此度の使徒侵入の報を聞いた時、シンジは冷然と言い放った。
「自業自得ですね」
 スケジュール通りであれば行われるはずの実験が行われなかった。
 どういう事かと訝しんでいれば、綾波レイに強要して、極秘裏に行われていたのだ。
 レイの弱みとなった、シンジへの負担軽減を餌にして。
 画策したのはゲンドウであったが、これが更なる批判と批難を招くこととなったのは言うまでもない。
「僕は言いましたよね?、綾波レイは貰うと」
「ええ……」
 ゲンドウに代わって返事をしたのはユイだ。
「で、綾波は?」
「精神汚染からは脱したものの、酷いショック症状を起こしていて、未だ錯乱してるわ」
 ふうと溜め息。
「じゃあ、僕は彼女の治療に向かいます」
「そんなこと、できるの?」
「恐がってる子を守ってもやれないで、何が親ですか」
 リツコが口を挟んだ。
「親?」
「僕は親代わりですからね、彼女の」
 その目は、冷たい。
「シンジ……」
「そちらは勝手にやって下さい、何でもかんでも頼られちゃ迷惑です、こんな裏切りを働かれてまで、あなた達を守る義理は、僕にはありませんから」
 シンジは暗に、実験に荷担したリツコとミサトをも責めていた。


「う、ああ、あっ!」
 酷くうなされ、目を開くと、ひんやりとした手が額に乗せられていた。
「碇……、くん」
「恐い思いをしたみたいだね」
 その穏やかな笑みは、とても悲壮さを隠し持っているとは思えない。
 だがレイは既に知っていた、それが仮面である事を。
「退避命令が出たよ」
 シンジはさらりと言った。
「みんなは僕に、どうすれば使徒が倒せるのか聞きたかったみたいだけど、まあ、たまには苦労してもらうよ」
「何故?」
「だって、みんな無条件に守ってもらえるなんて、思ってるからね?」
 皮肉を浮かべる。
「僕は僕が嫌だからやってるだけなんだ、あの人達の、守られて当然だなんていう、傲慢さに付き合うつもりはないよ」
 優しく、レイの頬を撫で、汗を拭う。
「だから、綾波も無理しないで、あの人達に付き合うことは無いよ」
「わたしは……、碇君のために」
 そう言う事が言えるのは、気恥ずかしさを知らないからだろうか?
 だがシンジは、かぶりを振って拒絶した。
「いいんだよ……、僕は、僕の勝手でやってる事だから、綾波は恩を感じたり、何かで返そうとしてくれなくて、いいんだ」
「でも……」
「言ったろう?、僕には、もう、あと半年も残されてないんだよ、今、優しくしてもらっても、僕は次の世界で、違う綾波に会って、優しかったのに、冷たいんだねって、苦しまなくちゃいけないんだ」
 複雑過ぎて分からない、だが、苦悩は感じられた。
「碇君……」
「僕は、そうやって、何人もの君に会ったんだ、前は優しくしてくれたからって、調子に乗って気安くすれば、嫌われる……、想い出が幾つあったって、もう二度と、ここに居る君とは会えないんだよ、ただ……、君に似た人に出会うだけで、思い出すのも、辛くなるから、だから……」
 余りかまい付けないで欲しいのだろうか?
 それともかまって欲しいのだろうか?
 シンジは元の調子で言った。
「でも、今はここに居るから、寝ていて」
「ええ……」
 放送が掛かる。
 自爆シーケンスに入った事を告げる放送だ。
「大丈夫だよ、綾波は、僕が守るから」
 金色の光が室内を満たす。
「碇君……」
 驚くレイに、寂しそうに微笑んだ。
 この時、レイは実感した。
 シンジが本当に、人と言う枠からは、程遠い存在であるのだと。


