シンジの課題は、アスカには少々難しい物だった。
シンジが居なくなると言うことは、母のサルベージを願えなくなると言うことなのだ。
もちろん帰って来て欲しい、しかし未だに、母が自分を甘えさせてくれるかどうか不安でもあった。
「あたしって、馬鹿……」
今になって母の気持ちが良く分かる。
如何に止めた所で無駄なのだ、彼は……、行ってしまうのだから。
残される自分は、理不尽であろうとも捨てられるのだと考えてしまう、自分は物ではないし、所有物扱いされれば、間違いなく反発してしまうであろうに、だ。
しかし彼は口にしている、全て、選ばせると。
自分の足で道を選ぶと言う事が、これ程苦悩する物とは思わなかった。
シンジが居なくなって、母にも嫌われた時、自分は一体どうするのであろうか?
ふいにミサトの姿が脳裏を過った、一人で強く生きているようで、急にふしだらになった彼女の姿が。
「嫌だって……、思ったのに」
無性に甘えたくなる、抱かれる、とはそれほど甘美なものなのだろうか?
想像するしかない、だが、どうしても組み伏せられるイメージしか沸いて来ないのだ。
寝返りを打つ、瞼を開き、時計を確認すると夜の三時だった。
耳をすませば、開けっ放しの扉から、シンジの寝息が聞こえて来るようだ。
シンジの代わりを求めるかもしれない、だがそんな人間、居はしないだろう。
これ程自分のことを良く分かっていて、甘えさせてくれて、何も求めず、与えてくれる人間が。
到底、居るとは思えない、なら、妥協して生きるしかないのか?
「そんなの出来ない……」
腕を目の上に被せて喘ぐ、妥協すればどうなるか?、もちろん、母のように捨てられること覚悟で、父を奪った女の様に、猫なで声で甘えるしかないのだ。
せいぜい、飽きられ、捨てられる事のないように、脅えて生きて行くしかない。
アスカには中間の発想はなかった、トップを目指して来た反動からか、想像が極端だった。
「あたし……、どうすればいいの?」
もう一人のことが思い浮かんだ。
「あいつは……、答えを出してるの?」
とてもそうは思えない、甘えると言う点では、自分以上だ。
スキンシップを求める頻度と度合では、比べるだけ無駄だった、なら、相談相手にもならないだろう。
シンジが居なくては生きて行けない、そんなことはない、そんなことはないのだが、それならそれで覚悟を決めて、態度を固めなければ、シンジの言葉通り、いつかは躓いて壊れかねないのだ。
その恐怖が付きまとう、シンジが教えてくれた、実際に自分は壊れたのだと。
他人に頼らない生き方、アスカはそんなものを想像できない自分に愕然とした。
「あたしって……」
なんだかんだと言っても、人に囲まれていなければ、人に崇められていなければ堪えていけない。
かと言って求められるのは鬱陶しい、与えてやった物で満足していろ、としか言えないのに……
「エヴァしか……、ないなんて」
結局はそこに行きついてしまう、エヴァを取るか、母を取るか。
「そんな事も……、決められないなんて」
アスカは歯噛みをして、うつぶせになって、体を丸くした。
シーツを巻き込み、全身を覆い隠して、すすり泣く。
いくらもそうしていなかったはずなのに、アスカはベッドが傾いている事に気が付いた。
背を撫でる優しい温もりにもだ。
恐る恐る、泣きはらした目を布団の外に出すと……
「……鼻が赤くなってるよ?」
シンジが、側に居てくれた。
翌朝帰宅したレイは、不可思議な事に気が付いた。
妙にアスカがしおらしいのだ。
シンジに対する恥じらいを感じる、それは今までになかった物だ。
「はい」
目の前に置かれる味噌汁。
椀から腕を伝って顔を見上げる、しかしシンジに違った部分は見られない、なら、なんだろうか?
「何?」
レイは目線でアスカを指した。
「なにか……、したの?」
「なにもしてないよ」
シンジは微笑んだ。
「ただ話しただけ」
「話?」
「綾波にも言ったでしょ?」
朝からは辛い話題だ。
「僕は……、もうすぐ居なくなるって」
「……そう」
レイは落ち込んだ顔で、味噌汁を手に取った。
朝の温もり、包んでくれていたのは愛情だろうか?
