いつものように夜は更けていくし、彼女の甘えもまた、いつものように許される。
 彼の体に腕を回し、胸をお腹に押し当て、足を絡ませる。
 それでも互いの性の象徴が反応することはない、感情はもっと幼く、あるいは歳老いているからだ。
 シンジは彼女の髪に、声をくぐもらせる。
「綾波は……、僕に、恋愛感情を抱いてる?」
 レイは答えない、ただ聞くだけだ、少年の体臭は、男というには淡く、透明過ぎる。
「それは初恋かもしれない」
 シンジは一々分析し、彼女自身気付いていない事を知らしめる。
「でも、その恋は実らない」
 初めて、レイに反応が見えた、びくりと震え、きゅっと抱く腕に力を込める。
「僕は、間違いなく、死ぬ」
 それはこれまで同様にくり返される事象である。
「君はその時、失恋を味わう事になる」
 シンジは優しく、レイの頭の下に腕を差し込んだ、肘で曲げて、頭を抱いてやる。
「でも、それはとてもとても好い事なんだよ?」
 あくまでも、前向きに。
「人を好きになる、失う事の切なさを知る……、そうやって、君は大人になる、ならなくちゃいけないからね?」
「何故?」
「それは、君が蔑まれる事になるからだよ」
 優しく、梳く。
「君には、沢山の君が居る、でも普通の人には、その見分けが付かないんだ、クローンに人権を認めるかどうかなんて、そんな下らない話だって必ず出て来る、人は君達を憐れむ、父さんのように」
 強く反応を示すレイを慈しむ。
「その時、君は強くなっていなくちゃならない、負けないために」
「強く……」
「そうだよ?」
 顎先で前髪を掻き分け、額に口付ける。
「失う事の恐怖から立ち直って、強さを身につけなくちゃいけないんだ、何も無いって言っていた綾波は……、僕にその事を教えてくれた」
 まただ、とレイは思った。
 それは知らない、誰かのことだから。
「そして……、僕も、何もかもを失ったから……、だから、こうして、強くなれた」
 それは間違った方向性の、強さなのだが。
「でも……、君は、沢山のものを得たままで、強くならなくちゃいけないんだ、そうでなくちゃ、悲しいから」
 レイの腕に被さるように、シンジの腕が回された。
 華奢な腰を抱きすくめる。
「寝よう?、話しは……、また明日、するから」
 すぅ、と、寝息が続く。
 レイはシンジの肩にかかるよう、シーツを引き上げた、それでは自分は顔も隠れてしまうのだが……、逆を言えば、だからこそ、シンジは体を冷やそうとしたのだと言える。
 彼女が苦しくならないように、これも、些細な優しさなのだろうか?
 その機微は、まだ彼女には分からない、彼女が知っていた感情は、もっと雑な物だったから。


「碇君……」
「ああ、ごめん、忘れてた」
 脱衣所のカーテンを無造作に開け放ち、着替えを要求する。
 シンジは慌てて部屋に戻ると、折り畳んだ制服の上に、ご丁寧に下着も乗せて手渡した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 何事もなく着替えに戻る姿に、彼女はいつかの誰かと同じように、目を丸くして驚いていた。
「なに?」
 笑って訊ねる。
「なにって」
 アスカは唖然としていた。
「あんた達……、そう言う関係なわけ?」
 はぁ?、っと驚いた後で、シンジはエプロンの上から腹を抱えて笑った。
「はは……、みんな、どうしてそんな風に見るのかな?」
「それ以外、どう見えるってのよ?」
「聞かれると、困るんだけどね?」
 笑いを噛み殺す。
「言ったろう?、皆からも聞いたんじゃなかったの?、僕が百八回目のやり直しを経験してるって」
「あたしは……」
「信じてない?、まあいいけどね、でも僕は、そのやり直しの中じゃ、何度か綾波を抱いてるし、アスカだって、抱いてるよ」
「え!?」
「どんなキスが好きで、どんな所が感じるのか、僕は知ってる、でも、余り良い記憶じゃないからね、掘り返したくないんだよ」
「なによ……、それは」
「戦闘が進むにつれて、みんな僕達を人間らしく扱わなくなっていった、僕達も道具として使われる事に慣れていった……、けど、ストレスは溜まるから、お互い傷つけ合って、こんな自分は情けないって、見下げ果てるために、一番最低だって、敬遠しあってた相手を選んだんだよ」
「あたしはそんなに弱くないわよ!」
 シンジの眼光がアスカを貫いた。
「アスカ……、僕に強がりは利かないよ」
「な、によ……」
 悔しげに顔を伏せ、横向く。
 その前に、とん、と入れたての紅茶が置かれた。
 ただのダージリンティーだ、カップの受け皿にはレモンが添えられている。
 その匂いが、胃を軽く刺激する。
 顔を上げると、シンジはいつものように作り笑いを浮かべていた。
「君は僕を利用する事だけ、考えていればいい」
「はぁ?」
「僕はただここに居るだけだからね……、何かをしたいわけじゃないんだよ、君と、綾波、二人と交わした約束を実現するために、ただこの一年を生きるだけさ」
 例え無限の生であっても、限定された時間軸の中では、『互い』に育める物は何も無い。
 ただ、『膨らむ』だけだ、想いが、苦しみが。
 それがどれ程辛い事か、アスカは気が付きもしなかった。


