「しかし……」
 ミサトは険しい顔つきで、その戦闘を見ていた。
「ばかばかしいとは、この事ね」
 戦自の見栄が徒労に終わった後だけに、一段と際立っていた。
 派手な爆発と閃光が何ら役に立たなかったというのに、今、エヴァ初号機は何の苦労も無くその使徒を抑え込んでいる。
 両側の鞭を手に握って。
『リツコさん』
「なに?」
『この使徒、確保しますか?』
「どういう事?」
『コアさえ破壊すれば、本体は無傷で手に入れられます、殲滅しろって言うなら、爆発で街に被害が出るかもしれませんけど』
「なら答えは決まってるわ」
 ちらりとミサトへ目を向けたのは確認のためだ。
 頷くミサト。
「確保して」
『わかりました』
 手首を返して鞭を巻き付け、初号機は抜き手をコアへ繰り出した。


「本当に、恐ろしい子ね」
「はい?」
 本部に入れるには危険と言う事で、使徒の解体はジオフロント内の森の一角で行われていた。
 その特設テントの下、呟いたのはリツコで、受けたのはシンジだった。
「なんです?」
「あなたの事よ」
 リツコは一端キーを叩くのをやめた。
 テーブルに頬杖を突いて、コーヒーを飲んでいたシンジへと顔を向ける。
「動態視力、反射神経……、どれも人並み、いいえ、人並み以下なのに、その技だけは達人だったり、本当に……」
 シンジは肩をすくめた。
「仕方ありませんよ、肉体は全部リセットされちゃいますからね」
「知識と経験は継続されているわけね、じゃあ、あなたにはこれの正体も分かってるんでしょうね……」
 カコンとENTERを押す、画面に表示されたのは使徒の染色体情報だ。
「はぁ、でも、教えてくれたのはリツコさんですよ」
「え?」
 きょとんとしたリツコに苦笑する。
「当てつけか、何かを託したかったのか、それは僕には分かりませんけどね、中学生が使徒とか、エヴァのことなんて分かるわけないじゃないですか、けどみんな、切羽詰まって来ると寄ってたかって僕に教えて、死んじゃって……」
「シンジ君」
 深い懊悩を見せる、だがぱっと、シンジは表情を改めた。
「でも、この世界じゃ、まだ『分からないこと』、ですからね、頑張って解析して下さい」
 シンジは歩いて来る一団に気が付いて顔を向けた。
「シンジ!」
 顔を輝かせたのは、その中にいた女性であった。
「母さん」
「シンジ、どうしてここに?」
「母さんこそ」
 表面上朗らかだが、シンジは失笑を噛み殺していた。
(ほんとに、二人とも……)
 この場合は、ユイの背後に居るゲンドウと、シンジの後ろのリツコを差す。
 ゲンドウはシンジを、リツコはユイへと嫉妬とやっかみを向けていた。
 軽い抱擁を行った後で、ユイはシンジを解放した。
「わたしはお仕事よ」
「僕も似たようなもの『ですよ』」
 その物言いに、ユイは暗く翳りを見せた。
「シンジ……」
「また今度、休みの日にでも遊びに行きますから」
「ええ、きっとよ?」
 一歩引いたのをきっかけに、ユイは振り返り、少々驚いた。
 ゲンドウが待っていたからだ。
「すみません」
「ああ」
 二人に合わせて、先に行くわけにもいかず困っていた研究員達も歩み出した。
 ふうと溜め息を吐く。
「本当に、父さんも、母さんも……」
 振り返り、苦笑する。
「リツコさんも」
「なに?」
「好きなら、なりふり構わなきゃ良いのに」
 リツコは目を丸くした。
「あなたね」
「恋愛がそんなに奇麗だなんて思えるほど、若くありませんよ、僕は」
「そう……、そうでしょうけど」
「夢や理想でしかありませんよ、一戸建の家に、お父さんとお母さん、それに子供に、犬?」
