その日、この国で総理大臣と呼ばれる男は、目の前に立つ二人に非常に強い違和感を覚えていた。
 気にしながらも、持ち込まれた書類に目を通していく。
 最初は兄弟だと言う事だった、首相官邸に訪れ、学校の新聞に載せたいので、話してみたいのだがどの様に約束を取れば良いのか、と言うのだ。
 時折テレビで気さくな所を見てか、この様な田舎者が訪れる。
 偶然通りがかり、その名前を耳にしなければ、気にすることは無かっただろう。
 兄方の名前は、死んだ秘書の名前だったのだ、脱税の揚げ句お詫びすると。
 その醜聞の煽りを食らって、してもいない容疑を掛けられた覚えがあってか、何をふざけてと話しかけた。
 そして兄の名詞に更に驚く。
『ネルフ』
 すぐさま特別室が用意された、盗聴を危惧しての専用会見室だ。
「ふむ……」
 彼は少年に視線を向けた、青年は半歩下がっている、どう見ても彼が主役にしか見えなかったからだ。
 その威風堂々とした態度もまた、だ。
「これを信じろと言うのかい?」
 少年……、碇シンジは頷いた。
「セカンドインパクトの真実、ネルフの上位機関ゼーレと補完委員会」
「しかし……、サードインパクトと言うのは」
「疑って当然です、ですが既にネルフ本部では内戦状態に入っています、上層部と、下位職員の間で、そしてゼーレからは離反する方向で纏まりつつあります、間違いなく、そちらには『ネルフ』がサードインパクトの実行を計画しており、これに対処するためネルフを接収せよと、戦略自衛隊、及び自衛隊の派兵要請が下されるはずです」
「だが、君達が正義であると言う保証はあるまい」
「ですから、こうしてそれを調べている期間が残っている内に訪れました」
 考え込む顔をする。
「ネルフは機密の塊だ」
「そうです、ですから、内務省調査部に所属している、加持リョウジさんにご協力をお願いいたしました」
「なに?」
 その目が鋭くなる。
「君は、ネルフの人間ではないのかね」
「二足わらじ、と言う言葉でご理解頂ければ」
「ふん……」
 蔑みが浮かぶ。
「なるほど、そう言う事かね」
「そう言う事です、こちらにはエヴァンゲリオンまでであれば引き渡す用意があります、パイロットについてはご容赦願います、これについては資料をご覧頂ければ分かります通り、不慮の事故による偶発的な理由がパイロットを定めているからです、コアの書き換えさえ行えば、パイロットは『そちら』で用意できますので」
「そのための……、中学校とは!」
 何処まで非人道的なのか、彼は喘いだ。
「その様な環境が、僕のような人間を生み出していると解釈して頂ければ、幸いです」
「君のような子供を作らないでくれと?」
「国のためならば何組かの親子が犠牲になるくらい、と言ってのけられるのなら、構いませんよ」
 ひやりとさせる笑みを浮かべる。
「そんな国、僕が滅ぼします」
 冗談ではない、恫喝でも無い。
 何故だか彼は……加持もだ、この少年にはそれが出来るのだと、素直に信じ込んだのであった。


「こんのぉー!」
 シンジが所用をすませて第三新東京市に戻って来た頃。
「負けられないのよ、このあたしは!」
 地下、ジオフロント森林公園では、弐号機が使徒と対決していた。
 両手に構えたカノンを撃ちまくる、しかし、通じない。
「ATフィールドは中和してるはずなのに」
 通信が入った。
『アスカ下がって』
「何処に下がれってのよ!」
 ミサトの代わりに、リツコが言う。
『シンジ君に頼まれていたものが完成しているわ、外苑部の周回道路に急いで』
「シンジが!?、あの馬鹿……、今度は何よ!」
 アスカは片方のカノン砲を投げぶつけ、それをもう一方の砲弾で爆発させた。
「くっ!」
 爆発で隙を作り、一気に指定のポイントへ駆け走る。
「どこ?、どれよ!」
 直に武器コンテナが持ち上がり出て来た。
「これは……」
 あえて似ているものを上げるなら、それは掃除機のホースだった。
「何よこれぇ!?」
『慌てないで』
 リツコの説明が入る。
『それを周回道路の下にあるコネクタと接続して』
 アスカは急いで繋げた。
「で、どうすればいいわけ?」
『あなたはそれを、使徒に向けておいてくれればそれでいいわ、何しろ時速三万六千キロを越える速度で撃ち出される計算だから、砲身の固定が難しいのよ、エヴァでなければ……』
 アスカはゾッとした、アスカだからこそ気が付いたとも言える。
「ちょっと待ってよ……」
 周回道路と言う長大なレールと取り付けられた砲身、それを繋ぐ蛇腹状のホースは内部が超電磁コーティングされていて、摩擦がゼロに保たれている、と言うことはだ……
 全長数キロのレールによって加速されたそれは、摩擦抵抗を受けることなくホースの中を滑るように軌道を変えて砲身から飛び出していく。
 それを例えた時、何と呼称されるのか?
