影に飲み込まれていく初号機を見て、果たして焦った人間がいかほど居ただろうか?
 ニヤリと笑う者、動揺するもの、どうせまた、と楽観視する者、多様であった。
 だが、一時間、二時間……、五時間経った現在でも、使徒に変化は現れない。
「あいつ……、帰って来ないつもりかも」
 アスカの呟きに大人達は目を剥き、レイは静かに頷いた。


「ちょっとアスカ」
 最初にくってかかったのはミサトだった。
「それ、どういうこと?」
「どうって……」
「碇君は……」
 レイが答える。
「死にたがっていたから」
「死にたが……」
「やっぱり……、そうなのね」
「リツコ!?」
「そんな気がしてただけよ」
 大人達を置いて、子供達は言葉を交わす。
 誰にも聞かれないように、歩み離れて。
「どうする?」
 アスカの問いかけに、レイは答えた。
「何も……」
「何も?」
「帰って来るわ、きっと」
「どうしてそう、信じられるのよ?」
「約束……」
「約束?」
 コクリと頷く。
「まだ、守ってくれてないから」
「そうね……」
 それについては、アスカも同じ意見だったが……
(あの馬鹿、変な事言ってたし)
 それは、先日の、チェロを聞かせてもらった時の事だった。


 弾き終わって、アスカは拍手を送り、シンジは照れてはにかんだ。
「結構イケるじゃない」
「そりゃずっと弾いてるんだからね」
 ふと気が付く。
「帰ってたの?」
 振り返るアスカ。
「ああ、お邪魔してるわね」
「ええ……」
 どこか憮然とした表情で、部屋へと引き上げていく。
「何よあの子?」
「嫉妬してるんだよ」
「え?」
「学校にも来ないで、自分には聞かせてもくれなかったチェロをアスカに聞かせてる、そりゃ怒るよ」
「ふうん……」
 意地悪く笑む。
「なんだ、やっぱり仲良いんじゃない」
「それなりにね、でもキツイよ?」
「え?」
「もうすぐお別れだって分かってて、無責任な事は出来ないよ」
「結構ちゃんと考えてるのね」
「考えてなかった時期もあるけどね」
 苦笑する。
「結局、あの後どうしたのかなって、確認もできない事に悩むことになるんだよね、それが嫌だから、もう深く関わらない事にしてる」
「十分関わってるじゃない」
「だから、僕は僕が納得できる終わりを作ってから、消えることにしたんだ」
「納得?」
 シンジの目は、レイが居るはずの部屋に向けられた。
「でも……、今度の場合は、失敗だったかもね」
 その言い方は、ロードし直すか、とでも言うような口調であった。


「どう思います?」
「なんだ?」
 訊ねたのはユイで、答えたのはゲンドウだ。
「あの子は……」
「戻って来たければ、来る、それだけの力はあるはずだ」
「あなた」
「何だと言っている」
「あの子は、あなたの子供なんですよ?」
「それがどうした」
「あなたは、あの子が死んでもいいと……」
「ATフィールドを操り、わたし達よりも歳を食っている子供、か?」
「あなた……」
「ならお前は、またわたしを捨ててシンジを取るのか?」
 ぐっと詰まる。
「わたしは……」
「シンジのために、未来を残したいか?、くだらん、その結果があの化け物だ、それでもこだわりたいというのは、ただの贖罪だろう、親としての情ではない」
「では……、わたしも、あなたも、親としては失格と言う事ですね」
「そうだな」
 何を今更、との口調に、ユイは絶望的な目を作っていた。


