「ネルフとエヴァ、もっと上手く使えんのかね?」
「聞く所によれば、下級職員の中には軽視する動きが見られるとか?」
「これまでの君の手腕は評価しよう、だがな、碇」
「わかっています」
 ゲンドウは、老人方の勝手な言い草を遮った。


 シンジが居るからと言うだけでも無かろうが、ゲンドウの不手際や人非道的な対応は職員の中に染みを広げていた。
 それだけ強引過ぎたのかもしれない。
「大変だな、これは」
「ええ……」
 その調整や苦情を和らげているのは、ユイと冬月だった。
「しかしいずれはぶつかる事になる、碇がどちらにつくつもりか、分からんのかね?」
「すみません……、わたしにも」
 ユイは目を伏せた。
「わたしには、シンジが何を考えているのかも、分からないんです」
「話しはしてみたのかね?」
「話しですか?」
「ああ……、何も話さずに、相手のことが分かるわけは無いだろう?、例え息子でも、一度ちゃんと話した方が良いと思うがね」
 ユイは真摯に頷いた。


 そんないきさつもあってか、シンジは呼び出され、ユイと共に久々の会食を行っていた。
「夕飯くらい作ってあげるのに……、ねぇ、やっぱり一緒に暮らしてくれるつもりは無いの?」
 シンジは苦笑した。
「一緒に住んだって、どうせ仕事で僕は一人きりにされるんだから、それなら今のままの方が楽でいいよ」
「シンジ……」
「別に責めてるわけじゃないよ、母さんにはやらなきゃならない事があるんでしょ?、僕はそれをやめさせるつもりはないし、第一、父さんが恐いからね」
「恐い?」
 意味ありげに笑って、答えない。
「それより、母さん」
「なに?」
「もうやめよう……」
 シンジは匙を置いて、窓の外を見た。
「え……」
「母さんにとっては……、僕は息子に見えるのかもしれないけどね」
 苦く笑う。
「僕にとっては、母さんは娘以上に若く感じるんだ、母さんがどんな希望を持ってて、何を願ってるのかも分かるつもりだよ」
「なら、シンジ……」
「だから駄目なんだ」
 自嘲が示されていた。
「どうしても分析しちゃうんだよね、感情的になれないんだよ、僕の心は、平坦だ……」
 席を立つ。
「ありがとう、母さん……、楽しかったよ」
「待って、シンジ!」
「さよなら……」
 シンジはそのままレストランを去っていく。
 奇異の目が向けられていたが、ユイは気付かず、疲れから席に腰を落とした。
「シンジ……」
 何故?、何がいけないのか、いけなかったのか、誰がシンジをああしたのか。
 様々な想像が駆け巡っていった。


「碇君……」
 近くの公園。
 帰る気にもならずにいたシンジを見付けたのは、偶然なのだろうか?
「綾波……」
 キィと、軽くブランコを揺する。
「なにしてるの?」
「牛乳……、切れてたから」
「そう、持つよ」
 シンジは立ち上がって、レイの手から袋を取り上げた。
「ありがとう」
 シンジはただ微笑む。
「帰ろう?」
「ええ……」
 レイが何があったのかと聞く迄には、随分と時間が掛かった。
「何も無かったって言えば、嘘かな」
 シンジは星空を見上げた。
 誰も通らない道に二人とは、不思議な雰囲気を生み出すものだ。
「母さんが……、一緒に暮らそうって、親子になろうって言ってくれたんだ」
「そう……」
「でも僕は、母さんを憎んでたみたいだ」
「え?」
「気付かなかったよ、でも……」
 何故に、エヴァに乗るはめになったのか。
 何故、今こんなに苦しい思いをして、生きていなくてはならないのか。
 こんなにも奇妙な生を積み重ねなくてはならなくなったのか。
「結局……、エヴァを作った母さんが、憎いんだね、僕は」
「でも」
 立ち止まったレイに、振り向く。
「エヴァが無ければ、わたしは生まれなかったわ」
「……そうだね」
 手を差し伸べる。
「行こう?」
 不思議そうにしたレイに苦笑して、手を握り、引っ張る。
「碇君……」
 何も答えず、ただ歩く。
 レイは俯くと、キュッとその手を握り返した。
 外れないようにゆっくりと振って歩くのはぎこちなかったが、歩幅を合わせて歩く、ゆったりとした流れは、心地好かった。


