ミサトの心には不満が溜まっていた。
「あたし、なんでここにいるの?」
 同僚のぼやきに、リツコは苦笑する。
「なぁに?、今頃になって存在理由の確認?」
「だってさぁ」
 ギシッと背もたれを鳴らす。
「この間だってそうじゃない?、シンジ君が居れば、使徒が来る事も、使徒の倒し方も分かるのに、作戦部長なんてなんのために必要なのよ?」
 リツコは顔をしかめ、何かを口にしようとしたが、結局それは、放たれなかった。


「ミサトさんが、ですか?」
「ええ」
 いつものように、シンジはこの部屋を訪れ、何かを設計している。
 その気軽さは放課後の塾通いに似通っていた。
「使徒が居なくなればなったで、別のことでもすればいいんだけど、あの子はそれが出来ないから」
「そうですね、ミサトさんは復讐するためにここに居るんですから」
 シンジは手を止めた。
「丁度いいかな?」
「え?」
「次の使徒は、ミサトさんに任せてみます」
「そう?」
「後半年は……、こんな感じが続きますけどね、でもその後は、自分達で何とかしていくしかないんですから」
「あなた抜きで?」
「依存対象にされるほど、僕は頼り甲斐ありませんよ、そうでしょう?」
「そうかしら?、少なくとも、レイにとっては違うんじゃない?」
「綾波ですか……」
「まだ抱いてないの?」
「抱きませんよ、そういうのは卒業しました」
「どうして?、温もりを伝え合う方法って、構ってあげるだけじゃないんじゃない?」
「けどそういうのって、嫉妬しませんか?」
「誰が?」
 指差されて、リツコは焦った。
「わたしが?、まさか……」
「どうでしょうか?、幸せそうな綾波を見て、幸福そうなカップルを見て、僻まずに居られますか?」
 答えが思い浮かばない。
「でしょう?、アスカも、ミサトさんもですけどね、みんな自分は不幸だって思ってるから……」
「だから、手は出さない……、いいえ、出せないの?」
「セックスなんて、そんな風にするもんじゃないですよ、憬れですけどね」
「余程酷かったのね、経験が」
「そうですね……、求め合うって、どんな感じなんでしょうね?、与え合うとか……、僕は、ただ貪る事しか出来なかったし」
「シンジ君……」
「まあ、そうやって、もう嫌だって事には手を出さないようにして、こうなってるってだけなんですけどね」
「変えようとは……、思わないの?」
「変えたって意味無いですよ、どうせあの日が来れば……、全部、無駄になるんだから」
 愚痴が多くなっているのはどういった傾向なのだろうか?
 また表情を見せることも多くなっている。
「分からないでしょうね、どんなに仲良くなっても、ある日が来るとまた他人に戻るんです、前は上手く付き合えても、今度は何か行き違いが一つあっただけで駄目になる……、それが嫌なら、逐一全部覚えておいて、機械的にくり返して行くしか無いんですよ、そんな生き方……、生きてるって意味も無いのに、死んでも駄目で……」
 重苦しい溜め息だった。
『あんたの気持ちなんて分かんない!、嫌な事はもう沢山だからって、こう答えておけば丸く収まる?、あたしはプログラムなんかじゃないっ、生きてるんだから!』
 そう言った少女もまた、別人なのだ……
『何が大丈夫よ!、どうせまたやり直しになるだけだからって、盾になるんじゃないわよ……』
 そしてあの子は、こんな自分のために死んだ。
『あんた……、嫌なんでしょ?、自分の立ち回り一つで変わっていくのが、だったら』
「今度は、あたしに選ばせて、か」
「なに?」
「いえ、なんでも……」
『全部、あたしが決めてやるから』
「約束を思い出して」
「約束?」
「けど……、この調子じゃ、守ってもらえそうも無いな」
 シンジは分けのわからない呟きを残して、今日は帰ると席を立った。


