(はぁ)
ここに一人の少女が居る。
マユミである。
マユミはスキップをしそうな勢いで、浮かれた足取りを披露していた。
なんだこいつと、道案内を頼んだ彼に、疑惑の眼差しを向けられていることなど、気付きもしないではしゃいでいる。
少年は、マナから遠ざけられた時とは酷く違うと、気味の悪さを感じていた。
今日に限って、なぜこんなにも友好的なのかと訝しく思うが、それは彼にはわかるはずもないところに、原因が存在していた。
(昨日の運勢は最悪でしたが……)
今日はツイているのかもしれませんと、マユミはほくほくとした顔で、道案内を請け負っていた。
頼んだのはムサシである、行き先は碇シンジが居そうな場所。
それはもう、マユミを期待させるには、十分過ぎる申し出だった。
(昨日の続きが期待できるかもしれません)
はぁああああっと恍惚とした気持ちに陥っている。
「あ……」
そんなマユミであったのだが、階段を登るべく通路を曲がったところで正気に返った。
上からちょうど、シンジがたちが姿を現したからである。
「ちょど……」
良かったと口を開こうとしたムサシだったのだが。
ゴン☆
背後からのキックに沈没。
「あ、アスカ!?」
「マナ!?」
『あはははは〜、じゃね!』
二人は両足をそれぞれ別に抱え上げると、そのまま階段を跳ぶように下りて逃げていった。
ガンガンガンッと、後頭部を段差に打ちつける痛そうな音が遠ざかって行く。
「あ……」
シンジは呆然と口にした。
「なに?」
「さあ……」
レイが同じように呆然とし、小レイはただ小首を傾げ……
「はっ!?」
またも逃してしまったのかと、マユミが今更気がついた。
──体育倉庫の扉が開く。
『せぇの!』
二人は息を合わせてす巻きにしたものを放り込んだ。
ぼすっと石灰の白煙が上がる。
バンッと強めに扉を閉めて、素早く開かないようにしんばり棒をかます。
「ふぅ」
「これで良しっと」
二人は意図的にふがーっという抗議の声を完全無視した。
「後はゆっくりシンジ君と……、あれ?」
マナはもしもーしと呼び掛けて見た。
その背後では、ガンガンと戸が鳴っている。
「アスカ?」
「なによ」
ガンガンガン!
「ここでなに言ってんのよぉっていつもの調子で言ってくれないと、ギャグになんないんだけど」
ガンガンガン!
しかしアスカはマナの望みとは真逆に、はぁっと強く溜め息を洩らした。
「だってあたし……、あんたみたいに愛してる、なんて言えないもん」
「へ!?、まだ気にしてたの?」
ガンガンガン!
「やだなぁ、あれはつい言っちゃったってだけで……」
ガンガンガン!
「冗談でも同じよ」
「アスカ……」
ガンガンガン!
「でもシンジを渡したくないの!、絶対に渡したくないの!、シンジはあたしのっ、あたしだけのシンジなの!、けど!」
ガンガンガン!
「そんなに苦しいなら……」
ガンガンガン!
アスカはぶるぶるとかぶりを振った。
「あんたが羨ましいわ」
ガンガンガン!
「え?」
「だってなんの悩みもないんだもん」
ガンガンガン!
「……馬鹿にしてる?」
ガンガンガン!
「違う、羨ましいの、ほんとに……」
ガンガンガン!
「ああもう!」
マナはうるさいっと、戸を蹴り付けた。
「静かにして!」
マナ……、と小さく聞こえた、どうやら猿轡だけは外したようだ。
「アスカ」
「なに?」
「あたしにだって、虐められた経験くらいあるよ?」
「は?」
マナはこんこんと戸をノックした。
「ムサシ」
「……なんだよ」
「どうしてあたしが転校したか、知ってる?」
「みんなが虐めたからだろ?」
マナははぁっと深く深く溜め息を洩らした。
「やっぱりわかってなかったか」
「おい!、マナ!」
「それがわかったら出して上げる」
また騒々しくなる、しかしマナはアスカに行こうと誘ってその場を離れた。
「良いの?」
「良いの!」
「ってかさ、理由、違うの?」
アスカは言いづらそうなマナに対して、命令口調で促した。
「話しなさいよ、ってか、話せ」
なんで命令口調なんだろうかと苦笑してしまうマナである。
「なんでもないことなんだけどね……」
マナはつまらない話だよと、前置きをして口を開いた。
「原因は、ムサシ」
「あいつ?」
「うん……、ムサシってね、前の学校じゃ人気があったのよ、それこそ渚君くらい」
「へぇ……」
「でもねぇ……、ほら、あたしって彼女だって思われてたじゃない?」
「ほんとに?」
「チャカさないで」
「ごめん……」
「でね?、面倒臭くなっちゃって……」
「はぁ?」
「だからさぁ……、みんな幼馴染だってだけで彼女面してってね?、ねちっこい真似してくるわけよ、あたし的にはさ、もう中学生になったんだし、男の子と遊ぶのも恥ずかしいしで」
「言ったの?、あいつに」
マナはうんと頷いた。
「でもねぇ……」
その先はなんとなくわかる気がして、アスカは想像を口にしてみた。
「言われたんじゃない?、良いじゃないか、放っておけよって」
「そんな感じ」
だから嫌になって逃げ出したのだとマナはこぼした。
「だってね、なに言っても言わせとけば良いじゃないかって、そればっかりで、どーしてあたしがそういうこと言い出したのかってこと、まったくわかってくれなかったわけよ」
「そりゃ……、付き合ってると思ってたんなら、そうでしょうね」
「うん、だからね、もうこりゃだめだって思ったわけ、こいつになに言っても通じないって、わからせるのは無理だって」
「それで転校したの?」
「うん」
「でも……、じゃあシンジは?」
それが誤算だったとマナは告げた。
「まさか今更……、今頃?、男の子を好きになるとか思ってなかったし」
「勝手な奴ね」
「うん、勝手」
マナはそう言ってのびをした。
「ごちゃごちゃしたのは嫌い、ねちっこいのも嫌い、マターリしてるのが一番好き☆」
アスカに対しても笑顔を見せる。
つい十数分前までの翳はもうそこにはない。
「ごめんね」
「え?」
「ごめんなさい!」
マナははっきりと頭を下げた。
「あたし、アスカにムサシとおんなじことしてたんだね」
「まぁね……」
「だからごめん、今度から気を付ける」
「はいはい」
アスカは素っ気なく応答した、
「けどシンジのことは別よ」
「うん……」
途端に会話が途切れてしまう。
二人の中にはそこから先の問題を解決できる能力が、根本的に欠けていた。
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