「ラッキー、加持さんに買い物付き合ってもらえるなんて!」
 じゃれつくアスカに、加持は苦笑いを浮かべる。
「それより、どうだった?、朝、シンジ君の所に行って来たんだろう?」
 アスカの表情が翳を帯びる。
「あんな奴……、知らない!」
「そうか?」
「修学旅行、行けなくなっちゃうし、ほんと、最低!」
「葛城が反対したんだろ?、まあ、仕方ないさ」
「シンジもレイも、飼い馴らされちゃってさ、使徒が来るから行かないんですって!」
「使徒が?」
「ええ……、ほんとに、全部分かってるみたい」
 加持はまだ、シンジの全てに触れているわけではない、信じていないのか、考える素振りを見せた。


「まさに言葉通りね」
 ネルフは現行で、ほぼゲンドウ、冬月、ユイをトップとする一団と、その下層とに二極化していた。
 これはシンジの暴露が効いているのだが、意図した所ではない。
(まあ、良いか……)
 シンジはそれも計算の内のように振る舞い、さも当然と、こうして作戦会議にも参加していた。
「使徒、これが?」
「使徒の幼生体、繭、卵、でもいいわね?、まあ、そう大差は無いわ」
 リツコの報告に、ゲンドウは呟いた。
「捕獲する」
「なに?、しかし碇、それは……」
「生きた使徒のサンプル、これの有用性が分からぬはずは無いだろう?」
「シンジは、どう?」
 ユイの問いかけに、ゲンドウの顔に露骨な嫉妬が垣間見えた、それに対して苦笑しながらも、シンジは顔を上げた。
「まあ、好きなようにするといいよ」
 ゲンドウの側にユイが居るように、シンジの三歩後ろにはレイが居る。
「ただ、そこまでする必要があるのかどうか、疑問だけど」
「何故?」
 くすっと笑う。
「なに?」
「いや……、そう言うとこ、綾波に良く似てるなって、ね」
 ユイの顔が引きつる、が、シンジは構わずに続けた。
「零号機は規格外、初号機じゃ僕が何をするか分からない、だから弐号機を使うしか無いわけだけど……」
「規格外?」
「D型装備ですよ、詳細はリツコさんにでも聞いて下さい」
 ユイの質問はそうやって躱す。
「問題は、弐号機を失った時、僕に対する切り札を失う……、だけじゃないな、補完計画にも支障をきたすって事だ、そうだよね?、父さん」
 ゲンドウの顔に焦りが浮かぶ、とは言っても、汗が一粒浮かんだだけだが。
「シンジ、お前は……」
「大丈夫、父さんや老人方が考えてる事も、二・三度経験してるよ、そっちの補完計画は成功するさ、アスカって人柱を使ってね」
「あなた……」
 ユイだけではない、黙り込んでいたミサトの批難も向けられる。
「司令、それは一体」
「今は訊ねるべき事じゃないですよ、ミサトさん」
「シンジ君?」
「知りたかったら教えてあげますけどね、とりあえずは、これでしょう?」
 ユイはゲンドウを無視して訊ねた。
「あなたの知る未来じゃ、どうなってるの?」
「どう捕獲しようとしても、使徒の方が先に目覚めます、違うかな?、接触のショックで目覚めるんだ、あれは僕達をおびき寄せるための罠だからね」
「罠?」
「前々回と、前回の戦闘だよ、母さん」
 おもしろげに、手で口元を隠す。
「水上戦闘で、限定された環境に苦手意識があるんだなって読んだんだよ、それからこの間のユニゾンで、素早さを知った、そこで、こちらの動きを封じるために、ああやって自分を餌にしてるのさ」
「そんな……」
「使徒は、そこまで知恵が働くというの?」
「それは正確じゃありませんよ、リツコさん」
「では、何故?」
「昆虫が学習進化しているのと変わりませんよ、戦闘をくり返す度に粗を探して、次の使徒が参照する、自己進化、進歩するために、他人の欠点を得意分野にして、出し抜こうとしてるだけさ」
「最善の策は?」
 これはミサトだった。
「あの形態のままでは、ATフィールドは張れません、いや、張ってはいるけど、酷く微弱です、高温高圧、その環境に堪える殻こそがやっかいなわけで……、一番楽な手段を選ぶなら、N爆雷でもっと深く沈めて、圧壊させてやる事ですね、それで倒せます」
「ほんとに、そんな事で?」
「使徒はエヴァだけが敵であると思い込んでます、実際、通常兵器は役に立たなかったわけですが……、これに自然の力を利用すれば、まあ、なんとか」
 肩をすくめる。
「使徒の捕獲を狙って、人類全滅の危機を犯して、さらに補完計画も頓挫の憂き目に逢うか、ここは妥当に倒しておくか、その選択は任せますよ、それじゃ」
 背を向け、レイの腕に手を当てて、行こうと促す。
「シンジ」
「シンジ君」
 期せずして、ユイとミサトの声が重なる、しかしシンジは取り合わず、そのまま退出していった。


 使徒については、弐号機の見守る前で、N爆雷によって処理された。
 上方からの爆圧によって沈み、そのまま消失、検出されたATフィールドのパターンが消えた事から、殲滅と確認された。
「何もかも、あいつの言う通りってわけね」
 浅間山近隣の温泉宿である。
 露天風呂には、ミサトとアスカの他に、人影は無い。
 使徒戦のために退避命令が出たためだ、また命令されなくても、物騒さの余り避難していた。
 この宿は、ネルフが事後処理のために確保した、宿泊施設と言う事になっている。
「で、シンジは?」
「レイとプールよ、本部のね」
「はっ!、デートってわけ?」
「そうじゃなくて……、彼、泳げないそうだから」
「へ?」
 百年も生きていて、今だ浮く事すら出来ない碇シンジ。
 ミサト、アスカ共に、普段の彼から金槌などと言う想像は、とてもとてもできないのであった。



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