第三新東京市、第一中学校は、この日、あまりにも現実を逸脱した光景に、失神する生徒が続出していた。
「こ、これって……」
 眼鏡の少年は、名を相田ケンスケと言う。
 引きが入ってしまうのも当然だろう、何しろ、転校生として登校して来た生徒は百七人。
 内、女生徒が百六人、男子生徒一名である。
 ぞろぞろと引き連れて来る彼に、注目が集まるのも当然であった。
「なんなんだよ、一体……」
 生徒が困惑するのも当然であった、女生徒のその顔が、彼らの知る妙に怪我の多い少女に、あまりにも酷似し過ぎていたからだ。


「碇、シンジです」
 彼はニコニコと言った。
 ちなみに綾波レイの一党は、別の教室にまとめて放り込まれている。
 何しろ同じ名前、同じ顔をしている上に、その数は二クラスから三クラス分に相当するのだ。
 これに対して、シンジは「いいんじゃないですか?」と実に朗らかに答えている。
「マンションの方は、別の部屋に分けて正解でしたね、同じように返事をしてしまうのが嫌で黙り込む者、独りになろうとする者、逆に不安からか、グループを作る者と、個性が出始めてますよ」
 話し相手は、バスの運転を買って出た葛城ミサトだった。
 シンジが席に着くと同時に、シンジの端末には色々なメールが飛び込んで来た。
 それに対して、シンジは後で答える、と返信した。


 休み時間になると、シンジは人に取り巻かれてしまった。
 綾波レイは背を押されるようにして、シンジの脇に立たされていた。
 珍しい事に、その顔には不安が浮かんでいた。
「えっと、さ……」
 シンジは恐る恐る問いかけた。
「この間ので、お父さんかお母さんが、怪我した人、いるかな?」
 それが何を指し示すかは明確だった。
 全員が息を飲む。
「僕も、綾波も、実験を手伝わされててね」
 嘘ではない、が、全てでも無い。
「あの綾波達は……、全員、予備だったんだ」
「予備?」
 誰かの言葉に頷く。
「うん……、怪我をした時とか、何かあった時にね、交換用の臓器とか、色々と」
 青ざめる者が続出する。
「な……、んだよ、それ」
「まあ、色々とあるんだ、言えないけど」
 シンジは演技過剰気味に、悲しげに微笑んだ。
「でも、みんなのお父さんやお母さんが、突然帰って来て、その代わり綾波の数が減ってるなんて、酷いでしょ?」
 何か言いかけたレイを、シンジは目で押し止めた。
 その狡猾な色合いにレイは射すくめられていた。


「何故?」
 昼休みの屋上。
「何故、あんなこと……」
 柵に持たれ、空を仰いでいるシンジに問いかける。
「さあ、どうしてかな?」
 レイが複数作られていたのは、決してシンジが口にしたような利用法のためではないのだ。
「上手く思い付かなかっただけだよ」
 シンジは笑った。
「まあ、上手くいかなかったら……、次は上手くやるよ」
「次?」
「次の世界ではね」
 その無責任さに、レイは顔をしかめた。
「わたしは……」
「もちろん、この世界での、君達の幸せは保証するよ?」
 真摯な瞳だった、嘘の無い、先程とは違う。
 それ以上に、彼女の知っている、唯一絶対と思っていた男とは違う目であった。
「彼女達が……、地下に居たままじゃ、壊されたりしたら、綾波は苦しいだろう?」
「苦しい?」
「気にするだろう、って事さ」
 シンジは体を起こすと、真っ直ぐに歩いて無造作にレイを抱きしめた。
「え?、あ」
 目を白黒とさせる、余りにも自然な動きだったために、逃げる暇も無かった。
 腰に手を回し、抱きすくめる腕。
 しかしその抱擁は心地好いものだった、だから、逃げられなかった。


