「どうかね、零号機の調子は」
 人影の少ない発令所で、訊ねたのは冬月だった。
 リツコが答える。
「思ったより損傷が激しくて……、修理にはまだ手間取ります」
「そうか」
「シンジ君に手伝ってもらおうかと思ったのですが、断られましたしね」
「ほう、何故だね?」
「シンクロによる素体の修復は、一見便利なように見えてヘイフリックの限界が早く訪れる事になる、零号機は『同じ』でもやはり初号機とは『違う』んだそうです」
 ふむ、と冬月は顎先を撫でさすった。
「どうやら、わたし達より余程詳しいらしいな」
「はい……、肉体の崩壊をぎりぎりまで遅らせるためにも、修理は地道に、外科手術で行って欲しい、だそうですわ」
「そうか……、そう言えば、セカンドチルドレンは、今日から登校だったな」
 一方その頃、中学校では。
「あ、おはよう」
 気軽に挨拶するシンジも目に入らず……
「な、な、な!、なによこれはぁ!」
 ぞろぞろとバスから下りて来る綾波レイの団体に、アスカが恐怖の絶叫を張り上げていた。


 一ヶ月以上も経てば、それなりに順応するものである。
 ただ、勘弁して欲しいと思うのは体育教師であろう、綾波レイの一団による、バスケットボールやサッカーなど冗談ではない。
 なにがなにやら、もうさっぱりだ。
「サードチルドレン……」
 アスカはやや疲れ切った声でシンジを誘った。
「ちょっと付き合って」
 シンジには苦笑する事しかできなかった。


 運動場隅、必死に胸の内を落ちつかせている様は、まさに葛藤を表現していた。
「聞きたい事が、あるんじゃないの?」
 シンジの言葉に、顔を上げる。
 真っ直ぐに見つめて、ややあって、アスカは問うた。
「あんた……、ホントに、サードインパクト……」
 言葉足らずだったが、シンジは了解した。
「誰かに聞いたの?」
「そんなことはどうだって良いじゃない!」
「まあね……、でも、信じられないなら、僕が答えたって意味ないんじゃないかな?、君が聞きたいのは、嘘だって、否定の言葉だけでしょ?、それが一番納得できる返事だから」
 くっと言い返そうとしたアスカを、シンジは両手で押し止めた。
「ごめん……、とりあえず、じゃあ、君にも確かめられる事だけ話すよ」
「なによ!」
「例えば……、君のお母さんのことかな?」
 アスカはいきなり硬直した。
「な、何のことよ……」
「君のお母さんが、お父さんに捨てられたこととか、君のお母さんは、君と、人形の区別が付けられなくなったこととか、まあ、色々だよ」
 青ざめる。
「あ、あんた……」
「僕の事を抜きにしたって、僕は君のことを色々と知ってる、これは事実だよ」
 シンジはアスカの脇を通り過ぎ様、ぽんとその肩を叩いた。
「続きは、次回の講釈で」
 それこそ、古めかしい言い回しであった。