この和やかな雰囲気に終わりが訪れる。
それはとてもとても、とても悲しく、辛い現実だった。
「これが、エヴァンゲリオン……」
呆然と見上げ、丸刈りの少年が呟いた。
それを赤銅色の肌をした子が揶揄する。
「ふん、ドラグーンの方が強そうじゃないか」
少女が吹き出した。
「でも、ATフィールドの説明、聞いたでしょ?」
「ドラグーンの標準装備じゃ相手に出来ないよね、走行速度も、エヴァンゲリオンの方が上みたいだし」
ムッとしたようだ。
「稼動時間が短過ぎるし、行動範囲も狭過ぎるんだよ」
そんな三人をアンビリカルブリッジから見下ろしている二人が居た。
シンジとミサトだ。
「どう?、シンジ君、あの三人は」
シンジは困った。
「どう……、って言われても」
「戦略自衛隊からの出向、協力態勢の一環として送り込まれて来たにしては、あなた達と同じ子供よ?、怪し過ぎるわ」
「そうですか?」
「スパイの線でも監視はしているけど」
「スパイって言うだけなら、もっと優秀な人が動いてるでしょ?」
シンジの言葉に顔をしかめる。
「加持のこと?」
「そうですよ、十四、五の子供に任せられることと言ったら、僕達の誘拐とか……、そんな所じゃないですか?」
皮肉るミサト。
「まるで、そう言う事があったみたいね」
「あったんですよ、あの子達の手でね」
呆れ果てる。
「それでも、受け入れるの?」
「そう言う事ばかりじゃありませんでしたからね、今回がどうなるかは分かりませんから」
「言っておくけど、わたしは子供だからって油断するほど甘くは無いわよ?、なにしろ……、今、実質的にネルフを動かしてるのも、十四歳の子供なんだから」
シンジはただ、そうですね、と答えておいた。
互いの顔合わせは、会議室にて行われた。
対照的なのは、戦自の子供達が自ら敬礼と共に名乗ったのと違い、ネルフ側はミサトが紹介した所だった。
レイ、アスカ、シンジへと続く、当然のように子供達の注意はシンジへと注がれた。
「サードチルドレン……、ネルフのエースパイロットの」
「あなたが?」
栗色の髪の少女、霧島マナが驚いた顔をした。
「違うよ」
シンジは肩をすくめた。
「ネルフのエースパイロットは、セカンドチルドレンだよ」
シンジを覗く全員が顔をしかめる。
シンジは続けた。
「僕は協調性に欠けるからね、周囲との連携を考え、命令を正確に実行し、期待以上の成果を上げる事に掛けては、セカンドチルドレンには遠く及ばないよ」
何か言いたそうなアスカを目で制す。
「それにエヴァは、パイロットのメンタル面において性能が激変するんだ、僕は安定し過ぎていて、落ちはしないけど、向上もさせられない、事実エヴァンゲリオンでの走行速度では、僕は零号機に負けている」
自然と注意がレイへと動いた。
「そう言うわけで、二番目は綾波かな?、ATフィールドすら貫く光線を前に、盾になれと命じられたら体を張って盾になる、僕にはできない事だからね」
「できない?」
「僕なら逃げ出すよ」
マナ以下、少年達は奇妙な顔をした、命令違反と己の命の天秤をどちらに傾けるべきか、迷ったのだろう。
「そんなわけだから、戦闘経験の多さで判断しないで欲しいな、君達と同様に、少なくともアスカは戦術訓練を受けているからね」
「へぇ……」
「やめてよね、くすぐったい」
少年達の称賛の目線に、アスカは身を小さくした。
「それで……、あんたは何をさせたいのよ?」
「あ、うん……、とりあえず、使徒を想定したシュミレーション訓練の相手かな」
シンジはちらりとミサトを見た、立ち上がるミサト。
「現在、ドラグーン三機のバックアップデータからシュミレーションパターンを作成中です、その結果はエヴァとリンクの後、さっそく訓練に入ってもらいます、データにはネルフ技術部で開発中の装備を、幾つか追加装備し、データを収拾する予定です」
シンジは大揚に頷いた。
「と、言うわけだよ、君達のドラグーンは使徒のみならず、エヴァとも渡り合えるようになる」
鼻を鳴らしたのは赤い肌の少年だった。
「気に入らないな」
「ムサシ……」
少女のたしなめは逆効果だったようだ。
「エースじゃないとか言っておいて、どうして仕切ってるんだ?、それも俺達のことまで」
「それは……」
言いかけたのはミサトだったが、やはりシンジが制した。
「君達に追加する予定の装備の内、六割が僕の新案だからね、それぐらいの権利はあるさ」
「あ、……なに?」
ぽかんとした少年に、ミサトが言った。
「こう見えても、シンジ君はうちの技術部のナンバー2なの」
「そういうこと」
ちらりとアスカを見やる。
「セカンドチルドレンでも、もう大学を出てる、人は戦いのみに生きるに在らずさ、戦争が終われば別の道で生きなくちゃいけない、そのための努力も同時にすると良いよ、君達もね」
そう言って立ち上がると、レイが迷いもせずに続く。
アスカは嘆息気味の息を吐いて、仕方が無い、と追いかけた。
「実際の所……」
リツコは気乗りしない顔だった。
「薦められないわね」
「そうですか?」
面白そうにするシンジだ。
「強力過ぎるわ」
説明するならそれに尽きた。
「この兵装を量産するだけで、核以上に世界を恫喝できる」
「それはエヴァも同じでしょう?」
シンジは余裕を見せた。
「エヴァが人によって制御されるように、機械だって人によってコントロールされます、どの様に使うかは、使う者次第ですよ」
リツコは溜め息を吐いた。
「つまり……、必要な力だというのね?」
「敵に回るかもしれませんけどね」
皮肉に言う。
「その時は……、その時です」
「どうするつもり?」
「潰しますよ、この手で」
リツコは息を呑んだ。
「シンジ君……」
「大丈夫、大型の機械は沢山の人を殺せますが、たった一人を追い回す事には不向きですからね、それに……」
「なに?」
「僕のATフィールドは、この装備よりも強い」
痛ましい。
リツコはそんな言葉を、シンジの横顔に見付けてしまった。
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