おおむね平和な時間が過ぎていた。
『綾波レイクラス』の担任となった教師の幾人かが、ノイローゼのため休職したなどと言う微笑ましい事件があったりもしたが、レイの中には名前の変更を求める者が急増していた。
 男子生徒と付き合い始める者、社交性を発揮する者など、特色も出始めている、ただ、男性関係は今ひとつ発展せずに、停滞を見せていた。
 もちろん理由は、『間違える』からだ。
 綾波レイとて、同じ顔をしていてもそれぞれが別個の人格を持っている女の子である、間違えられては気分が悪いだろう。
 だが当人達でさえ見分けがつかないものを、一体誰が分かるというのか?
 居た、一人だけ居たのだ。
 碇シンジ。
 何故だか彼だけは、間違えることなく、頼みを聞き入れ、その報告をし、遊びたいと言われればカラオケにもゲームセンターにも付き合っていた。
 時々試すような、『入れ代わり』も看破して。


「そう」
 シンジの報告に、ユイははにかんだ。
「シンジ、もてるのね」
「まあ、みんなにもてても、ね」
 二人の会食は、日本蕎麦であった。
 店内にはちらほらと人影が見受けられる。
「あら、そんなこと言っちゃ、嫌われるわよ?」
「僕は嫌われたいんだよ、母さん」
 シンジは暗い笑みをこぼした。
「シンジ……」
「七十回目くらいだったかな、ATフィールドを使えるようになってたからね、母さんのサルベージを思い付いて、やって見た事があったんだ」
 シンジはわさびの味を消すためにお茶を含んだ。
「それで、母さんを連れ出したんだけど、母さんは一緒に暮らそうって言ってくれてね、でも、僕の力に興味を持って、実験対象みたいに扱って、父さんは父さんで、母さんに甘える僕と、甘やかす母さんに嫉妬して、僕を殺したんだ」
 淡々とした口調が、事実を述べているだけだとユイに知らしめていた。
「父さん、結局母さんに甘えたいだけだって、そう思ったんだ……、でも母さんは父さんよりも、僕に近い居場所を取った、今もそうなってる、けど、今度は甘えていられないんだよ、母さんのことは好きだけど……、それを表に出すと、すぐにでも殺されちゃうからね」
 あまりにも軽い語り口調に、ユイは世間話のような錯覚に囚われる事になっていた。
 冗談では済まされない内容であるのに、だ。
「今回は、幾つか約束があるから……、それを果たすまでは、死ねないんだよね」
「シンジ……」
「大丈夫だよ、死んでも……、死んだって、何も変わらないから」
 その顔は、輪廻の輪に乗り、ただ周回をくり返す者だけが持つ、倦怠感を見せつけていた。


「で、シンジ君の意見は?」
 ミサトは作戦部の長としての体面を捨てて、シンジに意見を求めていた。
 作戦会議質には、他にリツコが居るだけだ。
「JAですか?」
 ポリポリと頬を掻く。
「はっきり言って、迷惑ですね……」
「そう?」
「細かい性能までは、流石に……、でも役に立たない事を証明しろと言われれば、それは幾らでも、ああ、内蔵電源では五分と保たない決戦兵器では、どうとか言ってましたけど」
「誰が?」
「時田……、だったかな?」
 何度かくり返し説明を聞いたにしては、名前も覚えていないらしい。
「あんまり連れて行ってもらってないから、暴走したのを止めるの、手伝っただけだし」
「暴走!?、ちょっと待ってよ」
「あ、でも……」
 シンジは意味ありげにリツコを見た。
 もちろん、リツコは気まずく目を逸らす。
「なによ?」
 目ざとくミサト。
「知らなくていい事よ」
「あっ、そう!」
 ぷりぷりと怒る。
「そうね、あんたはシンちゃんと仲良いもんね!」
 どうやらシンジから何か聞かされているのだと勘違いしたらしい。
 だがシンジはそれでいいのだと、笑ってはぐらかしに掛かった。
「みんなそう言うんだけど……、食事もしたこと無いのに、なんででしょうね?」
「あら?、じゃあ今度なにか食べに行く?」
「奢ってくれるならいつでも」
「高給取りの癖に、せこいわね」
 二人の微笑に、ミサトはさらにイジケて、とうとうしゃがんでしまっていた。