 使徒襲来、その結果は口にするまでもなく、惨敗である。
『本日午前十時五十八分二十秒、二体に分離した目標『乙』の攻撃を受け、弐号機は活動停止、初号機により回収、この状況に対するE計画責任者のコメント』
『無様ね』
「もう!、あんたが余計な声かけるから、せっかくのデビュー戦がメチャメチャになっちゃたじゃない!」
「怒らなくてもいいじゃないか」
 シンジは肩をすくめた。
「別に、誰も怒ってないんだから」
「わたしとしては、実に怒りたいところなんだがね」
 冬月は頭痛を堪えるために、こめかみを揉みほぐしていた。
「シンジ」
「なに?、父さん」
「お前の仕事は、なんだ」
「当面は、使徒に勝つこと、かな?」
「分かっているなら、なぜ、わざと負けた」
「え!?」
 驚いたのはアスカだった。
「なんですってぇ!?」
 信じられない、と言う目を向ける。
 しかしシンジは飄々としたままだ。
「我々は、使徒に勝つために存在している、無様な敗退を見せるためにいるのではない」
 シンジは失笑し、ついには腹を抱えて体を折った。
「何がおかしい」
「そういうのが、大局的にものを見てないって事になるんだよ、父さん」
 シンジは半身を曲げて、振り返った。
 上の席に居る父を冷めた目で見上げる。
「言ったはずだよ?、使徒は強くなるってね、一進一退をくり返してこそ、後の戦いが楽になるんだよ、まあ、最終的に負けても良いって言うなら、瞬きする間に倒してあげるけどさ、次に来る使徒は、人間の動態視力じゃ追い切れなくなるよ?」
 冬月が口を挟んだ。
「それも、既に体験済みのことかね」
「三十二回目でした、忘れもしませんよ、一度目の戦闘でいきなりS機関を搭載して戦いました、結果、三匹目の使徒でもう負けです、超長距離からの加粒子砲は一撃で天井都市を融解し、エヴァに乗る前に決着がつきました、まあ、僕は生き残ったんで、ドイツ支部に身を寄せて、今度は『あれ』を狙って来る使徒を相手に戦いましたけどね」
 そして現在、『あれ』はここ、本部に移送されている。
 加持リョウジの手によって。
「組織なんて、僕にとっては足枷にしか過ぎませんからね、人類全体のために、ただ勝てば良いって言うのなら、それこそこんな団体、見殺しにして戦うんですけど……」
 おそらくは事実なのだろう、碇シンジは、生身で使徒全てを討ち取れるのだ。
 言葉にはそれだけの説得力が込められていた。
「ま、綾波とアスカのためです、問題は……、弐号機ですけど」
 シンジはにやりと、ゲンドウ達を舐め回した。


「ちょっと待ちなさいよ!」
 レイを伴って歩くシンジを呼び止めて、アスカはそのまま噛みついた。
「こないだから、弐号機とか、ママとか、あんた一体なに知ってるのよ!」
 溜め息を吐く。
「森に行こうよ」
「なんでよ!」
「ここじゃあ、話せない事だからさ」
 移動する間、アスカはただシンジの背中を睨み付けていた。
 その険の強さに苦笑しつつ、レイの視線も受け流す。
「さてと」
 ひんやりとしたジオフロントの森の中で、シンジは切り出した。
「君は、エヴァがどうやって動くのか、知ってるのかな?」
「あんたバカにしてるわけ?」
「シンクロがどうやって行われているかって、聞いてるのさ」
 嘲笑に近かった。
「じゃあ、お母さんのシンクロ実験の事故については?」
「え!?」
「弐号機との接触実験で、廃人になったって事は?」
「なによそれ!」
「知ってるんでしょう?、知ってて、お母さんが残してくれたから、だから弐号機にこだわってる、違うの?」
 よろめき、アスカは後ずさった。
「違う……」
「違わないよ」
「違う、違うわ!、弐号機はっ、ママは、パパに捨てられたから!」
「違うね、お母さんは、構ってもらえなかったから仕事にのめり込んだだけだよ」
 レイは冷たく、そんな二人を見つめる。
「エヴァには、魂があるわ」
 突然、ポツリとこぼす。
「そうだね……、その魂って、どこの、誰のものなんだろうね?」
 優しい声音が、恐ろしかった。
 アスカはゆっくりと顔を上げた。
「あ、え?」
「返してあげようか?、お母さん」
「なん……、ですって?」
「返してあげようかって言ったんだよ、サルベージ、弐号機からお母さんを連れ戻すことは出来るよ?、簡単だからね」
「あんた、なに言ってんのよ!」
「理解できない?、まあ、今は聞くだけでも良いよ、でも、僕は約束したんだ、君と」
「君って……」
「百七回目のやり直しだった……、アスカ、君は血まみれでね、下半身が無くなってたよ、僕は抱き上げて、聞いたんだ」
 シンジは苦笑いを浮かべて、両手を見つめた。
 彼には血にまみれているように見えるのだろう。
「今度は……、選ばせてって、君は言った」
「なんですって?」
「選ばせてって、言ったんだ、全部ね?、今までそうだっただろう?、選択する幅のない生き方だった、だから、全部、自分で決めて、自分で生きてみたい、だから、全部教えてくれって、君自身が言ったんだよ」
「そんなの知らないわよ!」
「そうだね、『君』には関係の無いことなんだろうけどね……」
 ポケットに入れて、手を隠し、シンジは天井都市を仰ぎ見た。
「でも……、知らずにいるよりは幸せだと思わない?、弐号機には、アスカのお母さんが居るんだよ」
 シンジは踵を返した。
「もし……、その気になったら、いつでも言ってよ、お母さんを取り出すのは、凄く簡単な事だから」
 飄々と立ち去っていく、アスカにはそれを追いかける事が出来なかった。