 使徒については、リツコの手により処理された。
「知ってたんでしょう?、今日、使徒に侵入されること」
 非難めいた口調で、いつものようにやってきたシンジに訊ねる。
 今日はレイも一緒だったが。
「もちろん知ってましたよ?」
 シンジは悪びれもせずに言った。
「忠告くらい、して欲しかったわ」
「使徒はATフィールドに反応して起爆したんですよ、僕も迂闊でした、実験には僕も参加させられると思ってましたからね」
「その時に、口にすればいいと思ってた?」
「たまには人のありがたみを感じて下さい、まあ、いらないって言うなら、それでも……」
 後半はレイの視線に気が付いて、噛みつぶす。
「恩を売るなんて、シンジ君らしくないわね」
「そうですか?、そうかもしれませんね、苛ついてますから」
「え?」
「目障りなら、素直にそう言えばいいんですよ、七十二回目なんて使徒扱いされましたからね、使徒だから、殺せって」
「あなたを?」
「綾波に」
 レイの体が、びくりと震える。
 リツコも、微妙な目つきをした。
「そう……」
「零号機の手で、こう、ね」
 と握り潰す仕草をする。
「七十三回目はアスカでした、綾波は父さんの命令だから、迷いもしないで、アスカは使徒だったなんて、騙してたのかって、もう弁解する気も起こりませんでしたよ、利用価値が無ければ必要としない人達に、存在を認めて貰うなんて、馬鹿げてると思うし」
「今でも、そう思ってるの?」
「じゃあ聞きますけど、リツコさん、僕が居なくなったらどうですか?、泣くわけじゃないでしょう?」
 笑って話す事ではないだろうが……
「使徒だってなんとか出来ますよ、今度みたいにね?、苦労はするでしょうけど、僕に気を使ってるよりは楽でしょう?、だったら」
「もういいわ」
 リツコからやめさせた。
「あなた、相当の悲観主義者だったのね」
「知りませんでしたか?、長く生きてると気が付きますよ、人が優しいのは、余裕があるからだって、余裕のない人は、仕方が無いんだって言葉で護魔化して、人を平気で傷つけます」
「あなたは、どうなの?」
「さあ?、どうなんでしょうね……」
 シンジは押し黙り、話しは終わりだとばかりにいつもの作業に取り掛かった。


「あなたは、優しいわ……」
 いつものように眠る間際になって、レイは唐突に話し始めた。
 シンジの胸に手のひらを這わせて。
「何故?」
 言葉が少な過ぎる、それでもシンジには理解できた。
「余裕が無いのに、優しいかって?」
 レイはじっと見つめ上げた。
 しかしシンジは、天井を見たままだ。
 片脇にレイを侍らせ、両手は自分の頭の下敷きにしている。
「違うよ、僕は寂しいんだ」
「寂しい?」
「そうさ、一人で寝るのが嫌だから……、綾波を手なずけてる」
「そう?」
「そうだよ、綾波なら逆らったりしない、僕はそれを知ってる、ずるいんだよ、酷い奴さ」
「でも……」
 上手く言えない、言えないのだが……
「あなたは、何もしないわ」
 シンジはレイを見て、きょとんとした。
「何も、って……」
 レイの手が腹を這って下腹部へ向かう。
「綾波?」
 しなやかな指が、しなびているものを握り締めた。
 絞り込む動きに刺激されて血流が集まってしまう。
 シンジは苦笑して、それを弄び、不思議そうにするレイを見た。
「綾波……」
「なに?」
「それが何をするためのものか、分かってる?」
 レイは小さく頷いた。
「だったら、さ……、そんなことしてると、お嫁に行けなくなっちゃうよ?」
「嫁?」
「そうさ……、綾波だって、いつか好きな人が出来て、結婚する、子供だって産む、そうだろう?、そうでなくちゃいけないんだから」
 言外に告げているものがあった、しかし通じていないと感じて、シンジはとうとう口にした。
「それが人間の営みだろう?、綾波は……、人なんだから」
 はっとする。
「碇君……」
 病院での思いがぶり返された。
「綾波は人形じゃなく人間なんだろう?、けど僕は人でなく使徒だ、人類の敵だ、だから僕は綾波を女の子だとは思わないし、綾波も僕を男の子だって思っちゃおかしい」
 レイの手の動きは止まっていた、それに合わせて、『それ』も萎れていた。



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