは」
 シンジは……、とアスカは悔しげに呟いた。
「シンジはもう、こいつのことが好きになりかけてるじゃない」
 しかしカヲルは、そんなアスカの敗北宣言を否定した。
「そんなことはないさ」
「どこが!」
 小揺るぎもせずにカヲルは答える。
「好きなら……、シンジ君は霧島さんのことが気になって仕方なくて、今もここに居るはずだよ、ああ、気になってと言うのは、『好きだから』ではなくて、『心配だから』だよ」
 なんとなくわかる気がして二人ともお互いの顔を見合わせてしまった。
『あ……』
 互いに懸ける言葉を見失う。
 気の毒に思ってしまったからだ、お互いのことを。
「わかるだろう?」
 困ったものだねとカヲルは続けた。
「殴り合ってまでわからせようとした僕の気持ちも、今なら君たちに通じると思うよ?」
「なんのことよ?」
「わからないかい?、そうだね……、霧島さん」
「はい?」
「シンジ君は、君に好きと言ったのかい?」
 マナは眉間に皺を寄せた。
「そうなの?」
 アスカの問いかけに、こくんと頷く。
「そうなんだ……」
「でもあたしの気持ちは……」
「シンジ君に傾き始めている、それは別にかまわないよ」
「あたしはかまうんだけど?」
「でもシンジ君に惚れている女の子なんて、数え上げていたらキリがないよ?」
 アスカはあうっと呻いてしまった。
 先日その数を確認して喚いていたのは自分である。
「今更一人や二人増えたところで何が変わるわけでもないよ、ただね、放置できない問題が一つばかりあるのさ」
「なによぉ……」
 君たちのことじゃないよと前置きをして、カヲルは彼の名前を上げた。
「問題は……」
『問題は?』
「ムサシ君だよ」
「ムサシ?」
「あいつが?」
 お互いの顔を見合わせる。
「そうさ」
 カヲルはそんな二人に自説を語った。
「だって、そうじゃないのかな?、彼は本当に霧島さんのことが好きだった、でもシンジ君は?」
「う……」
「一時の気の迷いでしかなかった、どうだい?、図星だろう?」
 マナはさらに大きく唸って頭を抱えた。
「そんなにはっきりと言わないでよ……」
 今度は逆に庇ってしまうアスカである。
「可哀想になって来るんだけど」
「でも事実だよ」
 カヲルはすっぱりと切り捨てた。
「さあ、ここからが問題さ、どう思う?、あのシンジ君がだよ?、それを過ちだとは思わないものなんだろうかってね?」
『あやまち……』
「そうさ、真剣であったなら、曲がりなりにも霧島さんに恋心を抱いてのことだったのなら、なんの問題も無かった、そう、幾人かの女の子たちが涙に枕を濡らして終わるはずのことでしかなかった、けどね?、人の心が傷つけられることを極端に忌避するシンジ君が、霧島さんに何を想い、なにをしようとしたのか?、その結果、ムサシ君、彼の真剣な気持ちに、どれだけの傷を負わせてしまったのか?、このことを考えないわけにはいかないだろう?」
 アスカは今ひとつわからないのか首を傾げた。
 だがマナは付き合いが長かった分だけ、その先に来るはずの、シンジの発想が読めた気がした。
「あたしと真剣に付き合おうとするとかって言うんじゃ」
「え!?」
「それがシンジ君のシンジ君たる所以ゆえんだよ」
 しかし二人は冗談じゃないと、それぞれの意味で大きく叫んだ。
「そんなのでこいつを選ぶって言うの?、シンジが!」
「ムサシに悪いからって付き合ってもらったって、嬉しくない!」
 カヲルは両方に対して頷いた。
「幸いにも、今はそこまで考えが至っていないようだよ?、けどねぇ……」
 屋上を見上げる。
「そのような発想に飛躍させてしまうかもしれない存在が、どうやら動きを始めたんだよ」
 一体が誰のことを言っているのか?
 容易に想像がついた二人は、慌てたように駆け出した。



続く



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