 使徒に対してであるが、これは加持リョウジの発案による、荷重同時攻撃が採用された。
 もちろんシンジは、「ま、そうなるでしょうね」、と軽く答えている、ただし、同居によるリズム合わせは行われなかった、理由は……
「もういいでしょ!」
 ネルフ内、トレーニングルーム。
 去っていくアスカを、シンジは汗を拭きながら見送った。
「まあ、確かに十分なんだけどねぇ」
 言ったのはミサトだ。
 加持は難しい顔をしている、どんなにリズムが変わってもだ、一定であればシンジは簡単に合わせてみせた。
 メトロノーム並みの感覚でも備わっているのだろうか?
「気を感じる事ですよ、僕はただ、アスカの気の流れを真似ているに過ぎません」
 これには舌を巻く他無いだろう、事実、アスカの実力や練度に関係無く、結果は十分満足のいくものとなっているのだから。
「これなら、アスカが思いっきり暴れても、なんとかなるでしょうね」
「かもしれないが」
 加持が心配しているのは、別のことだった。


 ジュースを買い、タブを開け、飲む。
 人の気配に横向くと、アスカが立っていた。
 顔には複雑なものが刻まれている。
「なに?」
 アスカはぎゅっと拳を握り込んだまま、俯き、顔を逸らした。
「ほんとに……」
 一旦、言い直す。
「ほんとに、ママを返してくれるの?」
「それが君の望みならね」
「あたしは!」
「でも」
 シンジの瞳にアスカは飲まれた。
「君のお母さんは、逃げ出したくて仕事に没頭したの?、それとも、君のために世界を残したくて、エヴァを作ったの?」
 アスカはシンジの言葉を思い出した。
 遺作。
 彼はそう告げている。
「今、お母さんを連れ出せば、エヴァは動かなくなる、君は乗れなくなる」
「なんでよ!、そんなことない、弐号機は!」
「神経接続、それはパーソナルパターンの酷似した対象であって始めて成り立つんだ、エヴァと、パイロット、お互いが近親であればあるほど良い、本当は双子がベストなんだろうけどね」
 綾波レイ。
 アスカの体に戦慄が走った。
「あ……」
「エヴァから降りれば、少なくとも一年は幸せに暮らせるかもしれない、けど、サードインパクトで全てがこぼれるかもしれないんだ、手のひらからね?」
 シンジは手を持ち上げて、ひっくり返して見せた。
 アスカには、そこから何かが転がり落ちるのが見えた。
「どう?」
 シンジは訊ねた。
「一年……、頑張って見てからでも遅くは無いと思うよ?」
「あんた……、あたしに、何をさせたいのよ」
「別に?」
「別にって、あんたねぇ!、ママを返すとか言っといて、そんな」
「だから、僕は約束に従ってるだけにすぎないんだよ」
 苦笑した。
「その時になってから、返すって言ったくせに、世界が終わったんじゃ意味無いじゃない、なんて言われるのは不服だからね?、あらゆる事に対する選択と、責任を、君に求めてるんだよ、……僕はただ、従うだけさ」
 こうして、二人は使徒戦を迎えた、結果については、碇シンジの能力がまた一つ、記述されただけである。



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