「ただいま」
 と言って家には上がるが、返事が無い。
「いないのかな?」
 部屋に戻ると……、居た。
 月光の中、ベッドに身を投げ出して眠っていた。
 シンジは苦笑して、ベッドにもたれるように座った。
 寝息を聞きながら、揺れるカーテン越しに月を眺める。
「難しいものだね……」
 誰に向かって呟いているのか?
「皆に楽してもらいたいから頑張ってるのに……、今度は、自分達の仕事を奪うな、って」
 それはミサトのことだろうが、他にもそう思っている人物はいるかもしれない。
「父さんには母さんを返して上げたから、今度は『あの日』まで生きられるかと思ってたんだけど」
 項垂れる。
「……もう少し、早い内に、死んだ方がいいのかもしれない」
 生きる気力は、やらなければならないと言う想いが、走らせるものなのだから。
「ねぇ、綾波……」
 シンジは寝ていると思って漏らしていた。
「知ってた?、僕はね……、弱いんだ」
 どれほど齢を重ねようと、学び取ろうと思わなければ無意味な時間の積み重ねになるだけだ。
 事実、最初の数回はそうして過ごして来たのだし、ここ数回もそうだろう。
 そして精神的に補完してくれるものは、何一つ得られていない。
「色々な事を勉強したけど、僕は一人だ……」
 鼻をすすり上げる、声が震えた。
「誰か……、誰か助けて、助けてよ」
 震える姿を、薄目を開き、レイは見ていた。


 高々度から落下して来る使徒を受け止める。
 発案したのはミサトだったが、シンジは黙っていた。
 その態度に、皆これでいいのだと安堵する、ミサトを褒めるよりも、だ。
 それがミサトの神経をまたささくれ立たせる。


 レイはエヴァをスタート位置に着かせたままで、シンジを映し、横目に見ていた。
 目を閉じているために、シンジは気が付いていなかった。
(碇君……)
 その黙祷は何のためなのか?
 考えるまでもないだろう。
 レイは表示を消して、正面を向いた。
「碇君は、死なせない」
(わたしはまだ、教わってないから)
 何を、だろうか?
 ともかく、使徒はやって来た。


 スタート、この時、誰も想像しえなかった事が起こった。
『零号機、シンクロ率上昇!』
『理論値を突破します!』
『レイ!』
『碇君を死なせない……』
 交錯する通信に、シンジはエヴァを駆りながら青ざめた。
 酷似する状況、それは前回の……
(アスカ!)
 使徒に向かっていく零号機が赤く見えるのは何故だろうか?
『あの時』は使徒ではなくエヴァだった。
 状況も敵も違うのに、同じに見えた。
「綾波ぃ!」
 強く叫ぶ、それでもエヴァの走力は上がらない。
(なんで!)
 シンクロは近親者の接続による相互の感情干渉によって行われるものだ、初号機には魂が無い。
 人形は人形として操られる糸に従うだけだ、自分で走ることは出来ないのだ。
 だが零号機は違う、レイの意志を受けて、力の限り、駆けて行った。


「ATフィールド、全開っ」
 くっと歯を食いしばる。
 レイはその巨大な使徒を受け止めた、足が食い込み、山が陥没し、割れ崩れる。
「あの馬鹿!」
 アスカも焦った。
「何やってんのよ!」
 シンジの思いなど知らないからだろうか?、アスカはレイの暴走の意味を計りかねていた。
 とにもかくにも、エヴァを滑り込ませて、レイを手伝い、持ち上げる。
「シンジ!」
『分かってる!』
 初号機は間髪置かずにナイフを繰り出し、止めを刺した。


 表面上は、命令を守って真っ先に使徒を受け止めた、それは褒められる事なのだが、何か責めなければならない部分があるように思われた。
 しかし沈黙するレイを前に、ミサトは、アスカは言葉を持たなかった。
「綾波……」
 シンジはレイと二人、電車に揺られていた。
 避難勧告解除の直後だけに、人は他に見られ無い。
「なんで無茶するのさ……」
 レイは呟いた。
「碇君が……、泣いてたから」
「そう……」
 二人の間に、それ以上の言葉は交わされなかった。



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