レイとシンジは四六時中一緒に居るわけではない。
 何かしらのスケジュールが同じであれば、共に居る事を規範としていたが、大概は全くの別行動である。
 だからシンジが一人でいるのを見かけたとしてもおかしくは無い、だがアスカは奇妙に思った。
「シンジ!」
「アスカ……」
「何処行くのよ?」
 学校とは違う方向に向かっている、いや、それ以前に、どうして通学路に居るのか?
 レイ達と共にバスに乗らなかったのか?
「ちょっとね、今日はサボり」
「サボり?、あんたが?」
「おかしいかな?」
「おかしいんじゃない?、ネルフに行く時くらいじゃない、あいつと……」
 そこでアスカは切った。
「綾波と一緒に居ないのはって?」
「そ、そうよ!」
「なにどもってるんだよ」
「どもってない!」
 シンジは笑いを噛み殺した。
「何笑ってんのよ!」
「別に妬かなくてもさ」
「なっ!」
「言ったろう?、僕に護魔化しは通じないよ」
 アスカはそのシンジの表情に、照れて赤くなった。
 そっぽを向く。
「なによ、そんなの……」
「分かってるよ、アスカは仲のいい二人って構図に憬れてるってね?、別に僕にどうのこうの何て気持ち、持ってないって、だから焦らなくても、大丈夫」
 大人びた態度に、余計に苛つく。
「そうやって分析するのって、嫌味よね」
「そう?」
「そうよ!」
 バンッと鞄で頭を叩く。
「痛いよ……」
「それで!、何処に行くつもりだったのよ?」
「墓参り」
「あん?、誰の」
「母さんの」
「お母さんって……」
 生きてるじゃない、と言おうとしてやめた。
「で、お墓って、どこ?」
「うん?、電車に乗って……」
 歩き出しても着いて来る、そんなアスカを自然に伴い、突っ込みもしないで、シンジは連れて歩いていった。


 日本の墓場というのはこういうものを言うのだろうか?
(寒い……)
 体が、ではない、精神的に響くものがあるのだ。
 ドイツの墓はもっと温かだったような気がする、無数に棒が並ぶだけの荒野は、あまりにも物寂しかった。
 目前ではしゃがみ込んで、シンジが手を合わせている。
 黒棒に刻まれた名前は碇ユイ。
(そうね……)
 生きている、と言わなくて良かったと感じる、シンジが拝んでいるのは、懐かしい日々の良き想い出に対してなのだから。
 そして現実の母親はどこか遠く、夢や想像からはかけ離れている。
 自然と重ねてしまうのは何故だろうか?
(ママ……)
 記憶の中の母親は、そんなに優しかっただろうか?
 そんなに構ってくれただろうか?
 それでも会いたいと思う、反面、やはり見捨てられるのではないかと言う恐怖が付きまとう。
 あの中に居るとしても、その母親はシンジの母のように、取り込まれた時から全く時を経ていないのだから。
「行こうか」
 立ち上がるシンジをじっと見つめる。
「ねぇ……」
「なに?」
「ママは……、優しくしてくれる?」
 それがアスカの母を差すのか、ユイを差すのかは分からなかったが……
「生きてるって事は……、自分のことで精一杯って事だよ」
 それはどちらともとれる、酷く卑怯な言い回しだった。


「上がってよ、綾波、まだ学校だけどさ」
 アスカは奇妙な顔をした。
「別にあいつに会いたいわけじゃないんだけど?」
 シンジは笑う。
「だって、僕だけだって事、先に言っておかないと怒るからね」
「はん?」
「二人っきりだなんて危ないとか何とか、からかうでしょ?」
「あんたねぇ、そうやって、ゲームやってんじゃ無いんだから、展開読んで……」
 シンジの顔に戸惑う。
「な、なによ?」
「ううん……」
 シンジは背を向けた。
「ちょっとね、驚いただけ」
「何に?」
「ゲームやってるんじゃないんだからって……、違う人なのに、同じこと言うからさ」
「誰のことよ」
「アスカのことだよ」
「あたし?」
「前に……、さよならした、アスカのことだよ」
 なんだか気まずい思いがして、アスカは別の話題を探した。
「ねぇ」
「なに?」
「部屋……、レイと一緒に寝てるわけ?」
 開けっ放しの扉から見えた大きめのベッドに顔をしかめる。
「あんたやっぱり」
「違うって」
 お茶を入れて、テーブルに置く。
「アスカだって、甘えたいんじゃないの?」
「はぁ?」
「加持さんとかさ、大人に……」
 湯呑みを持って、温もりを味わう。
「あんたに……、護魔化しても無駄ってわけね?」
「そうだね、でも綾波も同じなんだよ、前は……、父さんにかまって貰ってたんだ」
「司令に!?」
「うん、だから、僕は恋敵らしいよ、父さんにはね」
「恋敵って……」
「母さんも、僕寄りだからね、それで本気で殺そうって思うんだから、父さんも酷いよ」
 笑って話す。
「どうしてかな、人って、大きくなればなるほど、憧れてるものが欲しくて堪らなくなるんだよね」
「あんたも……、あるの?」
「あるよ」
 アスカはドキリとした、そのシンジの目に。
「な、なによ……」
「情けない話しだよ、僕はただ、優しくして欲しかった、誰かに必要だって思われたかった……、でも、何もないって思ってた、自慢できるものはね?」
「あれだけやってるじゃない……、自慢したって」
「百年も生きれば、だよ……、最初の僕は、こんなじゃなかったからね」
 もう、瞳は元に戻している。
「何も出来ないくせに、何もしないで、捨てられる事だけ恐がってた、まあ、言い訳させてもらえば、何かをしようとすると、目障りだ、大人しくしてろって、そんな風に育てられたからね」
「ふうん……」
 アスカはついでに差し出されたチップスに手を出した。
「だから、自分で何でもやろうとしてるアスカって、凄いと思って……、助けてって、ね」
「あたしに?」
「結局、アスカにも余裕、無くなってたからね……」
 その先は聞くべきではないだろうと、訊ねなかった。
 視線を漂わせたアスカの目に、大きなケースが目にとまる。
「ねぇ……」
「ん?」
「あれ」
「ああ、チェロだよ」
「ふうん……」
 僅かに、胸の奥で何かが芽吹く。
「あの子に弾いてやってるってわけ?」
「どうして、そう綾波にこだわるかな?」
「なによ」
 苦笑して立ち上がり、シンジはアスカの頭にポンと手を置いた。
 そのまま撫でていく、アスカは払いのけようとしない自分に気が付かない。
「綾波には、聞かせてない」
「なんで?」
 シンジはチェロを取り出した。
「綾波は……、音楽を聞いて、浸るとか、暇を潰すとか、そういう感覚を知らないからね、聞かせたら……、何か感じるようになってくれるんだろうけど」
「聞かせないの?」
 軽く吹きこぼす。
「くだらない……、こだわりだよ」
「こだわり?」
「最初の時から……、こっちに来て、初めて聞いてくれたのがアスカだったからね、初めて褒めてくれたし、だから」
「な、なによ……」
 ドキドキと胸が高鳴る自分に慌てふためく。
「聞いてくれる?」
「え……」
「アスカに、最初に聞いてもらおうって、決めてるんだ」
 と言って、シンジはチェロを持ち、軽く持ち上げた。



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