 人……、移ろうもの。
 街……、変わるもの。
 時間、流れ行くもの。
 エヴァ、全ての始まり。
 その日の朝、珍しくレイは夢を見た。
 初めてかも知れない、だが不思議と、それがシンジの心であると感じ取れた。
(碇君……)
 先に目覚めたのは残念だった、もっとシンジの心を見れたかもしれなかったから。
 朝日の中に浮かび上がるシンジの寝顔は、死んでいるように静かなものだった。


 機体の相互互換試験。
(碇君の匂いがする……)
 LCLの中、レイは浸っていた。
 口にしなかったのは、それだけ重要な位置を占めるようになったからだろう、シンジの存在が。
 他人に聞かれる事が汚れと感じたのかもしれない。


 シンジはレイをモニタールームで見つめながら、黙っていた。
「どうしたの?」
「え?」
「今日は静かね?」
「そうですか?」
 シンジはリツコの言葉も軽く流した。


 零号機、碇シンジの実験が始まる。
(七十二回目だったかな、なんか似てると思ったんだよね)
 展開が。
 シンジの思った通り、LCLによって満たされた直後、警報が鳴り響いた。
 通信装置からリツコの焦りが聞こえて来る。
『なに、どうしたの!』
『LCLの注水装置に異常発生、濃度が危険値を越えています!』
『サードチルドレン、心拍数上昇、心臓停止!?』
『プラグのイグジット、早く!』
 遠くなる意識で思う。
(ほらね、母さん……、綾波)
 涙が気泡のように浮き上がっていく。
(生きてて喜んでくれる人なんていないんだ……、都合が悪いんだろうね、僕って)
 ATフィールドを張る事も出来ただろうに、シンジはそうしなかった。


 静かな空間に、ラジオ体操が聞こえて来る。
 薄っすらと瞼を開くと、意外な人物が居て、驚いた。
「アスカ?」
 パタンと読んでいた詩集を閉じる。
「なにやってんのよ?」
 アスカはシンジを見ずに問いかけた。
「あんた、ホントは逃げられたんじゃなかったの?」
「逃げる?」
「リツコが言ってたわ……、本当はこうなること、知ってたんじゃないかって、様子が変だったしって」
「まあね……」
 キッと睨み付ける。
「なんでよ!」
「何が……」
「何死のうとしてんのよ、あんた!」
 シンジは、ふうと吐息をついた。
「ねえ、アスカ……」
「なによ」
「ATフィールドって、何か知ってる?」
「そんなの関係っ」
「あるんだよ」
 シンジは瞼を閉じて語った。
「ATフィールドは心の壁なんだ……、心の在り方が形になるんだよ、だから、ね……、人の心を犯して、壊して、その中にある魂を傷つける、それが使徒との闘いなんだ」
「使徒?、使徒に心があるっての?」
「あるよ……、それは僕も同じでね、あれは事故なんかじゃない、誰かが僕を殺そうとしたんだ」
「嘘……」
「もちろん、僕はそれが誰だか知ってる、けどね、思っただけじゃ仕掛けられない、僕を殺すために手を貸した人って、何人居たのかな?」
 アスカは生唾を飲み込んだ。
 もちろん分かったからだ、首謀者から合わせて、実行犯だけでも技術部の事前チェックをかいくぐらなければならない、となれば、技術部、保安部、諜報部と合わせて、その数は膨大なものに及ぶはずだ。
 そしてそれでも知れ渡らないということの意味は、間違いなく、内部の犯行と言うことなのだ。
「そんな……」
「ね?、それだけの人が僕に死んで欲しいって願ってるんだ」
「だから、何よ!」
「僕は……、そんな人達の願いを聞いて上げようとしたんだ、だって、どうでもいいから」
「どうでも?」
「うん」
「どうでも!?、あんたあたしとの約束はどうするつもりよ!」
『あたしに選ばせて』
「ママを返してくれるって言ったくせに!」
 そのギャップはさらにシンジを苦しめる、やはり、別の人間なのだと、同じでも、違うアスカなのだと。
「殴られたら……、殴り返すよ、でもね、死んで欲しいって思われてて……、平気で呪い返せるほど、僕は強くないんだよ……」
 やはり後遺症が出ているのかもしれない。
「あんた馬鹿よ……」
 珍しく弱気な発言に、アスカはシンジと言う少年の形を見誤っていたのだと感じていた。



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