 JA、正式名称、ジェットアローン、そのお披露目説明会で、シンジは素朴な疑問をぶつけることにした。
「あの……、車両に陽電子砲くっつけた方が機動性も良いしコストも少ないし、人的被害……、あ、じゃなくて、環境汚染の心配も少なそうなんですけど、どうしてわざわざ人型なんですか?」
 身も蓋もないとはこのことだろう、さらに子供の言うことだ、と言うのが邪魔をして、時田主任は皮肉も言えずに真面目に答えようと余計に混乱し、顔を赤く膨らませていた。
 表向きは、あくまでもニッコリと返答をする。
「それは、だな……、未知の生物に対しては、格闘戦闘もあり得るわけで、これはパイロットである君の方が分かるんじゃないのかな?」
 へぇ?、っとシンジは驚いた。
「僕がパイロットだって、どうして?」
「それはだね」
「おかしいなぁ、確か機密のはずなのに、ああっ、そうかスパイが居るんだ!」
 ぶっと各所で吹き出す音がした。
 ミサトは腹を抱えて体を折っている、揺れているのは笑っているのだ。
「そうかぁ、じゃあ、二匹目の使徒の鞭の速度も、当然知ってますよね?」
「いや、それは……」
「なんだぁ、役に立たないスパイだなぁ」
 今度は赤くなる剥げ親父が増えた、もちろん、机の下では拳を握り、相席している部下は逆に青ざめていた。
 もし立ち上がって一言でも叫ばれたならば、一応名目上は国連の出先機関であるのだ、国際問題に発展しかねない。
「あの鞭って、詳しい数字って知りませんけど、確か音速は越えてましたよね?」
 シンジの問いかけに、リツコは頷いた。
「その攻撃をエヴァは簡単に受け止めました、ならJAだって、もちろんそれぐらいの事は出来るってことですよね?」
 シンジが何を言いたいのかに気が付いた時田は焦った、焦ったがしかし、反論は許されない。
「格闘戦を、想定してるんでしょ?」
 シンジはにこやかに、……悪魔の笑みだが、その提案をした。
 すなわち、砲弾を華麗に受け止めろ、と言う課題をだ。


 帰りのヘリの中で、シンジはぼうっとしていた。
 JAのプログラム変更は、こちらで対応するとリツコ経由でゲンドウに釘を差しておき、中止させていた。
 結果、JAは砲撃の直撃を食らって大破、放射能汚染の恐怖に高官を晒し、大ひんしゅくを買うと言う、在る意味、余計に悲惨な結果に終わっていた。
「何を考えてるの?」
 問いかけたのは、隣で何やらノートパソコンを弄っていたリツコだった。
 ミサトはとっくに爆睡している。
「いえ……、結構騙されるものだなって、思って」
「騙す?」
「戦車に陽電子砲を乗っけるって話しですよ」
 シンジは苦笑した。
「それで倒せるなら、世話ありませんよ」
「どうして、倒せないって?」
「この間の戦闘で言ったでしょ?、使徒は強くなります、反応速度が上がる、移動速度も」
「追い切れなくなるというのね?」
「本当なら、暫くそっちで倒しておいて、それからエヴァを投入した方が良かったんでしょうけどね」
「あら?、それは無理よ、毎回あれだけのエネルギーを徴収できるはず無いわ」
「そうなんですよねぇ」
 シンジは両手をポケットに入れて、お尻を半分ずり落とした。
「S機関を搭載するってわけにもいかないし」
「今だ理論上の産物だもの」
「え?、いや、搭載するだけなら、出来ますよ」
 これにはリツコの方が仰天した。
「なん……、ですって?」
「搭載するだけなら、使徒のを取り込んじゃえばいいんですから、簡単ですよ、けど……」
「何か問題があるの?」
「これもやっぱり、エヴァの強化になっちゃうから、どうしても……」
「使徒が、より強くなる?」
「はい、その線引きの上で、バランスを保ちながらギリギリの戦闘を続けるのが、実は一番安全なんです」
 リツコはふと思った。
「シンジ君……」
「はい?」
「あなたの……、経験した中には、使徒によるサードインパクトもあったの?」
「八十二回目と八十七回目だったかな?、もう勝手にしてくれって、ネルフから第二東京に帰っちゃってたんですけどね、それで」
 シンジは冷めた口調で言った。
「特に八十二回目ですよ、人を呼び付けといて、乗るなら早くしろ、でなければ帰れ!、ですよ?、だから本当にその足で帰ってやろうと思ったら、あっさりとサードインパクトです、でも、物理的なものだったから、後の世界は続いたんだろうなぁ……」
 リツコはその最後の部分を聞き咎めた。
「後の世界?」
「本当のサードインパクトは……、世界を、たった二人だけ残して、全てを無に還しました、凄かったですよ、あれは」
 シンジが饒舌になっているのにはわけがあった。
(綾波との約束は果たせそうだけど、アスカの方は、どうなるかな……)
 その気の重さが、シンジの眉間に、深く皺を刻ませていた。



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