 質量射出装置。
「マスドライバー!?」
『もう弾は走ってるわ、集中して!』
「シンジの馬鹿ぁ!」
 アスカはらしくなく泣き叫んだ、音速で計るだけ馬鹿らしいそれは、明らかに大気圏中で使用すべきものではないからだ。
 アスカの悲鳴とほぼ同時に、何の抵抗もなく小さな鉄球は射出された、それは使徒のATフィールドを打ち破り、コアを破壊し、ジオフロント側壁にぶつかり、えぐり、めり込み進んで、この地域のライフラインに甚大な被害を与える、人為的な地震を引き起こしたのであった。


 作戦終了後、アスカはロッカールームで放心し、項垂れていた。
「お疲れ様」
 手渡されたジュースを、飲む気も起きず、持ったまま垂れ下げる。
 目だけ向けると、リツコであった。
「あのマスドライバーね……、今日の戦いで、あなた、死ぬような目に合うはずだからって、そうならないように、あなたの来日以前から準備して来たものだったのよ?」
「……シンジが?」
「それを教えてくれたのは、……今朝よ」
「え?」
 惚けた顔を上げる。
「今日?」
「ええ……、使徒に楽に勝つためですって、まあ設計図通りに工事を進めるのは楽じゃなかったけど、どうしてそう期限にこだわるのかと思ったら」
 リツコは笑いを堪えてアスカを見つめた。
「あなたのためだったのね」
「あたしの……」
「妬けるわね、ほんと」
「え!?」
「だってそうでしょう?、楽に勝ってしまっては後が辛くなる、そう言っていつもギリギリの縁で戦っていたのに、あなたが危ない目に合うよりはと、あんな物を使用する、大切に想われている証拠じゃない?」
 何か言おうとして立ち上がったアスカであったが、リツコの穏やかな表情に、何も言えず、結局、照れてそっぽを向く事しか出来なかった。


「ただいまぁって、言ったって、だぁれもいない、か」
「居るっての」
「わぁ!」
 真っ暗なので誰も居ないと思ったのか、シンジは驚いた。
「電気も点けないでなにやってるのさ?」
「あんたねぇ」
 こめかみに怒りが表示される。
「あんたのせいで停電食らってるんでしょうが!」
「ああ……、あれね」
 アスカはブスッくれた。
「なに笑ってんのよ!」
「え?」
「なに笑ってるのって言ってるの!、あたしは怒ってんのよ!?」
「そんなの」
 苦笑する。
「アスカが無事だったからに決まってるじゃないか」
「へ!?、ちょ、ちょっと!」
 自然と抱きすくめる動きに抗い切れなかった。
 気が付くと抱き締められていた、暴れ始めたのは抱かれてから、それもシンジの力加減が絶妙で腕を外せない。
 アスカの顔から血の気が引く、今まで想像したことはあったが、そう体つきの変わらないシンジだ。
 なんとか逃げられると思っていた、その余裕が無くなった瞬間だった。
 押し倒される?、乱暴される?、その恐怖に身を竦ませる。
 しかし心配は杞憂に終わった。
「良かった……」
 シンジの呟きが耳に入った。
「腕……、ちゃんとあるよね?」
 両腕に手を添えて離れていく、アスカは訝しみ、言葉の中身を読んだ。
「シンジ……」
「なに?」
「あたしの腕が……」
 それ以上は問えない、しかしシンジは頷いて肯定した。
「まあ、ね……」
 掴んだままで言う。
「色々とあってね……、アスカはエヴァに乗って、自分の価値を示そうとしてた、でも先に使徒と戦ってデビューしたのは僕だった」
 辛げに言って、手を離す。
「アスカが来るまでに三体の使徒を倒してた、だからだろうね、アスカはそれ以上に凄いんだって所を見せようと焦って……」
「自滅……、したの?」
 かぶりを振る。