「ねぇ、リツコ……」
「なに?」
 懸命にサルベージ作業を進めるリツコに、ミサトは問いかけた。
「シンジ君なら、自力で出て来れるんじゃないの?」
「そうでしょうね」
「じゃあ、なんでそんなことしてるわけ?」
 リツコは冷たい目を向ける。
「あなたみたいな人が居るからよ」
「え?」
「楽できるならしたい、勝手にやらせておけば良い……、それって無視するのと同じことよ、たった一年、されど一年、あの子にとってこの一年が無意味なものとして記憶されるか、意味や意義のある一年として覚えてもらえるかは、わたし達次第なのよ?」
 シンジはよく口にする。
『……回目くらいかな』
 気怠い口調が、その内実を物語っている。
「浅い付き合いになるよう気を使ってるのは……、傷つきたくないからよ」
 胸をえぐるような記憶となって残るから。
「それを悟るまでに、何度やり直したのか、分からないけど」
 ふうんとミサト。
「やけに肩持つのね?」
「そう?」
「あんたらしくない……」
「そうね」
 自嘲する。
「やり直せるものなら、やり直したいもの」
「あんたも?」
「けどね、……シンジ君のように絶望するだけなんて嫌よ、それだけ」
「リツコ……」
 リツコの苦悩は分からないだろう。
 シンジは口にしていないが、リツコはこれまでの会話から気が付いていた。
(あの子は、わたしが捨てられるって事も、知ってる)
 だからだろう、ユイを手に入れ、ゲンドウは見向きもしなくなった……、それは遅かれ早かれ来る話だっただろう。
(わたしは、どうしたの?)
 それは誘惑、だ、知っているのなら、未来は知りたい。
 はたして捨てられた自分が、一体どうなったのか……
(でもね)
 それを気にして、慰めるためにかまおうとして、遊びに来てくれていたと考えるのは甘えだろうか?
(あの子に手を出したって話し、少し分かるわ)
 背格好が大きければ、倫理観に縛られはしなかっただろうか?
 いや、そもそも子供の姿をしてくれているからこそ、和めるのだろう。
 そしてそれを手放すには早過ぎる。
(今いなくなられたら、胃に穴が開いちゃうわ)
 既に過去にされてしまった女としては。
 そんな事を漠然と考えながら、リツコは作業を進めていた。


 さて、シンジが戻らなかったのには訳がある。
 別段皆が考えているような、悲壮な思いからではない。
「やっぱりだめかぁ」
 諦め、シートにもたれる。
「母さんが居ないと、初号機の力って知れてるんだよね」
 前回がそうだったように、魂のない初号機は巨大な操り人形にすぎない。
 第十七使徒同様に、同化して操っているのが実状だ、それではこの空間から脱出するための力には届かない。
「外部から破壊を狙ったんじゃ被害が大きいからって……、中から倒すつもりだったんだけど、母さんを連れ出してたの忘れてたな」
 間抜けな事だが、本当に忘れていたのだ。
「長く生きてるってのもなんだな、惚けたかな」
 ポリポリと頬を掻く。
 記憶の中で、ユイをサルベージした場合と、していない時と、それぞれに倒し方が絡んで、覚えがいい加減になっていた。
「まあ、まだ時間はあるか」
 LCLの限界のことだ。
「あれは嫌だからな……、でも、やるしかないか」
 決心を固めた。
「鯖……、今日中に食べないとやばいもんな」
 彼の決心とは、その程度の物なのだろう。
 今は。


「何が起こったの!?」
 零号機と弐号機が銃を構える。
 リツコは呆然と使徒の影を見た。
「まさか……、シンジ君?」
「シンジ君が!?」
 影がギチギチと形を変える。
 その形状は……
『初号機!?』
『碇君!?』
 二人の声に力付けられたのか、ますます形をはっきりとする、ただ……
『なによあれ!』
 装甲を着けていない、エヴァは生身だった。
「まさか……」
「なによ!?」
「使徒を……、取り込んでるの?、初号機で!?」
 リツコの呟きは同様を産む。
「やっぱりそうなのね?、同じものから出来てる、だから、同化を……」
 通信が入った。
「先輩、本部からです」
『使徒を攻撃しろ』
 現場に緊張が走った。
「ちょっと待ってください、あれは!」
 ミサトの言葉は拒絶される。
『初号機は使徒に取り込まれた、あれは使徒だ、攻撃を』
『ふざけんじゃないわよ!』
「アスカ!?」
『だったら、この通信はなによ!』
 フルオープンで、それも守秘回線では無く、通常無線まで用いて、隠し様がないように放送された。
『……聞こえますか?、シンジです、使徒……、このまま、…………戻ります、回収』
『電波の出所が分かんないとか、ふざけたこと言うつもりじゃないでしょうね!』
「……リツコ」
「望んでるかは分からないけど……」
 リツコは初号機が使徒と言う羊膜を引き裂くのを見つめた。
「流れは、シンジ君に向かって動いてる、そういうことよ」
 逆らえば、ゲンドウのように弾かれていく。
 事象と関係は、シンジが悲観するほど酷い方向へ向かってはいなかった。



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