「あなたが言うと、重みが違うわね」
「そうでしょうね」
「その様子だと、あなたもしたの?、恋……」
 シンジは微笑を浮かべた。
「好きだった人は居ます、けど、振られちゃいましたから」
「今からでも遅くはないでしょう?」
「でもフェアじゃないですよ、僕は彼女の喜ぶ事も……、嫌がる事も、何もかも全部知ってる、気味悪くありませんか?、そんなのって」
「シンジ君」
 リツコは始めて気が付いた。
「やり直しって言うのも、案外色々とあるみたいね」
「父さんみたいに酷い人間になれれば、もっと楽しいのかもしれませんけどね」
「そう?、そう言えば」
 意地悪く訊ねる。
「どう?、レイとの同棲生活は」
「同棲?」
「もっぱらの噂よ?、二人っきりになると、すぐ抱き合ってるって」
「ああ……」
 微笑を浮かべる。
「覚えがありませんか?、小学校の高学年くらいになって来ると、親ってもう一緒に寝てくれなくなるんだけど、やっぱり布団……、の匂いかな?、結構惹かれるものがあって、潜り込んで寝ちゃうんですよね、それで気が付くと、自分のベッドに運ばれてて……」
「あなたにも、そんな記憶があるの?」
「ありませんよ」
 話にそぐわない笑みを浮かべる。
「ただ、友達の妹さんがそうで、預かった事があって、一緒に寝てあげたら凄く安心してたんです」
「扱いに慣れてるのね」
「見た目はこうだけど、もうおじいさんですからね……、子供の扱いくらいは覚えますよ」
「じゃあ、わたしやミサトの扱い方も分かるのかしら?」
 シンジは吹きこぼした。
「なに?」
「ごめんなさい」
 シンジは目尻の涙を拭って言った。
「大人のキスって言うのはミサトさんに教えてもらいましたけど、僕、初めての相手って、リツコさんですよ?」
「え……」
 呆然とした。
「嘘……」
「嘘じゃないですよ、四十五回目でした、良く覚えてます、僕はまだ綾波を何とかして上げたくて頑張ってた……、けど、父さんが嫉妬して、綾波を抱いたんです」
「なんですって?」
「抱いたんですよ、綾波を」
 その顔に嫌悪と侮蔑と嘲笑が浮かんだ。
「誰も喜びませんでしたけどね……」
 思い出すのはレイのあのマンションの一室だった。
 訊ねていくと、男の汗と精臭が篭っていた。
 ベッドから身を起こしたのは父だった、その下に横たわっている白い肢体。
 その顔は人形張りに無表情で、壊れていた。
「僕は傷ついた、綾波は心を閉ざした、リツコさんは綾波に辛く当たり始めて、僕はその八つ当たりで誘われたんです」
 リツコは震える手つきで、タバコに火を点け、深く吸った。
 ふうと、心の重みと共に煙を吐いた。
「妙な気分ね……」
「はい?」
「知らない事で、責められるのは」
 シンジは笑った。
「そうですね……、今のリツコさんには関係の無い話ですよ」
「でも……、あり得る話しだわ」
 苦く笑う。
「あなたはレイを、あの人は奥さんを、わたしは独り……、誘いたくもなるわ」
「壊したくなる、の間違いでしょう?」
「そうね」
 その幸せな雰囲気を、だがシンジは微笑した。
「いいですよ、別に」
「え?」
「それで憂さ晴らしになるなら……、別に、愛人にしてくれて構いませんよ」
「構わないの?」
「性欲と恋愛感情は同一のものじゃありませんけどね、好意くらいは生まれるでしょう?」
「それはそうだけど」
「それに……」
 シンジは厭らしい目で、リツコの体を舐め回した。
「リツコさんの体のことなら、多分、父さんよりも良く知ってますよ」
 これにはリツコも、鳥肌を立てざるを得なかった。



[BACK] [TOP] [NEXT]