「もっと酷かったよ、だって僕が相手だよ?」
 辛げに告白する。
「僕は……、みんなの為にって頑張ってたんだ、だけどそれがいけなかったんだろうね、アスカの存在感が霞むような実績を示しちゃったんだよ」
「え?」
「誰もアスカに頼らなかった、誰もアスカを必要としなかった、僕に任せておけばそれで良い、そんな風に思い始めてた」
 シンジの目には哀憐が浮かんでいる。
「十何度目のやり直しの時だったよ、そんな僕に苛ついた君は、とにかく僕には何もさせまいと、手柄を独り占めしようとしたんだ、そして……、使徒にやられた」
「死んだの?」
「死にはしないよ、でもあの使徒はエヴァの腕くらい簡単に斬り飛ばせるんだ、焦りが過剰なシンクロを導いてたんだろうね、君はエヴァと同調し過ぎて……」
「腕を斬り飛ばされて……」
 アスカは自分の体を抱いた。
「そうだよ?、エヴァが腕を斬り飛ばされた時、そのフィードバックにやられたんだ」
 アスカは目をつむった。
 エヴァで戦っている時、そのフィードバックに痛撃を受ける事がある。
 一定の所でブレーカーが掛かるものと思っていたのだ、それが……、肉体を損失するほどであったとは。
「そう……」
「それからは、そう言う事があったり無かったりだったよ……、僕も助けたり助けなかったり、傷ついた君を介抱した事もあるし、そんな君に鬱憤を晴らされたこともあった」
「鬱憤?」
「こんなになったあたしを見て、さぞかし気分がいいでしょうね、あぁら無敵のシンジ様にご飯を食べさせて頂けるなんて光栄ですわ、なによ!、あたしが負けたからって、使徒を倒したからっていい気にならないでよね!」
 アスカは押し黙らされてしまった。
 物真似が余りにも似過ぎていたからだ。
「まあ、下の世話まで僕がしたからね」
 肩をすくめる。
「でもそんな顔をしないで欲しいんだ」
「え?」
 場違いな微笑に驚く。
「シンジ?」
「僕にとってはね……、それが自然なんだよ」
「自然って」
「憎まれる事がね」
 寂しげに言う。
「最初からそうだったよ……、アスカは僕を嫌ってて、僕はアスカに甘えてた、何でも出来るのに、どうして優しくしてくれないんだよって思ってたんだ、でも当たり前だったんだよね、アスカは、僕こそ欲しいものはみんな持ってる、持っていく癖にって、僻んでたんだ」
 アスカは唇を噛んだ。
「なによ……、それ」
「例えば加持さんだよ」
「え!?」
「僕は加持さんと仲良くなった、加持さんはミサトさんと寄りを戻した、どうしてそこに居るのは自分じゃなくて僕なんだろう?、凄く不満だったんだろうね、人から凄く優しくされてるくせに、何も持って無いって口にして、それを分けてはくれないんだ、凄く不満だったろうね」
 顔を逸らせる、アスカは正視できなかった。
「だから……、僕はアスカを抱かないんだよ?」
 バッと顔を上げた。
「なっ、なによそれは!」
「女の子と一緒に寝てて、何かしない、何も考えない方が不自然だよ」
 シンジは笑う。
「アスカがここに来たのは、加持さんを取られたからだろう?、だから退行現象を起こしてる、覚えがあるはずだよ?、必要以上に甘えようとしてる、男の僕じゃなくて、依存対象としてね」
 否定は出来ない。
「だけど……」
「アスカ?」
 その声音は、まさに大人のものだった、有無を言わせない厚みがあった。
「僕がこんなことを言うのには、理由があるんだ」
 両肩に置かれた手に、アスカは戸惑いながらも、真っ直ぐにシンジを見た。
 見た目は子供なのに、目は深い色合いをしていた。
「僕は……、もうすぐ、いなくなる」
「え!?」