「お〜お〜、雰囲気出しちゃってまぁ」
 それを双眼鏡で覗いていたのはミサトであった。
 保安部員と共に、送迎用のバスで学校側に待機している、これはゲンドウの命令でもある。
 機密そのものである綾波レイの大量集団登校、これが狙われないはずが無いのだ。
「ああやってると、普通の男の子なんだけどねぇ」
 ぼやきながらも、頭の中では、もっとも、と呟いている。
(本当に百年以上生きてるってんなら、性欲とか欲求ってのは希薄なんでしょうけどね、だからレイは身を預けてるの?、身の危険を感じないから……)
 双眼鏡を外す。
「お父さん、か……」
 シンジがレイに見せる表情を言い表せば、そうなるだろう。
 老人の柔和さと、少年の気安さが同居しているのだ。
「人のために生きてみるってのが、どうにもね」
 納得できない、納得いかない。
 自分のために生きる、それが空しい事だと悟り、諦められるほどミサトは歳老いていないのだ。
 有り体に言えば、信じられない。
 ミサトはシンジの監視を再開した。


「予定外の損失だな」
 老人の言葉に、ゲンドウは無言を保っていた。
「本部の破壊はともかく」
「アダムの損失」
「揚げ句、補完計画よりの帰還者か」
 だが責めているわけでは無かった、言っている本人達も唸っているのだ。
「裏死海文書」
「シナリオも……」
 書き直し、等では済まされない。
 碇シンジの言葉を信じるのならば、このままサードインパクトまで時を進めたとしても、彼らにとっての補完は成らないのだ。
「ではどうする?」
「サードの破棄」
 この瞬間、初めてゲンドウに変化が起こった。
 ピクリと組み合わされた手に反応が現れたのだ。
「わたしは、反対します」
「ほう」
「何故だね?」
 誰も、息子だからか、とは聞かない。
 彼がそのような理由で口にするとは思っていないからだ、その程度には信用している。
「初号機のコアは失われております、零号機は再起動もおぼつかず、弐号機に到っては今だ実戦配備には問題ありとの回答が出ています」
「ふむ……、結果はどうあれ、使徒の殲滅には必要か」
「だが補完計画には?」
「弐号機を使用します」
 どよめきが起こった。
「しかし弐号機では」
「幸いにも『リリス』は失われました、コピーはあるものの、これで使徒は『オリジナル』へと進攻を開始します」
 ざわりと揺れた。
「まさか!」
「『アダム』へか!」
「はい」
 薄く笑ったのは何故だろうか?
「サードチルドレンはこの街にとどまる事を選んでおります、なら、その手の届かぬドイツで事を進めるのが妥当かと」
「しかし、それでは!」
「さよう、迎撃都市としての機能、投資が……」
 言っている事が言い訳にもなっていない。
 しかし彼らにとっては死活問題であった、なにより、戦場が足元に移ってくれば、火のつくのは、責任は……
「ファーストチルドレンか」
 議長がポツリと漏らした。
「碇、何を考えていた」
 ゲンドウは押し黙った。
「だんまりか、まあいい」
 あっさりと許す。
「しかしサードの監視の意味もある、アダムは近日中にそちらへ移送する」
「それは!」
 喚いた男を、手で制した。
「サードチルドレンは、我々の存在を関知しているのだな?」
「シナリオの内容も含めて」
「分かった、念のためもある、弐号機もつける、碇、勝手は許さんぞ」
 それで会議は閉幕となった。


 レイは目の前に並んだ料理の数々に目を丸くしていた。
 鼻孔をくすぐるのはおいしそうな匂いだ。
「十五回目くらいかな、綾波も何とかしてあげたいって思ってさ、ちゃんと勉強した事があったんだよね」
「そう……」
 確かにレイ好みの品が並んでいる、肉は生理的に嫌悪感が先立つものの、カレーなどをぱくつくように、決して薄味が好みではないのだ。
 しかし単純には喜べない、良く似ているからと、誰かを重ね合わせて想われている様な気がしてならないのだ。
 そう考えると、食欲をそそる料理も味気なくなる、一体どんな人だったのだろうか?
 これほど好みが似ていて、これほど想われていた、その誰かさんは。
「どうしたの?」
 シンジに覗き込まれてハッとする。
 心配げに、エプロンを着けた少年の顔は間近にあった。
「いえ……」
 咄嗟にそう答える、鼓動が早鐘を打っていた、レイは気が付き、動転した。
(嫉妬……)
 そう、その感情はあからさまに嫉妬であった。
 何故そんな事を思ったのか、考えたのか、分からない、ただ、無性に悔しかったのだ。
「さあ、食べよう?」
「ええ……」
 レイはテーブルに着くと、箸を手にして、頂きます、と手を合わせた。
 もちろん、そんな事をしたのは、夕べシンジがそうしていたのを覚え、真似て見ようと思っていたからであった。



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