「綾波にも言ってる事だけどね、もうすぐ全ての使徒を倒す事になる、その後は……、本来あるはずだった、サードインパクトの日を待つだけになるんだ」
「け、けど!」
「そう、僕はこの世界では、サードインパクトを起こさせるつもりは無いよ、けどね?、それでも僕は、今までがそうだったように、次の世界に渡らされてしまうんだ」
 顔を近づけ、額を合わせる。
「そんな泣きそうな顔をしないで」
「な、泣いてないわよ……」
「そう……」
 傷つけた。
 アスカはおよそ初めてだろう。
 それを実感した。
「シンジ……」
「僕は……、居なくなる」
 つれない事を言うのは自分のせいだ。
 アスカはそう考えた。
「シンジ」
「だめだよ」
 やはり冷たい。
「依存できるのは、そこまでなんだ、だから君は強くならなくちゃいけない」
「あたしは……」
「強くならなくちゃいけないんだよ、誰にも邪魔されず、誰にも尊厳を弄ばれないように、今だって君はエヴァに乗らなくちゃいけないって思ってる、乗らないと価値を示せないから、でもね?、エヴァが無くてもアスカはアスカだ、その存在はいつも『在る』んだよ」
 シンジの手が頬から滑り、親指が耳に掛かった。
 残りの指が、ゆっくりと首筋を撫でる。
「僕が居なくなっても、甘えなくちゃやっていけないようなら、君はきっと、都合の良いおもちゃにされるよ、それは弱みだからね?」
 クッと中指が首の壷を押した、てこの原理で、アスカの顎が持ち上がる。
 自然と開く唇に、シンジの口が被さった、理解不能の事態の中で、アスカは舌をくるりと絡められたのを感じた。
 最後にちょんと、舌先で挨拶された。
 慌て、口を押さえて跳び下がる。
 目を丸くしてシンジを見ると、彼ははにかんでいた。
「うがいなら、早くした方がいいよ?」
 はにかみながら言うことではない。
 それ以上に、キスの後に出す台詞ではない。
「この家には布団が一つしか無い、今日、綾波は使徒の解体に付き合わされて帰って来ない、二人きりだ」
 言葉が意味する所は、疑うまでもないだろう。
「僕は、キスしたよ?、意思表示だと思ってくれていいよ」
 アスカは、ゆっくりと手を下ろした。
 硬直して、震えていたが。
「それでも、アスカは、僕に甘える?」
 シンジの言いたいことは明白だ。
 頼るな、甘えるな、自立しろ。
 相手を信じるな、傷つけられる事をいま知ったね?
 それでも、君は僕を受け入れるのか?
 アスカの中で、これまで意図的に考えなかった事が渦巻いた。
 それは自分の心理だ。
 シンジを求めれば、それは甘えだ、保護無くしては生きられないと言う表示になる。
 だが避ければ、孤独に叩き込まれる事になる、シンジが語った通り、壊れていく可能性が芽吹くのだ。
 一人で生きて来たと言う自信が崩れていく、逃げ出すことは出来ない、シンジが見つめているのだから。
 アスカは喉を慣らし、極度の緊張から膝を震わせた。
 血の気が引いて、倒れそうになる、貧血を起こしているのかもしれない、と、急にそのプレッシャーは和らいだ。
「まだ時間はあるよ」
 シンジが引いたのだ。
「今日は、一人で寝るといいよ、僕はリビングで寝るから」
「シンジ……」
「考えるといい……、アスカは賢いからね、これまでの自分を思い返して、自己分析して、これからの自分を想像して、色々と考えてみるといいよ、君には、それが出来るはずだから」
 妙な所で微塵も疑っていない物である。
 しかし考えなければならないのだ、シンジが……、居なくなると言うことは。
 母のサルベージが、頼めなくなると言うことなのだから。



[BACK] [TOP] [NEXT]